楽園夢想アデュラリア 06

033:再会

 神器がない分、ラリマールは二人の女より圧倒的に不利だった。今彼が手にしているのは、神器を手に入れるまで使っていたいくつかの短剣だ。
 しかしその差は、彼らの特性によって最大限にまで縮められた組み合わせとも言える。
 ラリマールは魔族故に、身体能力は元々人間より高い。魔族の中でも、特に能力の高い一族の一人なのだ。
 天空は人間だ。人間の中では天才的な暗殺者だろうが、基本の身体能力は神器の力によってようやく魔族と互角に戦えるまでに引き上げられている。
 もちろん彼女は暗殺者なので、こうやって真正面から戦っている方が異例と言える。正面切っての戦いならともかく、彼女が闇にまぎれて密やかに命を狙って来たなら、魔族でさえも対抗できるか怪しいものだ。
 今は昼日中の空の下で斬り合っている分、ラリマールにも分はあった。
 天空の斬撃は大鎌による大味な攻撃に見えて、その実かなりの速度と繊細さを誇る。しかしラリマールも機動力では負けない。
 彼の戦法は、相手の得物を自分の武器で受けることを考えずに全て回避することを選んでいる。得物の違いによる不利も最小限に抑えられていた。
 なんとか拮抗している。均衡はとれている。だが。
「お前は何もしないのか?」
「あら、してほしいのですか?」
 動かないメルリナが不気味だった。天空だけでなく彼女まで攻撃に加わっては、さすがにラリマールも勝ち目がなくなるところだ。しかしこれはもちろん喜べる状況などではない。
「やはりほら、アンデシンに一応説得して来いと言われたからにはね」
「って、そう言えばお前、神器は?」
 戦闘だけでなく、ラリマールを連れ戻す任務には神器の回収という意味合いも含まれていた。それを思い出し、天空が今更尋ねる。
「あれは、サンたちの下へ置いてきた。――あの神器は、勇者のものだ」
「おいおい。もったいないことすんなぁ。だから今お前は神器がなくて、私に苦戦してるってのにさぁ」
 戦いが長引けば長引くほど、神器の補助がないラリマールは不利になる。天空の言葉通り、ラリマールはだんだんと押され始めてきた。
「別にいいさ。ここでお前に負けるようなら、それが私の実力で、天命ということだろう」
 もともと、ラリマールは幼いうちに死ぬはずだったのだ。あの時、サンに助けられなければ。
 あの出来事を切欠に色々と考えた。自分のこと、サンのこと、魔族のこと、魔王である兄のこと、勇者のこと、世界のこと。
 そうして出した結論が今に繋がっている。
 ここで死ぬなら、それはそれで仕方ない。。今までも全力でやってきた。今この瞬間も全力で自分の意志を貫く。
 それができないならば、兄に頭を垂れて命だけを拾っても意味なんてない。
「戦うと決めたんだ」
 戦士として生きなければ魔族の中でも生きる道はあっただろう。ラリマール自身がそれを選ばなかっただけのこと。
「青いねぇ。楽な方に流れようとは思わないのかい?」
「お前は流れたのか? 人間の暗殺者。お前だって魔族の中に交じってまで好き勝手やってるじゃないか。正直他の誰に何を言われようとも、お前ほど説得力のない相手はいないぞ」
「ごもっとも」
 そしてラリマールは攻勢を激しくする。
「天空。お前は、恐らく勇者にとって最大の敵。お前はいるだけでサンを傷つけることになる。……だから」
 これはラリマールがサンのためにできる最初で最後のことなのかもしれない。
「ここで死んでもらう!」
 サンが復讐を望んでいることは知っている。彼はラリマールがアンデシンと戦いたいと言う望みも聞いてくれた。
 けれどラリマールは、できればサンに天空を手にかけてもらいたくはなかった。
 サンを人殺しにしたくない。
 これまでの勇者同士としての付き合いで、より一層彼の人柄がよくわかった。
 相手が父親の仇で元々暗殺者とはいえ、サンは恐らく天空を心の奥底では殺したくないのだろう。だから。
「そう簡単には行かないよ」
 天空は微笑んで宙を蹴る。これまでにない動きにラリマールは警戒したが、それでも次の一撃を躱しきれない。
「くっ!」
 双剣を構えて防御態勢をとる。同時に自ら飛び退いて衝撃を殺したが、やはり武器は破壊され、この一撃を凌ぐので精一杯だった。
「終わりだね」
 足を止めた天空の言葉に急いで振り返れば、メルリナが魔導で生み出した闇色の矢を手も触れずにつがえている。
 ここまでか……!
