B-HISTORIA

B-HISTORIA

凍蝶之夢

 粗末な小屋の中に、湿った音が響く。
「う……ぁあ、ふぁ……」
 押し殺したような喘ぎが漏れ、埃の舞う空中に溶けた。餌を喰らう獣の貪欲さで、ぴちゃぴちゃと何かを舐める音がする。
「や、やめ……」
「ほう。やめていいのか。いいんだな。俺の協力を欲したのはお前だろう。いいんだぜ、俺はやめても」
 嬲るようなその言葉に、少年は抗議の言葉を潰された。彼の隙をつくようにして、男はその繊細な体をいたぶる。
「ひあっ」
繰り返し弄ばれて赤く腫れた胸の突起を乱暴につまみ、少年にか細い悲鳴をあげさせる。
「……っ」
「お前が言ったんだ。なんでもすると」
 そう、確かに少年は言った。
 俺に差し出せるもなら、全てあなたに差し出します。
 乳首を弄るのに飽きた男が、もう一度少年の股間に手を伸ばす。与え続けられる刺激で頭を持ち上げた欲望を掴み、玩具でも扱うように乱暴に扱いた。
「ああ! ……ふ、うぁああ、ああ!」
 先端を集中的にぐりぐりとこね回してやれば、快感交じりの苦痛の声が漏れた。
 じれったいまでに時間をかけて愛撫してやったものから少年が濁った精を吐き出すと、嘲るように笑ってやった。
「いやらしい奴だな」
「お、れは……」
 ぐったりとしている少年の体を揺さぶり嘲笑する。乱暴な扱いに耐えて動く気力もそろそろなくなってきた少年の口元に、今度は自らのものを押し付けた。
「俺はお前を気持ちよくさせてやっただろう? 今度はお前が俺に奉仕する番だ」
 目の前に差し出された凶器じみたそれに、少年の瞳が一瞬怯む。けれど諦めたように可憐な唇を開くと、手馴れないおずおずとした動作で、それを口に含み、大人しくしゃぶり始めた。
「ん……うぅ……んぅ」
 要領を得ないその舌技は男の期待に適うものではなかったが、少年が男の言葉どおり、なんとか彼の機嫌を損ねないようにと心を砕いているのだけはわかった。
 口淫よりもむしろその美しい顔を汚したいという、薄暗い欲望に駆られて男は予告なしに彼の髪を掴み、無理矢理喉の奥へと突っ込むようにして昂りを吐き出した。
「!?」
 呼吸を詰まらせて目を白黒させ、一拍遅れて少年は反射的に喉から男のものを引き抜いた。苦い白濁を小屋の床に吐き捨て、盛大に咳き込む。
「ぐ……げほっ、ごほっ……つっ」
 男は、期待通り零れた白い液体で汚れた少年の顔と、涙目でも嘔吐をこらえる少年の様子に多少の気分の良さを感じていた。普段は強いて押さえ込んでいる際限のない欲望が噴出す。
 その美しい顔を苦痛と恥辱に歪めて、少年は男に身を捧げようとする。完璧に整った肢体をあられもなく広げさせられ、男の遊びを受け入れる。
 強引に喉を突かれた瞬間に出された彼の精液を、少年はむせながらほとんど吐き出してしまった。口の中にまだ溜まっていた白い液体を男はもったいぶってすくいとり、その指先を自分の膝の上に座らせた少年自身の体の奥に当てる。
 顎から手を離すと、少年の口から苦痛を知らせる悲鳴が漏れた。ぬめる液体の助けを借りたとはいえ、こんな乱暴な行為に耽る彼の後ろの蕾は、指一本でも強烈な異物感と痛みを訴えている。
 膝の上に抱えた少年の華奢な肢体を封じて、男は一気に指を進める。つぷん、と中に沈んだ指を、彼は中で無造作にかき回した。
「いっ、うぁ、ああ!」
「息を吐け。体を楽にしろ。そうすれば、そのうちお前も気持ちよくなる」
「ひっ……あ、ああ、あ」
 痛みに生理的な涙が頬を伝い、少年は無意識の内に逃れようともがく。それを男が許すはずもなく、情け容赦なく、少年の汚れない新雪のような肢体を引き裂いた。
「うあっ」
「ここか?」
 快感を与える箇所を念入りに刺激してやり、二本三本と指の数を増やして少年の蕾を慣らした男は、ある時一気にその指を引き抜く。
「あ……」
 突然心地よい圧迫感が失われて思わず物欲しげな声をあげる少年の耳を甘噛みしつつ、男は声音だけは優しく告げた。
「安心しろ、もっといいものをやる」
 その低い美声で極上の囁き。十分に昂った自らのものを、ほぐれた入り口に押し当てる。
「あっ……あっ、あぁっ―――――!!」
 ずぶずぶと肉穴に埋まるものの感触に、ぞくりとするような快感を与えられながら、少年は喘ぎを押し殺してこれだけは、と告げる。
「約、束……ま、まもって……」
「ああ、守ってやるさ」
 自分より二周りは華奢な少年を容赦なく貫きながら、男はそう答える。快楽と恥辱に押し流される少年の姿を嘲笑いながら。
「お前の望みどおり、魔王を倒してやろうじゃないか」

