楽園夢想アデュラリア 07

042:覚悟

「クオ様とサン君の遺伝子を詳しく調べれば、その辺りの事情はわかります。もしも僕の存在について問い質されても、そのことを切り札に、逆に陛下の弱味を握れると思って公爵は僕を王都に連れてきたんです」
「ふん、やはりか」
「え? え?! ええ!?」
 サンたちは呆気にとられた。ユークが半眼で公爵を睨み付け、ラリマールもきょとんとしている。
「はい。なんかもう……色々とすみません」
「ヘリオ!」
「無駄なんです、公爵。配置した兵はすべて、セレスティアル将軍とクラスター将軍が差し向けた兵に包囲され投降したそうです」
「!」
 ヘリオは、先程耳元で光った超小型通信機の存在を公爵に示した。クリベージ公爵もまた別の通信機を自らの懐から取り出し呼び掛けるが、虚しい砂嵐しか答えるものはいない。
 ヘリオは公爵が隠し持っていた録音機器をすべて外し、自分が隠し持っていた銃と合わせて降伏宣言として床に置いた。
 すでにヘリオにはわかっていた。
 クリベージ公爵がクオの体質やサンの正体について知らぬ振りをしたのは、女王の口から直接そのことについて語らせ言質を取るため。しかし、この女王にそのような脅迫は通じない。
 先手を打って王宮を包囲するつもりで密かに王都近くに潜り込ませていた兵も、あっさりと発見され近衛軍の圧倒的な武力で抑えられてしまった。
 これ以上アルマンディンに逆らえば、確実に多くの血が流れる。女王はそれを躊躇わない性格だと。
「諦めましょう、公爵。女王陛下は、貴方が弱味を握れるような方ではありません。所詮は女と侮ったあなたの負けです」
 サンにもやっとわかってきた。
 アルマンディンが自身やクオの秘密をぺらぺらと喋ったのは、最初から二人を生かして帰す気がないからだと。
「ユー君、これさぁ……」
「ええ。お察しの通り、僕が先程抜けていたのはこの仕込みのためです」
 救助活動に参加していなかったユークは、パイロープと共に兵を動かしてクリベージ公爵の私兵を騒動が起きる前に鎮圧していたらしい。
 女王に仇なすものを決して許しはしない少年将軍の采配は、少し前から彼らの動向を探り監視していたパイロープと協力して、クリベージ公爵が潜入させていた兵士たちを容赦なく狩り立てた。
 ようやく事態を理解した公爵と共にひざまずくヘリオに、女王は玉座の上から酷薄な笑みを向ける。
「なかなかいい読みだな。だがお前たち、生きてこの部屋から出られると思うなよ。――ユーク、パイロープ」
 女王の一言が終わる前に、ヘリオにはユークが、公爵にはパイロープが武器をつきつけている。
 公爵が侮っていたのは女王だけではない。
 彼はサンや当代勇者のことも侮っていた。クオの「息子」として作られた人間たちの中でも特に優秀なヘリオがいれば、王都の勇者たちを下すことも容易いと。
 しかし実際のところは、神器の力を差し引いたとしても勇者たちをヘリオ一人で抑えることはできない。一体四どころか、一対一でも無理だろう。文字通り、鍛え方が違うのだ。
 諦めるしかないだろう。王国の並み居る実力者たちを抑えて暗部に触れ女王を利用できるなどとは、最初から幼稚な夢物語だった。
 そして火災の救助活動を通して間接的に勇者たちの実力を見極めたヘリオは、早々に降参することを選んだ。
「お、おいアルマンディン!」
 本気で二人を殺すつもりなのかと、サンは慌てて女王に声をかける。
 先程から刺激的な真実が行きかい目まぐるしく会話が移り変わるが、今目の前で起きようとしていることぐらいは子どもの彼にもわかっていた。
「なんだ、サン。お前はむしろその二人の殺害を奨励する立場だろ? こいつらが奪おうとしているのは、お前が背負う“クオの息子”という立場なんだぞ」
