楽園夢想アデュラリア 07

040:炎の神器

 慣れ親しんだグロッシュラーの研究室で、サンはヘリオとグロッシュラーの会話を見守っていた。
 ヘリオは荒廃した大陸で未だに高度な研究施設を残すこの場所を感心しながら観察していたし、グロッシュラーは自分の得意分野となると途端にてきぱきと動き出す。
 サンにできるのは、ぼんやりとその二人を見つめることぐらいしかないのだ。
「終わったよ。これでよし」
 普通なら口の中の粘膜を綿棒で少し採取するだけで済むはずなのに、ヘリオは随分色々な方法で遺伝子を採られたようだった。今はDNA鑑定の手段も増えているらしいが、何故そんなにサンプルが必要なのだろうか。
「念のためだよ、念のため。でもヘリオ君は慣れているみたいだったね」
「実は初めてじゃないんです。公爵のところでも一度徹底的に調査されたもので」
「ああ、なるほど。その立場だと大変だねぇ」
「もう慣れっこです」
 ヘリオは愛想良く笑う。
 その顔は父であるクオが極稀に見せた心からの笑顔に似ているようで……やはり全然似ていなかった。
「でも、このご時世だと折角王都に来ても面白いようなものは何もないだろう」
「田舎者にとっては面白いことだらけですよ。観光に来た訳でもありませんし、別にいいんです。それに」
 ちらりと、ヘリオは隣の椅子に腰かけるサンの方に視線を移す。
「サン君とはずっと会ってみたいと思っていましたから。……あ、もちろん女王陛下や、父を直接知る皆さんともですけど」
「そうかい?」
 突然名を呼ばれて、サンはどきりとする。
「……俺はまだ、正直言うとあんたが兄弟とか納得行ってないんだけど……父さんが死んでからずっと一人だったし……」
「別に無理してそう思わなくても大丈夫だよ。僕も突然出てきてみんなを混乱させてるのはわかってるから。……ただ、今回クリベージ公爵が王都に連れてきてくれるって言うから、できれば会ってみたいってだけだったんだ」
「ヘリオは……あー、呼び方これでいいか。俺はこの国の王だってアルマンディンって呼ぶ主義だ」
「女王陛下と親しいんだね……。それでいいよ。僕もサンって呼ばせてもらうね」
「ああ」
 気を取り直し、サンはヘリオに尋ねる。
「ヘリオは……父さんみたいな勇者とか、英雄になる気なのか? 俺たち……俺とユークとフェナカイトとラリマールの四人は、魔王を倒すために色々動いてるんだけど」
「サン君」
 グロッシュラーが釘を刺した。
「それに関しては、君やヘリオ君がどう考えようと、最終的には女王陛下がお決めになられることだ。迂闊なことを話しちゃ駄目だよ。魔王を倒す勇者の定員は四人だ。……意味はわかるね?」
「あ……」
 魔族の神器使いに、勇者たちも神器を用いて対抗するしかない。ヘリオがどういうつもりであろうと、結局彼が今いる四人以上の神器使いにでもならない限り、サンたちと同じ“勇者”という立場になることはありえない。
「すまん」
「そういうこと。ヘリオ君も、気を悪くしないでくれ。こっちも色々大変なんだ」
「ええ。わかっています」
 やはり優等生然として穏やかに、ヘリオは頷いた。
「……僕は、本当は英雄とか救世主とか、勇者になりたい訳ではないんです。自分の力を誰かのために役立てられるのは嬉しいけれど、僕を救世主にしたいのは、僕自身よりも、クリベージ公爵の望みです」
「……」
 ヘリオに関する様々な利権を握っているのは、後見の公爵だ。王国側の憶測を裏付ける形で、ヘリオ自身がそう零す。
 会話が途切れたところに、ちょうどグロッシュラーへと通信が入った。場違いに軽快なメロディに応え、入り口付近の壁に備え付けられた通信機を操作する。
「サン君とヘリオ君? ええ、今ここにいますけど」
 何気なく聞いていたら自分たちの名前を出されて、サンとヘリオは顔を見合わせる。
「え……はい。わかりました。すぐに行ってもらいます」
 グロッシュラーは急に顔つきを険しくし、勇者と救世主に声をかけた。
「二人とも、お仕事だよ。王都の南部で魔族の襲撃だ」