 ◆◆◆◆◆

 彼が生まれたのは、淡い紫色の液体に満たされた装置の中だった。
 自我を持ったその瞬間から成人男子の体格を持ってはいたが、実際の彼は年齢よりも随分と幼い。
雪深い秘められた大陸の最奥部。この世界の最も辺境にあるそこは古代遺跡と呼ばれていた。この世界の文明が発達するよりも前に存在していた古代文明は、今とは比べ物にならないくらいにあらゆる魔導科学技術が発達していたらしい。
彼は、その技術の一端によって作られた者。
けれど、彼を生み出した創造主は、ある日紫の液体で満たされた装置から凍える吹雪の中に彼を連れ出してこう言った。
「あなたは失敗作。もういらないわ」

 ◆◆◆◆◆

 その日は、夜も更けた路地裏で、艶めいた喘ぎが漏れていた。
「ああっ、はあん……んくぅ……」
 ベリアルは赤い唇を開き、地面に座り込んだ男娼の股間に顔を埋めていた。生暖かい舌でさんざんに舐めしゃぶられる感覚に、少年は無意識に腰を動かそうとするが押さえつけられていて身動きがとれない。
「ひぁ……ああっ、ひぃいい! す、凄い、気持ちいい……!」
 室内ですらない道の隙間で、あられもなく嬌声を上げているのはこの街には多い男娼の一人だ。いつもなら安宿の一室を借りて行うという少年をベリアルはここでいいと無造作に路地裏に突き飛ばし、いきなり行為を始めた。
「ふぁああ……ああ、イくぅ……!」
 整った口を躊躇いもせずに大きく開き、ベリアルは少年のものを丹念に愛撫してやる。それまでどこか嫌々とこの仕事に身を堕としていた少年を心までそちら側に染め替えるように、快感で相手を支配する。
「ああ、いやぁ……き、気持ちい……」
 強烈過ぎる快楽に段々と理性が失われ、とろんとした眼差しになってきた少年を上目遣いに見て、ベリアルはほくそ笑んだ。
「ああっ……!」
 強い刺激を与えながら最後の一線は破らせずさんざんに焦らして焦らして、ようやく達することの許された少年がぐったりと体中の力を抜く様を見つめる。
 転がった男娼の少年に魔術を放とうとしたところで、路地の向こうから声がかけられた。
「あなたほどの方が、こんな場所で男娼の調教だなんて嘆かわしいですね」
「誰だ?」
 ベリアルの誰何に答えるように、夜闇を払う月の光を纏いつかせながら彼は現れた。
「俺の名はエーディン、あなたと同じものです。……お探ししていました、ベリアルさん」
 そう告げる少年の姿は、ベリアルがこれまで見た誰よりも美しかった。

