B-HISTORIA

青春は屈折する

「いたっ、痛いっ!」
 人気のない校舎裏で、少年が一人悲鳴をあげた。
「騒ぐなよ」
 のけぞった白い喉を滑った手が、少年の口元を抑える。もう一人の少年は背後から顔を寄せ、耳元で意地悪く囁いた。
「誰かに見つかって、困るのはお前も一緒だぜ? 俺は強姦魔、お前は同性に強姦された男として、仲良く共倒れだ」
「う……」
 ツィリルに背後から言い聞かされ、ユディトは声を潜めるしかなかった。壁に手をついて体を支え、背後から自分を犯す少年のものを受け入れる。
 頭上を遮るものもない蒼天の下、ぬめりけを帯びた液体の立てる音がやけに耳につく。ツィリルが身動きするたびにぐちゅぐちゅと、結合部で音が立つ。
「こ、こんなとこ……誰かに見られたら……」
 息も絶え絶えにそう言ったユディトに、ツィリルの怒りを含んだ声が返る。
「だから声あげんなって言ってんだろ。それとも、やってるとこ誰かに見られたいのか? お前、淫乱だもんなぁ」
 ユディトを蔑むツィリルの声は冷たく、氷の指で臓腑の裏を撫でられているような気分をユディトにもたらす。
「つ、ツィリル、そんなこと……」
「黙れよ。ちょっと優しくされたと思ったらすぐ誰のモノでも咥えこむ淫売が。俺の次はイェニーに乗り換えるつもりかよ」
 イェニーはユディトとツィリルと同じクラスの生徒だ。誰とでも仲良くできる人懐こい少年で、クラスの中では大人しい方に分類されて友人の少ないユディトにも気軽に話しかけてくれる存在である。
「ちがっ、彼はそんなんじゃ」
「へぇ? 庇うのか。あいつは何も悪くないって? じゃあお前が一方的に媚び売ってんのか。ふーん。振り向いてもらえなくて可哀想に。でもさぁ、ユディト、お前は大事なことを忘れてる」
 ぐちゅ、と結合部で鈍い音が立つ。
 ツィリルが一度動きを止め、ユディトはこれで終わりかとほっと身体の力を抜いた。
 しかしツィリルは行為を終了したわけではなく、ユディトが気を抜く瞬間を待っていたのだった。再びユディトの中に、自分のものを突き入れる。
「ひっ――」
「お前は、俺のもんだろうが」
 不機嫌な凍てついた声でそう言ったツィリルが、激しく腰を動かす。耐えきれずにユディトは壁に額を押し付けた。一応恋人関係であるはずの少年に荒々しく抱かれながら、ユディトは今日のこの状況をもたらしたものを回想する。

