016
「ちょっと、人の家になんてことしてくれてんですか!」
ウルリークはそう叫びながらも、室内にいた全員をしっかり魔術の結界で保護している。小屋が吹っ飛ぶ程の衝撃を受けたにも関わらず、彼らは無傷だ。
その上彼は華奢な見た目を裏切る凶悪さですかさず反撃を繰り出した。姿を見せずに攻撃を仕掛けてきたはずの襲撃者は、リューシャたちの視界に入るその時にはすでにウルリークの攻撃で血を流している。
魔術に疎いリューシャたちの目には、光線があちらこちらをやりとりしたようにしか見えなかった。しかし襲撃者の攻撃はウルリークの住処を木端微塵に砕き、ウルリークの攻撃は襲撃者の肩から胸にかけてをざっくりと斬りつけている。
「ぐぁ……ッ!」
苦鳴をあげる襲撃者の背には、蝙蝠のような皮膜の張った黒い翼が生えていた。もはや異形であることを隠しもしない、人外の刺客。――恐らくはナージュの部下。
「おや、あなたも魔族ですか。では同種の情けで名前ぐらいは聞いてあげましょう。墓碑にちゃんと名が刻まれるのを歓びつつ死になさい」
リューシャたちは襲撃者の姿や攻撃も驚いたが、それよりもウルリークのこの様子に驚いた。見た目はか弱そうに見えても、やはり彼も魔族なのだ。それもこの状況から察するに、余程の使い手らしい。
「な、何故……魔族が王子の味方を……」
「王子?」
息も絶え絶えの襲撃者の言葉から聞き捨てならない単語を拾い、ウルリークは掌を襲撃者に向けたままリューシャたちの方を振り返った。リューシャとダーフィトの間を一度彷徨った視線が、リューシャに固定される。
「王子様なんですか?」
「……ああ! 我はリューシャ=アレスヴァルド。アレスヴァルドの世継ぎの王子だ」
嘘をつける状況でもなければそんな余裕もないと、リューシャは本当のことを言う。もともと姓を伏せて名しか名乗っていなかったところだが、ウルリークはひとまずそれで納得したようだ。
「世継ぎの王子様が国を追われて世界の反対側にねぇ。しかも、魔族の刺客がそれをわざわざ追いかけてくるとは。なーんか、厄介事の予感」
襲撃者だけではなく、リューシャたちも先程とは別の意味で緊張する。ウルリークのこの力と気まぐれそうな性格からすれば、厄介者と判断すればすぐさま見捨てられかねない。
率先して民に魔術を捨てろと指導してきた王族の一員でありながら、リューシャは魔術に関する知識も才能も全て排除してきた王国の方針を恨む。
先程ウルリークが何気なく話したことの中にでさえ、魔術や神託について重要な事柄がいくつもあった。そういった知識や手段があれば、彼らにもナージュやこの襲撃者へ対抗する術があっただろうに。
それとも、だからこそ王国は魔術を排したのか。そして、だからこそ自分は今ここにいるのか?
神の勢力地である西の大陸にいては決して知ることのできない魔術の深淵。リューシャに与えられた、明瞭でありながらも不可解な神託――。
一瞬何かを掴みかけたが、次のウルリークの言葉によって、それらは形になる前に霧散して消えて行った。
「ま……いいか。厄介そうですけど面白そうでもあるんですよね。あと、顔が好みです」
白い指先がリューシャの頤を持ち上げて掬いとる。絡む視線の中、嗜虐を含む冷ややかな深紅が妖艶に笑った。
「と、いうわけで貴方にはやはり死んでいただくことにしましょう」
ウルリークが襲撃者の方を振り返ると、翼持つ異形の青年は憤怒に顔を赤くしていた。
「そんな……そんなふざけた理由で……!」
「ふざけているのはそちらでしょう? 俺にとっては、それが全てですよ。生憎ですが規律や秩序と言ったものは大嫌いなんです。魔族でありながら規律の犬たることを選んだ真面目さんにはわからないかもしれませんがね」
「何故それを!」
「気付かないはずがないでしょう? 貴方のご主人様は、神のくせに実に程度の低い部下しかお持ちでないようだ」
――神?
