神聖なる悲劇 02

009

「お前たちもいつか同じ道を辿る」
「……なんだと」
「我々がそれを証明する。我々も始まりはお前たちと同じだった。ヴァルター陛下も」
 後手に縛られて、ロゼッテの前に跪かされた老人が語る。その身は全身傷だらけであったが、黒い目の光は、見る者がハッと驚く程に強い。
 解放軍はまた一つ、旧ゼルアータ勢力の砦の一つを落とした。その場所に詰めていたのはゼルアータの最盛期に王国の貴族としてそして武人として活躍した勇将の一人だった。今は年老いて肉体は衰え、皺の刻まれた顔には深い懊悩とそれに反する晴れ晴れとした安らかさが漂う。
 灰色の石が敷き詰められた砦の中は、戦闘によって流された血で無惨に赤く染め上げられていた。
 ゼルアータにこれまで味方していた者は、例外なく全てが敵。炊事担当の女たちも兵士と彼女たちの子どもらも、解放軍に歯向かう者は皆、殺していった。どんなに幼い子どもでも、生きて復讐に走られては面倒だからだ。ただのゼルアータ国民ならばまだしも、こうして砦に務めて戦いに参加した人々に温情など与えるほど彼らも温くはない。
 道を歩く何でもない人々からの略奪や追いはぎは禁じても、こうした軍事的拠点での勝利の暁に金目の物を奪うのは収入のない解放軍にとっては当然の褒章だった。
 生き残った、さしたる抵抗もしなかったという理由で生かされたゼルアータと同盟国の人々は、その光景を見開き慄く瞳に涙と共に映している。これまで属国の民を奴隷扱いにして生きてきたゼルアータの民たち。それに何の疑いも持たず生きてきた彼らが、今度は解放軍に与した人種や国々の奴隷となる番だった。
 戦闘に参加しない無抵抗の民はそれでいいとしても、解放軍相手に度重なる戦を繰り広げた将軍がそうは行かない。
 砦の主だった役職についていた者は皆、ここで捕虜とされている。武器を取り上げられて縄につき、首領ロゼッテの一言でその命が終わる瞬間を忌々しげに待っている。
「反乱軍よ。お前らに、未来などない。自分たちの行動の全てが正しいなどと勘違いに酔って、破滅の道行きを辿るがいい!」
「なんだと!」
 老将に殴りかかろうとした若い男の一人を、ソードが止める。ロゼッテも彼の視界から老将を隠すようにして、その行動を制した。
「将軍、我らは自分たちの行動全てを正しいなどと思ってはいない。我々はただ、幸せな世界が欲しいだけだ」
「では幸せな世界とは何だ? お前たちが優遇される世界か? ワシが死に、ヴァルター陛下も死んだ世界のことだろう? 我等のやり方と、どこが違う!」
「……あなたとは、どうやらこれ以上話しても無駄なようだ」
「そのようだな。さぁ、早く殺すがいい! どうせお前らも、後からこちらに来る羽目になるのだからな! 我等の落ちるのと同じ、地獄に!」
 老将軍は、高らかな笑い声をあげる。その笑声が響く内に、ロゼッテはそっと、脇に仕える従者の名を呼んだ。
「……ソード」
「はい、ロゼッテ様」
 介錯を、と血糊のついていない新しい剣をソードは彼の主であるロゼッテに差し出す。自身は別の男の背後に回り、首元に剣を突きつけた。
「ハハハハハハハ! 覚えておけよ、若僧ども! 貴様らがどうあがいたところで、この世界が変わりはせぬ! 滅ぼすだけならできるだろうがな! そしてお前らも、自らで自らを滅ぼすがいい!」
 老将の言葉が終わらぬうちに、ロゼッテはその首に刃を押し当てていた。力を込めた両腕が肉と骨の断たれる感触を伝え、斬りおとされた首が宙を舞って石の床に重たく落ちる。一拍遅れて頭を失った首から噴出した鮮血に、殺された将軍の隣に座っていた男がヒッと低く呻く。