 きり、と唇を噛むラリマールの耳に、その声は飛び込んできた。
「ちょっと待ったぁああ!」
「サン?!」

 ◆◆◆◆◆

 飛び込んで来たサンの一撃を、天空は慌てる様子もなく防御する。
 メルリナの魔導の方は、ユークが斧でかき消した。本来なら魔導の矢を武器でかき消すなど相手方にも相応の魔力が必要なはずだが、神器はその力を補ってくれる。
「無事かい? ラリちゃん」
 フェナカイトが銃を構えつつラリマールに駆け寄ってくる。
「サン、ユーク、フェナカイト……どうして」
「ユー君曰く、君はまだ女王陛下の認めた勇者だからって。サン君は言わずもがな。……はい」
 フェナカイトはラリマールの神器を取り出して渡す。--否、元の持ち主に返した。
「君は自らの意志で勇者になったんだ。ここで戦わない選択肢はないよね」
「……」
 ラリマールは大人しくそれを受け取る。
 一度は手放した冷たい金属の感触は、今もぴたりと手に馴染んでいた。
「後で話し合うにも、まずこの場を切り抜けなきゃね」
 フェナカイトはメルリナに銃口を向けて、まずは彼女と天空を引き離す。
 天空に斬りかかって行ったサンはそのまま一対一の戦いを続ける。
「そう言えばあんたの本格的な戦い方を見るのは初めてだな」
「そうですね。私は基本的に裏方ですから。けれど」
 闇の顎と呼ばれる虚空を開く神器の使い手であるメルリナは、基本的に他の戦士たちの援護に徹している印象だった。
 そのメルリナが、今初めて彼女自身の実力と共に禍々しい側面を見せる。
「単身ではまったく戦えないなんて言っていませんよ」
 メルリナは神器使いであると同時に、魔導士でもある。
 神器という武器がなければ魔族と対等に渡り合うことができない人間の戦士とは違い、魔導士は魔導だけで神器使いに対抗することすら可能。
 しかも彼女は、自らの魔導と神器の特性を組み合わせて攻撃を仕掛けて来るのだ。
「おわっ!」
「でぇ?!」
 突然思いがけぬところから降りかかってきた青い炎に、勇者たちは思わず間の抜けた声を上げて逃げ惑う。
「落ち着け二人とも! 魔導の炎は神器で振り払えるはずだ!」
 勇者たちよりはメルリナとの付き合いが長いラリマールは、すぐに戦いへと意識を切り替えている。
「攻撃は基本的に相手の手元から来るっていう盲点をついた作戦だよな。はー、やれやれ」
 頭上に空いた闇の顎から炎を降らされたサンたちは、思った以上に厄介なメルリナの戦い方に溜息を吐きながら第二陣を凌ぐ。
 メルリナは闇の顎を使って魔導をどこにでも飛ばすことができる。しかし死角からの攻撃を警戒しすぎるあまりに、正面から来る攻撃を見落としては本末転倒だ。
「……あんたはどうしてそれだけの腕がありながら、魔王の将軍なんかやってる?」
 揺さぶりをかけるためかはたまた違う目的か、フェナカイトはメルリナに問いかける。
「どうして、とは?」
「その格好、あんたは本来睡蓮教の神官なんだろう?」
「ええ、そうですよ」
 メルリナはあっさりと認める。
「神官なのに、戦いを誘発するのか?」
「あら、あなたもそうではなくて?」
「……!」
 ユークの攻撃を危なげなく躱しながら、メルリナ自身はフェナカイトとの会話を続ける。
 闇の顎でどこでも好きな場所に出現できる上に、魔導で体を浮かせることもできるメルリナは宙をぷかぷかと自在に動くことができるらしい。
 髪や着衣の裾でさえほとんど乱れないその様は、重力を感じていないかのようだった。
 ――睡蓮は背徳神グラスヴェリアの象徴だ。
 背徳神への信仰を、睡蓮教と言う。
