楽園夢想アデュラリア 07

041:ヘリオドール

 ――数時間後。
 救助活動を無事に終え、サンたちは現地の消防や軍に後を任せて王宮へと戻ってきた。
「皆、よくやってくれた。お前たちのおかげで王都の被害は最低限に抑えられた」
「……勿体ないお言葉です。被害が減って何より」
 王堂で四人並んでアルマンディンから声を掛けられるのに、フェナカイトが疲労の滲む声で答える。
 フェナカイトの治癒術は、今回のような救助作業では大活躍だった。
 サンが燃え尽きた家から助け出した瀕死の子どもを治療したのもフェナカイトだ。もしもあの時彼が来てくれなければ、あの子どもは結局助からなかっただろう。
「……それで、本題はなんだよアルマンディン。お前が俺たちを労うなんて理由で呼び出す訳ないだろ」
 サンの女王を前にしても偉そうな態度に、隣にいるヘリオが若干冷や汗をかいてたじろいでいる。
 夕暮れ時の火事の救助作業が長引き、すでに時刻は深夜近い。
 四人ともくたくただった。話なら手短に終わらせてもらいたい。
 だが夜という時間は、大人たちにとっては秘密の話をする時間でもある。
 謁見の間にはサンたち四人とパイロープ、グロッシュラーの他に、ヘリオの後見であるクリベージ公爵と、何故か救助活動に参加していなかったユークもいた。面子は揃っていると言えよう。
「話が早くて助かるぞ、サン。私たちの方も、お前たちに報告がある。先程のDNA鑑定の結果が出たぞ」
「!」
 疲労でぼんやりとしていたサンたちも、その言葉にはハッとせずにいられなかった。
 グロッシュラーが一枚の用紙を差し出す。
「それで、どうだったんだ?」
「やはり彼は間違いなくクオ様の息子だったでしょう?」
「ああ、そうだな。クオーツ=エステレルを父、ムーンストーン=クラックルドを母に持つ息子……では、クリベージ公爵に聞こうか」
 女王はそれまでの気さくな様子から一転し、罪人を見る目で公爵を睥睨した。
「お前はどうやって、クオの遺伝子を手に入れたんだ?」
「……は?」
 サンもぽかんと口を開ける。
 一足先にサンの素性を聞いていたユークとフェナカイト、ラリマールたちは神妙な顔をして話を聞いている。
「公爵、お前が作ったのだろう? この“救世主ヘリオ”を。クオとムースの遺伝子を掛け合わせて」
「な、何を仰います女王陛下、私はクオ様のかつての恋人の下に残されていた忘れ形見を引き取っただけで……」
「それはありえない」
 狼狽する公爵を一言で断じるアルマンディンは、彼女をよく知っていると自負していたサンすら見たこともないような冷たい瞳をしていた。
「王を謀ろうと目論む愚か者よ、その度胸に免じて亡き英雄の最大の秘密を教えてやろう――クオはな、先天的に子どもができない体質なんだよ」
「なっ……!」
 先日ラリマール達に教えたのと同じ話を、アルマンディンはもう一度する。
「お前がやったように遺伝子レベルで弄ればともかく、自然の出産ではどうにもならない。……それは、英雄となる前の孤独なあの男を絶望させるには十分なことだった」
「だったら、あの子どもは何なんです! クオの息子と名乗っているあの少年はどうやって生まれてきたと言うのですか?」
 サンは呆然とする頭で公爵の声を聞いていた。それはサンの知りたいこととまったく同じだ。
 グロッシュラーがまたしても一枚の紙を台座の上に置いた。
 中身を見た全員が無言になる。
 示された遺伝子の図、クオのものとサンのもの、並べられた二つの図の異様さに、頭で理解するより早く結論を感じ取ったのだ。
「え……?」
 クオとサンのDNAは一致している。
 部分的にではなく、全てが、完全に。

 それは二人の人間が、まったく同一の存在であることを示している。

「サン、お前はクオの息子ではない。お前が“クオそのもの”なんだ」
 まるで裁判官が判決を告げるかのように、アルマンディンが厳かに口を開く。
「お前は、クオのクローンなのだよ」

