044:アンデシン
勇者たちが再び魔王城へと乗り込む時がやってきた。
車を乗り捨てて魔族の領域に近づいた四人は、森の中から双眼鏡を使って、遠目から城の様子を確認する。
「……今回は様子が前と違うな」
前回も戦闘員以外の配下は極力城から遠ざけられていたが、今回は更に人気が少ない。
魔王軍の兵士たちを森の中や外に待機させている様子もない。
「……おかしい」
幼い頃からこの森を知っているラリマールが、不安そうに呟いた。彼のそんな様子は珍しい。
「どうした? ラリマール」
「浮遊城だけではない。この森自体から、生き物の気配が消えている」
虎や狼、鹿に熊に狐、鼬、兎。鼠や栗鼠。明け方に鳴く鳥や夜行性の梟、洞窟を根城とする蝙蝠に木々の枝葉や茂みの奥、土の中に生息する虫たち。川の流れに泳ぐ魚。
森に棲むそれらの生き物の気配が、まるで拭い去ったように消えていると言う。
中には息を潜めている生き物もいるだろうが、大部分は森自体から消えてしまったようだ。
それらの動物たちは一体どこへ行ったのか?
土地自体が生気を失ったかのように静まり返っている。
「森から動物たちの気配がなくなるってのは、どんな時だろう?」
「……確か、火山の噴火前とか大地震の前とかには、周囲の生き物が一斉に逃げ出すって聞きますよね?」
この森の生物たちは魔王の行った何かによって消えたのか、それとも自ら森から逃げ出したのか。
「魔王が何かしたって線は?」
魔王アンデシンは同胞を大切にする性格だからこそ、魔族を守るためならばどんな過激な行動をとっても不思議ではない。
サンはラリマールに尋ねる。魔王の弟は、あまり考えずに口にした。
「アンデシンは手段を選ばない性格だが、そのために生まれ育った森の生き物を実験台にするようなことはないと思うぞ」
確かに彼は人類を地上から消したがっていた。しかし、そのために人間以外の生物まで無差別に犠牲にするような性格だとは、魔王と面識の浅いサンたちにも思えなかった。
「ただ、森から動物たちが逃げ出した理由がアンデシンの仕掛けた何かにある可能性は高い」
「仕掛けるとしたら森か、それともあの城そのものか」
「どちらにせよ、この付近から兵士たちを遠ざけている理由にもなるね」
ある程度の推測は立ってきた。とはいえ、敵の計画の全貌はまだ見えない。
それでも、いつまでもここで推論ばかり口にしていても仕方がないだろう。
「どっちにしろ俺たちは、あいつらと決着をつけに来たんだ」
「逃げるなんて選択肢はありえません」
「例えここから見える部分全てに罠があるとわかっていたとしても」
「飛び込まない訳には行かぬな」
折角人払いをしておいてくれたのだからと、勇者たちは先程までの警戒をかなぐり捨て、堂々と正面の扉から突入することにした。
◆◆◆◆◆
「よく来たな、勇者たちよ」
「飛んで火にいる夏の虫だねぇ」
天空の台詞に、やはり罠かとサンたちは顔を顰める。
最初に来た時も戦闘になった広い吹き抜けのホールに、四つの人影がある。
前回と違うのは、その中に将軍の一人、ターフェの姿がないこと。
今回は魔王側も勇者側も、神器の使い手は四人ずつ。
メルリナも神器使いの一人として、初めから戦闘に参加する予定らしい。
「二度目の最終決戦だな」
「ああ。私は君たちの顔を見るのは二度目だが、他の者たちはそろそろこの面子で顔を突き合わせるのも飽きただろう。お互いに」
魔王である彼以外の面子とは、サンが勇者になる以前からの付き合いだ。何度も何度も剣を合わせては、決着がつかずに引き分けてきた。
「だから、今度こそ終わりにしよう。三度目の最終決戦はない」
「!」
「アンデシン!」
魔王は懐から何かの装置らしきもの取り出し、そのスイッチを押した。
――リモコン? 何の?