 クオがその時代を終わらせる一昔前、魔獣は各地で人々を襲っていた。発端はその昔、世界中に無数に散らばった背徳神の魂の欠片が生き物を変質させたことにある。
 背徳神グラスヴェリアは、人々に苦難を与える邪神。そして彼を信じる者もまた、邪悪なる者と目されている。
 メルリナはその背徳神の使徒なのだ。睡蓮教の神官。
 ただ、神学に詳しい者からすれば、グラスヴェリアをただの邪神と決めつけてしまうのもまた誤りらしいのだが……。
「誰も彼もが平和な世界が欲しいと願いながら、結局は戦うことでしか望む世界は手に入らないと思っているでしょう」
 初めて単身で本格的な戦闘に身を置いた神官は、初めてその本音を勇者たちに披露する。
「そして実際に人も魔族も、もうお互いにお互いを滅ぼすことでしか幸せになれないところまで来てしまっている」
 悲惨で救いのない現状をその漆黒の瞳はどう映しているのか、まるで子どもに経典を読み聞かせるような、穏やかな語り口は常と変わらない。
「戦わなければ、傷つけなければ、相手を完全に叩きのめして屈服させなければ、安息は得られない――ならば、喜んで戦えばいい」
 しかしその内容は、人の殲滅を望む魔族としても到底まともとは言えぬ程に病んでいた。
「人間を滅ぼしたい魔族も、魔族を滅ぼしたい人間も、人間を裏切った人間も、魔族を裏切った魔族も。誰もが望むように、願うように」
 軽やかに歌うように告げる。
「――殺し合えばいいわ」
「……」
「フェナカイト」
 ラリマールが言葉を投げる。
「惑わされないでくれ。あの女の言葉に正義などない」
「背徳神の神官って、みんなあんな感じなんですか?」
 ユークが嫌そうな顔で、また降りかかってきた炎を払うために槍斧を振るう。
「いや、違うだろう。違うはずだ」
 ラリマールも睡蓮教には詳しくないらしく、いつもより歯切れが悪い。
 メルリナの言葉は穏やかで、その慈悲深い微笑みは一見彼女が公平で正しい存在かのように錯覚させる。
 けれどその論理に屈服するわけには行かないと、どうにも腑に落ちない心が悲鳴を上げるのだ。
 確かに人と魔族の正面衝突はもう避けられないところまで来てしまっている。だが、本当にそれしか道はないのか?
「今ここであの女に反駁するための答なんて出さなくていいと思います」
 ユークが言った。
「僕たちはあの女の言い分にはなんとなく納得できない。それでいいでしょう。受け入れられない理屈を無理に受け入れる必要なんてありません。だから人だって魔族だって抵抗するんじゃないですか。だから……」
「お前の答を押し付けるな! 私たちは自分の意志で決める!」
 ユークの言葉の後を引き取って、ラリマールがメルリナに斬りかかる。
「押し付けるだなんて失礼な。そちらの殿方に聞かれたから答えただけですのに」
 闇の顎による移動で逃れたメルリナが、頑是ない子供を前にしたかのようにこれ見よがしな溜息をつく。
「でもそれでいいのでしょう。背徳の神は誰も否定しない」
「……」
 相手と仲間たちの言葉を一通り聞いたフェナカイトは、ようやく言葉を発した。
「あんたとは気が合わなさそうだ」
「あら、残念。私は、あなたとは気が合うと思うわ――とても」
 メルリナはフェナカイトに意味深な笑みを向ける。それに対し、フェナカイトは厳しい表情のままだ。
「何うちの同僚口説いてんですか!」
 ユークがメルリナに斬りかかる。それもやはり躱される。
「ちょこまかと……!」
「それが私の神器の特性ですもの」
 そしてメルリナはふと、顔を上げて別の方向を見遣る。
「向こうも一段落ついたようですね」
「サン!」
 もう一つの戦いは、佳境を迎えていた。