 いくら次は己の番だと覚悟を決めようとも、その身体に着込んだ鎧の継ぎ目から入り込む返り血の生温かい感触に、男の矜持はあっさりと折れた。身を投げ出して解放軍に縋り、命乞いをする。
「い、いやだぁああああ! 死にたくない! 死にたくない! 助けてくれよ! 俺たちゼルアータの民は国王陛下に言われてあんたらザリューク人を奴隷にしていただけなんだ! あの人さえ何もしなければあんたたちと戦ったりしなかった!」
「今更何の言い逃れだ! そんな言葉で、貴様等が虐げてきた人々の恨みが晴らせると思うのか!?」
「頼む! 殺さないでくれ――――ッ!!」
 絶叫が耳障りな断末魔へと変わり、隣に倒れこんだ胴体だけの骸と同じようにその男も生を終える。その隣の男も、その隣の男も、その隣の男も、ソードが逆側から斬り殺していった者たちも、皆ロゼッテたちの手にかかり死んでいった。命乞いをする者、最期だからと遺族への遺言を頼もうとする者、解放軍への恨みつらみを叫んで殺された者、殺される瞬間にゼルアータとヴァルター王の栄光を讃えた者。様々な人間がいた。
「……他に、ここで殺しておかねばならぬような人物はいるか?」
「いいえ。この砦を預かっていた責任者たちは、これで全てのようです」
 辺りは静まり返り、生臭い血液の匂いが立ち込める。戦っている最中はなりふり構わず目にも入っていなかった死体の数々が、今更視界を埋め尽くす。戦闘の興奮を砦責任者たちの処刑という儀式で冷ますと、後に残されたのはただの殺戮現場だった。
 血と臓物の匂いで部屋は溢れかえっている。灰色だった石の壁は真っ赤で、見る影もない。
 首を斬りおとして砦の重要な役職についていた責任者たちを殺したロゼッテとソードの格好も酷い。二人とも酷く返り血に濡れて真っ赤だ。ロゼッテの蒼い髪はどす黒く染まり、頬にも紅い花が咲いている。ソードは目に入ってしまった血を、手の甲で拭っていた。
「……シェスラートたちのところへ戻ろうか」
「はい」
 ロゼッテは解放軍の首魁として勿論先陣切って飛び出す役目があるが、シェスラートも今では充分立派な戦力として数えられている。むしろ立派過ぎて、一つの部隊を任されれば一つの砦を落せると言われるぐらいだ。戦闘力はもちろん、軍才にも彼は優れているらしい。
「あっちは今どうなったところだろうな」
 解放軍の規模はゼルアータ王城に攻め込み国王を討伐した後にもまだまだ規模を増し、それだけで国の一つや二つ建国できそうな人数となっている。今では将同士で連絡を取り合い、二手に分かれて目標を攻め込むなどの作戦も容易い。
 血塗れた廊下を歩きながら、ロゼッテとソードは言葉を交わす。鉛のように重い身体を引きずりながら、それでもシェスラートの実力を知っている彼らに不安などなかった。せいぜいそろそろ戦いも終わっただろうな、と検討をつけているくらいで。
 その期待は、全く予想外の方向に裏切られた。
「和睦!? ゼルアータの将軍とか!?」
 戻って来たシェスラートの部下と仲間の報告に、ロゼッテは自らの天幕内で驚きの声をあげた。これまでの解放軍の戦いの中で、相手と和睦を試みた人間はいないし、応じた人間もいない。何しろ相手はゼルアータだ。ザリュークを始めとする数々の国を侵略し踏み荒らし、その民を奴隷として搾取してきた暴虐の大国だ。そんな相手と和睦など、できるできない、やるやらないの前に考えもしなかった。
「そうです。和睦です。停戦です。何か、相手の将軍、やけにお綺麗な顔立ちの若い男だったんすけどシェスラート隊長の知り合いだったみたいで、言葉を交わしているうちに俺たちにも何がなんだかわからない内に和解っていう流れになって……」
 報告役の若い兵士を下がらせ、もっと詳しい話を、解放軍として蜂起した頃からの古株の仲間に聞く。彼はシェスラートと一緒にサライを救出する作戦にも赴いていた、シェスラートの仲間だ。