訝しむサンたちの目に映るのは、魔王の穏やかな微笑みばかりだ。
とにかく警戒だけはしておくべきだろうとサンたちは武器を構える。その足元が、突然ぐらぐらと揺れ始めた。
「何?!」
「地震……?」
「いや、違う! これは……」
足元の大地が揺らぐだけではなく――やがて、日常でも覚えのある浮遊感に変わって行く。
「ちょっと待て、これって……」
「浮いてる……?!」
足元の床が――地面が――浮き上がっているのだ。この城ごと。
窓から見える景色がゆっくりと下降していく。否、彼らが上昇しているのだ。
「どういうことだ! アンデシン!」
ラリマールの詰問の声に、アンデシンは涼やかな笑みを崩さぬまま答える。
「我々の戦いに同胞たちを巻き込みたくないからな。この城にちょっとした仕掛けをさせてもらった」
城塞が丸ごと一つ宙に浮きあがっていると言う時点で、ちょっとどころではない。
「浮遊城塞とは、随分趣のあることで……だけど魔王さん? あんたは、これをどうするつもりだ?」
口調こそ軽い様子だが、フェナカイトは真剣な眼差しでアンデシンを睨み付ける。
いくら有翼族が少数民族でこの城もグランナージュの王城に比べれば小さいとはいえ、多くの木と一部に石の使われた四階建て以上の建物だ。
これだけの質量の城を飛ばすなど、科学だけでも、魔導だけでも不可能な技だった。
二つを融合させた魔導科学の知識を惜しげもなく注ぎ込み、アンデシンはこの仕掛けを作り上げた。
魔王は一体何を企んでいるのか。
「君たち人類に大打撃を与えるにはもうこれぐらいしか道は残っていないんでね」
魔王は魔族のために人類を滅ぼす。
例えその後の世界に、魔族にとって平和になった世界に――自分自身がおらずとも。
「この城には爆弾が詰んである。そして城はグランナージュ王都を目指し、ゆっくりと飛行している」
「まさか……」
嫌な予感は、すぐに魔王の言葉によって現実となった。
「君たち勇者が我々魔族に負けた時には、この城ごと爆破システムによって墜落し、グランナージュ王都が壊滅する予定になっている」
「な……!」
「何を考えているのだ! アンデシン!」
ラリマールが兄を怒鳴りつける。決して理解できぬ、もはや和解することも諦めた身内を。
「魔族の恒久的な平和についてに決まっている。勇者側の陣頭指揮を執っているのは、グランナージュ女王アルマンディン。かの女王のおわす王都が壊滅すれば、魔族側は圧倒的な有利になる」
魔王は本気だった。
「例えこの戦いで俺が死んでも」
目的のためなら、全てを、自分自身の命さえも捨てるつもりの目をしていた。
壮絶な覚悟にサンは息を呑む。
この男は徹頭徹尾、魔族の未来のことしか考えていない。
その脳裏に描く未来の理想図に、自分の姿すらなくていいと――。
しかし広間の緊張は、はっきりとした声に破られる。
「ふざけるな! 女王陛下を害する者は、誰であろうとこの僕が叩っ斬る!!」
「ユーク……!」
女王の忠実なる部下は、王都の民よりもまず女王の心配を優先する。
けれどその一種清々しいまでの信念が、魔王の決意に呑まれそうなサンたちの覇気を取り戻させた。
「いい度胸だ。ユークレース=クラスター将軍」
「――解除の方法は?」
サンは真っ正直に真正面から問い質した。
「まさか、魔族の希望の王がまったく勝つ気がないとは言わないだろ? 爆破を止めるコードくらい決めているはずだ。こんなもん地上に落とすのは、人間側に限らず被害がでかすぎるからな」
魔王が勇者に勝てば、城の爆破は必要ない。
「お前が口を割らないってなら、俺はお前でもお前の部下でも、拷問でもなんでもして聞き出すぞ?」
もちろんサンに拷問をした経験もされた経験もないが、いざとなればその覚悟も辞さないと決意を込めて口にする。
ここにいる勇者たちは、同胞のために戦う魔王と比べればただの身勝手な人間の集まりなのかもしれない。自分たちが犠牲になれば爆破は避けられるなどとはまったく考えない。
その代わり魔王に勝ち、絶対にシステムを止めて見せる。
「……そうなるだろうな。もちろん、解除方法は教えてやるさ。だがお前たちに、無事にコードを打ち込むことができるかな?」
企み顔で、アンデシンは笑う。
もはや涼やかさを通り越して、心の凍り付いた冷たい笑み。
「鍵は神器そのものだ」
「神器だと?」
「ああ。天空、スー、メルリナ、そして私が持つこの神器を、四つ揃えて城の中枢にある制御室の『鍵穴』にセットする必要がある」
フェナカイトがハッとして自らの神器に視線を移す。
「解除の鍵が神器……ってことは、この仕組み自体……」
「そういうことだ」
城の飛行の動力、そして城の爆破。魔族側は、これらに使う大量のエネルギーを神器から引き出しているのだ。
「そんなこと、本当にできるんですか?」
ユークの不審そうな眼差しには、アンデシンも嘲笑で返した。
「魔導を忘れた人間たちには馴染みの薄い考え方だろうがね」
かつて人間社会と共にあった魔導。隣人と呼ぶべき存在であった魔族。その両方を捨てた人類からは、次第に魔導の知識も失われることとなった。
神器は使い手を選ぶ。
だが、だからこそ選ばれた使い手は尋常でない力を神器から与えられる。
「――エネルギーを供給しているのは神器でも、その神器を発動させているのは使い手のはずだ」
魔族であるラリマールはいち早くそれに気づいた。
「使い手を倒せば神器からこの城と爆破システムへのエネルギー供給は絶たれる」
「そうか、それなら……!」
「そうだな。仕組みとしてはその通りだ」
不出来な弟を珍しく褒めるようにアンデシンは言った。しかし彼の余裕は崩れない。
「だがこの城がグランナージュ王都まで辿り着くのにそう時間はかからない。そして城を落とし、人間たちを攻撃するだけなら今日までに神器から抽出して貯めたエネルギーだけでも十分なのだよ」
それをはったりかどうか、確かめている時間はサンたちにはない。
「つまりお前たちがこの城を止めるためには、私たち全員を倒して神器を揃えねばならないというわけだ。シンプルだろう?」
一人でも討ちもらせば神器の使い手は城にエネルギーを供給し続ける。その先の爆弾解除のためにも、勇者側は魔王たち四人全員を倒して神器を奪う必要があるのだ。
「ゲームのルールはシンプルでも、あなたの脳内の配線は随分こんがらがってるようだけど?」
フェナカイトの辛辣な皮肉が魔王へと向けられる。それでも彼の仮面を崩すことはできない。
「最初に魔族に全ての罪を押し付けた人間たち程ではないさ。お前たち人間が、我らと和解しようする日などどうせ来ない。ならば我々は全身全霊で、お前たち人類を否定し、排除するのみ」
魔王に意志を変える気はない。
「我らの夢想する楽園のために」
そしてそれは勇者たちの方も同じだ。
「さぁ、始めよう。二つの種族の命運を賭けたゲームを」
その言葉を合図として、敵である四人の神器使いが一斉にばらばらの方向に駆け出した。