B-HISTORIA

歪んだ鏡

 01.

 汝が子らは運命の子ら。
 正しき者を正しき座に据え、もう一方を虐げよ。
 さすれば汝が子は栄光を手にせん。
 さもなくば――。

 相反する二つの宿命は、争い合うことによって牙を磨く。

 ◆◆◆◆◆

 もしも自分が今の両親の子ではなかったら。
 常日頃からそのように考えて生きている者など滅多にいない。ましてやそれが幸せな人生を送っている人間ならばなおさら。
 公爵家の第一子にして唯一の嫡子として育てられていた少年、リルもそうだった。
 今年十四歳になるリルは、自らが当たり前のようにこのまま大人になり、公爵家を継いで生きていくことを疑ってはいなかった。
 けれど彼の日常は、突然、足元から崩れさる。
「客?」
「はい。旦那様がリル様をお呼びです」
 公爵家の予定表にない訪問者。そして突然の呼び出しに首を傾げながら、リルは言われた通りに自室から客を待たせている応接間へと向かった。
 そこで見たものは、これまで彼の人生において一度も予想したことのない光景。突っ伏して泣いている母親と、苦虫を噛み潰した表情の父親。
 そして部屋の奥に、彼と同じ年頃の一人の少年が立っていた。
「母、上……? 何を泣いて……。父上? これはいったい、どうし」
「母なんて呼ばないでちょうだい! あんたにそんなこと言われたくないわ!」
 突然の母親からの罵りに、リルは部屋の入り口をくぐったところで呆然と硬直する。見知らぬ客よりも泣いている母親に目が留まった息子の言葉は、しかし当人に拒絶をされた。
「あああああ。リル、あなたが、あなたが私の子ではないなんて」
 ――え?
 目元どころか顔全体を赤く腫らして号泣する母の言葉に、息子であるはずのリルは声を上げることすらできずに呆然とした。
 父に目を向けるが、向こうがそれを拒否するように視線を避けられる。室内に残る一人に目を向けたところで、リルはようやくこの異常事態の手がかりらしきものを掴んだ。
「やぁ。初めまして。リル・フィーネ。俺はフィーネ・リルという者だ。普段はフィーネと呼ばれている」
「フィーネ・リル?」
 見知らぬ少年の名乗った名に、リルは眉を上げた。その名乗りは、リルと名の前後を入れ替えただけのもの。
「まぁ、見てわかると思うが、俺は君の兄弟だ。そして今日から俺がこの公爵家を継ぐ者として生きることになる」
 見知らぬ少年――だが、リルと同じ淡い金髪に金の瞳を持つフィーネと名乗る彼は、リル自身によく似ている。そう、まったく同じとは言い難いが、双子と言われれば他者は信じるであろうくらいに。
 だがリル自身は、自分が双子などではないことを知っている。母が生んだ公爵家の嫡子は一人だけだ。
「君は、誰?」
「君の異母兄弟。要するに愛人の子って奴さ。でもそれだけじゃない。本当は俺がこの家の正当な後継者であり、愛人の子なのは君の方だ。リル」
「どういうことだ! ……どういうことなのですか?! 父上!」
 リルとよく似た父親は、端正な顔立ちを苦しげに歪めて二人の息子を見つめている。
「部屋を移そうか、リル・フィーネ。俺が説明してやるよ」
 屋敷の人間よりもそれらしく堂々と部屋を移ったフィーネは、腕を組んで部屋の扉脇に立ったまま話し始めた。
 これまでリルの知らなかった公爵家の秘密が明らかにされる。