 ◆◆◆◆◆

「ベリアルさん!」
 今日もまた来た。ここ数日で飽きるほどに繰り返したやりとりに、ベリアルは頭痛を抑えながら黙々と歩く。
 そこは緑に沈むような深い森で、まさしく樹海の名が相応しいこの世の果てにも似た場所だった。天を覆うほどに高い木々が鬱蒼と葉を茂らせ、空が見えない。薄闇の帳が常に下ろされているような真昼でも暗い森で、毒々しい色の果実を、無邪気な顔で栗鼠や鼠や兎といった小動物たちが齧っている。
 枯葉はすぐには土に還らず腐った泥となって降り積もり、ぬかるむ地面は旅人の命を飲み込む。毒性の沼がそこかしこにあるせいで訪れる人間はほとんどいないし、住んでいる生き物はもっと少なかった。
「ベリアルさん」
 かけられた声は無視し、樹海の中を歩く。人の街で遊ぶのにもそろそろ飽きてきた。また何かに惹かれるような欲求が起こるまでは、人里離れた森の中で大人しくしていよう。
 そう思っていたのだが。
「お願いします! 俺の話を聞いてください!」
 エーディンと名乗った少年はしつこくベリアルのもとを訪れ、同じ言葉を繰り返す。
「どうか」
 途方もない願い。
「魔王を倒してください」
 ぎし、と音が立つほどに強くベリアルは拳を握った。
 足元ではバキッと音を立てて小枝が折れ、泥ついた長靴をベリアルは近くの樹の幹に叩きつける。怒りを込めた瞳のまま振り返り、少年を睨み付けた。
「さっきからごちゃごちゃと煩い」
「俺の話を聞いてください!」
「黙れって言ってるんだよ馬鹿が!」
 怒声でエーディンの言葉をいったん封じ、ベリアルは仕方なしに長い髪をかきあげながら彼へと歩み寄る。自分より頭ひとつ分背の低い相手を見下ろして、改めて尋ねる。
「お前は一体何者だ。一体何を企んでいる?」
「言ったはずです。俺はあなたと同じもので、魔王を倒す、それだけが目標なのだと」
 同じもの? 
 エーディンの言葉に、腹の底から一度は封じ込めたはずの怒りが湧き上がってくるのを感じる。初めて会った時から彼は魔王を倒して欲しいの一点張りで、肝心なことは何一つ話さない。
「同じわけはないだろう。お前は俺を知らないからそんなことが言える。俺のことをただの魔物だと思ったら大間違いだ」
 ベリアルは吐き捨てる。
「お前が何を考えているかは知らんが、夢物語もいい加減にしろ。だいたい、何故魔王なんかを倒したい?」
「それは……」
 強く問いかけると、少年は口ごもり黙りこんでしまう。エーディンが何を思い、何を知っているのかは知らないが、その反応はベリアルを酷く苛立たせた。
 冷たく身勝手に彼を捨てた白衣の女の顔が脳裏を過ぎる。
「……お前、目障りだ」
「え? ……はぐぅ!?」
 樹海の奥地、辺りには人影がなく、見咎める者の存在は皆無だ。ベリアルは軽く手を払って、エーディンを殴り飛ばす。
 べしゃりと泥の地面に倒れ伏したエーディンが、腹部を押さえて激しく咳き込んだ。
「ごほっ……べ、ベリアルさ……」
「気安く名を呼ぶな。そもそもなんでお前は俺の名を知っている」
 鬱蒼と茂る森の木々は陽光を遮り彼らのいる場所は暗く、僅かな木漏れ日も二人を避けている。
 ベリアルはまだ咽ているエーディンの前髪を掴んで顔を上げさせ、苦痛に歪むその表情を楽しんだ。
「お前が何を知っているかなんて知らないが、俺にとってはどうでもいい。お前の望みもな。魔王を倒したいなら自分で倒せばいいだろう」
「そんな……」
 殴り飛ばされてぬかるむ地面に押し付けられた彼の全身は泥だらけだが、それでも少年は美しかった。白い頬が泥に汚れているが、紅い瞳の迫力は少しも損なわれていない。
「……理由はどうであれ、お前の存在は俺の気に障る。その礼はしておこうか」
「が、はっ」
 微笑んだまま、ベリアルは足元に倒れているエーディンの肩に足をかけた。じわじわと力を込めて、肩を砕こうとする。
 しかし、訪れる痛みを耐えるつもりか歯を食いしばったエーディンを見て、気分が変わった。
 何度言葉で拒絶しても、こうして手をあげても堪えないような相手だ。ならば別の手段をとる必要がある。服が汚れるのも構わず屈みこみ、エーディンの下半身を探った。
「な、何を……!」
 先程まで何をされても動じない様子を見せていた少年が、さっと顔色を変えた。声を上ずらせて抵抗の様子を見せるが、ベリアルはものともしない。
 少年のズボンの中に手を入れると、嫌がる彼のものを引きずり出した。
「な、や、やめ……」
 ぐらつく頭で拒絶の意を示すエーディンを無視して、軽く扱く。
「ひっ!」
 敏感な部位を他人の手で弄られる感覚に戦慄する少年をたっぷりと責め苛むと、地面の泥を手に取り、無理矢理それに擦り込んだ。
「ひあっ、ああっ、ひぃい!」
 小さな砂粒混じりの泥を自身に丁寧に擦りこまれる感触に悲鳴をあげるエーディンに、嬲るように語りかける。
「ここの地面、沼の泥には毒性があってな」
 沼の毒をたっぷりと、容赦なく塗りこむ。
「相手の動きを止めるための痺れ薬としての他に、じわじわと皮膚を溶かす作用もある。そのままにしておくと大変だぞ。腫れて爛れて、凄いことになるだろうな」
 毒が効いてきたのか、彼が手を離した途端自分で自分の股間を抑えて悶え始めるエーディンにベリアルは蔑むような目を向けた。
「あ、ああ……あああっ!」
「これに懲りたら、もう俺に近付くな。次はもっと酷い目に合わせるぞ」
 あられもない姿で悶え続けるエーディンを放置して、ベリアルはその場を去った。水場はすぐ側にあるはずだが、それを知らなければあの少年はもう使いものにならないだろう。
「ふん……馬鹿が」
 これだけやれば、もう彼が自分に関わる事はないだろう。顔を見ても向こうから逃げ出すはずだ。いい気味だとほくそ笑む。
 その彼の向こうでは、激痛に悶えながらもその瞳に強い意志を宿したエーディンが遠ざかる彼の背を睨んでいることを、ベリアルは知らなかった。

