Fastnacht 04

015

「魔道具で移動してきた? 青の大陸からここまですか? へぇ~」
 ちょっと見せてと手を出され、リューシャはアレスヴァルドで発動した物と同じ型の魔道具をウルリークに差し出した。外観を一通りぐるりと確認したウルリークは、ふむ、と唸りながら小さな筒の端の蓋を開ける。
 リューシャが仕入れた転移魔術の道具は、手のひらに乗る大きさの万華鏡のような形をしていた。ウルリークが本物の万華鏡を覗き込むように、筒の片側からその中を見ている。
「なるほど。この呪具なら確かに、術者との相性次第で大陸を越えるのも可能でしょうけど……リューシャさんでしたか。ちょっと手を出してください」
「ああ」
 護衛のセルマが止める暇もなく、リューシャはウルリークの前に手のひらを上に向けて差し出した。その手に重ねるようにウルリークが自分の手を置くと、二人の間で一瞬だけ淡い青の光が輝く。
「へぇ! 意外だな。あなたは結構な力持ちなんですね」
「力……持ち?」
 誰が見てもリューシャとは最も縁遠そうな言葉に、アレスヴァルドからやってきた三人はそれぞれぱちくりと目を瞬かせた。
「別に腕力の話じゃありませんよ。魔力でも神力でも生命力でも構いませんが、とにかくそういう力です。俺は魔族なので便宜上常に魔力と呼んでいますが、その力がリューシャさんは人一倍強いんですよ」
「そう……なのか。自分ではよくわからんが」
「御自分ではわからなくても、これだけ強い魔力の持ち主なら街を歩いているだけで魔術師の目には留まるでしょう。今まで誰かに指摘されたことはないんですか?」
 リューシャは一瞬だけダーフィトとセルマと視線を交わすと、ウルリークの問いに正直に答えた。
「ない。そもそも我が国には、魔術師はいないんだ」
「いない? そんなことはないでしょう。いくら西側は魔術師の排される神の勢力地とはいえ、魔術師だって魔族だってその辺歩いていないってことはないでしょう」
 人間が持つ魔力に土地柄は関係ない。魔術師の才を持つ子どもは世界中どこでも生まれる。しかし実際に魔術師になれるかどうかはその土地の環境に左右される。
「いないんだ。アレスヴァルドでは魔術師の存在自体禁じている。大抵の人間は仮に自分に魔力があると知ってもどうもしないし、魔術師になりたければ国を出るしかない。国内で魔術を行うこと自体制限されているから、魔族も好んで入国はしない」
「――え?」
 ウルリークが唖然とした。信じられないと言いたげに目を瞠るが、その一瞬後には彼は何かを思い出したように顔つきを引き締める。
「そうか……! アレスヴァルドって、“魔術師嫌い”のアレスヴァルド……っ! この世界で最も神に対する信仰が厚い地」
「信仰……厚いか?」
 純アレスヴァルド人であるリューシャとダーフィトはお互いの顔を窺う。確かに世界の東と西では、西の方が神への信仰が厚いと言われる。だが自分たちの祖国が特別他国に比べて宗教的に力を入れているとは、王族である彼らにも思えなかった。
「確か、あの国だけにある特別な習慣が……何でしたっけ?」
「ひょっとして、神託のことか? うちの国が他の国と違う部分と言えば、生まれた子ども全員に神託を授からせるっていう伝統がある」
「それですよ。王族が神殿に祭祀を求めるくらいならともかく、国民全員の人生を託宣なんかで占う国は珍しいです」
 ウルリークは自らの考えを口に出しながら、一人でずばずばとその考察に筋道をつけていく。
「そもそも西側が神の勢力地というのも、辰砂が神々への謀反を起こした大戦以来のことなんですよね。それまでは世界に西も東もなく、それぞれに発生した文化的差異も人の移動によって緩やかに世界に広まり変化していくと考えられていた。しかし極東の“流星海岸”の村に生まれた辰砂が神々に反旗を翻したことで、東の地は辰砂と彼を崇める魔術師たちの土地となり、その対極に位置する西側が神の勢力地とされた。極西の古王国アレスヴァルドはその頃に成立した国で、この世で最も信仰厚く魔術師を忌む――」
 途中から何かの書物の受け売りらしく、ウルリークの口調が変わる。そのままべらべらと考察を続けそうな彼の喋りが息継ぎを欲したところで、リューシャが待ったをかける。
