048:勇者
そして勇者が魔王を倒し、世界は平和になりました。
――とは、いかないのが現実だ。
ユークは荒野にて兵を率いて立つ。眼下の無防備な民間魔族たちに対し、片手に神器の巨斧を掲げて告げた。
「貴様らの選択肢は二つ。我らが偉大なる女王、アルマンディン陛下に従うか、ここで死ぬかだ」
魔族の長老が出てきて、自分の何分の一の年月も生きていないだろうユークに頭を下げる。
「お、お許しください。将軍閣下」
平身低頭し、一族の代表として哀願する。
神器使いの実力は彼ら魔族であっても嫌と言う程に知っていた。
「我々はもう、争いたくはないのです。魔族は魔族だけで大陸の端で慎ましく暮らします。ですからどうか」
「女王陛下の御慈悲を拒み、御意志に背くと言うのですか」
ユークは炎色の容姿とは裏腹に冷然とした眼差しで彼らを見下ろしたまま、更に彼らに女王への服従を迫った。
「アルマンディン陛下は寛大にも、貴様ら魔族がこの地上に存在することをお許しになった。しかしそれには、貴様らが女王陛下に忠誠を誓うことが条件だ」
アルマンディンに従う時、彼に迷いはない。
それが正義だとユークは信じている。今までも、これからも。だからこそ。
「女王陛下に従え。地上での庇護を受けられるのだ。貴様らにとっても悪い話ではあるまい」
しかし誰もが彼と同じ正義で動く訳ではない。
「いいえ、いいえ。申し訳ありません。ですが、我々はもはや王を戴くことはできません。魔族は人間に対抗したいあまりに魔王を立ててまで戦いを続けてきた。もう、そのようなことを繰り返すわけにはいかないのです」
「ちっ……」
ユークは舌打ちする。
だがそこに込められた感情は、彼の部下たちにも理解はできなかった。
「自分たちで王を立てておきながら、いざ魔王が負けたとなると今度は王の名の下に争いたくはなかったと口にする。……アンデシンも憐れなものだ」
ユークは魔王と面識があると言えるほどの関係ではない。鎧を脱ぎ別の場所で会っていたら顔もわからない程度だろう。だが彼が、魔族のために身を粉にして戦い、犠牲となったことは知っている。
自分たち勇者は戦いの後、女王アルマンディンによって労われた。
死んでしまった魔王とその配下の将軍たちは、一体誰が悼んでくれたというのだろう。
考えても詮無いことではあるが……。
「もういい。貴様らに女王の慈悲はやらぬ。陛下の命に従わぬ者は殺すのみ」
「ひっ……!」
ユークが斧を構えると同時に、彼の部下たちも武器を構え臨戦態勢になる。
そこに横槍を入れる存在が現れた。
「生き死にの問題をそんな簡単に決めるんじゃねーよ」
「ユークの魔族嫌いはやはり相変わらずか」
魔族たちを庇うように、ユークたちの前に立ち塞がったのは見知った顔だ。
「サン……!」
「よ、久しぶり」
彼の手にも神器の双剣があり、ユークや彼の部下たちが下手な真似をすればすぐに動けるようになっている。
「邪魔をするつもりか」
「争いたくないって奴らなら、逃がしてやればいいじゃん。別にアルマンディンに逆らうつもりもないんだろ?」
サンがユークと話している間に、ラリマールが魔族たちに指示を出す。
「南へ逃げろ! 人と魔族のハーフである聖者・ベニトが影の国への門を開いて待っている。争いを捨て、平穏に生きる志がある者は影の国へ行け!」
今のラリマールは青い翼を広げていて、魔力の弱い者でも人間でも、一目で魔族だと理解できる姿をしている。
そのラリマールと、英雄クオに瓜二つの勇者サンが揃ってこの場に現れたことが、ユークの部下であるグランナージュ王国軍を動揺させた。
「閣下、一体どうすれば……」
「……」
ユークはかつての勇者仲間に問いかける。
「サン。これがお前の答なのか?」
「ああ」
サンは笑ってそれに答えた。もう迷わないと言うように。
「俺は、父さんともアルマンディンとも違う道を行く」
「魔族に協力する気か?」
「そんなんじゃねーよ。ただ、人だろうと魔族だろうともう無駄な死人を出したくないだけだ」
勇者と魔王の戦いは、世界を平和にするためのものだったはずだ。
なのに人はまだ争いを続けている。
魔王の願った、魔族にとって幸せな未来はやって来ない。人類は勝者となったものの、地上に魔族がいる限り心の平安を得られない。
だからと言って、敵を全て滅ぼすのが正しいとはサンは思わない。
一体人はいつまで争えばいいのか。最後の一人になるまで続ける気なのか?
