047:アデュラリア
「お前は何のために戦うんだ?」
それは根源的な問い。
「何故……」
天空の言葉は、サン自身がずっと己に問い続けては答を出せずに心の裡に沈めていたものだ。
今、何のために戦うのか。
これまで、何のために戦ってきたのか?
父の復讐や女王の命令という要素をそぎ落とし、サン自身がこの生き方を選んだ理由。
「聖者と呼ばれたベニトアイトは戦わない道を選んだ。お前にだって、戦いを選んだ理由があるはずだろ?」
剣を止めてはいけない。けれど思わず鈍りそうになる腕に力を込め直す。
「俺は……」
天空の鎌と鍔迫り合いになる。膂力で思わず負けそうになり、サンは自ら後方に跳ぶ形で一度距離をとった。体勢を立て直す。
その合間にも、やはり彼女は尋ねてくる。
「負けて怪我して死にかけて。そこまでやっても、世間はお前を勇者として持て囃してはくれないだろう。この戦いに勝つまでは」
「勝ってもだろ。父さんもそうだった。勇者としての華やかな名誉の影に闇がある」
「じゃあ、尚更なんで戦う?」
「……」
天空が戦うのは、戦い自体を好んでいるから。殺すのが楽しいから。戦いにはそれ自体に意味があり他に何も求めない。けれど他人はそうでない。
「見捨てちまえばぁ? 人類なんて。お前が命を懸けて守る程の価値があんの? 今逃げれば、お前たちだけでも助かるぞ?」
これは多分悪魔の囁きだ。
暗殺者らしい、実にいやらしい戦い方だ。
けれどサンはその誘惑よりも、彼女の問いかけた根源的な戦いの理由の方に気を取られていた。
何故戦うのか? 自分は――。
「人間だろうが魔族だろうが、このまま泥沼の大戦に突入しても不幸なだけだろ?」
魔王が死んでも人間の王が死んでも、恐らく戦いは終わらない。一方が一方を迫害すれば必ず不満は噴出し、憎悪が何度も互いの手に武器を取らせることになる。
人の世界から英雄クオが失われたように、魔族もまた心の拠り所を失い止まる場所を見失った戦いに時代は流れていくと――。
「……ッ! だから、死んだ方がいいって?」
我に帰り、ハッとして天空の攻撃を交差させた双剣でぎりぎり防御する。
「天空。それがお前の考え方なのか?」
刃を交えながら、ここに至るまでの道のりの全てで出会った人々の様子や、彼らの選択、決断、覚悟を思い返す。
「さあね。だがこのまま生き続けても救われないのは事実だろ? 魔王と勇者のどちらが失われても、どちらかの種族は希望を失くすんだ」
――天空は自分の命に価値を置いていないのだと思っていた。だから他人の命も尊いものだとは思わないのだと。
自分も他人も、人も魔族も、彼女の前では皆平等に塵芥程度の価値しかない。
彼女にとっては英雄クオさえも、ただの標的でしかなかった。
だが、それは同時に彼女自身に何の希望もないことを意味するのではないか?