 ◆◆◆◆◆

 アレスヴァルド王国には、他国にはない習慣がある。それは子どもが生まれると、必ず神官に生まれた子の運命を聞きに行くという風習だ。
 神の末裔の国を自負するアレスヴァルドでは、それ故にどのような弊害が起ころうともこの風習を改めることはなかった。特に王族は生誕の時だけでなく、毎年の誕生日にもその一年の運命を託宣によって知るという。
 アレスヴァルドの貴族の家に生まれた子どもももちろん運命を占われた。
 しかしその内容こそが、この家に生まれた“二人”の子の運命を決めることとなったのだ。
「公爵家に嫡子が誕生して間もなく、公爵の愛人にも子どもが生まれた。二人の子どもは両方が男児であり、その髪と瞳の色も同じだった」
 貴族が妻の他に愛人を持つことはありふれたことだ。愛人の子と正嫡の年齢が近いのもありふれたこと。
 公爵は当時愛人の存在を正妻に隠していたが、生まれた子どもの運命を占わせたことにより妾の存在と、その子の存在が一度に知られてしまった。
 公爵の二人の子、正妻と愛人の子は、生まれた時の預言すらも同じだったのだ。
 それは二人の子の扱いが、公爵家の命運を左右すると言う只ならぬ内容であった。抽象的な言葉で語られることの多い預言には専門の解読家がおり、その者が言うには、一人の子を嫡子として教育する一方で、もう一人の子を虐げよという内容だったらしい。
「正しき者、つまり正嫡を厚遇する一方で、妾の子は冷遇せよってな」
「なんで、そんなことを……」
「家を栄えさせるためには、子どもの一人を犠牲にすることぐらいなんともないってわけさ」
 フィーネはリルと顔こそ似ているが、その口調や物腰は違う。貴族としての教育を受けたリルと違い、フィーネの言動はまるで下町の子どものように粗野だ。
「だけど事はそう簡単にはいかなかった。妾の子の運命を憐れんだ侍女の一人が、赤ん坊をすり替えた」
「すり替え……」
 呆然とするリルの脳裏に、先程のフィーネの言葉が蘇る。彼は自分こそが今日から公爵家の後継者として生きるのだと言った。
 つまりこれまで自分が公爵の正当な後継者だと思っていたリルは、実は妾の子。今も先程の部屋で泣き続けているだろう母親の子どもではないということ。
「嘘だ……嘘だ嘘だ! そんなの嘘だ!」
 ようやく現状の説明に頭が追い付いてきたリルは、自分の耳を塞いで叫ぶ。どんな言葉も拒もうとする彼の腕をぐいと引きはがして、フィーネはその耳元に囁いた。
「本当のことだ」
「嘘だ……」
「嘘なんかじゃない。最近、このうちが事業に失敗して多大な借金を背負っているって話は知ってるか?」
「――え?」
「それは、子どもが取り換えられたことによって預言が裏切られたことによる影響だ。本来冷遇されるべき妾の子の方が可愛がられたから、破滅に近づいたんだよ」
 リルは何も知らなかった。彼の見える範囲での生活は変わらず、父である公爵が経済的に不況に陥っているなど知りもしなかった。
 フィーネが力を込めたのか、掴まれている腕がぎしぎしと痛んだ。
「十四年してようやくそれに気づいた公爵は、今更だけど俺たちを入れ替えることにしたってわけ。俺はこの家の嫡子として、正統な後継者として生きる。そしてお前は」
 自分とよく似た顔が、酷薄に笑む。
 リルは目の前が真っ暗になるように感じた。
「これからは、辱められ、虐げられるだけが価値の奴隷へと落ちるんだ」

