楽園夢想アデュラリア 08

046:楽園夢想

「アンデシンの奴はさぁ、とことん真面目なんだよ。あいつが夢想するのは、魔族が恒久的に平和に生きられる楽園だ」
 戦闘の最中にご丁寧なことに、天空はアンデシンの意図を説明する。
「魔王は魔族がどうすれば幸せになるか、例えこの戦いに自分が負けてもより多くの同胞が生き残るかしか考えてない。それで、自分が負けた場合可能な限り多くの人間を殺す、ってことでこんな作戦を考えたわけ」
「いくらなんでも過激すぎるだろ! 王都っても軍人は極一部で、ほとんどが普通に暮らしてる普通の民間人なんだぞ!」
 剣を交えながらも、サンと天空は話をやめない。
 幾度かの戦いで、もうお互いの手札は知り尽くしていた。純粋な身体能力の高さに任せた機動力重視の剣士が二人。勝負を分けるのは、お互いの実力のみ。
「もともと人間と魔族に亀裂が入ったのは、人間の方が戦士でもなんでもない一般の魔族に危害を加えたからだってさ。人間は人間であるだけであいつの敵なんだよ」
 鍔迫り合いの途中で、他でもない人間である天空が言う。
 大鎌の柄を上手く使い、サンの双剣の刃を滑らせるようにして投げ飛ばした。
「ということで、お前が私に勝たなきゃ王都の民が死ぬよ」
「どちらにしろ、俺は負ける気はねーよ!」
 タンっと身軽く着地しながらも、サンは天空の挑発に怒鳴り返す。
 それを聞いて意地悪気な笑みを浮かべた天空は、更にサンの傷口に触れてきた。
「お前もなんだかんだで真面目だねぇ。それとも、やっぱり私を殺して英雄であった父親の仇討ちがしたいわけ?」
「……」
 しかしこれまでの戦いの中、様々な人々との出会いの中でサンも成長した。
 もう、父の仇に対してただ敵意を向けるだけの子どもではない。
「……天空。五年前、お前に英雄クオを殺すように依頼したのは誰だ」
「ああ、そう言えば次会った時教えてやるって言ったっけ?」
 神器の大鎌を下ろし、天空が酷薄な笑みを浮かべる。
 そして一つの名を告げた。
「それって……」
 サンの表情に一瞬の困惑の後、すべてを理解した落胆が宿る。
「そうだ。お前が憎んでいた相手は、もう、とっくに死んでいる」
 天空が告げた名は、三年程前に魔族に殺された一人の公爵だった。
 反魔族の気鋭に乗って民衆の支持を集めたが、ついに魔族側が迫害に耐えかねて彼を殺した。公爵の死もまた、人と魔族が戦端を開くに至った歯車の一つ。
 クオが存命の頃は友好的に近づいてこようとした人物の一人だ。父はそのような相手に決して気を許しはしなかったが、公爵の方もまた、本心では英雄を疎んでいたのだろう。
 疎み返そうにも、その公爵ももうこの世にはいない。
 確かあの事件は――。
「公爵を殺したのは、魔王に即位したばかりのアンデシンだ。その一件で魔族の王としての存在感を同族と人間の両方に知らしめたのさ」
 暗殺者は面白がるように唇を歪めた。
「皮肉なものだねぇ。お前の復讐は、倒すべき魔王の手によってすでに果たされていたわけだ」
「……そうか」
 サンは一瞬、ぎゅっと強く目を閉じる。
 敵前ではあるが、天空はサンの反応すら面白がっているのか、この隙に斬り付けては来ない。
 様々な想いが去来し、最後に残ったものだけをサンは掴み取る。
「――だったら、俺の復讐はここで終わりだ」
 英雄は死に、その存在を疎んだ公爵も死んだ。後に残されたのは英雄の息子と公爵に雇われた暗殺者の女だけ。
 だったら。
「俺にとって、お前と戦う理由はもうない」
「はぁ?」
 天空が片眉を吊り上げ目一杯呆れた声を上げる。
「依頼主が死んでも、まだお前の父親を直接手にかけた私が残ってるじゃん? 何? 今更臆病風に吹かれたとでも?」
 ほらほらとサンを挑発して見せるが、その程度ではサンを動かすことはできない。
「神器を渡してくれ、天空。俺はそれを持って中枢に行き、この城の爆弾を解除する」
 サンの復讐は終わり、ここにいるのはグランナージュ女王の命を受けたただの勇者だ。
 やるべきは爆破を止めて人々を救うことで、相手を必ず殺す必要はない。
「何を馬鹿なことを」
 藍色の瞳が、すっと冷たく伏せられた。と、同時にしなやかな足が地を蹴る。
 キィン!
「くっ!」
 一瞬で距離を詰められた。一際激しい攻撃を受け止めた神器の双剣が澄んだ金属音を響かせる。
「坊やに戦う理由がなくなっても、私の方にはあるんでね。魔王の将として、奴の望みを叶えてやらなきゃならない」
 再び大鎌を振るいサンに斬りかかった天空の表情は、今までよりも更に冷たい瞳をしている。
 サンも諦めて、双剣を構えなおした。
「――やっぱり駄目か」
 大して期待していた訳ではなかったが、やはり天空との死闘は避けられないらしい。
「当然だろ? 一体敵に何を期待してんの。それともここで剣を捨てるのがお前の考える勇者らしさなのか? ならそのまま殺してあげるよ」
「冗談じゃない!」
 暗殺者と復讐者という立場が消えても、魔王の将と勇者という役割は残っている。
 戦いは避けられない。この先にあるものはどちらかの死。
 天空の攻撃が激しくなる。サンはそれを避けるので精一杯だ。
 大鎌の一撃を上手くいなして躱したサンは、後ろに跳んで一度天空から距離をとる。
「もっとやる気を出しなよ、勇者様。仇云々を差し引いても、ここで私を殺せばお前はヒーローになれるぞ」
「俺はヒーローになりたくてこんなことをしてるわけじゃない。それに」
 命のかかった最終決戦の場面、仇敵相手にサンは思わず本音を吐露していた。
「……俺自身が、自分を本当の意味で勇者だと思えたことなんてない」
 グランナージュの勇者とは、つまり女王アルマンディンに与えられたただの肩書に過ぎない。
 数々の物語を幸せな結末に導いてきた、人が理想として描くような勇者にはなれない。
「へぇ……」
 他者の生を摘むことに快楽を見出し、死の不安とはいつだって無縁であろう殺人者は尋ねた。
 暗殺者と復讐者であった今までは聞く必要もなかったこと。けれど真の仇の名を知って復讐を失ったサンには必要なもの。
 それは根源的な問い。
「ヒーローでもない、勇者でもないと言うのなら、お前は何のために戦うんだ?」