「なぁ、ロゼッテ。あいつ……シェスラートって本当に何者だ?」
「何者とは?」
「なんか俺たちは見てても良くわからなかったけど、相手の男が出てきたとき、すごく貴族っぽい挨拶っていうか、お行儀っていうのか、そういうのしてたぜ。それでいきなり相手の将軍、これ、聞いたかもしれないが若くてまた顔の綺麗なお兄ちゃんでさ、シェスラートもそうだけどよ。その男と何か小難しいやりとりをした後、最終的に和睦とかいう流れになったみたいだぜ」
「貴族みたいって……」
「相手もそれっぽい男だったからな。俺たちみてぇな下町で泥水啜って生きてきた人間にそんな高尚なやりとりなんざわかるわけねぇだろ? まあ、シェスラート自身も充分貴族っぽしなぁ」
「シェスラートが、相手を説得したのか?」
「そうそう。要はそういうことだろ」
「そう、か……」
 ロゼッテは彼に対してそんな指示を出していない。それはシェスラートがその場で彼自身で判断したこと。つまり悪く言えば、独断ということになる。もっと詳しい話を聞こうと口を開きかけたロゼッテだが、それは天幕の入り口の布が引き上げられたことによって阻まれた。しかし顔を出したのは白い頭で、ロゼッテ自身としては図らずも求めていた結果そのものが飛び込んできたことになる。
 戦いに出る前と、当然であるが服が変わっていた。説得したとはいえ、無血開城というわけにはいかなかったという。全滅するか降伏して一部の人間だけでも残すのか、そう言った上での和睦だったらしい。返り血で汚れた服をロゼッテが着替えたように、シェスラートも身を清めてきたようだ。
白い髪は血を吸うと濁った汚い色になる。それを感じさせないようにしっかりと洗われてきた白銀は濡れて、ぺたりと一部が彼の肩や頬に張り付いていた。
この報告の前にはロゼッテやソードも水を浴びて返り血を落としている。今回の戦いは頭から血を被り、いつになく派手だった。双方とも。
「シェスラート」
「ロゼ、今日のことは……」
「ああ。今軽く話を聞いたところだ」
 促してシェスラートを天幕の内側に入れ、代わりに先程まで報告に来ていた幹部の男はシェスラートに軽く手をあげて挨拶しながら出て行く。天幕の中には、解放軍の党首ロゼッテと将軍の一人であるシェスラートが残された。
「……まず、説明をしてもらおうか? 大体のことはダーフィックから聞いたが、お前の口から直接聞きたい」
「ああ」
 シェスラートは、ロゼッテと真っ直ぐ視線を向き合わせるように敷物の上に胡坐をかいて座り込む。少女然とした見かけの割に、態度はとても男らしい。けれど、すぐにその視線は足元の方へと逃げて、俯きがちに彼は説明を始めた。
「……今回のことは、俺の勝手な判断だ」
「そうだな、俺はお前に、相手と和睦しろとは命じていない」
「……駄目だったか?」
「さぁな。それは、お前の理由次第だ」
 ロゼッテの言葉に、シェスラートは端正な面差しを微かに歪めた。
「……なぁ、ロゼ」
「なんだ」
「お前は、本当に今のまま、この解放軍の状況がいいものだと思っているのか?」
「何?」
 彼ら自身が築き上げてきた成果を疑うような言葉に、ロゼッテは思わず眼差しを険しくした。一方シェスラートはロゼッテとはどこか違う方向に視線を逸らし、床の一点を見つめながらここに来るまでに考えてきたらしい言葉を述べる。
「俺は、今のこの解放軍のやり方では未来はないと思う」
「シェスラート、何を言うんだ?」
 ぎくりと、ロゼッテはその言葉に固まった。咄嗟に上ずった声があがる。
――反乱軍よ。お前らに、未来などない。自分たちの行動の全てが正しいなどと勘違いに酔って、破滅の道行きを辿るがいい!