 ◆◆◆◆◆

 二人が付き合い始めたのは数カ月前。気の置けない友人同士のはずだったのに、いつの間にかお互い、相手をそういう目で見るようになっていた。
 この現状に環境という要因が無関係であるとは言い切れない。女性と触れ合うこともない男子校では、付き合うとまではいかずとも男同士で妙な雰囲気になっている連中は少なくない。同性同士で押し込めておけば間違いの一つも起きないなんて、今日日古臭い考えだ。
 それまで仲の良い友人関係で通してきた二人は、ユディトが一歩ツィリルへの距離を詰めたことで名前を変えた。
 気弱そうに見えるとよく言われるユディト、クラスの問題児であるツィリル、この二人が影で付き合っているなどと知ったら、大概の人が驚きユディトを説得することになるだろう。そのくらい、ツィリルとユディトは正反対で接点も何もまるでないように、傍目には見えた。
 それでも山奥の学園という閉鎖空間に押し込まれた少年同士、娯楽は球技か図書室で本を読むくらいしかできない、一歩間違えれば囚人まがいの扱いをされる学び舎で同じクラスともなれば、接点を持つのは難しくなかった。
 初めは本の趣味だった。
 課題でもないのに同じ本を、二人揃って手に取った日からそれは始まった。ユディトもツィリルも外で運動を楽しむ面々に混じらない人間という意味では同じだ。
 校舎から人の気配が少なくなる放課後、もともと同じクラスで顔も名前も知っていた相手同士だということもあり、二人が仲良くなるのにそう時間はかからなかった。
「ねぇ……ツィリル」
 最後の一線を越える決意をしたのはユディトが先だ。
「僕のものになってくれない?」
 あの時のツィリルの呆けた顔がユディトには忘れられない。手にしていたパンがもったいなくも転がり落ちて蟻の餌になる。
「そして、僕を君のものにして」
 ツィリルは青い目を見開いたままユディトの顔を凝視して――最後には頷いた。
 しかしその後、この言葉に執着して調子を崩し始めたのはツィリルの方だった。
 自分と顔を合わせていない間、例えば寮の部屋に戻った後のユディトの行動などを知りたがり、ユディトが自分以外の人間と親しく話している姿に嫉妬じみたものを見せるようになった。時間が許す限りユディトを傍に置きたがり、少し離れるとその間何をしたのか逐一報告させる。
 今では、ユディトが少しでも彼以外の人間と仲良くすると、その鬱憤をユディト自身にぶつけるようになった。
 その日もユディトは放課後、ツィリルに会いに行く前にこちらもまた同じクラスのアリオスと親しく話をしていた。アリオスは現時点でクラストップの成績を誇る優等生で、一見して落ちついた雰囲気の少年だ。人当たりがよく常ににこやかな笑顔を崩さない彼は、ぶっきらぼうで乱暴者だと言われているツィリルとは正反対の性格だ。
 それが余計ツィリルの気に障るらしい。アリオスと話した後の彼の不機嫌は特に酷い。自分にないものを持つ、コンプレックスを一方的に抱いている相手だからこそ嫉妬もより深くなるらしい。
 アリオスの存在はツィリルの負の感情を爆発させ、ユディトに酷く当たることによって発散するという方法がとられた。ツィリル自身いつも行為の後に自らの行いを振り返り傷ついているのだが、どうにも自分の中の衝動を制御できないらしい。
 初めて手酷く扱われて合意もなく無理矢理身体を繋げて以来、ツィリルはより深くユディトを求めるようになった。
 もはやそれが純粋な愛情と言っていいものなのかわからないくらい、ツィリルの攻めは強引だ。ユディトはぎしぎしと痛む身体を抱えて眠る夜もあった。
 それでもこの学園という場所で生活する以上、他のクラスメイトと話さないわけにはいかない。誰かに笑顔を見せる、親しくすることがツィリルの怒りを買うことをわかっていたが、ユディトは教室内での態度を変えることはなかった。
 そして全てが終わる放課後になるとまたツィリルに手酷く抱かれるのだ。
 自分たちは歪んでいる、と思いながら。

 ◆◆◆◆◆

 今日、ツィリルの逆鱗に触れたのは同じクラスの少年、イェニーの存在だった。人懐こい子犬のようなイェニーは、他人とのスキンシップが好きだ。クラスでは大人しい方に分類されているユディトにも遠慮なく飛び付いて肩に腕など回してくる。
 イェニーは誰に対してもそうなので、そのことで彼が誰かに何か言われることはない。妙な噂が立ったこともない。もちろんユディトと並んだって小柄な少年が二人じゃれあっているように見えるだけで、間違っても二人ができているなどと噂を立てられるようなことはない。
 しかしツィリルはそんなイェニーの存在までも気に障ったようだ。校舎と自分の身体でユディトを挟みこむように追い詰めて、昼のことを問いただす。
「だから……そんなんじゃないよ。ツィリルが心配するようなことは何も」
「嘘つけよ。この前だってまたアリオスの奴と」
「アリオスとは本当になんでもないよ!」
「そうやってムキになるところが怪しいんだろ!」
「ムキになってるのはツィリルの方じゃないか……あっ!」
 手首を強く押さえつけられる。
「いた……痛いよ、ツィリル。離して」
「離したら逃げるだろ?」
「逃げない。僕が君から逃げる必要なんてないから……」
「へぇ……」
 ツィリルの瞳が冷酷に細まる。
「だったら、今日はこのままここでしようか」
 その言葉が何を指しているのかに気づき、ユディトは目を丸くした。ほんの少しの怯えを顔に覗かせる。
「ここって……そんな、外でなんて」
「外でだってできないわけじゃない」
 そのままツィリルは、押さえつけたユディトに口づける。長い口付けで力が抜けたユディトの身体をくるりと反転させ、壁に手をつかせた。
「あっ」
 ユディトが驚いている間にツィリルは手際よくそのズボンを脱がせ、自分の身体を押し付ける。心の準備をさせる時間も与えず唾液で濡らした指を後ろの穴に押し込んだ。
「あっ、あ、ツィリル……!」
 愛撫もせずいきなり指を入れて来たツィリルの行動にユディトが小さく呻く間に、ツィリルは微かな、目の前のユディトでさえ聞こえるかどうかというような微かな声で呟いた。
「――好きだ、ユディト」