「って言われても……」
 まだ困惑の抜け切らないサンは、語尾が自然と弱くなる。
 しかし脳裏に蘇ったのは、父の――ずっと父だと信じていた人の言葉だった。
 後悔すると言われながらも強情を言って小鳥を助けた自分に、父は縋るように言ったのだ。
 ――サン、どうかお前は、決して俺と同じものにはならないでくれ。
 それがどういう意味かずっと考え続けていた。話だけとはいえ父の懊悩を理解した今なら、その言葉の本当の意味もわかる気がする。
「例え、その二人がどれだけ自分たちの方がクオの正当な息子だと言っても、俺が父さんと過ごした時間までは奪えないよ」
「サン」
 アルマンディンの女王としての論理に対抗するには、あまりにも幼い感情。けれどこの場では最も重要な、「クオの息子」の気持ち。
 それを、サンは正直に口にした。
「俺がこれから先どれだけ戦ったって、英雄クオにはなれないように」
「……!」
「――誰も、本当は、誰かの代わりになんてなれない」
 多分クオも知っていた。だから誰でもいい女の遺伝子から息子を作るのではなく、もう一人の自分を息子として育てることを選んだ。
「ヘリオはもう立派な“救世主”として王都の民に認知されてるんだろ? だったらそれを貫けばいい。それだって、俺にはできないことだ」
 火事の時、建物の上階に取り残された女性を受け止めたのはサンではなくヘリオだ。彼でなければ救えない命も確かにあった。
 ヘリオはサンになれない。
 サンもヘリオにはなれない。
「アルマンディン、俺は――いつだって俺でいたいんだ。英雄クオの息子として育てられて、実は父さんのクローンだったわけだけど、それでも」
 サンはこれまで、幾人もの生き方を見つめてきた。
 父の、女王の、父の仇の暗殺者の、聖者の、魔王配下のハーフの将軍の、仲間たちの。
 誰一人として同じ存在などおらず、皆が皆己が己であるために戦っている。
「俺は、俺だ」
 その事実から逃れることなどできはしない。
 今ヘリオを殺したって何にもならないのだ。必要がない相手を殺すのはサンの主義にも反するし、人道にも反する。
 サンは殺しが嫌いだ。敵である魔族にトドメを刺したくないのは、殺したくないのは、サンにとっての倫理観の問題もあるが……一番の理由は、父親であるクオが殺されたというサン自身の過去だろう。
 しかしその傷すらも、今のサンを形作るのに必要なものなのだ。
「……お前は、本当にそれでいいのか?」
「いいよ、別に。確かに父さんの名が地に落ちるようなことをされるのは困るけど、ヘリオも公爵も英雄の息子の名声を得るつもりなら、そんなことはしないだろ?」
 ヘリオの活躍の影にサンの名が埋もれても、サン自身は別に構わない。むしろそれで救われる人間が増えるなら良いことだとさえ思う。
「……まったくお前と言う奴は、ヘリオとは別の意味で毒気を抜かれたわ」
 アルマンディンが頬杖と共に溜息をつく。
「いや……違う、アルマンディン。俺がそう考えられるようになったのは……お前に言われて、こうして勇者になってからだ」
 父の仇である天空との再会、彼女に復讐するための神器の力、勇者として出会った人々から得た様々な経験。
 そう言ったものが、サンを少しずつ変えていった。
 死んだ父の悲しみが理解されないならこの世界ごと不幸になれと、詮無い憎しみを抱いていた頃とは違う。
「……そうだな、サン。お前はもう、クオの奴とは別々の人間なんだものな」
 勇者から英雄になったクオ。父と同じ、それでいて全く違う勇者となったサン。
「元々クローンなんて遺伝子上の観点からすれば一卵性双生児と変わらないだろ。俺と父さんは、最初から別の人間だよ」