 ◆◆◆◆◆

 苛々する。
 ベリアルは人間の街をうろついていた。美形と評して間違いのない端正な面差しが不機嫌に歪んでいて、うっかり彼と視線を合わせてしまった者は怯えて後ずさる。
 ああ、苛々する。
 背の高い目立つ容姿をした美青年の姿に道行く誰もが目を奪われているが、彼はそんなこといっこうに頓着しない。灰色の石畳を染め上げる怪しい色の看板が浮かび上がった夜の街を練り歩く。
苛々する。
「くそっ!」
 前触れもなく突然毒づいて顔を上げた青年を、周囲を歩いていた人々はぎょっとして注目した。しかしベリアルが感じた視線の先を片っ端から睨むと、途端に怯えた表情になって逃げ出し始めた。眼光一つで周囲を黙らせ、ベリアルは再び歩みだそうとした。
 しかしそこで思わぬ邪魔が入る。
「あ~らよっと~」
 顔は茹蛸のように真っ赤になって、完璧にできあがった酔っ払いの二人組だった。
 肩を組んで千鳥足で道を歩いていた二人組は、ベリアルにぶつかったことでようやく前方の生きた障害物に気づいた。酔って溶けたような目を瞬かせベリアルの姿を確認し、その美貌と迫力にぎょっとする。
「あ、ああ~すいません~余所見してて~」
 直感的にまずい相手だと感じたのか謝るも、それを聞いてくれるような相手ではない。そそくさと行き過ぎようとした酔っ払いたちに足をかけて、ベリアルは彼らを転ばせる。
「待てよ」
「ぎゃ!」
「ごわぁ!」
 酔っ払いの男たち二人は情けない声をあげて転倒し、その衝撃でようやく我に帰る。しかしすでに遅く、もとより不機嫌だったベリアルの怒りの矛先はたまたま彼とぶつかっただけの酔っ払いたちに向けられてしまった。
「な、なん……」
「この俺様にぶつかっておいてそのままってのは、いい度胸だな、おっさんたちよぉ」
 周囲の野次馬が不穏な空気を感じ取ってざわめき出す。だが誰一人として男たちを庇おうという者は現われない。当然だ。大都市の膿みきった夜の街などはこんなものだ。
 ベリアルは男たちの顔面に軽く蹴りを入れると、更なる暴挙を続けた。
「ひぃい!」
「なぁ、このままじゃ俺の気が晴れねぇんだ。どうしてくれる?」
「ど、どう、どうし……」
「ああ、どうしたらいいかって? そうだな……」
 男を乱暴に地面に放り出すと、ぶるぶると震えている二人を見つめながらベリアルは邪悪な笑みを浮かべて思案する。この二人の間抜けを使って、何か自分の気を晴らしてくれるものを求める。
 これは余興だ。
「ひっ!」
「それを使え」
 男のうちの一人、今までずっと事態を傍観していた方の足下にナイフを投げて、ベリアルはそれを拾うように相手に指示した。おずおずとナイフを拾い上げた男が、中途半端な体勢で座り込んだまま訳がわからないと言った顔で彼を見上げる。
「刺せ」
「は……?」
「そのナイフで、こっちの野郎を刺せよ。そうしたら許してやる」
 男たちも、事態を遠巻きに見物していた野次馬たちもこぞって絶句した。何だ? この青年は何を言っている?
「俺は今気が立っているんだ? お前らはその俺に余計なことをしてくれた。だが、それで相手を刺せばチャラにしてやるって言ってるんだよ」
「な……そんな、そんな馬鹿なこと」
 すっかり酔いの冷めた男がナイフを手にしたまま怯えているが、ベリアルは構わずに強制する。
「やれよ。やんなかったら俺がお前を刺す。ぶっすりとな」
「!」
 ベリアルの脅しに、男たちの顔色が目に見えて青くなる。彼らは怯えていた。