「その“辰砂”というのは、“創造の魔術師”のことでいいのか?」
「え? ああ、そうですよ。創造の魔術師、神々への反逆者、最古にして最悪の大罪人こと睡蓮教の祖たる辰砂です」
「睡蓮教? ……いや、それはいい。だが……流星海岸と言うのはひょっとして――」
「ええ、先程お伝えした通りです。ここのことですね」
「へ? ここって、反逆の魔術師が生まれた村なのか?!」
 ダーフィトが俄かに驚いた顔になる。一方のセルマは彼らの話についていけず、会話を聞きながらひたすら首を傾げている。
「そう言えば、辰砂伝説の伝わり方にも地域差があるんでしたね。東側では、辰砂は神々に反逆した魔術師と畏れられ忌み嫌われてもいますが、同時に神さえも超えた偉大なる魔術師として敬われ崇められてもいるんです。辰砂を崇める疑似宗教形態が辰砂教もしくは睡蓮教」
 教の字は「狂」でもいいとウルリークは言う。教団とは言うものの、辰砂を崇める集団と言うのは主に魔術師で構成され、知恵と知識の探究を行う秘密結社に近いものらしい。
 神々の勢力が強いアレスヴァルド近隣では、そもそも“創造の魔術師”は“辰砂”という個人名を出すことさえ躊躇われる存在だった。しかし東の地では、辰砂の名は極当たり前のように口にされる。
「ここが創造の魔術師の生まれた場所だと言うのなら、ウルリーク、お前は何故こんなところに?」
「簡単な話ですよ。伝説の魔術師を見てみたかった。ただひたすらそれだけです。もっとも、俺も今まで会えたことはないんですが」
「会うって……それはお伽噺だろう?」
「何言ってるんですか。辰砂は実在しますよ。神々との大戦後に不老不死になったって伝説があるじゃないですか。あと悪い子は辰砂に食べられちゃうぞ、とか」
「なんだそれは……」
 魔術師を徹底的に排して生活するアレスヴァルドでは、無限の時を生きる魔術師などもはやお伽噺とされていた。しかしこちらの地域では、かの存在は伝説として今も思ったより身近に息づいているらしい。
「ここが辰砂に縁深い地で、いまだに辰砂が生きていると思われているからこそ東が魔術師の土地、西が神々の土地とされるんですよ。……皆さん、御存知ではなかったと?」
「ああ」
 頷きながら、リューシャは苦虫を噛み潰した顔になる。
 ウルリークの説明を聞いて、自分たちアレスヴァルドの人間がどれだけそういった情勢に疎いか理解したのだ。魔道具の構造を見抜けるウルリーク自身が魔術に造詣の深い人物なのだろうが、それでも“創造の魔術師”に関する伝説や何かはこちらの大陸では子どもでも知ってて当たり前のような口ぶりだった。
「うーん。そうか、知っててここまで来たわけじゃないんですね」
「……どういう意味だ?」
 今の話題でアレスヴァルド人であるリューシャたちがこの場所に転移する根拠らしい話があっただろうかと、リューシャは眉根を寄せる。だが絶対的に知識が不足してるのにわかるはずもない。ならば知っている人間に聞くに限ると、ウルリークの言葉の続きを待つ。
「魔術師を排する形とはいえ、それだけ魔術や神々に拘る国なら、何か辰砂にも関わりがあるんじゃないかと思ったんですよ。――あの魔道具は、発動者の望みと力を反映して膨張させ、転移の術として放出させるんです。ここではない何処かへ行きたいという、術者の望みを映す万華鏡」
 形から連想される印象そのままの魔道具だったらしい。リューシャが聞いた説明としては、あれは一瞬で発動者と周囲の人間を別の地点に転移させることができる、しかしどこに出るかはわからない道具だという話だったが。
 ウルリークがわかりやすくまとめた魔道具の効能説明は、リューシャにとっては思いがけない結論となった。
「だからあれを使ったのがリューシャさん、あなたであると言うのであれば、ここに来たのもあなた自身の意志と魔力なんですよ」
「――は?」
 さしものリューシャも、一言放ったまま絶句する。
 発動者の望みと力? つまりはアレスヴァルドからここに来ることを選んだのも、ここに来るだけの力を発揮したのも、リューシャ自身――?
