Fastnacht 04

014

 怪しいまでに美しいその少年は、魔族のウルリークと名乗った。
 薫衣草の色をした腰まである長い髪を三つ編みにし、短い下衣に膝上まである長靴を履いて太腿を大胆に露出している。アレスヴァルドでは見かけない上に、どことなく女性的なものを感じさせる格好だ。
 瞳の色は深紅。乾きかけた血の色のような、と称される毒々しいまでに見事な赤だった。瞳の色としては珍しい部類だが、髪の色ならダーフィトのように近い者もいる。
 彼は自ら自分が人外であることを名乗った。魔族なので外見と実年齢は一致しないらしく、見た目はリューシャと似たような年頃だが実際はその何倍も生きているという。
「こちらが俺の家です」
 ウルリークは三人を海辺の自宅まで案内した。もっとも、彼らのいた砂浜からウルリークの住んでいる小屋までは案内すると言うほどの距離もないのだが。
「何もないところですが、お茶くらいは出せますよ」
 信用するしない以前に、この辺りには他に人気がない。強がろうにも丸一日動き続けた体はすでに疲れ切っている。表面上はありがたい申し出を拒否もできず、三人は促されるままにウルリークの住居に足を踏み入れた。
 狭い小屋。彼らが王族とその護衛でなくともそう感じるだろう、小さな家。確かめるまでもなく独り暮らしだろうが、それにしてはウルリークに孤独の翳りは見えない。彼の人懐こさは寂しさではなくまた別のものだ。
 そうこうしているうちに、生成りの卓の上には薄紫色の花柄の器で紅茶が用意された。
「どうぞ」
「い、いただきます」
 セルマだけが反射的に礼を言い、リューシャとダーフィトは無言で口をつけた。普通なら毒など警戒するべきところだが、それは彼らの身分が明らかになっている場合だ。ウルリークの態度からすると、彼はリューシャがアレスヴァルド王子であることをまったく知らないように見える。
 温かいお茶を一口飲んで、三人はようやく人心地ついた。
 そんなリューシャたちの様子を、ウルリークは興味津々で見つめている。
「本当にワケアリのようですね。あなた方、一体どこから来たんです?」
「アレスヴァルドだ」
「アレスヴァルド……?」
 当然と言えば当然の話の流れとして、ウルリークはリューシャたちの素性を聞きたがった。本名以前に国名だけでも伝えれば素性がバレてしまうのではないかと案じるリューシャたちの危惧とは裏腹に、答を聞いてウルリークは柳眉を顰める。情報伝達の遅そうな海辺に住んでいるためまだアレスヴァルドの騒乱が彼の耳に届いていないのかと思ったが、次の瞬間、彼が口にしたのは意外な言葉だった。
「アレスヴァルド? ってどこでしたっけ?」
「知らないのか? そもそも、ここはどこなのだ?」
「“隠者の深き森”ですよ。さっき顔を合わせたのは流星海岸」
 ある意味的確な名称だが、地図には載っていなさそうな名前を返されても困る。
「……すまないが、我々はこの辺りの地名に詳しくはない。できれば正式な国名や地名で教えて欲しい」
「龍淵国の東端にあたります。つまり大陸の一番東側ですね」
「ロン……ユアン? 珍しい響きだな」
「……あなた方、一体どこから来たんです? 今の完全に龍淵の字がわかっていない人の発音でしたけど」
「「「字?」」」
 リューシャとセルマ、ダーフィトの怪訝な声が重なった。真っ先に気づいたリューシャがさっと青ざめて尋ねる。
「ちょっと待て! ここは表意文字圏なのか?!」
「待つも何も当たり前でしょうよ。ここでなければ他にどこに表意文字圏があるって……どうしました? 皆さん」
 遅ればせながら事態に気づいたダーフィトとセルマも顔を見合わせる。大袈裟なまでのその反応に驚き、ウルリークはつぶらな瞳を瞬いた。
 こうなれば細かいことを気にしている場合ではないと、リューシャは次々に尋ねる。
「大陸地図はあるか?」
「残念ながら」
「では、簡単な図でいいからここが世界のどの辺りにあるか教えてほしい」
「そういうことなら」
