薔薇の闇は深く 03

010

 いつか、こんな日が来るのだとわかっていた。
「そこまで! 勝負あり!」
彼が手の中に残る重い痺れを意識したと同時に、上ずった審判の判定の声があがる。一拍遅れて、歓声が轟いた。
 弾き飛ばされた得物は、深く大地に突き刺さっている。首筋に突きつけられた刃は微動だにせず、それを握る先には、ロゼウスの驚いたような顔がある。
「あ……」
 ようやく我に帰ったロゼウスが刃を引いて、ドラクルはそっと息をついた。首筋に触れるとぴりりとした痛みが一瞬だけ走り、すぐに消える。斬られた薄皮一枚はすぐに癒え、けれど確かに傷ついた証に、指先に紅い色が残った。
「……った」
 この場の誰よりも、本人が呆然としている。ロゼウスはまるで信じられないような様子で、正面に立つドラクルの顔を見つめながら呟いた。
「俺……兄様に勝った……」
 四方から歓声が沸き起こる。拍手と口笛が鳴り響き、二人の剣の試合を息をつめて見守っていた王宮の兵士たちが、口々に囃し立てた。
「凄いぞ! ロゼウス王子!」
「あのドラクル殿下に勝ったぞ!」
「じゃあ今度からロゼ王子が王国一の使い手か!?」
「馬鹿言え! だいたい第一王子は病み上がりだろうが!」
「でも俺たち一般の兵士じゃ全然歯が立たなかった相手だぜ! すげぇよ! ロゼウス殿下!」
 訓練用の小さなコロシアムの観客席は階段状になっている。男たちの歓声が降ってくる中、ドラクルは背筋を伸ばして、ロゼウスと向かい合う。
「兄様、俺……」
 ロゼウスはまだぼんやりと、紅い瞳をぱちぱちと瞬きさせている。戦闘中とは打って変わって緊張感のないその様子に、ドラクルは複雑な感情を抱く。
 この十年間、ドラクルはロゼウスの教師役として、何もかもを教えてきた。剣も、戦術も、政治も。
 ドラクルの持てる力の全てを以って、ロゼウスを育て上げてきたのだ。かつてブラムス王に言われたとおり、ロゼウスを最高の王とするために。
 教えることに手を抜いていた、とは言わない。だけれど、本気で身を入れて指南していたわけでもない。技術も知識も叩き込みはしたが父王の言葉通りロゼウスを「最高の王」にしあげるという熱意まではなかった。
 それでも年々相手をするごとに、ロゼウスの力がドラクルの予想よりも遥かな確実さで増していく事は知っていた。
いつか、こんな日が来るのだとわかっていた。
「……強くなったね。ロゼウス」
 それが、今である。それだけ。
 審判が床に刺さった剣を引き抜いて、恭(うやうや)しくドラクルに差し出す。それを受け取って腰の鞘に収めてから、ドラクルはロゼウスに声をかけた。
「兄様のおかげです。兄様が教えてくれたから。俺は」
「いいや」
 これまで、誰もが越える事がかなわないと目されていた長兄を下した。その興奮と身体を動かした後の疲れに白い頬を紅潮させたロゼウスが、そのままドラクルにしがみつこうと寄ってくる。
「これは、お前の力だよ」
 わかっていたことを告げるだけだから、その言葉はすんなりとドラクルの口をついて出てきた。けれど、感情が追いつかない。薄い笑みを浮かべているはずの口元に対して、胸の奥が冷たい。
