神聖なる悲劇 01

神聖なる悲劇(1)

001

 薔薇の花が燃えている。庭園は炎に包まれている。一つの大陸を制覇した国が終わりを告げようとするその瞬間に、極上の紅が滑り込む。
 それは夢のような光景だった。
「なん……だ?」
 彼がその部屋に足を踏み入れた時、すでに全ては終わっていた。王城の一室、玉座のある謁見の間は深紅に染められ、この国の王は華奢な腕に抱かれながら息絶えていた。
「誰? ……ああ、解放軍の人間か」
 王を抱えていた少女が、のろのろと顔を上げて彼を見つめ返すとそう呟いた。ゼルアータへの反乱は、かの国に滅ぼされたザリューク王国の民により主導された。彼の蒼い髪と橙色の瞳はザリューク人の特徴だ。その容姿から彼が解放軍の一人だと判断したのだろう。その少女自身は、白銀の髪に深紅の瞳という珍しい色彩を持っていた。
「そういう、お前は誰なんだ? ゼルアータ王は」
「殺した」
 淡々と、感情のないような声で少女は言った。けれど本当に心がないのではなく、どんな想いも今の彼女から抜け落ちてしまっているのだと言う事は、涙に濡れた頬を見ればわかった。
「ヴァルター王は俺が殺した。解放軍が攻め入ってきて、ヴァルターは城の使用人たちを次々に殺していった。俺も、殺されそうになった。だから」
 『俺』と言った少女の様子に違和感を覚えてよく見れば、彼はそれまで目の前の相手の性別を間違えていたことに気づく。女物の衣装を纏っていても、彼は男だ。
「ヴァルターは死んだぞ。俺が殺した。そしてどうする? 俺も殺すのか?」
 疲れたような泣き笑いの顔で、少年は笑う。
「俺たちは……ゼルアータを滅ぼしに来たんだ」
 この大国は全てを奪った。武力によって周辺諸国を征服して奴隷扱いに貶め搾取し続けてきた暴虐の王国ゼルアータ。そして彼は、虐げられた民たちを率いてゼルアータに叛旗を翻した解放軍の長だった。ゼルアータ国王であるヴァルターを殺すために、ここまで来た。
 だがすでに玉座には血が流れ、黒髪黒瞳のゼルアータ人とは似ても似つかない容姿の少年がかの王の亡骸を抱いている。予想外の事態に動揺するが、その視界に、人間よりも少し黒ずんだ血の流れが入る。それは王の亡骸を抱く少年の体から流れているようだった。
「君も、怪我をしているのか?」
 突然の問いかけに、少年が軽く目を瞠った。けれどすぐに微笑を浮かべて、どうでもいいことのように続ける。
「都合が良いだろう。今の俺ならきっと容易く殺せるぞ。俺だってここにいるからには、これまでゼルアータに与していたということには変わらない。さぁ、虐げられしザリュークの民よ、王のものである俺を殺して復讐を果たせ」
 少年の言葉に、彼は顔をしかめた。
「生憎だが、手負いの子どもを甚振る趣味はない」
 怪訝な表情をした少年へと歩み寄る。屍を抱いた彼へ近づくとその腕の中から、ゼルアータ国王を引き剥がした。
「何するんだ!」
 悲鳴のような声で少年が叫ぶ。王の亡骸と引き離される一瞬、彼の顔が泣きそうに歪んだのを彼は見た。けれど、状況は切羽詰っている。
「この城には火をかけている。このままでは、君も死ぬぞ!」
 彼は強い声音で少年を律し、悔しそうな、悲しそうな光が深紅の瞳に浮かぶのを見守った。少年の素性はまだわからない。しかし何故か、彼の事はここで殺してはいけないような気がした。
 細い体を抱き上げる。口調から窺える気の強さで抵抗されると覚悟したのだが、呆気ないほど大人しく少年は彼の腕に収まった。
「とにかく、一度城の外に出るぞ、君についてどうするかは、それから決めるから――おい、おい、どうした?」
反応がないことを訝り腕に抱きこんだその姿をよく見てみれば、少年の傷はよくこれで生きていられるものだと感心するほど深かった。どろり、と少年を抱えあげる彼の身体にもその血が流れてきた。震える白い瞼が閉じられる。
「おい、しっかりしろ! 死ぬな!」
 彼は少年を抱き抱え、燃え落ちる城から脱出するために廊下を駆け出した。