 主にアレスヴァルド側はリューシャを中心として話を進める。ウルリークが適当な紙に書いた図を見て、三人は目を丸くした。
「緋色の大陸の最東端、海を越えれば竜牙列島という、世界の極東の一地域です」
 リューシャたちの反応から彼らが現在地周辺に関して詳しくないとわかったウルリークは、説明の尺度を大幅に引き上げた。同じように東という言い方をするが、先程まではあくまでも大陸レベルの話、今は世界規模での意味合いだ。
 この地方は、世界で最も東の地域にあたる。この国よりも更に東に存在するのは、極東の若干閉鎖的な島国、竜牙列島王国しかない。
 そしてリューシャたち三人がやってきたのは――。
「橙の大陸の最東端?!」
「世界の反対側じゃねぇかッ?!」
 ダーフィトの叫んだ通り、この地方はアレスヴァルドから見ると世界の反対側にあたる。
 古王国アレスヴァルドは、青の大陸の最西端地域に位置する王国だ。大陸自体が違うのだから、ウルリークがアレスヴァルドの名を知らなくてもおかしくはない。
 この世界フローミア・フェーディアーダは、七つの大陸から構成されている。
 世界の中央に一つの大陸があり、残り六つの大陸がそれを取り囲むように円状に配置されている。七つの大陸はそれぞれ“色”の名前で呼ばれるが、他にもう一つ大陸ごとの位置関係をわかりやすくした呼び名がある。
 世界の中央に在る大陸は、そのまま中央大陸、もしくは“藍”の大陸と呼ばれる。
 この藍の大陸を起点に地図上で真北に存在する大陸を、“紫”の大陸、もしくは12時の大陸と呼ぶ。
 12時の大陸から次の大陸までに存在する海は1時の海。
 12時の大陸の次は、2時の大陸だ。これを“紅”の大陸とし、その次の海は3時の海。
 4時の位置には“橙”の大陸、だがこの大陸は“緋色”の大陸と呼ばれることが多い。
 5時の海を越え、中央大陸の真南に存在する“黄”の大陸が6時。
 7時の海の向こうには、8時の位置に存在する“緑”の大陸。ここからが世界の西側と呼ばれ始める。
 9時の海を超えれば、ようやく“青”の大陸が10時の位置に在る。そして“青”から11時の海を越えて最初の12時の大陸に戻ってくる。
 それぞれの大陸は色彩と共に、時計の針の指し示す位置を名前として持つのだ。ただし中央大陸は時計の中心部となるのでその限りではない。
 世界の東側と言うのは2、4、6の三つの大陸を差し、8、10、12の大陸は西側となる。それぞれ真ん中の数字が最も東西の端にあたる。
 そしてアレスヴァルドが存在する青の大陸とは世界最西端の10の大陸のことであり、ウルリークが“緋色の大陸”と呼んだ橙の大陸は――4時の位置だ。
 実際に時計の盤面で確認してみると一目瞭然。4時と10時はお互い見事に円の反対の位置にある。
 そう、リューシャたちが元いたアレスヴァルド王国からは、世界の反対側だ。
 それぞれの大陸を結ぶ交通手段は限られていて、旅を生業とする者でさえ海を渡り別大陸に向かうことは少ない。
 リューシャたちは仰天した。魔道具の効果は予想以上で、せいぜい移動できるのは同じ大陸内だろうという予想より遥か遠くに来すぎてしまった。
 ウルリークが表意文字圏と言ったのも納得だ。この世界には表音文字と表意文字が存在するが、表意文字が主に使われるのは世界の東側なのだ。それも緋色の大陸の特に東部の地域が中心であり、それ以外の地域は表音文字圏である。言語自体は世界のどの場所でも通じるが、表意文字が根付いている文化圏では、人名や国名にごく当たり前のように表意文字を使う。
「おかしいだろう?! いくらなんでもあの程度の魔道具で三人もの人間をこの距離まで移動させるなんて!」
 これではアレスヴァルドに戻るにしても、一体何カ月かかるかもわからない。年内に戻れれば僥倖というくらいだ。
「何の話ですか? あなたたち、どういう手段でここまで来たんです?」
 ウルリークが怪訝な顔をする。
 リューシャたち三人は、深刻な表情で顔を見合わせた。