神聖なる悲劇 01

007

 シェスラートはサライと共に歩いていた。何をするでもなく、てくてくと。
「ええと、案内すると言っても、どこに案内すれば……どこに何があって、誰が炊事の担当者とか、この人に言えばこれをやってくれるとかそういう一通りの説明は聞いたよな? たぶん巫女姫なら誰に何を言ったって優先して誰も彼もがやってくれるだろうから心配いらないと思うけど、一応まだ聞きたいこととか、さっきの説明で覚え切れなかったからまた聞きなおしたいところかあったら、教えるよ? 俺も一度じゃとても覚えられなかったし。俺たちの方は目立つ見た目してるから相手はすぐにわかるっていうのに、不公平だよな?」
 解放軍はそれなりに他国の民を吸収して大きくなったとはいえ、やはり母体であるザリューク人の姿が多い。蒼い髪に橙色の瞳の彼らに比べて、吸血鬼族で白銀の髪に紅い瞳のシェスラートや、ウィスタリア人の銀髪に薄紫の瞳というサライは目立つのだ。そんなシェスラートの言葉に、サライが笑った。
「お気遣いありがとう。どうか、サライと呼んでください。吸血鬼さん」
「じゃあ、俺はシェスラート。ええと、こういう場合、巫女姫に対しても敬語とか使わなきゃ駄目? ロゼに関しても今まで王族だとかそういうの知らなくて、普通に接してきちゃったんだけど。でもあっちは別にいいかなぁ」
 首を傾げるシェスラートの言葉に、サライは白い指を口元に当てて、ますます嬉しそうにした。兵士たちの集う天幕と天幕の間を歩きながら、軽やかな笑い声が振り撒かれる。
「あ、巫女姫さまだー!」
「巫女さまだぞ! オイ、見ろよ! すっげー美人!」
「巫女様―! 俺たちにどうか、神のご加護をっ!」
 戦闘に直接参加する兵士たちはもちろん、炊き出し班に所属する女子どもたちからもサライは人気が高い。巫女とはこれほどまでに人心を集め左右するものなのかと知って、シェスラートは感心する。一通り集まってきた人々に手を振り、自らの仕事に戻る彼らから離れて人の少ない場所、荷物置き場と化している大天幕の一つの裏手に来たサライは話の続きを笑顔で切り出す。
「あたしに対しては、敬語なんかいらないわよ」
「そう言ってもらえると助かる。どうもあれはむず痒い」
「嘘おっしゃい。本当は慣れているくせに」
 何故慣れているのかを言わないままに、サライが続けた。
「いつまで自分を隠し続けるの? そんなことで人生本当に楽しい?」
「きっついこと言うなぁ……」
 相手に有無を言わせない笑顔を浮かべるのがサライならば、シェスラートは相手に感情を読み取らせない微苦笑を浮かべるばかりだ。今現在の時点でそれに誤魔化されているのは主にロゼッテで、サライには最初から全て見抜かれていることもわかっていた。
「一つだけ忠告しておこうと思って。その巫女の証である衣装、脱がない方がいいよ」
「洗濯もさせてくれないわけ? 着替えの一枚くらい頂戴よ」
「そうじゃなくて。……ここって解放軍だ奴隷救済だのなんだかんだ言いながら、結局は男所帯だからさ。妙な気起こす奴がいるとも限らないし、その《権威》の象徴である衣は、少しでも抑止力になるだろ? あんたが二目と見られない顔なら、こんな忠告も必要なかっただろうけど」
 解放軍入りして初日に数人がかりで無体な目に遭わされそうになった経験者は語る。シェスラートの言葉に、サライがふとその笑顔を剥がして答えた。
「大丈夫でしょ。だってそのために、あなたはこんなところにいるんでしょう? あたしが死んだら、あなたたち解放軍はとても困るのだから。あの人を不利にさせたくないために、あなたはあたしを守るのでしょう? あくまでも何でもないような振りしてこっそりと」