 ◆◆◆◆◆

 ユークとスーの戦いは、終始スーの劣勢だった。
 魔王側勇者側全て合わせても、今いる神器使いの中ではスーが一番弱い。銃撃戦の実力は武器が似ているフェナカイトと比べれば明らかだ。
 ただ、相手を殺すという意志が一番強いのも彼だっただろう。捨て身の戦法をとられてユークも何度か危なかったが、結局は地力が勝った。
 一気に間合いを詰めたユークの斧が、スーを深く斬りつける。
 致命傷だ。人にしか見えない魔族は、人と同じ赤い血を流しながら倒れた。
 ユークは知らない。
 生来武人として鍛えている彼と違い、スーは数年前までは魔族の中でも普通の若者だった。
 彼が魔王軍属に、それも神器を使う将軍になったのは、人間に家族を殺されてから。
 恨み憎しみだけでここまで這い上がってきた。けれどそれも、本職の戦士たちには通用しない。
「畜生……!」
 人間嫌い、そして仲間想いの彼を庇ってすでに死んだ将軍と、遺していく部下たちに詫びながら絶命する。
「ごめん、ターフェ……みんな……ごめん……」
「……」
 ユークはその死体の傍に跪き、使い手が亡くなったことで元の形態に戻った神器を回収する。これがなければ爆破システムを解除できない。
 鍵を手に入れた以上、すぐにも中枢に向かうべきだ。
 それはわかっている。けれど。
 涙を流す死者の瞳を閉ざすように、その瞼を静かに伏せさせる。そして両手を胸の上で組ませた。
 どれ程時代が変わろうと、種族が変わろうと、この世界の死者への手向けは同じだ。
 ユークはもう振り返らずに、真っ直ぐ城の中枢へ向けて駆けだした。

