Calamity Children

1.巡礼と孤児

 シルフェの街で一番と言われる規模のフェニカ教会。そこには多くの孤児が住んでいる。教会の前で拾われた捨て子だった赤毛のヘザーは、その日忙しそうな尼僧たちに代わって訪問者を迎え入れるために教会の扉を開けた。
「こんにちは」
 にこやかな笑みで挨拶をしてきた青年とその隣に立つ仏頂面の少年。街でよく見る顔でもなければ教会に用があるとも見えないその姿に、ヘザーは訝しげに眉根を寄せた。
「……どちらさまで?」
 兄弟には見えないな、というのがその二人を見てのヘザーの最初の感想だった。
 一人は二十歳前だろう少年と大人の境にいる青年で、砂色の髪に葡萄色の瞳をしている。常ににこやかな笑みを崩さない、愛想の良さそうな人物。こちらが教会の孤児と見て取り、優しげな笑顔を一層優しげにして親しげに見つめてくる。
 もう一人は連れとは対照的に常に仏頂面で、けれど人目を惹かずにはいられない少年だった。年の頃は十代半ばか。きらきらと輝く銀髪に、深い翡翠の瞳を持つ、人形のような美少年だ。
 二人とも旅行者用の丈夫な外套を身に着け、どことなく薄汚れている。けれどその顔には、旅の疲れや埃程度では薄れさせることのできない生気が感じられた。
「僕たちは巡礼なんだ。この街に滞在する間、御厄介になれる場所を探しているんだけれど」
「巡礼さん? なら、尼僧さんたちに言えば……」
 疑問符がついたのは、ヘザーにとって目の前の二人はとても巡礼らしくは感じられなかったからだ。それでも彼女は二人の旅人を待たせたまま一度奥へと戻り、手の空いた尼僧を探す。
「エマ、ちょっといい? お客さんだよ」
「あら、大変」
 淡い雲が太陽を隠す、この地方特有の薄曇りの日だった。

 ◆◆◆◆◆

「……まぁ、それでこんな遠くまで?」
「ええ。エクリクスの荒野を抜け、アエラスの大河を渡り、ヴァシア・ネラの緑の大地を進み、ディリティリオの死砂漠を踏破してこの地まで参りました」
 竪琴を弾きながら物語を紡ぐ唇は、嘘をつくのもお手の物だった。今は巡礼として旅をしている、本職は吟遊詩人のファタルは自分たちの旅の目的をしれっとあたりさわりのないものとして説明してしまうと、今度は教会内を案内する役目でつけられた尼僧に、この土地についての質問を始めた。
「そう言えばこの街に、何か土地特有の物語や言い伝え、伝承などはありませんか? どんなものでもいいんです」
「言い伝え、ですか?」
 ファタルたちを案内する尼僧の名はエマと言った。他の尼僧たちと同じ黒の地味な法衣に身を包んではいるが、その顔立ちはかなり若い。二十代前半といったところか。秀でた額に染み一つなく、濃い色の睫毛に縁どられた青い目の美人だった。
薄曇りの空が薄い影を作る仄暗い廊下を歩きながら、ファタルは前を歩くエマの言葉に耳を傾けていた。
「この街での言い伝えと言えば、昔から吸血鬼伝承があります」
「――吸血鬼?」
「ええ、そう」
 薄曇りの灰色の空。影が濃く暗いシルエットのような廊下。切り取られたような窓の外の景色。
 薄く微笑んだ美しい尼僧の語り口は、どこかお伽噺めいて聞こえる。
「青白い肌に黒い衣装を身に纏った、夜の貴族。煌々と月の輝く真夜中には血を求めて人々を襲い、朝の光に照らされれば灰となって崩れ去る、強くも儚き魔物。生死を越え、生と死の狭間にいる者。……様々な姿を持つとされ、様々な名で呼びあらわされるが、その本質は人の生命の源である血液を奪い相手を魔の世界に引き込む忌まわしい化け物……」
「吸血鬼に血を吸われた人間は吸血鬼になる」
 よくある内容をファタルが先取りして口にすると、エマは静かに口の端を吊り上げた。禁欲的な法衣を纏っているというのに、彼女のそんな仕草はぞくりとするほど色っぽい。
「この地で伝えられる吸血鬼は、もともとの魔族ではなく、罪人が魔物に変化した存在だと伝えられています。鬼子、忌子と呼ばれ人に忌避される存在が吸血鬼に変化するのだと」
「……」
 慈愛と平等を解くべき尼僧の口から語られる偏見とも言える言葉。けれど現在はともかく、百年ほど前までは世界に魔力と呼ばれる力が溢れていた以上何があっても不思議ではないのかも知れない。
 所詮それはお伽噺だ。物語の中で語られているだけならばどんな生き物も害はない。
 けれど、エマは少し悲しげに目を伏せて言った。
「そしてこの街では今、吸血鬼による事件が起きているのです」