 ◆◆◆◆◆

 他の地域よりは警戒が厳重とはいえ、王都の守りも完璧ではない。ここのところ王国各地で戦闘が激化し、普段は他都市より平和な王都も襲撃を受けるようになった。
 報告を受けたサン、フェナカイト、ラリマールの三人とヘリオは車で王都の南部へと向かう。
「なんでユークの奴はいないんだよ!」
「何かやることがあるらしいぞ。王都の守りはサンたちに任せるそうだ」
「あいつ王都の治安を守る軍人じゃなかったっけ?!」
 ハンドルを握るのはいつも通りフェナカイトだが、今日は助手席にユークではなくヘリオが座っている。
 今回の出動は勇者たちだけではなく、このヘリオの実際の働きぶりを確認する意味もあるそうだ。
 非常事態でまで人を試すような真似がサンは気に入らないが、当のヘリオはそれを平然と受け止め、こうしてサンたちと共に出動している。
 襲撃地点に近づくにつれ、舞い散る煤で空気が悪くなってきた。
 空を赤々と染める炎が見えてきて、サンたちは気を引き締める。
 被害を受けた地区の入り口に辿り着くと、黒煙の流れと共に炎の爆ぜる音や瓦礫の崩れる音までが聞こえてきた。
「放火だな。魔族の本隊はすでに撤退しているようだ」
 周囲に魔族の気配がないことを確かめ、ラリマールが言う。
「必要なのは救助作業だね。まだ逃げ遅れている人がいないか――」
「あそこだ!」
 サンは叫ぶと同時に駆け出した。すぐ後からヘリオがついてくる。
 三階建ての建物のベランダで、炎に追われた女性が追い詰められた表情で地面を見ている。サンたちでもあるまいし、普通の人間がそのまま飛び降りればただではすまない高さだ。
「こっちです!」
 ヘリオが建物のすぐ下で女性に声をかけた。
「下で受け止めますから、そのまま飛び降りて!」
 怯えて震えていた女性がその声に勇気を振り絞ってベランダの柵を乗り越えた。ヘリオは危なげなく彼女を受け止め、サンと共に肩を貸して車の方へと歩いていく。
 車のトランクから治療道具を取り出したフェナカイトが女性の手当てを始めた。
「この地域の人々は四区画向こうの広場へ避難しているようだ」
 いつの間にか小鳥の姿となって上空から様子を観察したらしいラリマールの言葉に、サンたちは頷いて方針を決める。
 救助した女性はフェナカイトが送り届けることになり、まだ逃げ遅れた人がいないかサンとヘリオが探すことになった。
「私は上からもう少し見てみる。通信機で連絡を取り合おう」
 ラリマールはそう言うと、小鳥に変化するためすぐ近くの建物の影に隠れた。
 事情を知らぬヘリオが怪訝な顔をしているが説明する暇はなく、とにかくサンたちは動き出す。
 炎の激しい区画に入り込むと、消防や救助隊の面々とも出会った。王宮付きの勇者であることを話し、手分けして要救助者を探しに行く。
 サンもヘリオも訓練されたレスキューに負けない身体能力と応急手当の知識は持っている。悲鳴や物音を聞きつけては、逃げ遅れた人々を救助していった。
『次は東だ』
 上空から見ているラリマールの指示で、更に炎が激しくなる方へと進んでいく。
「この辺りが限界か……」
 被害に遭った区画の最奥は灰色の空を煌々と照らし出すほどに燃え盛っていて、ここから先は人が入れそうもない。
「そうだね。消火作業はさすがに消防に任せて……」
 二人が引き返そうとした時だった。
「放して! 止めないでよ!」
 女性の叫び声が耳に届き、サンとヘリオは声のする方へと再び走った。
 燃え盛る民家の前で、一人の若い女が周囲の人々に取り押さえられている。