「……なんだ、全部バレてたのか」
「純真な少年の演技なんて今更したところで無駄だと思うわよ? ローゼンティア王」
「王?」
「一種族の長ならその称号は王で良いでしょう。吸血鬼の一族はゼルアータを憎むならず者に脅かされて、もうほとんど残っていないと聞くし」
 先程までの、一見すれば人の良い笑顔とは違い、今度はあからさまに仄暗い陰影を刻んだ笑顔をサライは作る。天幕の壁に寄りかかり、腕を組んで正面に立つシェスラートを見つめる姿は少女と言うより「女」を感じさせるものだ。彼女は確かに神秘的で高潔なのに、どこかで酷く強かで傲慢だ。
 それは確かに彼女の魅力であるのだろうけれど。
「私の身を咄嗟に心配するくらいここの現状が見えているあなたが、どうしてあんな人を庇うの? やめておきなさいよ。あんな男、あなたが命を懸けて助けてあげる価値もない。巫女であるあたしが断言するわ」
「断言しちゃうのか。実際になったことがないからなんとも言えないけど、巫女ってのは凄いらしいな。でも同じくらい大変な役目でもあるって聞いた。なんでも見えてわかって、でも運命は変えられないんだって? それとも変えないだけなのか?」
「さぁ。それはご想像にお任せするわ。それより……」
 サライは薄紫の瞳を獲物を狙う猫のように細める。シェスラートは常と変わらない飄々とした態度でそれを受けとめる。攻防は静かに始まった。
「あなたにあたしのことを教えたのは、ヴァルター王? ねぇ、王の愛人様」
 侮辱ともとれる……否、侮辱にしかとれない発言を、シェスラートは平然と受け取り頷いた。
「うん、その通り。ロゼに対してもそうだったみたいだけど、やっぱりなんでもわかるのか?」
「この世の全て、とはさすがにいかないわ。でもあなたもさっきの人たちも、この世界のこれからの未来に深く関わるんだもの。見えちゃうのは仕方がないじゃない。……ヴァルター王も」
 そこでサライは、故人を懐かしむ表情を浮かべた。暴虐の大国ゼルアータ国王ヴァルター、他の人間は決して彼のことについて、こんな態度で言葉を紡ごうとはしない。ゼルアータ国王ヴァルター、彼は世界において、今もかの国に追従する幾つかの国々を除けば間違いなく罪人であった。
 しかしサライはそうは思っていない口調で、続けた。
「ヴァルター王も世界に関わり続けて影響を与えて、そうして死んでいった人の一人だったわ」
 サライの言葉を聞く傍ら、シェスラートは周囲の気配に気を配り視線を油断なく滑らせた。人の来ない場所を選んだだけあって誰かが聞き耳を立てている様子はないが、それでもこの会話は余人に聞かれると困るものだろう。
 空に黄昏が満ち始める、一日の終わりが始まる。流れた血は血に染みこむだけで空へ還ることなどないのに、どうしてあんなにも紅いのだろう。まるでザリューク人たちの瞳のように。鮮やかな茜色。あるいは吸血鬼の瞳のように真っ赤な時もある。
 解放軍の人々はそろそろ夕食をとって、早めに寝に入る。基本的に貧しい民で構成されている面々は、油を浪費するような事態は歓迎しない。宮廷貴族のように夜通し火を灯して騒ぐなんてことはないのだ。戦に勝った暁には戦闘員を労ってこれからの士気を高めるため勝利の宴を開くこともあるが、今回はせっかくこうして巫女姫サライを迎えるのにいきなり酔った男どもの醜態を見せ付けるのもなんだろうと、ロゼッテが取りやめにしたのだ。おかげで兵士の一部からは落胆の声も聞こえるが、疲れきった身体を休めるために早く夕食を取って寝床に入ることを望んでいる者が多いのも事実で。その夕食が始まると大鍋が大活躍する炊き出し現場に人が集まるからこの辺り一帯から人が消えるのも事実で。