 ◆◆◆◆◆

 十三年の時を超えて、全てが白日の下へと晒される。
 勇者とは、果たしてどういう存在だったのか。
「王国の英雄の暗部に近づいたんだ。ついでに勇者の闇についても聞いて行け。クオはな……重度の人間不信だったんだよ」
「あの、人の好さそうなクオ様が……?」
 ユークが驚いている。
 サンはまだ呆然としていたが、アルマンディンのその言葉には思い当たる節があった。
 公的な場でこそ外面を取り繕っていたが、クオは基本的に他人が嫌いだった。人の多い場所は好かない。魔獣も魔族も完全に殺せるが、人間は簡単に殺すわけにはいかない。
「そうだ。華やかな英雄としての顔は表向き、お前たち存在を伏せられた複数名の勇者と違って、魔王を倒すプレッシャーを背負ってただ一人で表舞台に何年も立ち続けた男の苦労は計り知れまい」
 アルマンディンの声は淡々としていたが、その語り口には英雄の苦悩を間近で見続けた者だけが理解している憐憫がある。
「クオは偉業を成し遂げたが、その代償もまた大きかった。何より、あいつは自分で自分の体質に傷ついていたからな。人間嫌いだが、それでも本当に心を許せる相手は欲しかったんだ。――自分と血の繋がった家族が」
 だが、先天的に子どもが作れない体質のクオは、血の繋がった家族を得ることはできない。
 英雄はただただ、孤独だった。
「妻や伴侶じゃ駄目なんだ。どれ程親しくしていても結局他人では。そんな曖昧なものは信じてはおけない。あの男が欲したのは、自分と同じ血肉で作られた存在」
「それが、息子か……」
 家族からも同胞からも離反したラリマールが複雑な顔になる。彼にとっては、血の絆も絶対ではない。
「でも、どうしてクローンなんです? ヘリオ君がクオ様とムースさんとやらの遺伝子から生まれた存在なら、サン君のこともそうやって生み出せば良かったじゃないですか」
 クローン製造の禁忌や遺伝子改造の是非には触れず、フェナカイトはそれだけを言った。
 どれほど倫理的な問題から否定しようと、すでにサンという存在はここにいるのだ。
「その辺りもまぁ、クオの葛藤の結果だな。そもそも自分の体質のことを言えるほど親しい女がいたならそこまで悩むこともあるまいよ」
「……あの、なんで陛下はそんなことを御存知なんです?」
 ユークが躊躇いがちに尋ねる。恋人さえろくに作らないクオの深い事情を、彼と男女としての仲でもなかったアルマンディンが何故把握しているのか?
「それが私たちの取引の結果だからだ。いくらクオでも自分でクローン人間は作れないぞ。サンを作ったのは誰だと思う? ……そこにいる、グロッシュラーだ」
「……博士、十三年前は十歳ですよね」
「悪いねクラスター将軍、君とはまた別の意味で、僕、天才なんだ」
 グロッシュラーは誇るでもなく、むしろ悲しそうな顔で言った。
 言動の派手な女王である姉の影に隠れてはいるが、彼はこの国一番の天才科学者。子どもの頃から神童と呼ばれ、あらゆる成果をあらゆる形で残した。
 その中の一つに生物学があったという、ただそれだけの話。
「もう十四年前にもなるか、私はクオに取引を持ちかけた。私が女王になったら優遇してやるから、父親である王を殺すのを手伝ってくれ」
 クオの事情とはまた別の意味でとんでもない暴露話に、再び室内が凍りつく。
 サンはそんなことまで話していいのかと内心酷く動揺したが、当の本人であるところのアルマンディンは平然と王宮内の企みをクリベージ侯爵に暴露する。
「クオは条件があると言った。自分は血の繋がった子どもが欲しい。お前たちの技術でなんとかしてくれ」
 周囲は一つの疑問を覚え、フェナカイトがやはり代表して問いかける。
「失礼ながら、陛下は母親候補に上がらなかったんですか?」
「私も聞いたがな。なんだ、それは遠回しなプロポーズかと。あいつの答は“死んでも御免”だったが」
「陛下……」
 女王と英雄の一風も二風も変わった関係は余人には計り知れない。
「私が先に簒奪計画という弱味を見せたから、クオは私たちに他の誰にも言えない願いを話したのさ。我々も色々考えたが、母親を捏造するとそれはそれで面倒なことが起きるだろう? 特に私の遺伝子なんか使った日には最悪だ」
「未来の女王の遺伝子をほいほい使うのはまぁ、リスクが高いですよね……」
 どこの国でも、後継者問題には常に頭を悩ませている。下手をすれば王国の将来を左右する問題になりかねない。
「クローンを息子として育て上げるのが、結果としてバレた時に一番ダメージが少ない方法だという結論になったんだ」
「本当ですか?」
 確かに遺伝子上の母親となる女性絡みの問題は起きないだろうが、それはそれで色々大変なことが起きそうな気はする。
「知るか。クオが選んだことだ。しかもあの野郎、結局私が玉座を獲る前に死にやがったからな。契約不履行だぞ」
 アルマンディンもその辺りはクオに不満があるようだが――。
 結局のところ、彼はもはやこの世にいないのだ。
 英雄として名を上げるだけ上げて、クオは死んでしまった。
 自分とまったく同じ遺伝子の持ち主。息子として育て上げたクローン人間・サンストーンだけを遺して。
 サンの神器との適合問題に関する疑問もこれで解けた。
 サンの使っている腕輪の神器は以前クオが使用していたもの。クオが神器の適合者であったならば、そのクオと遺伝子上同一人物であるサンも神器を確実に扱えることになる。
「こういう事情なんだが……どうだ、まだ何か言うことはあるか、クリベージ公爵」
「女王陛下、あなた方は――」
 公爵が反撃のために口を開こうとした時だった。
「知っていました」
 文字通り造り上げられた救世主、ヘリオが一言、淡々と口にする。
「今の話、知っていました。全て」
 その耳元で、シャンデリアの輝きを受けた何かが小さく光った。