 斬首の刃を待ちながら、その瞳に憎悪を宿して彼らに最期まで歯向かったゼルアータの将軍の言葉が脳裏に思い浮かぶ。彼の台詞は棘のように、ロゼッテの心に突き刺さっていた。
 ――お前たちもいつか同じ道を辿る。
 そんなことにはならないと、打ち消したはずの言葉が今、こうも鮮明に蘇る。それがシェスラートの口から発せられると言う事が、尚更ロゼッテにはもどかしかった。
「あんたたち、砦や要塞を落として倒した敵は全て殺しているだろう。今までは完璧にゼルアータに与した相手ばかりだったから、それでもよかったかもしれない。けれどもう……駄目なんだ、それじゃあ。無理矢理戦に動員された同盟国の中には、ゼルアータの支配から逃れたがっている者も大勢いる。あんたたちが思っているよりずっと多く。そういう人たちを解放していかなきゃ、世界を変えるために、世界の支持なんて得られない」
 シェスラートは意を決したように、その目をあげてロゼッテを見つめる。
「自分たちに従わない相手に対して、説得もせずにただ滅ぼすんじゃ、ゼルアータのやり方と同じだ」
「……黙れッ!!」
 反射的なものだった。頭で考えての行動ではなかった。
 ロゼッテはシェスラートの肩を掴むと、無理矢理その身を床に押し付けていた。シェスラートの身体は華奢だ。屈強な体つきのロゼッテに、それを組み伏せる事は容易かった。
「お前などに何がわかる!」
 吸血鬼である、お前などに!
 床に血の染みが広がった。シェスラートは肩を怪我していた。生暖かい感触と苦痛に小さく呻いた声に、ロゼッテはようやく我に帰る。
「す……すまん! シェスラート、本当に……」
 ロゼッテが手を離すと、シェスラートは傷ついたほうの肩を手で押さえながらゆっくりと身を起こした。呆然とした表情のまま、紅い唇から言葉が零れる。
「それが、本音なのか。ロゼッテ、お前の……」
 掠れた声で、喘ぐように呟く。
「シェスラート、俺は……その、俺は」
 先程の態度はまずかったのだと、ロゼッテも自分でわかっている。けれど上手い弁明も謝罪も思いつかない。意味のない単語の羅列ばかりが漏れる。
 そして飾った言い訳をロゼッテが口にできるまで、シェスラートは待ってはくれなかった。
「俺の話……一方的に聞けとは、言わない。でも少しでもあんたがそれについて、良くも悪くも何か思ったなら、考えてみてくれないか……? 相手が俺だから気に入らないっていうなら、ソードなりフィリシアなり他の幹部たちなりに相談してくれて、構わないから……」
「待ってくれシェスラート! 違う! 俺はお前が、気に入らないとか、そういうんじゃなくて!」
「……ごめん。傷口、開いちまった。一応治療したいから、また、後で」
 流血している肩を押さえたまま、シェスラートは立ち上がった。
「……ごめん、ロゼッテ」
 謝るべきはこちらの方なのに、何故か最後にそう口にしてシェスラートは天幕を後にした。
「シェスラート……」
 細いその身を追いかけることも出来ず、ロゼッテはただ自分の天幕で蹲っていた。網膜には先程の哀しげな表情のシェスラートが焼きつき、鼓膜には昼間殺した男の言葉が何度でも繰り返されて彼を責める。
 ――さぁ、早く殺すがいい! どうせお前らも、後からこちらに来る羽目になるのだからな! 我等の落ちるのと同じ、地獄に!
 いつか必ず同じ道を辿るのだと。その言葉は不吉な予言じみている。巫女姫サライでもないただの男の言葉なのに、何故こんなにも人の胸を惑わせるのか。
 そしてまた、別の誰かが頭の中で囁いた。
 ――さぁ、一緒に、地獄へと堕ちよう……。