 紅い血を流し込んだようなこの空の下、天幕の作る影の中、この話は誰に聞かれる心配もない。
「ヴァルター王は残酷だったけれど、一方でとても公平だったわ」
「そうだね」
「彼を殺したとき、辛かった? 王の愛人さん」
「……もう、わからない。あの時はとにかく必死で……何も考えられなくて」
 だけど、動く気がしなかった。
 暴虐の大国の主君たる、暴虐の王ヴァルター。どうしようもなく残酷な人間だったと知っている彼の亡骸を、それでもそのまま抱いて自分からは離れる気がしなかった。
「あの人を愛していた?」
 サライの率直な言葉に、シェスラートは首を緩やかに横に振る。否定の仕草。けれど回答はどちらでもない。
「わからないんだ。もう、何もかも。あの日の炎に飲まれてしまって。自分の心の一部も確かに彼の元に置いてきた。今ここにいる自分が地に足がついていないような心地がすると言えばそうだし、せっかくだから全て忘れた振りをして隠し通して新しい人生を始めてしまおうかと思う自分がいるのも確かで」
「いっそヴァルター王が最悪の愚か者だったら良かったのにね。そうではなかった。ただ残酷なだけの人ではなかった。だからあなたは辛いのでしょう?」
 ロゼッテたち解放軍は、まだ知らないことがある。
「あの人は……ある意味では、可哀想な人だったんだよ」
 シェスラートはそれを知っていた。サライもそれを知っている。哀しげなのにどこか晴れ晴れとした、雨上がりの空のような表情で、サライが「彼」を語り出す。
「六年前、あたしはあの人の手によってあの塔に幽閉された。その前に、少しだけ話をしたの」
「なんて?」
 サライはそっと目を伏せる。光を弾く銀の睫毛がそっと降りてその目元に影を作った。
「生きたいか、死にたいか。お前に選ばせてやる、と」
「……それで、どうしたんだ」
「あたしはそれに答えなかった。『あなたは他の人と違うのね』そう言って笑って見せた。作り笑顔はもう癖なの。神殿にはお貴族様たちがよく訪れるからね。あたしのご機嫌取りをしたところで予言が覆るわけでもないのにまあ暇なこと。あそこに入れられて真っ先に覚えこまされたのはまず行儀作法だったわ。神の声を聞くのに技能は要らない。資格も何なのかわからない。でも答えられるのがあたししかいないからね」
「……巫女の神託はそこに偽造や捏造、改竄が入らないように、巫女自身しか知るものはいない。問われたことに、巫女は直接答える。だから人前に出る事が多くなるってわけか」
「そういうこと。だからいつの間にか、こんな風になっちゃった」
 そう言って苦笑するサライだが、その笑顔に暗い影はない。ただ、疲れたような諦めが根底に坐するのだろうことだけがシェスラートにも見えた。
「とは言っても、いつも依頼者の運命が見えるわけではないわ。神が伝えて来られるのは、本当に世界を左右する、大きな国の支配者とか、今回なら革命に関わっているあんたたちとか、そういう人の命運だけ。あたしにはその頃、世界を牛耳るゼルアータ王国のヴァルター王の運命が見えていた」
「それって……」
「ええ。いずれ彼は自らの乱行の報いを受ける、虐げられた無辜の民たちの怨嗟の声に飲み込まれ朽ちるでしょう。……解放軍が決起し、ゼルアータ打倒を目指す切っ掛けともなった、あたしの六年前の予言ね。あの頃はゼルアータから何人もの大臣やら軍事参謀やらが訪れて五月蝿かったわよ? 皆してあたしの予言を何とか変えさせようと必死だったわ。それをしなかったのは、予言で命運を告げられた当の本人、ヴァルター王だけ」
「……ねぇ、あの塔に君が閉じ込められていたわけって」