 だから自分を卑下する必要なんて何もないのだ。
「俺は父さんが望んだから、生まれてきてここにいる。ヘリオだって公爵の思惑とか色々あっただろうけど、結局は誰かに望まれてここにいるんだろ。それでいいじゃないか」
 ここに存在する者を否定する必要などない。
 それを否定してしまうのは、敵対する種族さえいなければ幸福になれるという魔王の理論と同じだ。
 だからサンは、魔王が否定するそれこそを否定して生きていく。
「やれやれ。王になるための殺し合いをさせるためだけに兄妹を増やす主義の王家に生まれた身としては、複雑な気分だ」
 正直な話、アルマンディンたちクオを知る者は、もしもクオ本人が生きていたとしたら秘密裡にヘリオの処分を望むだろうと考えている。
 あくまで予測であり、真実はわからない。
 けれど確かなのは、今、彼女たちの傍にいるのはクオではなくサンであるということ。
 過ぎ去った日々を遠く押し遣り、アルマンディンは死んだ英雄ではなく、今目の前にいる少年の意志を尊重する。
「わかった。お前の望む通りにしてやろう。――まずは、そこの野心家な公爵様にきっちり言い聞かせないとな」
「ひっ!」
 アルマンディンに凄まれて、クリベージ公爵は情けない声を上げる。だがこれで何とかうまくまとまりそうだ。
 ほっと安堵する二代目の勇者に女王は告げた。
「――私たちにとっても、お前はとっくの昔から、クオの息子のサンでしかないよ」
 クローンとして見たことは一度もないと、女王はそう零した。

 ◆◆◆◆◆

 アルマンディンたちがクリベージ公爵に「きっちり言い聞かせ」ている間、サンたちは部屋を追い出された。
「……良かったんですか? これで」
 公爵と違ってヘリオには軽い口止めで済むという判断だろう、彼も一緒に追い払われ、もとい退出している。
 四人の勇者は気まずく顔を見合わせながらも、救世主ヘリオを囲んで問いかけた。
「うん。どうやら公爵閣下も赦してもらえそうだし、いい結果だと思う。皆さんには、ご迷惑をおかけしてしまい申し訳ありません」
「俺たちはまぁ別にいいんだけど」
 女王の命を受けていたユーク以外はまったく知らぬところであれよあれよと話が進んでいたが、特に気にはしていない。万一公爵のクーデターが成功して大勢の兵隊が城に雪崩れ込んだとしても、神器持ちの勇者たちの敵ではない。そういう意味でサンたちには終始余裕があった。
 しかし事が全て終わってみると、クリベージ公爵へのあの対応は、果たして本当に赦してもらっていると言えるのだろうか。笑顔で威圧するアルマンディンに、野心家のはずのクリベージ公爵はただただ怯えていた気がするが。
「君もまぁ、色々と大変だろうけど……まぁ、頑張れ」
 いつもは滑らかな語り口のフェナカイトさえ、今はなかなかかける言葉が見つからないようだ。
「あなた方こそいいんですか? 英雄クオ様のネームバリューは、表に出ない勇者を霞ませるかもしれませんよ?」
「そんなものは、魔王を倒してから自力で奪い取るからいいんです」
 ユークがはっきりと言い放って胸を張る。
 こういう面を見ると、サンは自分たち勇者の仲間の一人がユークで良かったと思うのだ。
 勇者としての活動が長いユークは本当は一番ヘリオの存在に不満を抱いているはずだが、それを本人に直接ぶつけることはしない。名誉が欲しいなら自分で名を上げると断言する。
「俺たちは元々名誉に興味はないし」
「私は、サンがいいと思ったことに従うぞ」
 四人の勇者は復讐や自己の迷いの払拭など、それぞれ異なる目的を持って勇者という立場になった。立身出世の手段とは言え一応人々を救う気があった公爵とヘリオに比べれば、サンたちの方が余程しょうもない勇者様かもしれない。