 まだ歓声はやまない。それどころか、観客席から次々と、訓練中に二人の試合を観戦していた兵士たちが出てくる。
「ドラクル殿下! ロゼウス殿下! お二人とも素晴らしかったです!」
「まさかロゼウス王子がドラクル王子を抜くなんて……」
「って言ったって、ドラクル殿下はこの前の討伐隊にやられた傷が回復したばっかりだろ、調子が悪いのだって当然さ」
 集まってきた者たちが口々に声をかける。そつなく相手をしながら、ドラクルは訓練場を後にした。極自然に、ロゼウスがついてくる。
「ロゼウス?」
「はい、兄様」
 聞きわけのよい犬のように、練兵場から帰るため道を歩くドラクルが立ち止まるのと同じにぴたりと立ち止まって、ロゼウスはドラクルを見上げてくる。
 夜半の風が気持ちよく汗を冷やしていく。けれど、早く戻らねば悪い病でも得て、寝台と仲良くする羽目になるだろう。
 それでもドラクルはなんとはなしに、立ち止まらざるを得なかった。
「……部屋に戻ろうか。お前も、何か父上から言いつけられた仕事があるんだって?」
「うん!」
 ドラクルの問に力いっぱい頷いて、再びロゼウスは寄ってきた。汗のにおいを風が散らしていく。腰に佩(は)いた剣は歩くたびにガチャガチャと音を立てる。練兵場は王城の居住区とは少し離れていて、二人は自室へと戻るために並んで歩いた。
 観戦をしていた兵士たちはああ言ってくれたが、ドラクルの身体は、すでに盗賊に受けた傷など痕も残らないほどに治りきっている。他でもないロゼウスの力によるものだ。
 それなのに、負けた。
 吸血鬼の成長は十代後半から緩やかになるのでもうすぐ二十七歳になるドラクルでさえも外見上は十七ほどに見えるが、それでもロゼウスよりは体格が良く、身長も頭半分ほど違う。身長が違えば肩幅や、全体的な身体の大きさが違うのも当然だ。
 それでも、ロゼウスが勝った。
 病み上がりなどという言い訳は通用しない、ドラクル自身が誰よりもそれを知っている。彼は負けただけ。純粋に対等に勝負をして、それで弟王子に負けたのだ。
 いや、弟などではない。ロゼウスは本当は、ドラクルなどよりよほど高貴で血筋が良い。本当の王の血を引く王子の能力は、ドラクルなど比べ物にならない程高かった。
 ドラクルはその扉を、開いただけ。ブラムス王の思惑通り、ロゼウスをその場所へと……自分以上の高みへと押し出しただけ。
 わかっていたのに、いざ突きつけられると現実に思考が追いついていかない。
「兄様、今日の残りは何をするの?」
「……ああ、今日は」
「あ。忘れてた」
「……ロゼウス?」
「ロザリーに用事に付き合ってって言われたの、すっかり忘れてた。ごめんなさい。先に戻ります……」
「ああ。ロザリーが暴れると手をつけられないから、早く行っておいで」
「はい!」
 話を振っておいて自分で決着をつけたロゼウスは、ドラクルに断って駆け出していく。その背中が遠ざかるのを見つめながら、ドラクルは冬の道に白い息を吐いた。漆黒の空にそれは溶けていく。
 ――あなたは馬鹿だ。
 頬を裂くような冷気に紛れ、いつかの冷たい自分の声が、耳元で蘇った。
 ――あなたは玉座を奪われたのではなく、あなたが劣っているから玉座を手にできなかったのだろう!!