 まさかそれは予言の内容を受けたゼルアータの重鎮たちに、そのことでサライがこれ以上害されないようにとの配慮だったのか? シェスラートの心にそんな疑問が浮かんだ。どちらだろう。気紛れか確信か心配りか愉快犯か。どれだろう。わからない。思えばそれを掴ませないのが、ゼルアータ王ヴァルターという男であった。
「……あたしには、ゼルアータが破滅するのと同時に、ヴァルター王の最期も神託で知る事ができたわ」
 シェスラートの推測の答は与えずに、サライは言葉を切り、ただ微笑みを浮かべてこちらを見ている。その可憐な唇から語るに相応しくない凄惨な内容を、驚くほど凪いだ表情で告げる。
「彼の隣にあなたが見えていたわ……血まみれのあの人を抱きしめる、血まみれのあなたの姿が。燃える炎に包まれた城だった。そう遠くない未来、いつかそれが現実になることをあたしはその時初めて実感した」
 それは恐らく、シェスラートがヴァルター王に与えた、彼の最期。
 一つの世界が崩壊する瞬間だった。
 サライはほっそりとした、美しい指先をシェスラートの方へと伸ばした。中身はどうであれ外見は華奢で儚げな容貌の美少女だ。容姿だけで判断するならばシェスラートの方も十代半ばの華奢な少女じみた容貌をしているが、その手は剣を握ることに慣れた、彼女よりも一回り大きな男の手だった。それを、サライは愛おしそうに握りしめる。
「ずっと会いたかったのよ。シェスラート=ローゼンティア」
「六年前なら、俺はもうヴァルター王と会っていたな。もしかして、何か聞いたのか?」
「ええ。経緯はとりあえずおいておいてあたしを塔に閉じ込めることになった時、あの人に聞かれたの。『これからお前の世界となるこの場所に、何か持っていきたいものはあるか? なんでも与えてやるぞ』ってね」
「……なんて答えたんだ?」
「じゃあ身体が鈍らないように身体鍛える道具一式! ついでに最低限の衣食住は保証してよね。おかずは一日一品でいいから! って言ってみたら大爆笑されたわ」
「そ、それは……」
「お前は、どこかの誰かと同じことを言うんだな、と言われたわ。それって、あなたでしょ?」
「いや、俺は一応吸血鬼族の中では戦士にあたるから身体が衰えないようにするのは最低条件だったからなんだけど……」
 懐かしい。十年も前の話を今、こんな場所でこんなにも鮮やかに持ちだせる日が来るなどシェスラートは思ってもいなかった。
「もう一度だけ聞くわ。シェスラート。……あの人を、愛していた?」
 再びの問に、シェスラートは小さく首肯して見せた。紅い瞳にじんわりと、透明な滴が盛り上がってくる。
「好き、だったよ……好きだった」
「……ねぇ、聞かせて。あなたたちは、どんな風に出会ったの?」
「……見られてしまったんだ。俺が吸血鬼として人間を殺して血を飲むところを」
 満月が眩しかった。だから、漆黒の惨状が人の眼にもよく見えたことだろう。
 吸血鬼族は人間や他の生き物の血を飲んで生きる魔族だが、普段はその本性を極力隠している。当然だろう。自らを捕食する生物相手に悠長に接することができる者はいない。剣を握った殺人鬼の眼前で無防備に寝顔を見せる人間はいない。普段は吸血鬼たちが様々な方法で必死に押し隠しているその場面を、見られたらもう人間と魔族は共存などできない。どちらかが滅びねば終わらない。食われるものと食うものが友好関係を結ぶなどありえない。
 禁じられた行為に走った己の姿を見られて慄くシェスラートの怯えになどいっこうに構わず、彼は――ヴァルターは近づいてきた。大国の王のくせに護衛も付けずに一人で、すでに他国を侵略して属国と化し支配し、横暴な要求を突きつけては民を疲弊させる暴虐の王と呼ばれた男は言った。
――何があった?