 ◆◆◆◆◆

「また厄介なものを連れてきましたね」
 従者の青年は呆れたようにそう言った。彼の視線は天幕の奥に設えさせた簡易な寝台の上の麗人を見て、次に主君である男に移る。
「いや、まあ……俺が悪かったよ、ソード」
「そうですね。反省してください、ロゼッテ様」
 彼らは解放軍の人間だった。ザリューク人のロゼッテと、その従者であるルミエスタ人とのハーフのソード。年齢は共に二十代の半ばと言ったところで、知り合ったのはロゼッテが解放軍を形成する前だ。
 そして主従は首を伸ばして、寝台の上の眠り姫の様子を見遣る。ロゼッテがゼルアータ王城から連れ出してきた少年は、あれ以来半日も目覚めない。
 ソードが少年の傷を手当し、体を清めた。ロゼッテはまだ解放軍の面々を指揮しなければならないというので、それらの一切を彼に任せてようやく戻って来たところだった。少年の様子はどうだ、とロゼッテが尋ねたところで、帰ってきた従者の台詞が冒頭のものだったのだ。
「本当に、厄介なものを拾ってきてしまったものですね」
「ソード?」
 繰り返すソードの言葉にはどこか含みがある。彼に世話を任せきりにしたことを怒っているのかとロゼッテはまず思ったのだが、ソードはそういう性格でもない。この態度を見ているとどうやらそれだけではないらしい。何事にもよく気の着く優秀な従者は、眠り続ける少年の白銀の髪を指でそっとはらった。ちょうど髪に隠れていた耳が露になる。
「尖った、耳?」
「彼は人間ではありません。その上」
ソードはロゼッテの手をとり、少年の胸の上に置かせた。普通なら心臓の鼓動が聞こえてくるそこに感じる振動はやけに弱く、おまけに人間とは思えないほど体温が低い。
「魔族……吸血鬼なんです。それに、彼の傷は人間なら致命傷に達していました」
「何っ? それじゃあ」
「ですが、この少年は生きています。生きてはいますが、ずっと目覚めません。起こす方法もわかりません。傷は常人よりも遥かに早く回復し、もう跡形もありません……ロゼッテ様、どういたしますか?」
「どういたしますか? って……」
 淡々としたソードの報告に、ロゼッテの方が困った。どうしよう。成り行きで助けた人間がまさか魔族、それも吸血鬼だったなんて予想外だ。そもそも、何故吸血鬼の少年がゼルアータ城でヴァルター王と一緒にいたのだか。
 何故、彼はかの王を殺したのか。
「……とりあえず、話を聞きたいんだ。彼は、ゼルアータ王と何かあったらしい。王を殺したと言っていた」
「っ!」
 ソードが茶色の瞳を見開く。当然だろう、ロゼッテだって実際にあの現場を見ていなければ、到底信じられはしなかった。
「……そういえば、吸血鬼の一族も十年ほど前に、ゼルアータに侵略されていたのでしたね」
 思い出したのはそれだけで、他に情報もない。とにかくひたすら、少年が目覚めるのを待つしかない。
「とりあえず休むか。ソード、ご苦労だったな」
「いいえ。では私はお茶でももらってきましょう」
 戦いは終わり、解放軍の面々はそれぞれの天幕に戻って寛いでいる。首領であるロゼッテの采配で先程まで追われていた事後処理もようやく終わり、次の戦いに備えて体を休めることになった。前線で敵と戦い城に攻め入った戦士たちが戻ると、今度はその他の雑務を担当する人々の番で、食事と戦勝の宴の準備がされていた。そこでソードは炊き出し班にお茶を受け取りに行ったのだ。
外ではそこまでしているのに、ロゼッテはまだ、ゼルアータ王が死んだ時の様子を詳しくは伝えていない。不審な顔をする幹部にこの事態をどう説明したものか。だがしかし実行者はその任を仲間から託された解放軍の首領たる自分自身ではなく、ここで眠り続ける少年なのだから説明などしようがない。むしろこちらが教えてほしいくらいだと思いながら、ここ半日は何とか誤魔化した。さてこれからどうするべきか。
悩みながら、ふと窓を閉めようとして手元が狂った。自覚はなかったが、彼も相当疲れているのだ。何せ一国を滅ぼす程にまで成長した反抗組織の首領なのだから。
 破れた布地を応急処置的に止めていた針に、指先が触れた。天幕の窓は少年を寝かせた寝台の奥にあったので、彼を跨ぐようにして体を伸ばしていたロゼッテの傷口から垂れた血が稚い表情で眠っている少年の真上へと落ちた。ちょうどそこは唇で、紅を刷くように一滴が染み渡る。これでは迂闊に拭ってやることもできない。
「あ、まずい」
 一体自分は何をやっているのかと、とりあえず傷口を押さえたロゼッテは舌打ちする。その彼の視界に、何か動くものが映った。――動くもの? だって、ここには自分と昏々と眠り続ける少年しか。
 白銀の髪が揺れて、白い瞼が開き深紅の瞳が現れる。ハッと息を飲むほど鮮やかな色彩のその瞳が、ロゼッテを射抜いた。
 少年が目を覚ましたのだ。咄嗟に言葉の出ないロゼッテに、上半身を起こした彼はぼんやりとした表情のまま言った。
「……ごちそうさま」
 待て。その挨拶は、おかしくないか?