 ◆◆◆◆◆

「知ってるよ。吸血鬼殺人事件って呼ばれてる」
「それって具体的にはどんな事件なんだ?」
 ファタルとソーンは更に吸血鬼事件の詳細を手に入れるために、教会で養われている孤児の子どもたちに声をかけることにした。
 教会の中庭で、どこの街にもあるような遊戯を楽しむ輪から一人外れて座っている赤毛の少女に声をかける。彼らをこの教会に迎えた最初の少女、ヘザーだ。年の頃はソーンより少し幼いと言ったところ。十二歳くらいか。
「この二ヶ月で、五人くらいの女の人が真夜中に街に出て殺されているの。被害者は全員赤毛でね、何でそんな夜中に街に出たのかもさっぱりわからない上に被害者の体から大量の血液が奪われているんだって。だから、吸血鬼事件」
 ヘザーの説明はわかりやすかったが一つだけ疑問を感じ、ファタルは更に尋ねた。
「凶器は?」
「死体はみんな刃物でばっさり切り裂かれていたんだって」
 それを聞いてますますファタルの中で違和感が強くなる。
「お兄さんたちは、吸血鬼を探してるの?」
「ファタルでいいよ。こっちはソーン。なんでわかったの?」
「ただの巡礼っていうより、そっちのが似合うと思ったから」
 子どもは正直だ。そして残酷だ。
 ファタルとソーンが巡礼だというのは、無理ではないが違和感がある。
「僕、一応これでもフェニカ信者なんだけど」
「俺は信仰心なぞない」
 落ち込むファタルに何処吹く風のソーン。ヘザーはやはり不思議そうな顔で、そんな二人の様子を見比べた。

 ◆◆◆◆◆

 シルフェの街がある地域は大陸でも一年を通して曇りの日が多く、どんな季節でも空には常に薄灰色の雲がかかっているような印象がある。
フェニカ教会で過ごして数日、どうにも晴れ間が見えないとぼやく巡礼二人組に、ヘザーはそう教えた。
「ああ、そうなの。だからか。この街の入り口に曇花が描かれていたのは」
 曇花というのはその名の通り、曇りの日にしか咲かないと言われる花だ。
「そう。曇りでもまったく一日中陽が差さないわけじゃなくて、風があるから洗濯物もよく乾くんだけどね」
 教会内では子どもたちも各々仕事を割り当てられている。ヘザーの担当は洗濯で、尼僧の一人と一緒に毎日朝、皆の服を洗う。
 ファタルとソーンの二人も教会に滞在している間それに付き合っていた。街の洗濯場である川辺で洗い終わった衣服を、今日の選択当番であるエマと一緒に教会の庭で干していく。
「お客様にまで手伝ってもらうなんて、申し訳ないわ」
 と言いながらも、ファタルに高い場所へ洗濯物をどうやって干すか指示するエマの口調には淀みがない。
 小柄な女性と変わらない身長のソーンは、これに関してはまったく戦力外だ。洗濯に使った桶の水気を拭きながら、曇り空を眩しそうに眺める。
「でもこのくらいの天気、俺は好きだな。光が眩しすぎなくて、動きやすい」
「じゃあ、ファタルさんとソーン君もこの教会にずっといる? そして毎日洗濯を手伝ってくれたら嬉しいわ」
「そ、それは遠慮したいなぁなんて……」
 ソーンの言葉を受けて、エマがにっこりと笑って言った。普段しないことをしたためか筋肉痛で両腕を上げるのが辛いと言うファタルが、それは勘弁と引きつった笑顔を見せた。
「巡礼の旅も良いですが、一つどころに留まるというのもいいものですよ」
 しみじみというエマの口調はその場の思いつきという風ではなく、実際の経験談から語っているように重みがある。
「エマ、ひょっとしてあなたも巡礼をしたことがあるのですか?」
「ええ」
「本当? 初めて聞いたよあたし」
 旅人二人だけでなく、もともと教会にいるヘザーまでもが初耳だとエマの言葉に耳を傾けた。ヘザーはこの教会でずっと養われている孤児だが、尼僧であるエマは他の教会に勤めていた時期もある。
「三年前にこの街の別の教会を出て、二年前に街へと帰り、この教会への配属を希望したの。私はもともとこの街生まれの孤児だけれど、他の街を見てみたくなったんです」
「へー」
 詳しく話を聞こうとしたところで、エマは他の尼僧に呼ばれ教会の中へと戻ってしまう。
「意外と多いのね、巡礼する人って。旅って楽しいの」
「まぁ、それなりに。でも巡礼に出る理由は人それぞれだから」
「……ふーん」
 ヘザーは何とも言えぬ顔で頷いた。
「街を出る、そういう選択肢もあるんだね……」
「ヘザーはこの街を出たいの?」
「さぁ、どうだろう」
 答えるヘザーの顔は沈んでいた。
「……そんなの、わからないよ」