 ◆◆◆◆◆

「やっ、痛っ……やめ、放せ!」
 動揺のあまり倒れそうだったリルは、フィーネに足をかけられて簡単に転んでしまう。その上にフィーネがのしかかり、どこからか取り出した紐でリルの両手を縛りあげた。
「何をする!」
「言ってもいいけど、それで怯えるのは俺じゃなくてお前の方だぜ」
 同い年だというのにフィーネの力は、リルとは比べ物にならなかった。細く見える二の腕には十分な筋肉がついていて、見た目よりも大きな力を発揮する。
 それは恐らく彼ら二人の、生きてきた人生の苦労の差。
 片方は貴族の息子として蝶よ花よと愛され守られて育った少年。片方は妾の子、虐げられるべき宿命の子として生まれてきた少年。
「細い腕だな。女の子みたいだ。ふん、こんな細い腕じゃ、ろくに剣も握れまい」
 リルの上着を引き裂くようにして脱がせながら、フィーネは嘲るように言う。
「貴族は騎士として剣術も勉強するとは聞くけど、これじゃ子どものお遊び程度だな。いや、下町の子どものチャンバラ遊びの方がまだマシかも」
「うぐっ……!」
 馬乗りになられたまま一方的に痛めつけられ、リルは返す言葉もない。
「まったく、張り合いのない奴だな」
「放せ……どけ! 一体何なんだよ!」
 フィーネの思惑がまったくわからないリルとしては、彼を振り払おうと暴れるしかない。けれどもともと力の入りにくい体勢に持ち込まれた上に腕力の差もある。馬乗りになったフィーネを振り払えるわけもなかった。
 襟元のリボンがするりと解かれる音で、リルは自分が彼の下でシャツ一枚という格好にされたことに気づいた。
「な……何?」
「いいことだよ」
 不自然なほどに優しい声でフィーネは言う。
「いいこと。俺にとっては気持ちいいこと。でもお前にとっては……たぶん辛いだろうな」
「なっ……!」
 フィーネの腕が、最後の一枚であるシャツを引き裂く。細い糸が無残に引きちぎられて釦が部屋中に飛び散った。
 血が繋がった相手とはいえ、初対面の人間に肌を見られてリルはぎくりとする。
 フィーネの指が、生白い胸にそっと触れた。
「ふっ……な、何?!」
 脇腹をそっと撫で上げる指先は蛇のようだ。
「綺麗な肌だな」
 見下ろすフィーネの表情には、下を向いている前髪の影だけではない暗い翳りがある。
「滑らかで、吸い付きそうな肌。そこらの女なんか目じゃない」
 投げ出されたリルの手と掌を合わせるように、指先を軽く絡ませる。
「市井の女のガサガサに荒れた手とは全然違うんだな。苦労を知らないお貴族様の手だ」
 フィーネはリルを褒めているわけではない。陰るその表情には嘲りが浮かんでいる。
「苦労知らずのお坊ちゃん。でもお前はこれから俺の代わりに地獄を見ることになる」
「地獄だなんて、そんな、の」
「地獄さ。お前はお前の父親が何をしていたかも知らないからそんな風にしていられるんだ」
 ふいにリルの胸元にフィーネが顔を埋める。
「痛っ!」
 鎖骨の上をきつく吸われて、リルは小さな悲鳴を上げた。くぐもったフィーネの声が響く。
「俺たちは、一つの運命を奪い合うように生まれた歪んだ鏡なんだってさ。俺が幸せになるためには、お前が不幸にならねばならない。そしてお前が幸せに暮らしてる間……俺はずっと地獄の中にいた。――だから」
