神聖なる悲劇 02

外伝

 眼下に燃え広がるは炎。焼かれているのは、つい先ほどまで青空の下で平穏な暮らしを営んでいた村だった。今では赤き炎の照り返しに黒い灰が舞う地獄と化している。
 丘の上に立って馬上からその光景を眺めているのは、一人の若い男だった。珍しい黒髪に黒い瞳。その一族は〈黒の末裔〉と呼ばれている。
「ヴァルター様、ご命令どおり、村の反抗分子どもはすべて『焼却処分』いたしました。残った女子どもはどういたしますか?」
「そうだな。では私が行くとしようか」
 ヴァルターと呼ばれた男は身分のある者らしく、部下である男の言葉にゆっくりと馬首を巡らせた。最後に一瞥した炎の中で、燃え尽きた家屋ががらと音を立てて崩れていった。

 ◆◆◆◆◆

 神去暦一五〇〇年、世界は一つの国の行動によってその張り詰めた均衡を破られた。
 行動を起こしたのは、黒の国と呼ばれるゼルアータ王国。もとは一民族の暮らす小国であったゼルアータは、これまで他国民からの差別にあえいでいた。
 黒髪に黒い瞳を持つ魔術師の一族はこれまで嘲り蔑まれ暮らしていたが、ついにその積年の恨みを晴らす時が来たと言わんばかりに現国王ヴァルターの下、驚異的な早さで国力を増し、他国の軍勢を打ち破りその力を吸収していった。
 今ではゼルアータはかつての大国ザリュークを打ち破り、世界に二つある大陸のうちの一つ、シュルト大陸全土を支配する黒の大国とまで呼ばれるようになった。永きに渡り一方的な迫害を受け虐げられてきた民族の底力は凄まじく、諸国列強が次々に侵略され征服されていく。
 それを成した若き国王ヴァルターこそ、黒の末裔の中でも最も忌まわしい生まれとされていた。