他者に対する期待や憧れを持たぬ女の世界には、救いの光などというものは存在しない。
勇者のいない世界。
天空がずっと見ている世界はそういうものだった。
「人や魔族がどれだけ楽園を夢想しようと、実現する日は永遠にやって来ない」
だから、全ては無駄なのだと――。
「楽園を、夢想……」
儚い言葉を聞いて、サンはようやく己の胸の裡で燻っていた答を見つけ出した。
「天空、俺は」
刃を交えていた二人は同時に動きを止める。
サンの言葉には、彼の全てが込められていた。
「俺は、生きていく」
生きていく。例え誰かを傷つけても。
生きていく。自分自身が傷ついても。
「俺が戦うのは、自分を超えたいからだ! 自分自身に勝ちたいからだ!」
自分には何もできない。戦いを止めることはできない。世界に平和を取り戻すことはできない。何一つ変えられない。
そんな諦観で誤魔化す自分自身の弱さに打ち克ちたい。
「俺は、俺の願いを『夢想』で終わらせたりしない!」
父親が殺された後、誰もがサンに復讐を遂げさせることなど望んではいなかった。それでもサンが天空を見つけようとしたのは、父クオの死をそのままにしておきたくなかったからだ。
平和のための礎なんて美しい言葉で、その死を受け入れたくはなかった。サンが父のためにできることをしたかった。でも。
「本当は――」
本当はわかっている。
死者には何もしてやれない。
それもこれも本当は全部、自分自身のため。サン自身のための戦いでしかない。
「俺自身が、父さんのために無力だった過去の自分を超えたい。だから、こうして戦ってる! これからも戦い続ける!」
勇者になりたくて戦うのではない。サンはただ、自分自身になるために戦う。
楽園を夢ではなく、現実にするその日まで。
――だから、魔王の望みを叶えるために協力しながら、本当はそんな未来を実現することは不可能だと思っている彼女に負ける訳にはいかない。
「……それが、お前の答か」
大鎌を構えなおしながら言う天空の声は、全ての感情が抜け落ちたかのように真っ白だ。
その白は穢れのない純白ではなく、乱反射した光が氷長石を白く輝かせるのと同じ。
言葉にならない願いは彼女の裡で反射する。それが誰に見えずとも、そこにあることをサンは知っている。
「私にはやっぱり、お前が理解できないよ」
神器を握る天空の瞳が鋭くなり、肌を刺すほどの殺気を放つ。サンも双剣を構えなおした。
これが最後の一撃だとお互いに理解する。
天空のフェイントを躱したサンは逆に隙のできた懐に飛び込み、大鎌を振るうことのできないその間合いから双剣で斬りつけた。
「――ッ!」
天空は強いが、彼女の強さは再会したあの時から完成されていてほとんど変化しなかった。一方、サンは天空と戦うごとにその呼吸を、間合いを、機微を学習して暗殺者の動作にも対応できるようになった。
自己を肯定することも否定することもなく永遠に佇むだけの天空を、サンは成長し続けて追い越す。
――彼女が変わることを拒んでいる間に、彼は彼女と出会い変わっていくのだ。
「――」
永遠にも感じる一瞬の後、天空の細い体から血が噴き出す。
眩しいほどに白く輝く長い髪がふわりと宙を舞い、崩れ落ちる体の後を追った。
◆◆◆◆◆
「……お前の、勝ちだよ。持って行きな……」
ペンダント状に戻した神器を、サンは血の海の中に横たわる天空の手元から抜き取る。
けれどすぐには中枢に向かわず、死に向かう仇の傍らに膝をついてその様子を静かに見守った。
五年前のあの日に一瞬だけ顔を合わせてから、短いとも長いとも言えぬ付き合いだった。
忘れたことは片時もなく、その本心を知りたくて、その強さに追いつきたくて焦がれつづけた。それはまるで。
「天空、俺は多分……お前の事……」
震える指先が残された力を振り絞り、サンの唇に指を当ててそれ以上の言葉を封じた。
「そこから先は、口にしない方が……いいだろ」
こんな瞬間まで皮肉な笑いを絶やすことなく、天空はサンを馬鹿にするように笑っている。
けれど彼女が本当に嘲笑っていたものは何なのか、もうサンも知っているのだ。
「サン」
そして彼女は最期に彼の名を呼び、近づけたその耳元に、消えそうな吐息で囁いた。
「――」
「それがもう一つの鍵。そして、私の……」
途切れた言葉の先は察しがつく。
けれどもう二度と聞くことはできない。
これが死だ。
サンの瞳から一筋の涙が零れた。
結局自分はいつだってこんな終わり方しか知らないのだ。
戦うことでしか状況を打開できない。そして戦っても良い結末になるとは限らない。
最期までわかりあえなかった。
勝負に勝ったのに、サンは何も得られていない――。
「……いや」
サンは思いなおす。何もではない。
最期までわかりあえなかったけれど。