「ヒッ」
 胸元の紅い飾りを、とれそうなほどに強くフィーネは抓む。敏感な場所に加えられた暴力的な刺激に、リルは初めて本能的な恐怖というものを感じた。
「俺は俺が幸せになるために……お前をめちゃめちゃにしてやるよ」
「い、いやっ! いやあ!」
 急に荒々しくなったフィーネの手が、さらけ出された肌の上を這う。下穿きをずりおろし、羞恥に頬を染めるリルの様子にも関わらず、彼自身に触れてきた。
「ああっ!」
 フィーネの手つきは明らかにこの手の行為に手馴れていて、同性相手に無理矢理快楽を与えるのにも迷いがない。ぞくぞくと背筋を走る未知の感覚に侵されながら、リルは半ば呆然としていた。
 口の中に突っ込まれた指を舐めろと命じられても、拒絶することすらできずにリルは大人しく指示に従う。
 この期に及んでもリルはまだ、言うとおりにしていればフィーネが手加減して、そのうち優しくしてくれるのではないかと甘い期待をしていたのだ。
「ふん……素直だな」
 一方のフィーネはリルの期待を知りながら、酷薄さと脆さを同時に孕んで歪んだ危うい笑みを浮かべる。
「奴隷の素質は、十分にあるみたいだな」
 リル自身にしゃぶらせて濡れた指を、フィーネは彼の最奥に滑らせる。小さな穴を解すように入り口をつついたあと、一気に奥まで潜り込んだ。
「あ、ああっ! な、やっ……!」
 これまで誰にも触れられたことのない場所に、無遠慮な指が無理矢理潜り込む。十分に濡らした指一本分ではまださほどの痛みはないものの、強烈な異物感にリルはひときわ高い声を上げた。
「ううっ、や、抜いて……おねが、い……」
「まだまだこれからだよ。お楽しみはね」
 リル自身のささくれひとつない指とは違う、フィーネの荒れた指先がリルの中を蹂躙する。内壁をこすり、穴を広げるように動く指は、リルの中の一番の急所を探り当てた。
「ふぁああッ!」
 リル自身自分のあげた声に驚くほど甘い、鼻にかかった声をあげる。フィーネは酷薄な笑みを深くして、より一層その部分に与える刺激を強くした。
「そう、ここ? ここがいいんだ」
「あ、あ、やめ」
 愛撫に熱を持ち始めていた自身が、硬く芯を持ち始める。刺激を待ちかねてぽたぽたと先走りをたらすそこには決して触れず、フィーネはリルの中から指を引き抜くと、自らの服に手をかけ始めた。
 強烈な快感に言葉も失っていたリルは指が引き抜かれたことに一瞬安堵するも、それは次なる拷問に続く、嵐の前の静けさに過ぎなかった。
「あ、うぁああ――ッ!」
 灼熱の塊、そう感じられるものが無理矢理自分の中に押し入ってくる。悲鳴を上げるリルを無視して、フィーネはその締め付けを堪能する。
「はっ……」
 嘲りの中に一抹の憐れみを漂わせ、彼は歪んだ運命の半身を蹂躙する。
「俺のものだよ、リル。お前は俺のものだ。――俺だけがお前を……」
 ぐちゅぐちゅと粘性の液体が混ざり合う音を立てながら、フィーネはリルの腰を掴んでその体を揺する。
「俺だけが、お前を壊すことができるんだ」
 金の瞳には、暗い欲望が輝いていた。