「女王陛下の命を邪魔する者は殺す」
「俺は、俺のやりたいようにやるだけだ。今までも、これからも」
そして今度は人と人とで争うのだ。
◆◆◆◆◆
「神父様、一体いつになったら人は戦いを終わらせることができるのでしょうか」
「さぁ……私にもまだわからないのですよ」
小さな街のとある教会では、遠い地で女王が魔族を従えるよう軍を差し向けたという噂を聞いて不安を募らせた人々が集まっていた。
「でも諦めないで。永い永い時間はかかるでしょうが、諦めずに信じていれば、いつかきっとその日は来ます」
「本当に?」
「ええ。魔獣が蔓延り世界中を恐怖に陥れた時も、英雄クオ様が現れたでしょう。人は何度絶望を味わおうと、それでも立ち上がり希望を見つける存在なのです」
フェナカイトも一度は希望を失い憎悪や闇に心を呑まれかけた。けれど、今は己を救う光の存在を信じている。
「人と魔族の争いをなくすためには、我々がまずできることを始めなければなりません。異種族同士で憎み合わず、お互いの強さも弱さも理解して、赦し合わねば」
今この瞬間もきっと、この世界のどこかでメルリナが彼とまったく対極的なことを背徳神の教えとして広めていることだろう。
フェナカイトはそれに負ける訳にはいかない。だがその勝いの勝ち負けは、力や殺し合いで決めるようなものではないのだ。
「でもそれは、とても難しいことです。神父様は本当にそれができると思っているのですか?」
「思っています」
神の教えも政府の掲げる大義名分も総てが綺麗事に聞こえて何も信じられないという街人の一人に、フェナカイトは辛抱強く穏やかに語りかける。
「私もかつては酷い裏切りに遭い、自分をそんな目に遭わせた人々を憎みました。けれどこの世に存在するのはそうして憎み合うだけの関係ではないと知り、誰かを信じる感情を取り戻したのです」
真摯に訴える。造花や砂糖菓子のように綺麗な言葉で飾るのではなく、ただ己の感じたこと、知ったもの、見てきた世界の全てを。
フェナカイト自身の言葉の全てが理解されなくてもかまわない。けれど道に迷った時、誰かに救われた時、誰もが神の愛と庇護を受けていることを思い出して欲しいと。
「人は間違える生き物です。いいえ、人だけではありません。魔族も、あるいは神でさえも。悩み、傷つき、迷い、己自身の弱さに苦しむ。どうか、そんな弱さを赦してあげてください」
ここに来るまでに出会った幾人もの人々の顔が脳裏に過ぎり、フェナカイトの決意を固くさせる。
「あなた自身も、他の誰かも」
人は皆弱い。同時に誰もが皆、強いのだ。
「そして信じてください。楽園は夢見るものではなく、自分たちのこの手で作ることができることを」
その道を選んだかつての仲間に、心の内で呼びかけた。どうか君は、この世界を照らす真の希望となってくれるようにと。
◆◆◆◆◆
「まったく、サンの奴は本当に手を焼かせてくれる」
ユークからの報告を受けて、アルマンディンは怒るより先に思わず笑ってしまった。
「楽しそうですね、陛下」
「この結末、わかっていたんでしょ? 姉上」
「そうかもな」
玉座に腰かけてはいるものの、今の彼女たちの態度は王とその臣下としてのものと、アルマンディン個人とその弟妹としてのものと半々だ。
「あいつはクオの息子で、でもクオには全然似ていないからなぁ」
パイロープやグロッシュラーの言うとおり、アルマンディンはどこかでこの結末を予測していた。
魔王討伐という目的自体は一致していても、女王の思惑と勇者の正義は、やがてどこかで激突する。
その時、サンは復讐以外の己の道を、答を選び取り、アルマンディンと敵対する。
予測通りの結果を喜べばいいのか、嘆けばいいのか。
サンは成長して自らの道を選び取り、めでたく女王の邪魔者となった。
「だがサンがクオの息子と呼ばれるだけの人生を脱却するように、我々もあの暗愚な父王の二の舞は避けねばならない。今までとは違う、まったく新しい国を作らねば」