「お願いだから放して! まだ子どもが中にいるのよ!!」

 必死の叫びを聞きながら、彼女を引き留める周囲の者たちも必死だった。
「あんなとこに飛び込むなんて無茶だ! あんただって死んじまう!」
「でも!」
 すでにかなり火の回った家の中へ、サンは女性の代わりに飛び込もうとした。
 その腕を、すかさずヘリオが掴んで引き留める。サンは苛立たし気に振り返った。
「なんだよ! 聞いただろ! あの中に――」
「無理だ」
 周囲を包む炎のせいで汗をかく暑さなのに、自分とよく似たヘリオの青い瞳だけが、炎に赤々と照らされながらも酷く冷たい。
「手遅れだ。あの火の回り具合では――」
 流れる煙が煤を含んで真っ黒だった。
 建物に火がついてもそうそう黒い煙は出ない。まずは白い煙が上がり、火が燃え広がって不燃物が燃えたり不完全燃焼を起こすと黒煙になる。
 炎の勢いも激しく、とてもあの中に飛び込んで生きて帰れるとも思えない。若い母親を必死で押さえている人々の行動の方が正しい。それはサンもわかっている。
 それでも。
「行かなきゃ。俺は、勇者だから」
 サンはヘリオの手を振り払う。驚きに目を瞠る救世主の顔は、もう自分とも父とも似ているとは思えなかった。
「サン君――」
「多分、父さんがここにいても、迷わず行ったと思うから」
 再び引き留めようとしていたヘリオの手が、今度こそ力を失う。
 外面が良いだのなんだの言われながら、それでもクオが今なお多くの人々に英雄として慕われているのは、こうした場面で彼が決して諦めることがなかったからだ。
 魔獣にも魔族に対しても酷薄な男だったクオ。けれど彼は、人類にとって間違いなく救世の勇者だった。
 だからサンも、ここで引くわけには行かない。
 勇者として――そして、クオの息子として。
 サンは激しく燃え盛る民家に向かい合い、覚悟を持って息を吸う。
『サン! 神器を使え!』
『ラリマール!?』
 その瞬間、通信機からラリマールの声が飛び込んで来た。
『お前の神器は炎の神器! お前が真剣に願えば、神器も応えてくれるはず――』
「! そうか……!」
 両腕に嵌めた腕輪に触れながらサンは祈った。
 力が欲しい。
 以前考えていたように誰かに勝つためじゃない。敵を倒したり殺したりするための力ではなく、誰かを助けるための力が欲しい――。
 腕輪を飾る緋色の宝石――太陽の石(サンストーン)が強い光を放つ。
 今までどれほど願ってもサンの呼びかけに反応することのなかった神器が、その意思にようやく応えたのだ。
「火が! 火が消えていくぞ!」
 人々の驚きの声が上がった。
 辺り一帯を赤く染めていた炎が急速に鎮まっていく。
 サンはもう振り返ることもなく、先ほどまで燃えていた民家に飛び込んだ。

 ◆◆◆◆◆

 ヘリオはサンの背を見送り、今にも焼け落ちそうな民家の前で呆然と佇んでいた。
 飛び込む直前、サンとラリマールの間で神器がどうのという謎の会話がなされた。次の瞬間、辺りを包んでいた炎が一斉に消えてしまった。
 けれどわかっている。例え炎が消えることなく燃え盛っていようとも、サンは構わずにこの中に飛び込んでいた。
『ヘリオ、聞こえているか? もうすぐフェナカイトがそちらに到着するから、誘導を頼む』
「! ……ああ!」
 ラリマールの通信に我に帰ると、彼は再び自らのできることをするために救助活動へと戻った。