 ◆◆◆◆◆

 頭上に何者かの気配を感じ、フェナカイトは咄嗟に飛び退いた。
「私の神器“闇の顎”はよく空間操作系の神器と間違えられますが、厳密には違います」
「本物の獣を闇に飼っているって訳か!」
「その通り」
 これまでメルリナの神器で人や物が移動していたのは、闇の獣が彼らを呑み込んで空間を駆けていたのだという。
「これを言うと皆さん嫌な顔をなさるんですけどね」
 それはそうだろう、とフェナカイトは思った。魔族側はこの神器によりあちこち移動していた。四次元そのものとはいえ、自分が獣の腹の中にいちいち飲みこまれているなどと考えたくない。
 フェナカイトは遠く見える虚空に銃弾を撃ち込む。以前にサンがやった方法だ。
 しかしメルリナは少し楽しげに微笑む。
「もちろん対策済です」
「どわっ!」
 虚空の獣は飲みこんだ銃弾をメルリナに届けるのではなく、そのままフェナカイトへ真っ直ぐ反射するように吐きだしたのだ。
 フェナカイトは咄嗟に飛び退いて避ける。危うく自分の攻撃で負傷するところだった。
「埒が明きませんね」
「そうだね」
 爆破システムを解除するためにはここでもたもたしてはいられない。だがフェナカイトとメルリナの戦いは、双方とも決め手らしい決め手を持っていなかった。
 否。
「なんてくだらない、意味のない戦いなんでしょうね」
 彼女は戦いを放棄する。魔王の意志を無視して。
 メルリナはその手の杖状の神器を元の形態に戻すと、フェナカイトの方へと放り投げた。
「差し上げます」
「は?」
 放物線を描いて落ちてきた宝石を思わず受け取り、フェナカイトはまじまじと見つめる。
「獣と別れるのは寂しいけれど、私には本来必要ないものですから。あとはあなたが好きにすればいい」
「って、ちょっ……」
「あなたとはまた会うこともあるでしょう。この世界が、このまま続くと言うのなら」
「……」
「けれどその時も、私はあなたの邪魔をしますよ。あなたの存在自体が、私にとって邪魔ですから」
 メルリナは笑顔だが、言っていることはかなり酷い。
 彼女が本気だと言うことを、フェナカイトも徐々に理解し始める。
 そしてメルリナの行動は戦いの終了ではなく、この戦いを終えてなお自分たちの信仰を巡って闘争を続けるという宣言であることに気づいた。
 ここで魔王を倒し爆破を防いでも、メルリナ自身を取り逃がせば、彼女はこの先も確実に争乱の種をまく。そういう女だ。
「背徳神の望むものは闘争。私は世界に闘争を広げます。己の望みを叶えるために、戦い、傷つけ、争い合うことを人々に教えます。それが私の信仰」
「……グラスヴェリアはそんなこと望んでいない」
 フェナカイトはメルリナの一方的な言葉に反論する。
「背徳の神の本来の教えは、異端を受け入れ己の感情に素直になること。他者を受け入れ己を愛すること」
「戦い勝って生き残らねば、それすらできません。己の意志を通すには、他者と争い屈服させねばなりません」
 メルリナは確かめるように問いかける。
「あなただって、他人を許せないから勇者なんてやっているのでしょう?」
「……いいや」
 その時、フェナカイトは、ようやく己の神官としての役目を思い出した。
 人からの裏切りと人への憎しみによって一度は喪われた心を、今、取り戻す。

「神の教えは、赦すことだ」

 己を。他者を。

「俺は、赦すよ」

 どんなに悲惨な過去も裏切りの傷も、全ては今この時のために必要なものだったと。
 己の弱さを知り、それを受け入れる。それができなくてどうして他者の弱さを許すことができよう。
 自分が弱かったように、彼らもみんな弱かったのだ。
「争わずとも、憎まずとも、相手を屈服させずとも、人はわかりあえる。他者を認め、己を赦し、異端を受け入れることはできる。 俺はそう信じている!」
 信じている。
 信じなければ、信仰は始まらない。
 自分たち勇者は種族も事情も信念もみんなばらばらだ。けれど魔王を倒し大陸を救う目的のために手を組むことはできた。
 同じことが、他の人間や魔族にはできないと、どうして言い切れる。
「何も信じない者に、どうして神官を名乗る資格があろうか」
 フェナカイトはようやく答に辿り着いた。
「……いいでしょう」
 メルリナの顔からすっと作り物の笑みが抜け落ちる。それは彼女が、初めて見せた素顔だったのかもしれない。
「どちらの信仰が正しいか、勝負ですね。私たちの生命が終わるまでの、永い永い時をかけて」
 わかりあうのはやはり難しい。この場での戦いを放棄する代わりに、メルリナはまた新たな戦いをフェナカイトに持ちかけた。
 神への信仰に終わりなどない。
 それは、命が尽きるまでの終わらない戦い。

 ◆◆◆◆◆

 最後の一撃が決まった瞬間、アンデシンは微笑んでいたようだ。
「……強くなったな」
 走馬灯によって過去を振り返る男は、記憶の中の小鳥とはまったく違う強さを手に入れた弟を血の海の中で見上げる。
「俺は……これまで、魔族のことだけを考えてきた。神器の爆破システムで王都を滅ぼす計画も、魔族のためのものだ……」
 呆気ない。魔王と言っても、最期はこんなものだ。
「けれど俺を滅ぼしたお前もまた、俺と同じ血を引く者……ならばお前が選んだ答もまた、一つの“魔族の選択”なのかもな」
「兄様……」
 魔王を殺した勇者。
 いいや、自分は兄を殺した大罪人だ。ラリマールは決して忘れることはない。
「だが、お前の思う通りには行かないぞ、ラリマール。魔族の趨勢を握るのがお前の選択だと言うのなら……」
 結局魔王は、生涯人間に運命を左右され続けたとアンデシンは僅かな瞬間に回顧する。
 人にとっての悪、人類の敵、排斥されるためだけの、用意された罪人。
 ならば最後も人間が決めればいい。
 人の心は一丸ではない。人は人でさえ裏切る。その冷酷さにアンデシンは賭ける。
「……最後の答は“人間”が握っている……」
 絶命する瞬間、彼の脳裏に過ぎったのは白く長い髪の残影だった。