「……最悪の場合、公爵共々殺されることも覚悟していました。命を助けてくださったばかりか、僕の存在まで認めてくれてありがとうございます」
「……どうして、それほどの覚悟をしてまで王都に?」
「公爵は女王陛下にも駆け引きで勝つ気だったようです。あの人は女王陛下についても、クオ様を含むその周囲の人々についても色々誤解していたようですね」
「不遜です」
 ユークが一言で切って捨てる。
「そして僕は……知りたかったんです。遺伝子上の父親がどんな人か。そして彼の本当の『息子』がどんな人か」
 ――人工的に製造された人間であるヘリオは、ずっと自分のアイデンティティに悩んでいたと言う。
 自らの出生を科学知識としてしっかり理解し、後見である公爵の思惑をも理解して、己の役得のためにも望まれるまま救世主として振る舞った。しかし、心の底ではいつも不満と不安を抱えていていた。
 自分は自分、遺伝子上の父である英雄クオとも、表面上の兄弟――遺伝子的に父と同じ人間であるサンとも違う人間だ。それを理屈ではなく、実感として得たくてクオを知る者が多くいる王都にやってきたのだ。
 最近は勇者として活動し始めたサンの噂を聞くと共に……。
「ヘリオ」
 サンは遺伝子上は甥に当たるとも言える、年上の少年に話しかけた。
「父さんが昔言っていたんだ。“俺と同じものにはならないでくれ”って」
 クオは決して、完全なる自分の複製を欲してクローンを作った訳ではない。
 他者を信用できないからこそ作り出したクローンにも、自分とは違う一個の人間として人生を送って欲しかったのだ。
「だからあんたも、あんた自身になってくれ。父さんが欲しかったのは、ただの自分のコピーなんかじゃない。あんたがクオの息子としてこれからも生きる覚悟があるなら……」
 ヘリオは青い瞳を瞬かせてサンを見つめてから、ふいに表情を崩してふわりと笑った。
「……ありがとう、サン君」
 四人の勇者に向かって深く頭を下げる。
 これからはヘリオ自身も、人工的な英雄の忘れ形見とも勇者の模造品とも違う、本物の救世主として歩みださなければならない。
「僕も公爵も、もうあなた方の邪魔はしません。クラスター将軍の仰る通り、最終的に僕の救世主と言う呼び名は、あなた方『魔王を倒す勇者』にとって代わられることでしょう」
 誰かの思惑だろうと遺伝子を改造された人間だろうと、せっかくこの世に生まれて来たのだ。自分にやれるだけのことをやろう。
 ヘリオは救世主として民を救う役割を演じろと命令された時から、そう決意してきたのだと言う。
「……なぁ、ヘリオのその性格って、誰譲りだ? 父さんはいくら育ち方が違ってもそういう感じにはならないと思うんだけど」
「あはは。実は僕、見た目はクオ様に似せるよう多少弄ってるけど、性格はかなり母親似なんだよ。英雄の恋人でいつまでもあの人がまたいつか迎えに来るのを待っていたような、夢見がちでどうしようもない……でも、俺にとっては間違いなく母親であった人にね」
 いつの間にか一人称が僕になっている救世主は、亡くなるまでの数年だけ顔を合わせていたという母親をそう語る。
「そうか……」
 もしもクオにほんの少しだけ他者を信じる心があれば、英雄の息子として誕生し育てられていたのはヘリオの方だったのかもしれない。
 けれど現実にサンは、クオに息子として望まれ、生まれて来たのだ。それを否定はしない。
「まぁ、その……頑張れよ、救世主」
「君もね。サン君……」
 ヘリオは少し言い淀んだ後、意を決してその言葉を口にした。
「君こそが、本物の勇者だ」

 そうして穏便と言える範囲で、クオの息子騒動は終わったのだった。