 ◆◆◆◆◆

「この悪魔! お前など人間じゃないわ!」
 女の甲高い悲鳴が響き渡る。周囲にいた兵士たちは耳障りだというように鼓膜を押さえて顔をしかめた。
 ヴァルター王は次々と諸国の村を町を侵略していく。その手段はひたすらに暴力の一言につき、平和的に降伏を勧告することなどありえない。とにかく攻め入って主要戦力を殺して戦意を叩き潰し、生き残ったか弱い者たちに隷従を迫るその様はまるで悪鬼のようだと敵対国の人々は噂しあった。
「うちの人を返してよ! この人殺し!」
 亭主を奪われた女性たちが、つい数刻前までは平和であったはずの今は戦場と化した村で金切り声をあげる。しかしその罵詈雑言を向けられた張本人であるヴァルター自身は村の中枢で部下たちに指示を出しながら、大虐殺を実行したとは思えない涼しげな顔をしている。
ある一人の女が叫んだ声が、ヴァルターの耳に入るまでは。
「さすがは賤しい黒の末裔ね! 生き汚さに関しては母親を殺して生まれてきただけあるわ!」
 賤しいという言葉に反応しかけた黒の末裔の男たちが、女を黙らせようと振り上げた手を中途で止めて凍りつく。それまで涼しげな様子だったヴァルターが、ゆっくりと指揮官ようの椅子から立ち上がり人質として他の村人と共に縛られている女のもとへと歩み寄ってきた。
「何よ! 反論があるの!? 事実でしょう! この母親殺しの、最低の一族が!」
「貴様!」
 女の暴言にヴァルターの側近がいきり立ち腰から剣を抜こうとするが、その行動を軽く制してヴァルターはその女の前に立った。
「女よ、この私の生まれを、醜いと嘲るか」
「ええ、そうよ!」
 自らの腹部を庇いながら、女は強気にそう言った。彼女の腹はまろやかに膨らんでいてで、もうすぐに生まれる命がそこに宿っていることがわかる。
 魔力を持つ黒の末裔はもともと他の民族に忌み嫌われる異端者であったが、それだけではない。他の国の者たちが彼らを迫害する理由の一つに、今しがた女の叫んだような「母親殺し」の風習はあった。
 もっとも、黒の末裔は別に好き好んで母親を殺しているわけではない。それは彼らからして見れば、医療行為の一貫であった。
 魔力と言う本来人にはなき強大な力を操る事ができる代償か、黒の末裔は他の民族に比べ極端に体の弱い者が多かった。そのために、出産において母体ごと死亡する死産が後を絶たない。
 このままでは黒の末裔は滅亡してしまう。そこで彼らが考えたのが、死んだ母親の胎を切り裂いて、まだ生きている胎児を取り出し育てることだった。これによって母体が死んでも胎児の生き残る確率はあがったが、黒の末裔という民族は「母親殺し」と蔑まれこれまで以上に他民族から迫害されるようになる。
 黒の大国ゼルアータの現国王であるヴァルターも、そのようにして生まれた一人であった。彼自身は健康だが、母は身体が弱かった。産褥で死んだ母の胎を切り裂いて取り上げられたのがヴァルターである。
 だがそれは彼が望んだことではない。
「ひっ!」
 ヴァルターは腰に佩いた剣を引き抜く。鋭い切っ先を女のまろやかな腹部に向けると、端正な面差しを歪めてみせる、暗く澱んだ笑みを浮かべながら言った。
「私の生まれが賤しいと罵るか。だがしかし、今ここで貴様の胎を裂いて赤子を取り出せばその子どもは私と同じ立場になるな」
 その言葉に女は勿論、その周囲の捕虜たちもヴァルター自身の部下も動揺し目を瞠った。
「へ、陛下」
 主君の行動を止めようと幾人かが走るが、剣先を女に向けたまま微動だにしないヴァルターの気迫に飲まれてしまい、後一歩のところで踏み込めずたたらを踏む。
 煤に頬を汚した捕虜の女は自らの胎を強く抱きしめながら、憎悪のたけをこめて叫んだ。
「呪われるがいい! 魔の王よ!」
 地獄への道行きを辿るがいい――――
 ザン、と血の飛沫が立った。音もなく抜刀したヴァルターの剣は女の身体を一刀のもとに斬り捨てる。
 赤子を宿した胎ではなく、その背中を。
「陛下……」
 キン、と金属のぶつかりあう、場違いに澄んだ音を立ててヴァルターは剣を鞘に収める。ヴァルターは女の死体を一瞥すると、狂乱に陥る他の捕虜たちの様子も青褪めている部下たちの姿も目に入らないかのように、たった一言呟いた。
「お前などに言われずとも、私はすでに呪われている」
 この世界に生まれ出でたその時から。
「目障りだ。こんな醜いモノ、片付けておけ」
「はっ!」
 ヴァルターの言葉に周囲の男たちが動き、女の死体を回収していく。捕虜たちは目の前起こった殺人に狂ったように泣き叫んでいる。その彼らを怒鳴り、殴りつけて黙らせようとする部下の行動をヴァルターは止めなかった。
 魔力を持って生まれることも先天的に病弱であることも彼ら自身にはどうしようもないのに、それを忌まわしいと、蔑まれ虐げられてきた黒の末裔たち。命を救うための行為も、死んだ母体の胎を裂いて赤子を取り出すというその見た目の残酷さに他民族は忌避の態度を隠さない。
 ヴァルターが斬り殺した女の胎の中で、取り上げられることのない胎児は産声をあげることもなければ、悪魔と蔑まれることもなくただ死んでいく。
 人は彼を残酷だと罵るだろう。残酷だとしか言わないだろう。
「陛下、これからどのようになさいますか?」
 部下の一人が手に地図を持ち、これからの方針を尋ねた。ヴァルターはちらりと紙面に目を移し、無造作にここから一番近い村を次の侵略地として示す。
そこは吸血鬼族の住む小さな村だった。