 そうだ、これはドラクル自身が実父であるヴラディスラフ大公へと向けて言い放った台詞だった。あれ以来完全なる絶縁状態で顔を見ていない戸籍上の叔父なる父に、ドラクルはその残酷な真実を突きつけたのだ。
 今更自分だけがその現実から逃げるわけにはいかない。
 とうとうこの日がやってきた。そんな思いでいっぱいだった。別に何の前触れもなくやってきたわけではない。兆候はすでにあったけれど、それでもいざその瞬間が迫ると、頭が真っ白になるものなのだな、と思い知る。
 漆黒の廊下に揺れる燭台の炎さえも陰気に感じ、足取りも重く部屋に戻ると、来客がいた。
「お帰り、ドラクル」
「アンリ、アン……どうしたんだい? 二人とも急に」
 ドラクルの自室で、無断で寛いでいたのは第二王子と第一王女の二人だった。勝手知ったると言った様子で、テーブルの席についている。ドラクルはさりげなく視線を寝台やチェストの上に走らせ、見られて困るものがないか確認した。大丈夫だからこそ、特に注意もせず外に出たと頭ではわかっていたが。
 窓は開いていない。伝書鳩ならぬ、ローゼンティア名物の伝書蝙蝠も来ていない。エヴェルシードや地下組織の連中と連絡を取り合っている証拠の手紙や資料は全て処分済みだ。
「いや、時間が空いたからさ。それと、アンはドラクルに届け物があるんだって」
 アンリに促されて視線をすぐ下の妹王女に向けると、何やら大きな板を抱えたアンがそれを包んでいる布を外し始めた。硬く結ばれた紐に奮闘しながら、中身を取り出そうとする。
 どうやらその届け物とは、絵のようだった。第一王女のアンには政治的駆け引きや戦略を練る頭はないが、芸術に関する才能は優れていて、なんでもよくこなす。刺繍や料理と言ったことも得意だが、絵画を趣味とすることも城中の者が知るところだった。この王城の廊下には何枚か、アンの描いた絵が飾られている。
 荷物を解く合い間にアンは、持ってきたものの説明をする。その絵は結構大きく、抱える彼女の腰ほどまでもある。
「ほら、先日な、中庭で、そなたとわらわとここにいるアンリと、あとヘンリーとそなたの部下である公爵とで茶会をしたじゃろう」
「ああ……うん、そうだったね。それが?」
「その時に約束したじゃろう? 次はドラクルにも絵を描いてやる、と」
「え?」
 アンの言葉に、ドラクルは思わず数日前の記憶の糸を手繰り寄せる。
 そういえばあの時、話半分に聞いていたが確かにそんな約束をしたようだ、と。最近他に気をとられることが多くて、執務にも自らの反乱計画にも関係のない事は半分聞き流していたらしい。アンは自分の言ったことを相手が忘れたからと言って怒る性格でもないということも油断していた理由だろう。
「なんじゃ、忘れておったのか?」
 荷包みを開封する手をいったん休め、アンが呆れたように言う。怒ったような顔をして、腰に手を当てて見せるが勿論本気ではなくて、仕方がないと言うように苦笑しながら開封作業に戻る。
「手伝おうか、アン。それか、誰か使用人を呼ぶか」
「いーや、これはわらわが精魂こめて描いた作品じゃというのに、迂闊な者に触れてもらっては困る。それに、送り先のそなたに手伝わせてどうするのじゃ。いいから、ドラクルは黙ってらっしゃい」
「わかったよ」
 身長の半分以上もある板を開封するのが余りにも大変そうな様子だったので手伝いを申し出たのだが、彼女はつれなく断ってきた。アンが慌ててドラクルが絵に近づくのを阻止すると、ドラクルもそれ以上は動かず、ただ、適当な椅子を引いて腰掛けた。
 目の前には盤上遊戯が広がっている。
 また別の席に座っていたアンリが、その盤面を見つめながら呟いた。
「相変わらず高度な戦いを繰り広げてるよなぁ。ドラクルとロゼウスは」
 このゲームも、さすがに最近はドラクルとアンリやヘンリーが打つ事は少なくなってきた。自然と、相手はロゼウスに限られる。赤と緑の駒を置かれた盤面を見つめながらそんな風に嘆息するアンリの様子をドラクルはひたと見つめる。
「俺だったら、もうこんな戦いにはついていけないぜ」
「アンリ」
 局面は昨日の決着から動かしていない。それを、ドラクルは指差した。
「これ、どちらが私で、どちらがロゼウスだと思う?」