それでも天空の存在が、出会いが、今まで剣を交えた時の数々が、サンに刻んだ消えない傷は事実だ。
生きていく。
生きるたびに、傷を増やして行っても。
決して意味のない戦いではなかった。そう信じられる。
「中枢に……行かなきゃ」
神器のことだけでなく、サンが行かなければこの城の爆弾は解除できない。
胸の上で手を組ませた亡骸をそのままにして、サンはもう振り返ることもなく駆け出した。
◆◆◆◆◆
「畜生ぉ!!」
ユークがコンソール脇の壁に拳を叩き付ける。
「あのクソ魔王! 最後の最後でこんな罠仕掛けていきやがって!!」
常の彼ならぬ口汚い言葉で魔王を罵る。その横ではラリマールも暗い顔をしている。
「……アンデシンの様子から、嫌な予感はしていたんだ。けれど……」
「怒ったり落ち込んだりしてる暇なんてないよ! それより少しでも候補を考えてよ!」
フェナカイトは先程からひたすらキーを叩いて、これまでの魔族たちとの話から鍵になりそうな言葉や名称を片っ端から打ち込んでいる。
けれどどんなフレーズを画面に打ち込んだところで、暗闇の中で青い光を放つモニタ群は揃ってエラーの一言を吐きだすだけだ。
「パスワードの入力が必要って、なんですかそれ! 聞いてませんよそんなもの!」
アンデシンはまるで神器さえあれば爆破を解除できるかのようなことを言っていたが、実際には神器を鍵とした爆破システムには、パスワードの入力というもう一つの鍵が残っていたのだ。
そしてアンデシンはもうこの世にいない。
ラリマールの話だと、このシステムを作ったのは魔王であるアンデシン本人らしい。
フェナカイトが相手をしたメルリナは生きているが、彼女を追う時間はない。
彼女が答を知っているとも限らない。
「まだだ。まだサンがいる!」
「というかサンはまだですか! 遅い! 遅すぎる!」
ユークの怒号に応えながら、最後の勇者が制御室に飛び込んで来た。
「誰が遅いって?!」
「サン!」
「サン君、神器の爆破システムなんだけど――」
「これは……」
サンはフェナカイトと場所を代わり、最後の一つの鍵、天空の持っていたアデュラリアの神器を他の三つと同じようにパネルの上にセットする。
神器を置いた場所から幾何学模様を描きながら青い光が走った。
「認証された!」
「でもまだパスワードが残っている」
フェナカイトが厳しい顔つきでモニタを睨む。
そこには二つの問いと、それぞれの答の入力欄が映し出されていた。
『我々の計画の名は?』
『裏切り者の名を答えよ』
モニタを見つめながら、サンはぽつりと零すように呟いた。
「……楽園」
思い出されるのは、アンデシンと天空が何度も繰り返していた台詞だ。
「楽園創造? いや違うな。創造じゃない。だとしたら――」
「サン! パスワードを聞いているのか?!」
驚く三人の様子に構わず、サンは思い付いた答を打ち込む。
『楽園夢想』
「! 通りました!」
一つ目の答が認証されたことをユークが周辺の機器に灯る青い光から確認する。
「一個ずつ合ってるかどうか確認させてくれるなんて、ネットのログインより親切じゃないか……!」
「だがもう一つ残ってる!」
不敵な笑みを取り戻したフェナカイトに、ラリマールがまだだと告げる。
「裏切り者って誰だよ」
「とりあえず私の名を入れてみたんだが違ってな」
裏切り者と言うからにはアンデシンが恨みを込めて自分の弟でありながら魔族を裏切ったラリマールの名を設定したのかと、本人が即座に入力したのだがエラーとなった。
「……」
彼らの話を聞くともなしに聞きながら、爆破まで残り一分を告げるモニタの前でサンは深い理解と納得の表情で呟く。
「そうか。これが、もう一つの鍵……」
そして先程天空から聞いた「それ」を、迷わずに打ち込んだ。
裏切り者の名を答えよ――。
「? 誰の名前ですか、これ」
それは、ユークやフェナカイト、ラリマールでさえこれまで聞いたことのない一つの名前だ。
もしも彼女が彼を裏切らなければ、問い自体が成立しないはずだった。
その一方で、彼女は彼だけには真実の名を教えていた。
魔族の男と人間の女、二人の間にあった感情が何だったのか、もう誰にもわからない。
機械は無機質にただそのコードを照会する。
モニタは何の感慨もなくただ結果を告げる。
一同は固唾を呑んでそれを見守った。
『認証完了』
『解除指示を確認』
『爆破システムを解除します』
キュゥウン、と、機械の電源が落ちる時のような音が部屋の中と外のあちこちから聞こえてくる。
「や……」
「「やったぁ!!」」
先程とは色味の違う青い光に包まれた部屋の中でユークとラリマールが手を叩いて喜び、二人を丸ごとフェナカイトが抱きかかえる。
魔王との戦いがようやく終わったことを悟って、サンは一人目を閉じて静かに吐息を零した。
「これで……」
――全てが、始まるのだ。