 残酷極まりない遊びに、場は夜の街中にも関わらずいつの間にか静まり返っていた。ナイフを渡された男と、彼に刺される予定の男は震えている。周囲は固唾を呑んでその二人の行動を見つめる。ぴりぴりとした性質の悪い緊張感が辺りを包んだ。と――。
「待ってください!」
 一つの影がその場に飛び込んできた。男の手からナイフを叩き落し、怒鳴る。
「こんなことをしてはいけません! 彼の言いなりになる必要などないでしょう!」
 はっきりとしたその言葉に、男たちははっと我に帰ったように冷静な思考を取り戻す。そして野次馬の群をかき分けて、一目散に逃げていった。
 集まった野次馬たちこそまだ退散しないが、余興の獲物は逃げてしまった。ベリアルは突如乱入してきた人影へと目を向ける。
 その細身の姿、澄んだ声。飛び込んできたその瞬間にも正体はわかっていたが、改めて顔を見てこう言わずにはおれなかった。
「……お前かよ」
 エーディンは、厳しい目で彼を睨みつけた。

 ◆◆◆◆◆

「いつもいつもいいところで邪魔してくれるな。俺に一体何の恨みがある?」
 あのまま遊びを続けようにも気分が削がれた。場所を変えようと安宿に移動したベリアルに、エーディンは何も言わずついてくる。
「いつものお願いをするつもりでした。ですが、俺も気分が変わりました。――苛立ちを他人にぶつけて楽しいですか」
 紅い瞳がひたむきにベリアルに見据えられる。その視線がまたいつものごとく鬱陶しい。なんだ。今更説教でもしようとでもいうのか。
「あなたが本当に望むのは、あんなことなんですか?」
 ――本当の望み。
「うるせぇ!」
 投げかけられた言葉によって脳裏によぎる白衣の女の面影を振り払い、ベリアルは苛立ちも露わに叫ぶ。
「それがどうした! お前に関係あるのか?」
「関係ならあります。俺はあなたに、今の魔王を倒してもらいたいと思っているのだから。つまらない恨みを買ってもらっては困ります。どうせやるなら、もっと大きなことをしないと!」
 話の雲行きが怪しくなり始めた。
「おい……」
 そういえばベリアルは、今までエーディンの話をろくに聞いていないことを思い出した。痛めつけて苦痛に喘ぐその声を抜かしたら、そもそもこれほど長く一日に会話をしていることすら珍しい。
「お前は何故、俺に魔王退治を望む。英雄願望を持った戦士なんて、いくらでもいるだろう。俺より強い奴も」
 そう、戦士ならいくらでもいる。ベリアルより強い者になると大分数が限られてくるが、それでも皆無ではない。そして正義感や人々を救う意志に関しては惰性で生き続けるベリアルとは比べ物にならない。
 そもそも何故、エーディンは他の誰でもなく自分のもとへ来た?
「理由は単純な話です」
 今まで頑なに話そうとしなかったそれを、ついにエーディンは口にする。どこか悲しげに目を伏せながら。
「魔王を殺し、魔王になるため。だが俺の力では今の魔王は殺せない」
 思いがけず口にされた過激な発言に、ベリアルは内心の動揺を抑えつつ皮肉った。
「魔王になりたい、だと? ――目標の過程で悪と呼ばれるようになるならともかく、最初から倒される悪役になりたがるなんて酔狂な奴だ」
「でもそれが、俺たちの存在意義でしょう」
「俺たち?」
 嫌な予感がする。この先を聞いては、もう引き返せないというような。そして予感通り、彼の口から発せられた名はベリアルの知るものだった。
「俺も、パトリシア博士に作られた魔王候補の一人なんです」