 ゲームで使われる駒は、赤と緑の二色。この盤上では、優位なのは、勝利を手にしているのは、赤い駒の方だ。
「赤だろ? だって、勝ってるし」
 考えもせずに即座にそう答えたすぐ下の弟に、ドラクルは力なく微笑んだ。
「残念。ハズレだ」
「え? ……まさか、負けたのか!? ドラクルが?」
 心の底から驚いたという様子で、アンリは叫んだ。
「信じられない。これ、じゃあ赤がロゼウスなんだな、確かにあの子にも才能はあったけど、勝ったんだな? あんたに」
 剣の腕もそうだが、盤上の遊戯でもドラクルはこれまで負け知らずだった。貴婦人相手のゲームではわざと負けて相手を喜ばせるなどという小細工も弄したが、弟たち相手の勝負では、いつも本気で対等の勝負を求められたし、ドラクル自身もそれを望んでいた。
「ああ。勝ったのはロゼウスだ」
 正面に座る第二王子アンリとも、その弟のヘンリーとも、部下であるアウグストとも、大人しげな顔に似合わず、えげつない手を使うと評判の妹姫ルースともこれまで何度も勝負をしてきた。けれどドラクルにとって、真剣な敗北を与えられたのは初めてだった。
 その相手は、ロゼウス。
「へぇぇ……あのロゼウスがなぁ。小さい頃は途中で盤を弄るなって怒られてた、あのロゼウスが……」
 まだ二十六歳だというのにいきなり昔を懐かしむ口調になって、アンリが腕を組んだままうんうんと頷く。それを見ながら、ドラクルは昨夜の勝負、そして先程の剣の試合へと思いを馳せる。
 確かにアンリの言うとおり、昔は盤上遊戯の醍醐味など、何一つ知らなかったロゼウス。剣と同じように、このゲームの戦い方をも彼に仕込んだのはドラクル自身だ。ロゼウスの行動は、一つ一つが鏡のようにドラクルへと跳ねかえってくる。
 いや、鏡のようならばまだ構わないのだ。鏡は主君に無断で成長したりしない。
 けれどロゼウスの優れているところ、また忌々しいところは、教えられたことを自らの力で何倍にも高められるところだった。ドラクルが教えた基本と応用技の幾つかなどすぐに使いこなし、自分で新しい手を創造する。
 その矛先はついに、ロゼウス自身をこの盤上に送り出したドラクルの喉元にまで及んだ。
 昨夜の勝負で、ドラクルはロゼウスに負けていた。こちらが思いもかけない手で、ロゼウスは勝負の行方を攫っていく。そして今日のように、彼は無邪気に喜んだ。純粋にドラクルに勝てたことが嬉しいというロゼウスの明るさに、逆にドラクルは自らが背負う影の暗さを思い知る。
「……もう、私の得意とするものは全部、奪われてしまったんだよ」
 それだけが救いだったのに。
 ドラクルは正統な王の血を引いてはいない、偽者の王子。それでもまだ王家に居座ることを許されたのは、いつか廃嫡になる日まで、この能力を買われたため。人よりも優れている。それだけがドラクルにとっての存在理由だったのに。
 それもはやり、ロゼウスが持っていく。ドラクルは一瞬、きつく目を閉じた。
 ああ、あの子が私の墓標となる。私の存在を地に埋めて、墓碑銘を刻む。
「ドラクル? それってどういう――」
 訝しげなアンリの言葉は続かず、代わりに憂いを知らない女性の声が響いた。
「ほら、できたぞ、ドラクル!」
「ああ。できたのかい? アン。そういえば思い出したよ、確か今度は『竜』の絵を描くのだと――」
 がさごそとやっていたアンがいつの間にかその音を止めている。かけられた声に反応して顔を上げたドラクルは、絶句した。
 目の前に広がったキャンバスには、予想と全く違う光景が映っている。
「……竜?」
「話を全て聞いておらなんだか? ドラクル。わらわはちゃんと言ったぞ。〈小竜公(ドラクル)〉の絵を描くぞ、と」
 こともなげにアンは言い放ち、自らの身体でその大きなキャンバスをドラクルの目の前に、絵がよく見えるように立てて見せる。
 そこには、ドラクルがいた。
「……私? と……ロゼウス?」
「ああ」
 そうじゃ、と頷くアンの声を半ば右から左に聞き流し、ドラクルは目の前に晒されたその絵を凝視する。
 そこには、ドラクル自身がいた。いや、今のドラクルよりも若い。彼自身はそう変わらないが、同じ絵の中にいるロゼウスの姿を見ればわかる。現在は多少頼りなげな風貌とはいえしっかりとした十七歳の少年に成長したロゼウスが、絵の中ではまだほんの子どもだった。