 ◆◆◆◆◆

 世界の二つの大陸のうち、北にあるシュルト大陸はここ数十年、一つの大国が他を支配する状況であった。
 大陸のほぼ中央部に位置するゼルアータ王国は、軍事に優れた国だ。強気な外交、相手の弱味を握る術、倫理も法も無視する傲慢、暴虐の大国はいつしか、他の国が容易く手を出せないほど強大になっていた。周辺諸国や友好国であった国々は属国と化し、そうでない国は侵略されて滅ぼされる。国が消えても人は残り、そうして残された人々はことごとくゼルアータの被支配階層へと落とされた。つまりは、奴隷。
 虐げられた民たちの怨嗟の声が、ここにきてようやく噴出する。暴虐の性質へと変化し始めたゼルアータの最初の標的として自国を奪われ、何十年も忍従を強いられたザリューク人から、反乱軍が蜂起したのだ。ここまでならこれまでにも何度だってあったことではあるが、今度のそれはゼルアータの手にも負えない勢力となった。
 彼らは無為に反抗を繰り返すのではなく、周到にゼルアータ王国を足元から崩していった。弱肉強食で差別意識が強く、支配国の民を人間とも思わないゼルアータのやり方に不満を持つ人間は大勢いる。自国を取り戻すよりゼルアータへの復讐を掲げたザリューク人たちの反乱は、項垂れて支配と搾取に耐えるだけだった別の地域の虐げられし民たちの憎悪をも煽った。還る場所を持たない人々の戦いは、常に背水の陣であるからか、持てる以上の力を発揮した。
 いつしか反乱軍は、解放軍と名を変えてゼルアータと対等に渡り合うほど強大な勢力となった。
 そうしてついに、ゼルアータの王城を、王を、陥落するまでになった。
 ここまで解放軍を率いてきたロゼッテは、心の半分で息をつき、もう半分で気を引き締める。疲れた、と体が叫び、まだだ、まだ終わらないと理性が繰り返している。
 天幕の中、ちょうど三杯のお茶を粗末な盆に乗せて戻って来たソードを交え、目覚めた吸血鬼の少年を問い詰める。
「俺はロゼッテ=エヴェルシード。君は一体何者だ?」
 まずは礼儀としてこちらから名乗る。血まみれの女装束から着替えた少年は、それでもやはり整った顔立ちをしていた。そして炎に包まれた城から助け出された今、どうなるかと一瞬身構えたロゼッテたちに対し、向けられる敵意のようなものもない。ゼルアータ陣営の人間ならば解放軍であるロゼッテたちに敵意を持つのは当然のことであるが、彼は違うのだろうか。それを知るためにも、少年と真っ向から話す必要があった。
「シェスラート=ローゼンティア」
 素直に名乗られたその名に覚えはなかった。ロゼッテは吸血鬼族の特徴について思い出そうとしたが、なかなか情報が出てこない。主の様子を見かねたソードが助け舟を出す。
「私たちは君が何故ヴァルター王と共にいたのか全く分からない上に、君が吸血鬼族であるということ以上の情報を持っていない。よければ、君があの場所にいたわけと、吸血鬼族に何があったか教えてくれないか?」
 一度瞳を揺らした少年――シェスラートはその言葉に、ぽつぽつとこれまでのことを語り始めた。曰く、吸血鬼族はやはりゼルアータの支配下に組み込まれていたらしい。
「魔族なのにか?」
「……弱味を握られたんだよ。ゼルアータは、大人が出かけている隙に村の、まだ弱い子どもたちを人質にとった」
この大陸には魔族も人間も両方が住んでいる。魔族とは、人外の力を持ちながらも極めて人間に近い姿をし、人間と意思疎通の可能な種族を指す。こうしてシェスラートを見ていても、尖った耳以外に魔族だとわかるような特徴があるわけでもない。
 それでも魔族は魔族だった。致命傷を負っても死なず、その怪我がたった半日で癒えるなど人間にはありえない。
 そして死から甦ることも。
 身体能力も人間とは段違いの強靭さを誇るはずだった。性格はどちらかと言えば温厚なほうだが、戦闘能力は人間とは比べものにならないと聞く。それなのに人間の国であるゼルアータに負けたのだろうか。もちろん、ゼルアータの大軍と数が少ない吸血鬼族を同じように考えてはいけないというのもわかるのだが。