 ◆◆◆◆◆

 彼が生まれたのは、淡い緑色の液体に満たされた装置の中だった。
 自我を持ったその瞬間から赤子ではなく少年の体格を持ってはいたが、実際の彼は年齢よりも随分と幼い。
雪深い秘められた大陸の最奥部。この世界の最も辺境にあるそこは古代遺跡と呼ばれていた。この世界の文明が発達するよりも前に存在していた古代文明は、今とは比べ物にならないくらいにあらゆる魔導科学技術が発達していたらしい。
彼は、その技術の一端によって作られた者。
けれど、彼を生み出した創造主は、ある日緑の液体で満たされた装置から凍える吹雪の中に彼を連れ出してこう言った。
「あなたは失敗作。もういらないわ」

 ◆◆◆◆◆

「英雄物語には倒される悪役が必要。それが彼女の口癖。けれど長くその御眼鏡に適う魔王は作られなかった。あなたも俺も、博士にとってはただの失敗作」
 ――ああ、そうか。
本当に同じものなのか。自分たちは。
「俺が望むのは、言ってしまえば俺を捨てた母への意趣返しに過ぎない。けれどどうしても欲しかった。魔王のために作られたその椅子が」
 倒されるべき悪役だとしても、そこには居場所があって、存在意義がある。だけれど今の自分たちには何もない。ここにこうしている意味さえ。
だったら、この苛立ちを生む心も感情も何もなければよかったのに。
 眩暈を生む言葉の羅列に、ベリアルはこめかみを抑えた。
「……やりたいなら、自分の力でやれ。魔王の席など、誰かの力で手に入れてもらうものじゃない」
「いいえ。あなたでないとダメなんです!」
 踵を返し部屋を出ようとしたベリアルの背中に抱きつくようにして、エーディンが彼を引き留める。
「俺が望むのは、魔王の席を現魔王から奪うこと。そして、席そのものを葬ってしまうこと。――我らが母の、虚しい望みの連鎖そのものを止めたい」
 英雄に倒される悪役など、何故彼女自身作り続けているのだろう。
それは彼女自身が古代文明の遺物として、新しき時代の担い手に倒されることを望んでいるため?
 人は弱い。共通の敵がいなければ心を一つにすることはできない。見せかけの平和はすぐに崩れ去り敵を求めて今度は人間同士で共食いすることになる。それを防ぐために魔王は存在する。
この世界は壮大な茶番劇だ。
魔王に悪役が割り振られていたところで、英雄が主役というわけでもない。観客のいない茶番劇に何の意味があるのか。それともいないからこそ意味があるのか?
 だが、エーディンは少なくともその茶番を止めたいと思っているのだ。
「人間が心を一つにして魔王を倒すように、俺たち魔王崩れも心を一つにして神を倒せとでも言う気か?」
「何と思われようと構いません。それでも俺は、彼女を止めたい。そして自分自身も救いたい。誰かのための役どころを果たすために生まれ、失敗作だからと無為に捨てられるのはもうたくさんです。――ベリアルさん」
 紅い瞳が彼を見つめる。
「俺と一緒に戦ってください。この世界を、全てから解放しましょう」
 聞けばエーディンは魔王候補とはいえ戦闘型の魔族ではないそうだ。道理でベリアルに呆気なくやられたわけだ。
 ベリアルも今の魔王も戦闘に特化した存在だ。ベリアルの何が駄目で、今の魔王のどこが彼に勝っているというのか、その理由は彼自身もわからない。
 人でも魔族でもこの世に生きとし生けるものの全ては、誰かのために生まれて誰かのために死ねと何もかも頭から決められてしかるべきではない。それを選ぶのはあくまでも自分自身なのだ。だから――。
 ベリアルが溜息と共についに頷くと、エーディンは出会って以来初めて笑顔を見せた。