 ◆◆◆◆◆

「あ、ツィリル、ツィリルっ」
 ガクガクと揺さぶられてユディトは甘い悲鳴をあげる。
 うわ言のようにツィリルの名を呼び続け、自分の中を蹂躙するものの感覚に恍惚の吐息をついた。校舎の壁についた手が痺れ、震えている。
「ツィリル……!」
「ユディト」
 一足先に達したユディトの内部できつく自身を締めつけられ、ツィリルもまた果てた。
 緑の草に埋もれた地面に、白濁した液体がじわりと染み込んでいくのを、ユディトはぼんやりとした頭で見ていた。
 衣ずれの音がする。ツィリルがズボンをあげている音だ。カチャカチャとベルトの金具が鳴り、本当にズボンをあげただけの短い身支度は終わる。
「ユディト」
「ん?」
 股間をまだ外気に晒したままへたり込んでいたユディトは、ツィリルに名を呼ばれて振り返った。
「ん――」
 その瞬間、強い力で引き寄せられて唇を奪われる。
 長い長い口付けが終わると、ツィリルは言った。
「お前は俺のものだ、ユディト」
「ツィリル」
 それだけ一方的に告げて、腰が砕けて立ち上がれないユディトを置いてツィリルは寮の方へと戻って行く。
 一人残されたユディトは、先程ツィリルに触れられた唇に指をあてながら考えていた。
 後肛からはまだとろとろと白濁の液が溢れだしている。これが落ち着くまで、もうしばらくはこのままでいた方がいいだろう。
 後処理を何一つ手伝わずにさっさと姿を消したツィリルを恨むでもなく、ユディトはけだるい身体を外気に浸しながら薄らと微笑む。
 人懐こく、下手をすれば体格もユディトより小柄と言っていいイェニー相手すら、今日のツィリルは嫉妬した。嫉妬に狂うあまり、激しく乱暴にユディトを抱いた。
 ああこれはぜひにも後でツィリルの部屋を訪れて、僕は気にしていないと言って彼を抱きしめてやらねば。ユディトはこの後の幸せな時間を思いやり、うっとりと笑みを浮かべた。
 ――お前は俺のものだ、ユディト。
 先程ツィリルが口にした言葉を思い返し、その後に続ける。
「そして君は……僕のものなんだよ、ツィリル」
 だから、君が僕以外の人間に執着するなんて許せない。
 いつからだろうか、ユディトの中にその考えはあった。ただの友人関係にまで嫉妬するほどに深く深く、ツィリルが自分を愛していることを確かめたい。その確たる証が欲しい。
 目には見えないし言葉では簡単に裏切ることのできるそれを、ユディトは自らに与えられる身体の痛みで計ることにした。ツィリルがユディトの交友関係に嫉妬すればするほど、ユディトを抱く時の動きが荒々しくなる。
「明日は誰と仲良くしようかなぁ」
 馬鹿なツィリル、嫉妬なんかしたところで意味がないのに。アリオスは飛び級でクラスに入ってきた二歳年下のシファ少年にぞっこんだし、イェニーはユディトの同類で、だからこそユディトに興味はない。
 けれど彼らとユディトが穏やかに言葉を交わし、肩を組むたびにツィリルの心は愛憎と嫉妬に捩じれていく。自分を抱くツィリルの残酷ながら悲しみを宿した眼差しを見るたびにその歪な音が聞こえるようで、ユディトは一人胸の中で喜ぶのだ。
 そして、また乱暴に身体を繋げたことを反省して自己嫌悪の海に陥っているだろう恋人に声をかけに行くために、ユディトは校舎裏から離れるのだった。