そのためには今しばらく忠実な臣下たるユークに、流血将軍の名を冠さねばならない。
サンに信じるものがあるように、アルマンディンにもまたやらねばならぬことがあるのだ。
お互いに過去を背負い、今と向き合い、やがて来る未来のために。
「全力で戦おうじゃないか」
◆◆◆◆◆
「ベニトに頼みがあるんだ」
「なんだ? お前もこっちに来る気になったか? 俺たちは歓迎するぞ」
魔王撃破の報はこちらの世界とは地下の別次元にある、影の国にも届いていた。ベニトは地上でしっかりその情報を確認し、それがサンたち勇者の手に寄るものであることも知った。
けれど地上の戦いは終わらなかった。
勇者の活躍で大陸中での発言権を強めたグランナージュ女王アルマンディンが、いまだ地上に残る魔族たちの制圧を始めたからだ。
女王に従わぬ魔族は殺す。それがアルマンディンの方針だ。
面識のあるサンたちのことを気にしていたベニトは、サンとラリマールの二人が自分に会いに来たことに驚きながらも喜んだ。
勇者たちに助けられたハーフの村人たちも、サンたちには比較的好意的だ。
「いいや、ありがたいけど違うんだ。そっちに行きたいのは俺じゃない」
彼らに、サンは一つ頼みごとをする。途方もないことを。
「影の国のあんたたちの領土に、地上から亡命してくる魔族たちを受け入れてくれないか?」
「……」
ベニトが絶句した。
「やっぱり難しいかな? せっかくハーフたちが上手くやってるのに、純粋な魔族が大量に増えたら問題が起きるか」
「いや、その……」
彼の驚きはサンの図々しさに呆れるのとは違うところにあったようで、些かな戸惑いの残る口調で説明する。
「……俺たちは相手が魔族だろうと人間だろうと、本気で俺たちと志を同じくする者ならば受け入れる。それにまぁ、対立があるようなら別の国を作るって手段もあるし……けど……」
ベニトが気にしていたのは、彼らのことよりも、それを頼んだサンの地上での動向だ。
「魔族の受け入れ先を作るってことは、お前は地上で何をするつもりなんだ?」
薄々その先に続く言葉を解っている様子で、それでも聖者ベニトはあえて尋ねた。
自らは地上に残り戦うことを決意した勇者に。
「アルマンディンが、自分に従わない魔族を弾圧するつもりなんだ。従わない奴は全て殺せと。俺は、追われる魔族たちが逃げるのを手助けしようと思う。それが、俺が考える勇者らしいことだからさ」
サンは願い、そのために行動する。
争いを続けたくない。終わらせたい。
人も魔族も関係なく、この世に生きる全ての者が幸せに生きられる世界が欲しい。
それが現実になるまで歩みを止める気はない。
――人や魔族がどれだけ楽園を夢想しようと、実現する日は永遠にやって来ない。
そんなことはないと、証明する。
彼女の絶望と永遠に戦い続ける。だって。
彼女が彼女自身を愛していなくても、自分は多分――彼女を愛してた。
だから誰も愛せない彼女自身をも否定し続ける。戦い続ける。
己を包む諦観や絶望の殻を破り、いつかその天空の楽園に飛び立つために。
「ラリマールが俺についてきてくれるんだってさ。あいつと俺はなかなか気が合うんだ」
「人と魔族が、平和のために手を組むのか」
「ああ」
魔王との戦いは終わったが、サンの勇者としての戦いはこれからだ。全ての者が幸せになるために本当の平和を掴みとる。それには、他者を害する選択でしか平和を作れないと考えるアルマンディンやユークと同じ道は歩めない。
対立はしてもサンにとって彼らは敵ではない。今度は殺し合う必要はない。
殺して終わりにできないからこそ、今度の戦いは今までにも増して長く長く続くだろう。
あるいはサンの命が終わるまで――それでも。
ふいにベニトが、その場に頭を垂れて跪いた。
「お引き受けいたします。勇者サン殿」
「え? べ、ベニト?」