 事態を面白がる笑みを浮かべて、藍色の夜空に月を背負って立つその姿は自分よりも余程魔物めいていた。
「事情を話したら、正当防衛だな、って笑ってた。でもこの光景を見たらどうせお前の方が悪者にされるんだろうな、って余計楽しそうな顔してた。何を考えているのか全然わからなくて、そのまま連れて行かれて無理矢理着飾らされて遊ばれて。ようやく終わった頃にはもう夜が明けてた。帰ろうとしたら、日光の中を歩くなんてよっぽど丈夫なんだなって、笑ってた。吸血鬼のことそんなに多く知っているわけでもなかったくせに、それなのに人間を殺した俺に怯えなかった」
 吸血鬼族は、魔族である。人間に近い姿形と、人間とは違う身体能力や生活習慣を持つ。けれど中には誤解も多くあり、吸血鬼族が日光の中を全く歩けないと言うのは誤解だ。確かに白い肌と白い髪に紅い瞳と、色素の薄い吸血鬼族は強い陽光を浴び続けることができないが。
「……魔族に対する迫害の歴史は、長いわ」
「ああ。だからこそ、俺を恐れるでもないヴァルター王の態度が不思議だったよ」
「……ねぇ、あなた、歳幾つ?」
「俺? 俺は今年で二十八歳」
「……ヴァルター王と同い年、あの解放軍首領より年上なのね」
「……秘密だぞ」
「言わないわよ。あなたが言わない限り」
 唇に指を当てて見据えるシェスラートに、サライは軽く肩を竦めることで返した。
 吸血鬼族の寿命は長い。シェスラートの外見はサライと同じような年頃、つまりは十代半ばの少年に見えるというのに、実際はロゼッテやソードたちよりも年上だった。そして後十年ほどはこのままの姿で変わらないだろう。
 そんな事情や体質的なものもあって、吸血鬼や人狼族といった魔族は、表面上はこの世界この大陸を人間たちと共存しながら、深い確執がいつの時代にもあった。
「……ヴァルター王は、やっていることは確かに酷かったけれど、でも俺みたいな吸血鬼を偏見の目で見なかった」
 誰にその行状を評価させても酷い男だとしか返ってこないその青年は、けれど妙なところでシェスラートにとって眩しく見えた。
「……俺には、吸血鬼や人狼みたいな魔族よりもよっぽど、人間の方が化物に見える時があるよ」
 山賊に襲われていたから助けに入ったというのに、シェスラートが吸血鬼であると知れた瞬間襲い掛かってきた、あの時殺した旅の親子のように。
「俺にとっては、ヴァルター王だけが唯一人間だった」
「だからゼルアータに与したの?」
「……ゼルアータなんか知らない。俺が用があったのはヴァルターだけ」
「同じことなのよ、その二つは」
「……」
「ああ、だから……その時のツケを、今のあなたは必死になって支払っているのね」
 困った子どもを見るような目で、サライが作り笑いではない笑顔を浮かべる、けれどそれは華やかなものではなくて、苦笑という言葉がぴったりくるような表情ではあったが。
 夕暮れの風が天幕の間、その隙間に立つ二人の間をも吹き抜けていった。サライはその腰まである銀髪を、フィリシアのように結うでもなく垂らしていて、だから風にその髪を遊ばせる様子がとても綺麗だとシェスラートは思った。
 ああ、彼女も人間だ。
「ゼルアータはこの革命……解放軍との戦いに敗北して世界から葬られるわ。そして、あたらしい時代を解放軍は切り開く」
「それは神の託宣?」
「ええ。そうよ。でも、これ以上は……まだ、言えない」
 真っ直ぐにシェスラートを見据え、サライは珊瑚の唇を引き結んだ。儚げな容姿は、けれど彼女と言う人格を得て、大輪の花のように鮮やかに華やかに咲き綻ぶ。
「その言えないっていうのは、知らないから言えないのか? それとも、全てを知っているから言えないのか? 予言の巫女姫、神託を司る者、サライ」
 夕食の時間の終わりを告げる声がそこかしこで聞こえてきて、そろそろ人が戻り始めた天幕のざわめきが伝わってくる。
「なあ……聞かせてくれ。人より見えすぎる人間というのは……人より、不幸なものなのか?」
 そして全てから目を逸らし続けることの方が、人は幸せなのだろうか。
 答えずにサライは微笑んだ。
 その微笑みは、亡き人に似ていると、シェスラートは自らも白銀の髪を風に流しながら感じた。