◆◆◆◆◆

 安宿の一室に湿った音が響く。
 ぴちゃぴちゃと、何かを舐めるような音。
「ん……、ふぁ……」
 男が二人、その部屋の中にいた。いや、その内の一人は男と言うよりもこれは少年だ。少年が男の側に屈みこんで何かをしている。
「ん……は……ぁ、」
 ぴちゃぴちゃと何かを舐める音の合い間に、苦しそうな、熱を帯びた声が混じる。少年は熱心に何かを舐めている。紅い舌をちらりとその可憐な唇から覗かせて、必死に。
「ふぅ、ん……」
 その程度の舌技では物足りないと、男は無造作にその腕を引き、華奢な身体を無理矢理寝台に引き上げる。
「あ!」
 安宿の硬い寝台の上に引き上げられた少年が、抗議の声をあげる。
「何をするんです!」
「気が変わった」
「な……」
 身勝手な言葉を吐いた男の行動に少年が絶句している間に、男は彼の服を剥いだ。剥ぐなんて可愛らしいものではない。その腕力で、生地を引き裂いたのだ。
「何てことするんですか!」
 着る物を強引に奪われた少年が叫ぶも、男は意に介さない。
「新しいのなら、明日買ってやるよ。こんなつまらない地味な格好なんかじゃなく、もっと俺の趣味に合うようなやつをな」
 きっと眦を吊り上げて睨みつけてくる少年に対し意地悪げな笑みで返すと、男はそのまま少年の上に覆いかぶさりその唇を奪う。
「んん……!」
 舌を絡め取られて少年が苦しそうに喘ぐのも男は気にしない。己の欲望のままに、美しい身体を思う存分蹂躙する。
 一見して虐待以外の何にも見えないその行為は、しかしお互いの合意の上での行動だ。
「逆らうな」
 少年の動きがぴたりと止まる。
「俺の協力が必要だって言ったのはそっちだろう」
「だからって……本当にこんなことが対価になるんですか?」
「ああ」
 疑わしそうな目で見つめてくるエーディンにしれっと返し、ベリアルは彼の気をやるように胸の尖りを長い指で弄び始めた。
「あ、あっ」
 これまで感じ続けた苛立ちがすっと波のように引いていくのを感じる。
たぶん出会ったその瞬間から、自分たちは同じものだと彼の方だけでなくベリアルも感じ取っていたのだ。けれど唯一の座を望む身にそれは認めがたく、苛立ちとなって自分自身をもずっと苛み続けた。
 相応しくないと斬り捨てられたはずのその座を本当は望んでいることも、自らの創造主への憧憬と思慕が入り乱れる憎悪も、ベリアルには真っ直ぐ見つめるのが苦しかったから。
「いくぞ」
 男娼を弄んでいる際に割と平然とした顔をしていたから物馴れているのかと思えば、顔を合わせて以来初めて身体を重ねたエーディンは意外なほどに初心な反応を返してきた。
 ずぷ、と音を立てて少年の白い尻を割るように、ベリアルは彼の中に己を沈み込ませる。
「ああああ!」
 艶と苦痛が入り混じる高い声をあげるのに構わず動き、卑猥な水音をさせる箇所を更に深く抉る。
「やく、そくですからね」
「ああ、わかってる」
 たぶん、最初からこうなる定めだったのだろう。
 自分とは違いまっすぐ欲しい物を欲しいと言える、その相手自体が欲しいのだと心の奥底では自覚していたのだ。
 それを知ることで、もう安穏とした停滞の日には戻れないと知っても。
何度も繰り返し脳裏によぎる白衣の女にザマを見ると告げてやる。お前の思い通りにはいかない。英雄物語という名の彼女の計画に終わりを告げてやるのだ。現実が物語の用には行かないことを教えてやりたい。
彼は魔王だから。
「――全てを壊してやるよ」
 凍る雪景色の中に夢を見ている。その翅が朽ち果てる日まで。