 ◆◆◆◆◆

「俺はあんたに従う。だからもう、こんなことはやめてくれ」
 最近苛立つことの続く遠征途中、ヴァルターは訪れたその村で面白いものを見つけた。
 容姿だけを見るならば儚げな風情を漂わせるほどに美しい、吸血鬼族の少年。しかしその芯は強そうだ。苛烈な瞳がその大人しくはない性情を物語っている。
 すでに大半の国々を侵略して、これ以上全てを滅ぼす重要性は薄い。気まぐれの心が起きて彼はその少年に取引を持ちかけた。
「お前が私のものになるなら、この村を皆殺しにするのは見逃してやる」
 少年はその言葉に頷き、己がヴァルターのもとでどのような扱いを受けるか覚悟のもとで彼についてきた。残虐王ヴァルター=ゼルアータの噂は大陸中に届いている。とんだサディストであるヴァルターは、気に入った人間を嬲り殺すので有名だ。
 溜まった鬱憤の捌け口として求めた少年は吸血鬼の一族。魔族は人間と違って身体能力に優れ、何より頑丈だ。これまでの脆い人間のように、簡単には壊れないだろう。
「お前、名は?」
 気まぐれに奴隷とした少年にヴァルターは尋ねた。これから仕える王に向かって、しかしその暴虐に対する反抗の心を隠さない少年は答えた。
「シェスラート。シェスラート=ローゼンティア」

 ◆◆◆◆◆

「お前も私たち《黒の末裔》を、忌まわしいと思うか?」
 侵略戦争を終えてシェスラートを王城に連れ帰り日々を過ごしてはや数ヶ月。ヴァルターはほんの気まぐれから尋ねてみた。
 遠乗りの最中のことで、周囲には他の部下はいない。シェスラートただ一人だけを連れている。だが返答如何によってはまたそのか細い喉から血を吐くような悲鳴が迸るほどに痛めつけてやろう。薄暗い物思いに笑みをくゆらせながら、彼はさして真剣でもなくそれを聞いた。
 シェスラートは少し困ったように首を傾げて口を開く。
「いや……別に。俺たちを力で支配しているのは、憎いと思うけれど」
 嘘偽りも媚びの腐臭も感じられないその言葉が予想外だったあまり、ヴァルターは思わずいつもの作ったような嘲笑ではなく無防備な素の顔を晒し、シェスラートを見つめる。それを見て少年は感慨も無く、ただそう思ったままのように告げた。
「あんたも、そんな顔するんだな」
 自分はいつも、どのような顔をしていたのだろう。
 そしてこう言われた、この時は。
「……私は、世間に言われているように母親の胎を切り裂いて生まれた」
 それまで誰にも言わずに秘めてきた思いを語ってしまったのは、その日の風か、空か、一体何の力だったのか。
 吹き抜ける風に短い白銀髪をなびかせながら、シェスラートは静かにそれを聞いていた。
「母の遺言だったらしい。どうしても子どもを生かして欲しいと。別に黒の末裔は生きている女の胎を切り裂いて赤子を取り出すわけではない。死んだ女の胎からまだ生きている赤子を生かすためにとりあげる」
 そうしなければ、死んだ母親の胎の中で胎児も死んでいくばかり。
「……馬鹿な、愚かな考えだ」
 だが、そうやって生まれたからこそ、彼らは他民族から「母親の胎を裂いて子どもを取り出す悪魔のような一族だ」と蔑まれ虐げられることになるのだ。
 生まれたその瞬間から呪われている。母親殺しなどと言われて育った子どもが、まともな人間になどなるはずないのに。
 悪魔を生むために、何故彼女たちは命を捧げるのか。自分の胎に宿るものは全て天使だとでも? だとしたら、大した傲慢だ。
 幾度も己の考えを支配した暗いそれをシェスラートの清らかな声が打ち払う。
「生きていてほしいから」
 思わず振り返ったヴァルターの瞳に映るシェスラートの姿は酷く鮮やかで力強い。こんなにか弱げな少年なのに、その全身から生きる力が溢れてくるかのようだ。
「生きて、ほしかったから。それが己を殺すものでもかまわない。天使でも悪魔でも関係ない。ただ生きていてほしかったから、そう、望んだから」
 凍り付いて動けないヴァルターに、その氷を溶かすような春の陽だまりの笑顔を浮かべてシェスラートは告げる。
「だから、あんたは生かされたんだ」
ざわりと風が吹き、草原の草の海を渡る。馬はのんびりと餌を食み、その会話を聞くものは彼らだけだ。
「……お前も馬鹿だ」
 ヴァルターの言葉にも、シェスラートはただ笑うばかりだった。これまでにもさんざん酷い目に遭わされてきたはずの彼は、しかし決して光を失うことはなかった。彼の姿は、ヴァルターには眩しすぎた。
 ゼルアータの国王として、数々の国を滅ぼし大国の覇権を握り、全てを手に入れてきたはずの青年は初めて自分が何を欲しがっていたのかを知る。
 だが、全ては遅すぎたのだ。