「ちょっと待て! そもそも我はこの海岸には初めて来たのだぞ! これまで大陸を出たことも、海を見たこともない! それなのに」
「だってそういう魔道具ですもん。そこは間違いありません。力自体はもともとあるようなので確かに距離的には可能でしょうが、その“意志”の方は一体どうしたことでしょうねぇ」
 万華鏡の中身をおもちゃ感覚で覗きながら、ウルリークが冗談口調で軽く言う。
「それとも単純にその場から逃れようとして発動したんですか? 何かから逃げようとしてあなたが無意識に全力を使ったなら、現在地から最も遠いところ、つまり世界の反対側であるこの海に来ちゃったってことも考えられますけどね。まさか――」
 リューシャとダーフィトは凍り付いた。セルマがこっそりと剣の柄に手をかける。
 あはははは、とウルリークは軽く笑うが、彼らにとっては笑いごとではない。リューシャがこの海岸に来ることを望んだというよりも、そう考えた方が状況からすれば自然だ。
「まさか――本当にそうだとでも?」
 彼らの反応を見て、ウルリークも器用に笑顔はそのまま保ちながら凍りついた。
「ちょっと……あなた方、一体何をやらかしたんです? 殺人? 強盗? 強姦? 詐欺?」
「人を犯罪者扱いするな! 我は無実だ!」
「なるほど。でもそれに近い扱いを受けてはいると」
「お前――!」
 リューシャはカッと頬を染めた。初めから怪しいと言えば怪しい態度だったが、ウルリークは鋭すぎる。魔族の長命がなせる業か、必要以上に的確にこちらの表情を読むのだ。
 セルマとダーフィトもこの不穏な雰囲気に自らの得物へと手をかける。ダーフィトはまだ落ち着いているが、セルマなど剣を抜く寸前だ。
「そんなに熱くならないでくださいよ。別にあなた方が罪人だろうとそうでなかろうと、俺は別にどうだっていいんですから」
「どういう意味だ」
「言葉通りです。だって俺、魔族なんですよ? 人間世界の法律なんて、関係ないじゃありませんか」
 どこからどう見ても外見は人間にしか見えないくせに、ウルリークは堂々とそう宣言する。そのあっさりした態度に毒気を抜かれそうになるが、ここで油断してはいけないとリューシャは気を引き締め直した。
「ウルリーク、と言ったな」
「ええ。リューシャさん。なんです?」
「お前は――」
 卓の上に両手をついて身を乗り出しながら、リューシャはウルリークと至近距離で向き合った。しかし――。
「和やかなお茶の時間は、そこまでにしてもらいましょう」
 突然割り込んだ第三者の声に、全員が顔を強張らせた。
 ウルリークはこれまでの気だるげな仕草が嘘のような機敏な動作で立ち上がる。リューシャたち三人は以前にも覚えのある展開にさっと青ざめた。ダーフィトとセルマがそれぞれリューシャを庇おうと動く。
 次の瞬間、海辺の小さな小屋は竜巻の直撃でも受けたかのように砕け散った。