 02.

 庭には色とりどりの薔薇が咲いていて、母は庭師の話をよく聞きながらその薔薇の手入れを手伝っていた。
 お互いに名門貴族出身の両親。どちらの立場がどちらより弱いということもなかったが、思えば二人の間には世間で言われるような愛情は通ってはいなかったような気がする。夫婦で屋敷に仕えている召使たちのように、親しげな会話を交わしているところを見たことがない。
 母が庭で薔薇の手入れをしていた。庭師がそれを手伝っていた。
 父はその近くで本を読んでいた。色とりどりの華麗な花が咲く庭の東屋、金の箔押しがされた豪華本を繰るのは、労働を知らない父の白い手。
 貴族の世界は少しだけ複雑で冷たくて、それは演じられた幸福だったのかも知らないけれど、少なくともリルにとっては本当の幸せだった。
 ――何故今頃こんなことを思い出したのだろう。
「薔薇の、におい……」
 夢うつつから醒め、リルは部屋の中を見回した。感じた寒気に思わず身を震わせ、涼しすぎる風の入ってくる窓を見つめた。普段は閉めているはずの窓が開け放たれ、その向こうに庭園が見えている。
 否、何かがおかしい。
「う……」
 鈍い痛みを訴えてくる腰をなんとか動かして、リルは寝台から立ち上がり、庭園の見える窓辺に寄った。
「母上の薔薇が!」
 開け放たれた窓の向こうには、無残に花を刈り取られた茂みが見えた。花の中にはそのまま地面に落とされたものもあれば、どこかに持ち去られたらしいものもある。母が気にっていた薔薇の茂みは、全ての花が刈り取られていた。
「庭が、いや、どうしてこの時間にこんなに静かなんだ……」
 動揺のあまりに辺りを見回したリルは、異常は庭園に限らないことにようやく気付いた。もう時刻は夕暮れ近いというのに、屋敷の中に人の気配が少ないのだ。いつも働いている使用人たち、執事にメイド、庭師に馬番たちは一体どこに行ってしまったのだろう。それに、両親は――。
 自分とよく似た顔の冷たい双眸を思い出して、リルは恐ろしさに身を震わせる。
「父上、母上……」
 そして、痛む体を引きずってようやく屋敷内を半周し、玄関ホールに辿り着いたリルを迎えたのは、信じられない光景だった。
「父上! ……母上!」
 全身を朱に染め、事切れている両親の姿。その周囲には、乱暴に摘み取られた薔薇たちがまき散らされている。
 白い薔薇すら彼らの血に濡れて、禍々しいほどに紅い。
「ああ、ようやっとお目覚めか。遅かったね。リル・フィーネ」
「フィーネ・リル……」
 リル自身とよく似た顔の異母兄弟は、返り血に白い頬を汚した顔で優しく笑う。
 その笑顔に怒りを覚えるどころか、恐怖のあまり腰が抜けてしまったリルは力ない震え声で呆然と問いかけた。
「どうして……どうしてこんなことを!」
「どうして? 言っただろ? 俺は今まで虐げられて来たんだって。それが不当だとわかったから、こうして仕返ししてやっただけ。こんな連中には、当然の報いだね」
「母上は……君の話が本当なら、あの人は本当は君の母親なんだろう?!」
「知らないね。息子が取り換えられたことにも気づかず、自分の栄誉を守るために愛人の子を五体バラバラに引き裂けと命じるような女なんて」
 フィーネの右手は特に深い赤に染まっていて、その手には何かが握られていた。彼は無造作に指を開くと、抉り取った眼球を硝子玉でも扱うかのように適当に放り出す。
 彼自身とリルと、そして彼らの父親と同じ金色の瞳。
「お前はこいつらの暗部を知らないだけだよ、リル。この二人にはいっそ感謝してもらいたいくらいだね。これからはお前だってこの二人を恨むようになる。愛しい愛しい息子に切り刻まれる前に、俺がこうして殺してやったんだから」
「僕が、両親を憎む……」
 正確にはここに死体となって転がっている女性はリルの母ではない。本当はフィーネの母だ。けれどこの十四年間、リルは彼女を母親だと信じて生きてきた。
「ああ、そうそう。ちなみにお前の本当の母親だけど、とっくの昔に死んだから」
「え?」
「忌まわしい運命の子を産んだ時点で、あの女は用無しだったんだってさ。俺を養育するために生かされてはいたけど、ろくな生活させてもらってなかったな。お前の父親である公爵はお前の母親を散々嬲り者にして利用しつくした挙句、最後は流行り病にかかった母さんを、人知れぬ田舎に一人放り出して、見捨て殺したよ」
「そ、んな……だって、愛人ってことは、愛して、たんだろ?」
「単に飽きたんだろ。貴族にとって愛人なんて、替えの利く玩具の一つでしかない」
「父上が、そんな酷いことを――」
 とても信じられないと震えだすリルの言葉に、フィーネの表情が強張った。
「お前はまだそんなことを言うのか? あいつがどんな男だったのか、これだけ言ってもまだわからないって言うのか!!」
 血まみれの亡骸を憎々しげに睨み付け、フィーネは腰が抜けたリルにずかずかと大股で歩み寄ってくる。
「なぁ、あいつに抱かれたことある?」
「え?」
「あいつだよ。お前の父親は、お前を抱いたことあるかって聞いてるんだ」
「あ、あるわけないだろそんなの!」
 突然何を言い出すのかと声を張り上げたリルに、フィーネは冷たい目をしたまま言う。
「俺はあるぜ」
「まさか……」
「お前が知らないだけだ。あの男はな、自分以外に興味のない完全なナルシストだったんだよ。だから自分にそっくりな息子である俺を犯して享楽に耽ってた。表ではいかにも清純な貴族でございって顔してな! 本心では俺よりもっと綺麗なお前を抱きたくてうずうずしてたはずだぜ?」
「違う……そんなの絶対に違う! デタラメだ!」
「そうかな? まったく思い当たることはないのか? たとえばお前の母親よりお前に優しかったとか。妙に体に触れることが多かったとかさ」
「!」
 惑わされてはいけないと思いつつ、リルはフィーネの言葉に飲み込まれていく。
「あ、あ、あ……」
「これからだよ、リル。こんなのまだ序の口に過ぎない。お前には、もっともっと地獄を見てもらわなきゃね……」
 とめどなく涙を流しながらふるふると首を横に振るリルを抱きしめ、フィーネはその耳元で囁く。
「お前と俺は運命の半身、俺が受けた屈辱を、全部お前に返してやるよ」
 父と母の血と死の臭いに包まれながら、リルは再び意識を失った。