 そしてそんなロゼウスを見つめる、絵の中のドラクルの表情が。
「……ドラクル?」
「え? ちょ、ちょっと、どうしたというのじゃ、兄上!」
 突然俯いて顔を覆った彼の様子に、アンリもアンも驚いて取り乱したような声を上げる。
「……はは」
 俯いたまま、口元を押さえる手の下からくぐもった声をあげるドラクルの様子に、アンリとアンは視線を交し合った。けれど二人には、ドラクルが何故こんな反応をするのか、その理由がわからない。
 絵の中のドラクルは笑っていた。とても優しい顔で。
 ロゼウスを見つめる眼差しには、純粋な慈しみしか篭もっていない。今のように、一言では口にもできないようなこのどろどろとした複雑な感情も何もかも、持ってはいない。
 ああこれは、自分があの事実を知る前の一場面なのだとドラクルにはわかった。まだドラクルが自らの出生の秘密を知らず、本当の父親なども知らず、いつか廃嫡にされるという事情も知らず、ただいずれは自分が王位を継いで民を導き、国を守るのだと信じていた頃の絵だと。だからまだロゼウスが幼いのだ。
 ああこれは、こんな風に、今でも私はあの子を見ていられればよかったのに。
「……ははは」
 幸せな時間は長く続かない。けれど確かにその時、あの場所には確かにあったのだと。
「ねぇ、アン」
「な、なんじゃ?」
「どうしてこれ、昔なの?」
「ほぇ?」
「だって、私とロゼウスを描きたいなら今のこの姿でも構わないじゃないか。何故、昔の私とロゼウスなんだい?」
「へ? ああ……何故じゃろうな? 何故か、この時の様子が一番ふさわしいような気がして。特に深い意味があるわけではないんじゃが」
 わかっているはずのことをあえて問いかけると、穏やかな光景の製作者はそれを意識していなかったようだった。しかしドラクルの問に考えを刺激されたようで、アンは自らの描いた絵を見直しては首を傾げる。確かにドラクルの言うとおりなのだ。何故自分は今現在の兄弟ではなく、十年前の彼らを書いたのか。
 アンにはわからない。いや……
「なんだ、本当はみんな、とっくにわかっていたんじゃないか」
「ドラクル?」
「兄上?」
 アンもアンリも、ドラクルの様子に怪訝な顔をして覗き込んでくる。
「……なんでもないよ」
 ドラクルは最後まで表情を見せないまま、呼吸を整えてから口元を覆う手を外し、顔をあげた。
 そこにあるのはいつも通りの彼の顔で、特段変わった様子はない。笑顔もなく、涙もなく。
 だからこそアンにもアンリにも不思議だった。ドラクルがわからない。
 けれどドラクルがその本心を二人に明かすことはなく、次の瞬間にはアンに向けて、にこりと優しく暖かな笑顔を向けた。
 その笑顔がいつも通りであることが逆に二人を戦慄させるらしく、いつもならアンはドラクルが微笑みかけるたびに頬を紅く染めるのに、今日は多少強張った顔でそれを受けた。
「ありがとう、アン。これは大切に飾らせてもらうよ」
「あ、ああ。なんじゃったら、気に入らないと言うのであれば、描きなおすが……」
「いや、これでいい。ううん、これがいいんだ」
 油絵具が固まった絵画の表面を、そっといとおしげに撫でながら、ドラクルは妹姫にそう告げた。
「……そうか? では……これを進呈する。ドラクル王子」
「ありがとう。アン姫」
 後で壁に飾ると約束し、ドラクルはその絵を簡単に先程の包みにくるんで床へと置いた。
 そして、二人の弟妹に問いかける。
「……ねぇ、アンリ、アン」
「ん?」
「なんじゃ?」
 二人は、普段と同じように、何事もないような態度で応える。
「……国王になりたいと思った事は、ないかい?」
 一瞬だけ驚いたような顔をした二人は、すぐに破顔して答えた。
「ないよ」
「あるわけないじゃろ」
「何故」
 重ねて問いかける彼の声に、アンとアンリは迷いなく答える。
「そなた以上にローゼンティア王に相応しいものはおらぬ」
「ああ」
 ドラクルがいれば、もう何も心配はしないのだと。
 嫉妬すらしない彼らの優しさも、今のドラクルにはほんの少しだけ痛かった。