 ◆◆◆◆◆

 いつか見たような地獄の業火が、今は彼の城を包んでいる。
 ゼルアータの暴虐による支配に対する不満は征服された国々の最下層の民たちを中心として炎のように燃え広がっていった。解放軍と名乗りを挙げる一団はゼルアータに不満を持つ人々を国の別なく集め、手を組み、徐々にその規模を増してついには暴虐の大国と張り合うまでになった。
 そして今は最後の均衡も崩れ去り、ゼルアータは滅びようとしている。
 ゼルアータの王として、他国に対する反乱を企てた時からヴァルターはわかっていた。これが失敗すれば、〈黒の末裔〉はこれまでよりも更に過酷な迫害の道を辿ることになるだろう。
 だが、それでも足掻かずにはおれなかった。呪われた生まれの呪われた人生をせめて彩るには自らの力で権利を勝ち取るしかない。つまりはこんな忌まわしい存在でも、自分を信じたいなどと考えていたのか。かつての自分の浅はかなその一途さに笑う。
 すでに解放軍はこの城に火をかけた。このままでは焼け死ぬが、外に逃げれば解放軍の人間に嬲り殺される。わかっていて出て行くほど間抜けではない。焼け死ぬことを選ぶ程度の間抜けではあるが。
 もはや彼の生きる道は断たれた。
「陛下、早くお逃げください! 何を……ッ!?」
「きゃぁあああああ!!」
 不思議そうに目を丸くしたまま、家臣の身体が斬り捨てられて傾ぐ。どうと音を立てて倒れたそれに周りにいた者たちが悲鳴をあげて逃げ惑った。
 広がるは炎、外には反乱軍、そして堂々と城の中を歩くのは乱心したと指差されながら血まみれの剣を引っさげた王。
 もとはと言えばヴァルターが作り上げたこの栄華。だから誰にも奪わせはしない。滅ぼすのはどうせなら自分の手で。願う未来など、何もないのだから。
「ヴァルター王!」
 ああ、一つだけあったか。
「一体何をし……なっ!?」
 血まみれの彼の姿に驚いたのか、扉を開け放ち現れたシェスラートが絶句する。駆け寄ってきた彼にもヴァルターはこれまでの部下たちと同じように刃を向ける。
 悪魔でもいいから生み落とそうなどとは、自分は思わない。そのくらいならば、天使の頭蓋骨を抱いたまま微笑んで息絶えよう。
 だが現実のヴァルターの眼は剣を振り下ろす前にしっかりとシェスラートのその腰に剣が佩いてあることを確認していた。武術の心得がある少年は城の異変に矢も盾もたまらず武器を持って駆け出してきたに違いない。
 目にも留まらぬ早さでシェスラートの手が剣に伸び、そして――。自らに致命傷を与える刃の軌跡を眺めながら、吸血鬼とは可哀想な一族だと思った。身体能力の高すぎる彼らが本気を出せば全ての動作は一瞬で、止めようと思って止まるものでもない。そうする時にはすでに行動は成された後だ。
「――――ッ!!」
 この数年でいくらかはわかりあえたらしい少年の、悲痛とすら言える声なき悲鳴を聞きながらこれで良いのだとヴァルターは微笑む。
 シェスラートには生きていてほしかった。彼が己を殺すものであっても構わない。天使でも悪魔でも関係ない。ただ、生きていてほしいのだと。
 残酷でない世界などない。だがその中でも、ただ強く生きていってくれるのであれば。
 それが何よりの祝福だ。

「ヴァルター!」

 そして天使の声を聞きながら、今、天に還る。

 了.