 ◆◆◆◆◆

 全裸にされ、手首に枷を嵌められる。華奢な喉を飾るように首輪をつけられ、口には猿轡を噛まされた。
 惨めな奴隷そのものとなったリルに、革でできた怪しい衣装のフィーネが嗜虐的に笑みかける。首輪からのびた鎖を引いて、リルに歩くように強いた。
 あれから、リルはフィーネに連れられてどことも知れぬ屋敷に移動させられた。今まで住んでいた屋敷にも劣らない広さの立派な城館だったが、何かがおかしいと感じる。作りが貴族の住居と若干異なるのだ。しかし具体的に何がどう違うのかは、そうそうに一室に閉じ込められてしまったリルに知るすべはなかった。
「お前はこの劇場の花形女優だ」
 フィーネの意味ありげな言葉にも、口を封じられたリルは問いかけるすべがない。
「さぁ、行こうか。絶望の舞台へ」
 そしてリルは首輪の鎖をフィーネに引かれながら、これまで足を踏み入れたことのなかった屋敷の中心部へと赴いた。
 時刻は宵闇の頃、健全な人々は一日の活動を終え、家路を辿る頃。
 その部屋には、多くの人間がひしめきあっていた。
 中央の丸い舞台を取り囲むように、すり鉢状に観客席が用意されている。フィーネの言うように、そこはまるで劇場だった。しかし普通の歌劇を堪能する劇場のような装置はなく、簡素な舞台を照らす照明だけがこうこうと輝いている。
 リルはその中央に引きずり出された。
 少年の裸体に、観客席から無数の視線が集中する。
 この異様な状況に目を見開いて青ざめるリルに、フィーネが嗤いを含んだ声音で告げる。
「ここはな、憐れな奴隷をあらゆる方法でいたぶる様を見せる劇場だよ」
 彼の手には鞭が握られていて、片方でそれをまとめて持ち、もう片方の手に軽く打ち付けてパシンと乾いた音を鳴らした。
「そして先日まで、俺がお前の親父によって、見世物として出演させられていた舞台でもある……今度はお前が、ここで奴隷となる番だよ」
 股間を隠すことすらできず、首輪に猿轡と手枷を嵌められた状態で立ち尽くすリルの上から下まで、観客たちは男も女も舐めるように見つめていた。
 多くは貴族らしく、上等な身なりをして目元の部分は仮面で隠している。どの顔も異様な興奮に輝いていた。
 彼らは待っているのだ。年端も行かない美しい少年が、無残に凌辱される様を。これは裏で行われる貴族たちのお遊びであり、フィーネにとっては貴重な収入源でもあった。
「お前をこうやって売った金で、俺は今の崩れかけた公爵家を立て直すよ。さぁ、せいぜい可愛い声で鳴いてくれ」
 劇場の隅にはフィーネの手駒らしき黒服の男たちが控えていた。
 フィーネがすっとリルの傍らから離れ、入れ替わりに一人の男が舞台上に昇ってくる。口元に拡声器を取り付け、とうとうと口上を述べた。一通り挨拶を終えた後、彼はリルの方を向く。片手でリルを示しながら競売で商品の説明でもするように思わせぶりに告げた。
「さて、お集まりの皆様、この少年を御存知でしょうか? かの名門貴族エルゼイル家の一人息子と言われていた、れっきとした公爵子息です」
 観客席がざわざわとする。貴族ばかりの客の中には、ここからではそうとわからないが、リルを見知っている者もいるのだろう。
「ああ、しかしそれはもはや過去の話。実は彼は、取り換えられた妾の子だったのです。公爵家に伝わる神託を皆様、御存知でしょうか? それには同じ日に生まれた正嫡と妾腹の子の片方を虐げれば虐げるほど、片割れのもとに栄光が舞い込むとされているのです」
 司会者の男はこれまで正嫡と妾腹の子が取り換えられてまったく真逆の人生を生きていたことを告げる。そしてこう締めくくった。
「――つまり、ここにいるのは、忌まわしき宿命を背負う影の子。彼を皆様の手で凌辱すればするほど、没落しかけた公爵家は救われるのです」