「黙れ! 私のことはともかく我が主を侮辱することは赦さん!」
ウルリークの挑発に激怒して、襲撃者が攻撃をしかけてくる。黒い翼の辺りから生み出された二本の風の刃が真っ直ぐにウルリークへと向かって行く。
「攻撃が直線的過ぎますよ。この程度でこの“傾国のウルリーク”を相手取ろうなど笑わせる!!」
口の端を吊り上げるようにして微笑みながら、ウルリークは襲撃者の放った何倍もの風刃を返した。威力も速度も倍以上に跳ね上がった自らの攻撃を受けて、それまで翼で宙に浮いていた魔族の男が血の尾を引きながら地に落ちる。
「そんな――! まさか、お前が、あの“傾国”だと……」
翼を切り裂かれて血塗れとなった襲撃者は、まるで化け物を見るような目つきでウルリークを見上げる。砂交じりの土を歩いてきたウルリークが、その頭を容赦なく踏みつけた。
「何故、こんなところに……っ!」
「この美貌を見てすぐに気づけないような下等な輩に生きてる価値ありませんよ。今楽にしてあげます」
刺客に向けてトドメの一撃を放とうとしたウルリークに、リューシャは咄嗟に制止をかける。
「待て!」
「なんですか。いやですよ、リューシャさん。この男は俺のおうちを木端微塵に吹き飛ばしてくれたんですからね、ぜひとも返礼をしてやらなくちゃ」
自分はかすり傷一つ負ってもいないのに相手の命を奪う気満々のウルリークだが、一応リューシャの言葉は聞いてくれるらしい。別にリューシャも、男を殺すななどと偽善じみたことを言いたいわけではない。
「その男がお前を知らないのであれば、襲撃の目的は我だろう。事情ぐらい聞かせろ」
「……そういうことですか。わかりましたよ、好きにしてください」
男の頭から足を退けると、ウルリークは肩を竦めながらその場から離れる。
代わりにリューシャが血に濡れて地に伏す男の前に立った。
「お前の雇い主は、ナージュと名乗る女か」
「雇い主、などではない。我らはあの方に身命を捧げているものだ」
重傷ながらも眼光を緩めることなく、男はリューシャを睨み付けた。質問に答えるのは命乞いをするためなどではない。全てを話したところで、どうせリューシャには何もできまいと思っているからのようだ。
「直属の兵と言ったところか。あの女、人外だと言うとおり只者ではなかったようだな。ダーフィト、お前はこいつを知ってるか?」
「知ってたらとっくに教えてるよ」
ダーフィトが渋い顔をしながら言う。彼は一年近く経ってもナージュが人ではないことに気づかなかった。その部下の話など聞いたこともなかったのだろう。
「お前たちの目的はなんだ。我を殺すことか」
「貴様をアレスヴァルドに連れ帰るよう言われた。殺せとは言われていないが、殺す気でやれ、とも」
「……そうか」
殺せとは言われていない。しかし「殺す気でやれ」? その言い様は気になったが、これ以上聞いてもこの男がその理由を知っているとは思えない。刺客に徹するからには、余計な情報などもたされてはいないだろうし。
そもそもナージュはアレスヴァルドでゲラーシムの後妻として収まっているのだ。リューシャを殺すのではなく、国に戻そうとする意味がわからない。継承関係でリューシャの存在が必要なのだとしても、刺客を送りつける力があるならば「殺して死体を持ち帰れ」の方が命令としては自然でないか?
「ナージュとやらは、我をどうしたいのだ。アレスヴァルドの何を狙っている?」
「そんなことは知らぬ。我々はただあの方の命に従うのみよ」
試しに男に訪ねてみたが、案の定その答は「知らない」だった。
「ふん……ならばもう貴様に用はない。帰ってあの女に伝えろ。“貴様の下世話な迎えなどいらん。我が帰るのを首を洗って待っていろ”とな」
「……“傾国”の力に頼っておきながら! よくそんな大口を!」
「大口?」
リューシャが更に見下した眼差しで、男を見下ろす。
「馬鹿なひとですねー。自分がとっくにこの王子様たちに命を握られていたことにも気づかないなんて」
近くで見ていたウルリークが、感心とも呆れともつかない野次を飛ばす。彼の方は最初から気づいていたようだ。恐らくウルリークが魔力で庇わずとも、リューシャたちはリューシャたちで襲撃者の魔術から身を守る手段を用意していたことを。
リューシャの懐にはまだいくつか魔道具があるし、セルマもダーフィトも男の声がした瞬間にウルリークと同じく動き出していた。そして。
「そろそろ全身の傷だけでなく、手足の痺れも気にした方がいいですよ」
ウルリークの攻撃に紛れて、セルマがナイフを投げていた。彼女は正面から戦うよりもこういった技の方が得意だ。
「お前こそ言い訳ができて良かったな。たまたま襲撃を仕掛けた先に“傾国”がいたので失敗しました、と」
リューシャが皮肉を飛ばすと共に、魔族の男の姿が揺らぐ。蜃気楼のようにその姿が薄らぎ、消えて行った。
「転移の術ですね。でもあの男自身の力ではなく、飼い主のようですよ」
「……ナージュ」
自ら刺客の送り迎えなどしてやるくらいなら、何故あの女本人が来ないのか。リューシャは襲撃者の消えた中空を睨みながら考える。
「で、王子様とその従者さんたち? これは一体どういうことか、こうなったら一から説明してもらえますよね?」
にっこりと、その表情を裏切る迫力を湛えた笑みを浮かべながらウルリークがリューシャに詰め寄る。
「ウルリーク……」
リューシャは血に染まった地面から彼に視線を移し、ゆっくりと口を開いた。
「“傾国”ってなんだ?」
「知らないで適当言ったんですか!」
彼らがお互いの事情を理解するには、もう少し時間がかかりそうだ。