「吸血鬼は生命力の基となる血を他の生き物から奪って生きる魔族だ。だから、他の種族より再生力が強い……だけど、完全に何しても死なないわけじゃないからな」
 語るシェスラートの瞳には、指摘することを躊躇われるような悲痛な翳りが落ちている。
「そうか。それで」
「人質として、俺はヴァルター王に差し出された。俺の家であるローゼンティアは族長の家系だけど、時期族長である兄を渡すわけにもいかなかったからな。それにヴァルター王から直々にお前がいいと指名された」
 一応寝台から降り、渡された飲み物に口をつけながらシェスラートはそう言った。ロゼッテは首を傾げるが、ソードは簡単にその意味を汲み取った。
「たしかゼルアータ王ヴァルターには、歓迎できない趣味がありましたね」
「……」
「ああ。その通り。俺は、王の玩具だ」
「玩具?」
 とは、どういう意味なのか? 出会った時、女物の衣装を身に纏っていた人形のようなシェスラートを思い出す。シェスラート自身は皮肉っぽく笑んで平然と告げたが、それを思えばきっと良いことではないはずだ。
「そんな嫌な顔するなよ。傷つくぞ、俺」
「え?」
 唇を尖らせて拗ねたようにシェスラートはロゼッテを見る。彼はロゼッテの表情の意味を、王の稚児扱いとなっていたシェスラートへの嫌悪ととったのか。
「ああ、いや、違うんだ。そうじゃなくて。ヴァルター王についてちょっと」
「……まあ、いいけど。それより、俺はこれからどうすればいい?」
 あまり話題にしたくないのだろう話をあっさりと流して、シェスラートは現実的な問題へと移った。
「待ってください。ロゼッテ様、外の連中から情報を聞いてきます」
「ああ、頼んだぞ」
 これまでもゼルアータの属国と化した国々の人間と衝突した事のある解放軍だが、今回はそれよりもさらに事情が複雑だった。
「シェスラート……君は、どうして王を殺したんだ?」
「……向こうが俺を殺そうとしたからだ」
「では、何故王を殺した後、自らも死ぬ気でいた?」
 炎に包まれた王城で、しかし彼は動こうとはしていなかった。あの傷では逃げられなかっただろう可能性もあるが、それにしては綺麗な諦めで王の身体を抱きしめていた彼には、未来への渇望が見られなかった。
 部屋に足を踏み入れた時の、あの光景はまるで絵画のようにロゼッテの脳裏にやきついている。
 肌も髪も白いのに、その瞳だけが深紅の強い印象を与えるシェスラート。人形のように美しい少女姿の少年が、同じく整った顔立ちの、もはや動かない男を抱きかかえている。鮮やかなまでの紅は花のように二人の身と周囲の床を染めて。……シェスラートの腕に抱かれたヴァルター王の亡骸は、不思議と穏やかな表情をしていた。
 シェスラートが押し黙る。深紅の瞳は、ロゼッテを睨み付けるでもなくただ射抜いた。
「……あんたには、関係ない」
 突き放すような言葉に、ロゼッテは何故か胸に痛みを覚える。自分は確かにこの少年の命を救ったはずなのに、それに対して感謝されている様子が見受けられないことが原因だと考えた。シェスラートが何を考えているのかわからない。そんな当たり前のことが、酷く堪える自分にこそ驚いた。
 会話もないまま座り込んでいると、すぐにソードが戻って来た。
「早かったな」
「レシスにちょうどよく会えまして。吸血鬼族に関する情報を聞いてきました。大陸東部、コキュトス地区に住んでいるのでしょう。あの辺りは今ならゼルアータ派民族も少ないし、その隣のヴィナンシアを我々は目指しますから、ついでに寄ることができそうです」
「じゃあ」
 吸血鬼の一族は数が少ない魔族であるだけに、その対応は慎重であることを求められる。シェスラートの外見はどう見ても子どもであり、しかも族長の息子だという。さすがにそんな彼を、命は助けてやったのだからいいだろうとここで放り出すわけにもいかない。実際は革命以外のことに割く時間など欠片もないほど忙しいロゼッテたちだったが、これは必要なことだと判断された。
「ああ、村に帰れるぞ、シェスラート」
 その言葉を聞いて、ようやくシェスラートが明るい表情を浮かべた。