いきなりかしこまってどうしたのだと驚くサンの前で、聖者は厳かに口を開いた。
「あなたは――本物の勇者だ」
◆◆◆◆◆
この後、フローミア・フェーディアーダの歴史に綴られた出来事の一部を簡単にまとめると。
世界は魔族の排斥を始め、グランナージュ王国の指揮下でついに全ての大陸から魔族を排除することに成功する。
逃げ出した魔族たちは聖者の手引きの下、影の国と呼ばれる世界に移住。新たな王の下で生きていくことになった。
地上から魔族の存在が消えるとともに、彼らや人間の魔導士が使った魔導、古代の神々の遺産と呼ばれる神器もまた、扱いづらい伝説として忘れられていく。
その陰で、最後の神器使いの名は勇者としてささやかに語り継がれることともなった。
戦う術と争う意志を持たぬ魔族たちをグランナージュ王国軍の虐殺から守り影の国へと逃がし続ける。殲滅以外の方法で、緩やかに人類と魔族の訣別を世界に受け入れさせた。
魔族を憎む人々が彼に、いつか再び魔族が襲ってきたらどうすると詰問しても、彼は自分の意志を変えなかった。
動乱の時代に人々の純粋な信仰を集めた一人の神父が、その勇者について語り継ぐ。
相手を殺して得た終幕は長く続かない。誰かを犠牲にして得た平和は、本当の平和ではない。
真の平和を得るためには、人は皆、己自身の弱さに立ち向かわねばならないのだと。
勇者サンは、天の希望にして地の勇者――。
彼が当時人々からどのような名で呼ばれ、どのような扱いを受けたか正確な資料はほとんど残っていない。けれど一つだけ確かなことがある。
後世において数々の歴史書は英雄クオを、勇者サンの父親と表記するようになったのだ。
◆◆◆◆◆
「来たぜ、ユークの奴が」
「これはまた、随分な大軍だな」
高い山の上からサンは魔族の集落に近づくグランナージュ王国軍を双眼鏡で確認する。
あの軍隊を率いているのはかつての仲間であるユーク。けれどこれからアルマンディンの命令で、戦うこともできない魔族の民に女王への服従を迫り、従わぬ者は殺すつもりの流血将軍でもある。
魔王との戦いを終えてグランナージュの正式な勇者ではなくなったサンだが、肩書がその人の人格まで決める訳ではない。勇者であろうがなかろうが、アルマンディンの決断はサンの願う未来とは相容れないものだ。だから全力で抵抗させてもらう。
「平和への訴えはフェナカイトがメルリナと競うようにやってるだろうから任せて、俺たちはとにかくあいつらを止めよう」
「そうだな。私たちには、結局その方が向いている。それに争わず傷つけず共存する意志の先駆者には、ベニトがいる」
二人はこれから先の行いについて何度も話し合った。アルマンディンやユーク、ベニトや残された魔族の抵抗勢力、信仰を広めるために再び神父になったフェナカイトや彼への対抗意識のために邪神の教義を広めるメルリナのことも。
誰もが皆己の信じる道を行く。サンたちもそうするのだ。
数々の困難が予測される道中だが、ラリマールは全て納得した上でサンについて行くことを決めた。
「これで良かったのか? ラリマール」
「もちろん」
かつてサンに救われた小さな小鳥は自らの意志で勇者となり、兄に打ち克ち、また自らの意志で、サンと共に己が目指す世界のために戦うことを決め、羽ばたいた。
ふわりと笑う彼に微笑み返し、サンは新たなる戦いへ向けて一歩を踏み出した。
「じゃ、行くか」
この世にはわかりあえる相手もわかりあえない相手もいる。
それでも出会ったことの全てを無意味だと終わらせたくはない。
ここにある笑顔と喪われた命。そのどちらもが、自分にとって必要なものだったと信じられる。
戦い続ける。
自分自身に勝つための戦いに終わりなんてない。
そして、いつか本当の楽園を実現するのだ。
夢を見ているだけの物語は、最後の鍵となる名は、その日まで胸に眠らせて。
「さよなら」
別れを告げよう――。
楽園夢想・完結