 青年はリルに近づくと、顎を掴んでその顔を見せつけるように固定した。
「この美貌、そしてしなやかな体つきを見てください。貴族としての生活を与えられてきただけあって、彼はこれまでの奴隷など比べ物にもならない好条件です」
 貴族たちの視線がリルに注目する。男も女も、誰もが熱心にリルの裸体を見つめていた。視姦という言葉が頭に浮かぶ。この場にいる誰もが視線でリルを犯そうとしているのだ。
「さて、それでは本日の演目を始めましょう」
 青年の合図で、他にも何人かの男たちが舞台に上がってきた。
 男の内二人はリルの体に手をかけ、それぞれ片足ずつ持ち上げて軽々と抱え上げる。思い切り股を開かされたリルは羞恥に顔を赤らめるが、猿轡のせいで声が出ない。
 リルの大股開きは、男二人によって観客の前に見せつけられた。
 そうこうするうちに、一人が舞台上に透明な椅子を持ってきた。
 背もたれと肘置きがついた、四脚の椅子。だがその材質は硝子なのか透明で、座る部分にはなぜか穴が空いている。
 リルはその椅子に座らされると、四肢を縄で拘束された。それぞれ椅子の足と肘置きに手足を結び付けられ、まったく身動きできなくなってしまう。
「これはこの“劇”の興行主のたっての希望でしてね」
 司会者の男はどこからか、黒々とした張型を取りだした。
「今からこれと同じものを、あの椅子の下部から挿入します。そう、殺すことはできなくとも、内側からじわじわとその身を串刺しにしてやるのです」
 リルは目を瞠って、司会の説明を聞いていた。
「椅子の下部に置いた装置は時限式でゆっくりゆっくりとその首を伸ばしていくようになっております。人の手ではなく、無慈悲な機械によって、穢れを知らぬ少年の身が串刺し公の犠牲になる乙女のように貫かれていくのです。手足を縛り付けられて身動き一つできない生贄は、のけぞった喉首から鮮やかな悲鳴を迸らせながらその苦悶と快感に打ち震えて耐えることでしょう。その様をお手元の鏡板から、様々な角度でご堪能ください」
 怯えるリルの椅子の下に、司会者の説明通りの装置が置かれる。その段になって、ようやくリルの口を封じていた猿轡が外された。
「い、いや……」
 怯えにカチカチと歯を鳴らして震えながら、リルは拒否を告げる。
「いやぁあああ! やめて! はずして! やだぁあああああ、あ、ああっ!」
 きりきりと螺子を巻かれた人形のように一定の速さで伸びる張型が迫ってくる。周囲の男たちがリルの体と装置を固定し、先端が小さな穴をこじ開けて入ってきた。
「ヒッ――――!!」
 潤滑剤を塗られた張型は、逃げられないリルの体内に見事埋まると、一定の速度で伸びていく。
「あ、ああっ、うぁあああああ!」
 機械による責めは人の手によるものとは別の恐ろしさがある。決して急くことのない機械は少年の懇願など聞くはずもなく、じわじわとその体内へ侵入していく。
 リルは少しでも張型から逃れようと上半身をくねらせた。汗の浮かんだ白い肌が艶めかしく跳ねる様子に、観客の視線が魅入られたように集中する。司会の青年が言った通り、白い首がのけぞり、絶え間ない悲鳴をあげた。
「や、もう、赦してぇええええ!」
 じわじわと伸びていく張型が直腸内を埋めていく。それでもまだ止まらない絡繰り仕掛けが腹さえ突き破るのかと、リルは恐怖の叫びを漏らした。
 これで本当に限界というところまで伸びたところで、張型の進行がようやく止まる。まさしく串刺しにされたような苦しみを味わったリルは、もはや放心状態だった。
「さて、皆様。串刺しの刑は楽しんでいただけたでしょうか」
 司会の言葉で、背徳的な凌辱劇に幕が下りる。――今夜の分は。
「それではまた次回、今宵以上の興奮と快楽を約束する次の舞台でお会いしましょう」