 ◆◆◆◆◆

「お前はいつも一人が好きなんだな」
 教会の裏手にある森の中、ヘザーがいつも隠れている場所にソーンがやってきた。
「どうし――」
「しっ!」
 ヘザーの問いを「静かに」という合図で遮り、ソーンは彼女の口を手のひらで塞ぎながら自分も息を殺した。背の高い常緑樹の茂みの向こうからファタルと数人の子どもたちの声が聞こえてくる。
「おーい、ソーン。一緒に森の探検しようよー」
 子どもたちを連れて彼ら以上に子どもなことを言っているのはファタルだ。ソーンは彼の声が遠ざかるにつれて、疲れた声を上げた。ヘザーの顔から手を離す。
「あのバカ……」
 子どものお守りに付き合うのが嫌でソーンは逃げてきたのだろう。
「考えることはみんな同じってわけか。姿を隠そうと思って探せば、みんなここに辿り着いちゃうんだね」
「……お前も何かから逃げてきた口か?」
 ぽろりと零れた言葉にソーンが反応する。
そして何かに気づいた彼は、眉をしかめてヘザーの手をとると、その腕の傷の様子を診始めた。懐から取り出した傷薬らしきものを塗りつけて、ソーン自身の持ち物であるハンカチで縛る。
「深い怪我じゃないから、これで充分だろ」
「薬なんていつも持ち歩いているの?」
「ファタルのドジがよく怪我するからな。応急処置の腕前だけは医者並みだ」
「あのお兄さん、そんなにドジだっけ?」
 むしろヘザーの目などから見れば、あの穏やかな物腰の吟遊詩人はそのおっとりした見た目に似合わず隙のない身のこなしをするように思えた。子どもたちの面倒を見ながらさりげなく転びそうな子どもや危険な目に遭いそうな子を助けていて、小さな子たちが傷を作るたびにいつも年長者として怒られるヘザーには羨ましいくらい目端が利く青年だ。
「俺よりはとろい。それより……お前のその怪我は、誰かにやられたもんだろ。言わなくていいのか?」
 ぶっきらぼうな口調ながらその中にある確かな労わりに、ヘザーは危うく涙ぐみそうになった。けれど今ここで泣いてしまったら止まれないことも知っているので、喉元にこみ上げた感情をぐっとこらえる。
「言っても事態が変わるわけじゃないから」
 いじめられたと尼僧たちに告げ口して事態が変わるのならば、ささやかでも子どもなりの矜持を犠牲にして身は守られる。けれどそうやって助けを求めて誰も応えてくれなかったりしたら――。
 そんなのは余計自分がみじめになるだけだ。
「変わらない? どうして?」
 ヘザーは確かに誰もが頭を撫でて可愛がりたくなるような子どもではないが、仮にも教会の人間たちがその対応はないだろう。ソーンがそういう風に思うのは、彼が余所者だからだ。フェニカ教会は確かに名前だけの劣悪な環境の孤児院よりは良いところだが、信仰が深いからこそ逃れえぬものもある。
「吸血鬼の殺人事件の話、したでしょ。あれの被害者がみんな赤毛だってことも。犯人の目的は知らないけれど、被害者が赤毛だってことには理由がある。この街ではね、赤毛は鬼子だとか忌子だとかの証、なんだ」
 ヘザーも赤毛だ。ただし吸血鬼事件の被害者たちのような深い紅の髪ではなく、燃える炎のような橙に近い朱色。広義にはこれも赤毛と呼べるだろう。
「罪人の子、罪を犯した人間の生まれ変わり、魔物の子。そういった者が生まれて来るときは、赤い髪を持つんだって。だから吸血鬼事件もいつまでも解決しないの。相手が本当に吸血鬼みたいに霧になって消えてしまっているのかもしれないけど……たぶん、まじめに捕まえる気がないんだと思う」
「……」
 切り株の上に膝を抱えて座り込んだ少女の横顔にソーンは何の言葉もかけられなかった。
 忌まわしい子ども。人と違う者。迫害される者。それらの言葉が、鍵をかけた古い記憶の扉を刺激する。
 ソーンがファタルと旅をしている理由。ファタルがソーンと旅をしている理由。
 沈黙が辺りを満たす空間に、突如騒がしい人の気配がした。
 見れば教会の尼僧の一人が、ヘザーを見つけてここまでやってきたようだ。
「あ、ヘザー! どうしてルースたちを見張っててくれなかったの?」
 突然の責めに、ヘザーは濃色の瞳をぱちぱちと瞬いた。彼女と十も違わない若いシスターは、泣きそうな顔で告げる。
「今夜の夕食のおかずにするって、あの巡礼さんたちと一緒に森の動物を狩ったんですって! ここは領主様の土地なのに!」
 その言葉にダメージを受けたのは、軽く責められたヘザーよりもむしろ隣で話を聞いていたソーンだった。領主の兵に屋敷に連行されたと聞いて、自分こそ連れから目を離すのではなかったと、額に手を当てて呻く。
「あの……バカ」