 ◆◆◆◆◆

「今夜の公演は上々だったようだね」
「あんたの名司会ぶりのおかげだ」
「そりゃあどうも。でも最大の貢献者はこの花形女優君だろう」
 枕元で誰かが喋っている声で目が覚めた。
 目を開けたらそこに自分がいた。否、ちがう。あれは自分ではない。あれは……。
「おや、気が付いたようだよ」
 黒髪の青年の指摘に、もう一人の自分――「フィーネ」が振り返る。
「そりゃあこれだけ喋ってりゃあな」
 冷水よりももっと冷めた眼差しを向けられて、頭が本格的に覚醒してくる。そうだ、彼は自分の異母兄弟。リルと一つの運命を奪い合い、争い合う敵であり、両親の仇。
 リルが寝かされていたのは、寝台と最低限の家具だけが置かれた粗末な部屋だった。部屋の作りと合わないわざと安物の調度が置かれた嫌がらせのような部屋だ。
「気分はどうだい? 初公演の後はたいていみんな体調を崩すからねぇ」
 具合を聞いてくる黒髪の青年の顔も思い出した。彼はあの時の司会だ。「公演」とは名ばかりの淫猥な凌辱劇で、張型に嬲られるリルの痴態をいちいち口に出して聴衆と共に嘲り笑っていた――。
 上体を起こそうとしたリルは、伸びてきた青年の指に驚いて壁に頭をぶつける。大袈裟な反応に、司会はころころと楽しげに笑った。
「いいよ、いい。君のその反応、初めて会った頃のフィーネにそっくりだよ」
「ディートリヒ!」
「なんだよ、フィーネ。いいじゃないか。ずっと私との約束を反故にし続けたくせに」
「だから今日こそそれを果たしてやるって言ってるだろ」
「詭弁だね。言っただろう? 私が抱きたいのは君だ」
 フィーネはリルと同じ顔とは思えない物凄い形相でディートリヒを睨み付けた。
「何度も迫ったのに、君は一度だって首を縦に振らない。挙句の果てに、私の気持ちをいいように利用して、復讐に協力すれば自分と同じ顔の異母弟を抱かせてやるなんて。このくらいのあてこすりは許してほしいな」
 彼はフィーネが好きなのだ。けれどフィーネは彼の気持ちに応えず、代わりに同じ顔のリルを差し出そうとしている。
「そういうことだから、また後でよろしくね。王子様」
「あ……」
 青年はフィーネが止める間もなくリルに触れると、その額に掠めるだけの口付けを落とした。フィーネの繰り出した拳をあっさりと避け、迷いのない足取りで出口へ向かう。
「あの男……」
 憎々しげに呟いてその背を見送ったフィーネは、リルが寝ていた寝台の端に乱暴に腰を下ろす。自分でそうしておきながら、安物の敷布の手触りに顔をしかめた。
「あの……」
「まだまだ、これからだからな」
 フィーネはリルの方を振り返ると、金色の瞳で睨み付けてくる。
「まだ俺の復讐は終わっちゃいない。お前がこの世に生きている限り。だけど俺は預言のせいで、お前を殺すこともできない」
 どちらかが栄光を手にし、どちらかが苦しむ預言はいわば両方の生存を前提としてのもの。だから片方が先に死んではならないのだ。
「もっともっと、お前は苦しむんだ。俺がそうだったように。息をしていることすら辛いと感じるようになるまで」
 こちらを覗き込むフィーネの金色の瞳の中に、強く攻撃的な光がある。けれどその光は同時に、傷つき、怯えて周囲を威嚇するしかできない憐れな小動物のような追い詰められた光でもあった。
 違う、とリルは思った。
 この瞳は自分とは違う。
「フィーネ」
 確かにフィーネに苦しめられたし、今も熱を持った体が辛く疼いている。彼は両親の仇でもあるし、リル自身からもたくさんのものを奪った。
 だけどまだリルは、フィーネが口にするような底なしの絶望を知らない。これまでの恵まれた生活からすれば今の状況は死ぬほど辛いと言っても過言ではないが、それでもまだ、このような光を瞳に浮かべてはいない。
「ごめんね」
「!」
 思わずリルが口にした言葉に、フィーネの表情が凍りついた。
「ごめんね。今までずっと……君のことを助けてあげられなくて」
 同腹の兄弟ではないけれど、同じ顔を持って生まれた二人。一つの運命を二人で分け合い、奪い合う魂の双子。
 まるで鏡に映したように同じ顔をしているのに、その表情はすでに違ってしまっている。
 その運命は歪んだ鏡だ。同じはずのものを違うように映す。
 たとえ神託が何を告げようと、同じ父親を持つ子どもとして同等とは言わないまでも相応の扱いを受けるべきだった。それなのに周囲は神託に振り回され、彼ら二人の扱いを――運命を分けた。
 だがフィーネはリルの言葉の意味を取り違えたようだった。いや、本当は全てわかっていて、それでも受け入れたくはなかったのかもしれない。
「ふざけるな!」
 怒声と共に乾いた音がリルの頬の上で鳴る。一拍して体に響き渡ったその音と焼けつくような頬の痛みに、リルが顔を上げる。
 フィーネは泣きそうな顔をしていた。両手で顔を覆い、寝台の端に突っ伏す。
「今さらそんな言葉を聞いたところで、何を言われたところで……」

 鏡は歪んでしまった。
 もう、同じ景色を見ることは叶わない。