Fastnacht 05

018

 ウルリークはリューシャを寝台の上に座らせた。暗い木の色に敷布の白さが目に眩しい。
 一応話をするとの名目にも関わらず、この体勢はそれ以上の何かを連想させて止まない。リューシャ自身、ウルリークが真面目に話を聞くとも思っていなかったのだから、覚悟は決めてある。
「ふふふ」
 片手を肘にやり、もう片手を口元にあてた姿勢で隣に座るウルリークは笑う。リューシャが口を開いた。
「何が欲しいんだ?」
「何が出せるんですか?」
 ウルリークは歌うように問いかける。リューシャの胸に耳を当てるように抱きついて、あえて下からその顔を覗き込む。
「何、ならば払えるんですか? あなたは何も持ってない。それなのに」
 リューシャは眉間にしわを寄せる。ウルリークの言葉は掛け値なしの真実だから、何も言えない。それが腹立たしい。だがそれを取り繕われる方がもっと腹立たしいことも知っている。それに比べればこのやりとりはまだマシだ。
 ウルリークはくせのある性格だが、リューシャは嫌いではない。彼には実力がある。だから他人を見下げ果てる。それも仕方がない。
 誰に対してもむやみにそんな態度をとる輩は嫌いだが、ウルリークは今この場ではあえて行っているのだ。最初にただの旅人として出会った時には、素直に頷くのは癪だが彼は親切と言えるような態度で振る舞っていたのだから。
 そのウルリークが旅人に一夜の宿を貸す親切な変わり者から蠱惑的な魔族へと振る舞いを変えたのは、リューシャたちの事情を知ったからだ。
 ウルリークはリューシャたちの事情に元々興味を持っている。そして彼らの厄介事に巻き込まれても、自力で火の粉を振り払えるだけの実力を持っている。
 だからこそ欲した。国を滅ぼす神託を与えられたリューシャには、善と正義の狭間で悩むような真面目で神経質な相手は合わないのだ。こちらの事情を気に病まれて暴走するような人間では話にならない。悲劇も喜劇も同じように楽しんでかき回す、それくらいの度量のある相手でなければ呪われた王子の旅の仲間は務まらない。
「リューシャ王子殿下……あなた自身を、俺にくれるんですか?」
「我を? 欲しいのか? こんなものが」
 くすくすと笑ってウルリークはリューシャの膝と膝の間を割るように、寝台の上に乗り上げる。ほっそりとした指が、リューシャの顎を掬いあげた。
「ええ。あなたはとても可愛いし、この身体も魂もとっても美味しそうですから」
 美味、という言葉に露骨にリューシャが嫌そうな顔をする。自分が人間たちに品定めされる子牛にでもなった気分だ。ウルリークの桃色の可憐な唇の奥に、ぞろりと生えそろった牙が見えても不思議ではない。
「あながち間違ってないですよ、それ」
「人の心を勝手に読むな」
「顔に書いてありましたよ。……そう、ある種類の悪魔にとっては、人間はとってもおいしいごちそうなんです。それに髪は引き抜いて飾り紐や鬘になるし、目玉は宝石代わりだし、骨はいろいろと道具になるし、皮はなめして使えます。小妖怪に魂を入れれば愛玩動物にだってなるし、全身まるごと剥製にしてもいい。人間って、本当に無駄のない生き物なんですよ」
 本気でこちらを家畜か何かのように捉えているらしいウルリークの言葉に、変質的な輩の相手に慣れているリューシャがらしくもなくぞっとした。
「お前の望みはそれか」
「まぁ、そういうのもいいですけど。でもね、俺は死体より、生きてる方に興味があるんです」
 そしてウルリークはリューシャの頬を撫でながら、下衣の上から太腿に手を置く。
「普通に人間たちが使う意味での『身体が欲しい』でもいいですよ。ふふ、可愛い恋人のためなら、一緒に旅をして力を十分に貸しても不自然じゃないですもんねぇ?」
 天性の毒を含んだ色香を隠しもしないウルリークの誘いに、リューシャは顔を顰めた。
「我を抱きたい? 抱かれたい? そんなものでいいのか?」
「ついでに言うなら事が終わった暁にはさんざん弄び責め苛んで身も心も吸いつくしたい、と言ったところですね」
 太腿から滑った指が、リューシャの股間に触れる。服の上からさわさわと撫でられて、リューシャは白い肌を紅く染めた。
「敏感なんですね……ますます可愛い」
 可愛いと言われることがリューシャは嫌いだった。可憐な妖精と呼ばれる容姿は、なまじ他の能力が何一つ優れていないだけにやっかみの対象になりやすい。所詮顔だけ、それも女をたらしこむのではなく稚児趣味の男を誑かす方面の容姿だったから、二重の意味で責苦となった。
 けれど今の彼には、本当にそれしかない。王子ではないリューシャの持っているものなど、この顔と身体だけ。生娘でもあるまいし、誰が躊躇うものか。
「……お前が本当にそれを望むと言うのなら、いいだろう」
「そうですか。それでは――」
 喜びいさんでリューシャの服を剥ごうとしたウルリークを、手で押し止める。
「なんですか? 今更焦らすなんて。あちらのお二人に知られるのが嫌だと言うんなら、結界でも張ってあげますから」
「そうではない。話はまだ終わってない」
 拗ねて唇を尖らせる見た目若づくり魔族に、リューシャは重要な確認をする。
「お前の言っていることは本当に我と単に性交渉を持ちたいというだけか?」
「直截的な表現ですね」
「茶化すな。……いくらお前が暇だと言っても、男漁りがしたいなら相手はいくらでもいるだろう。我の容姿はある種の趣味を持つ男たちの興味を引くものらしいが、お前は見た目通りの歳でもないのだろう? わざわざ本気で我と肉体関係を得たいがためだけに、命がけの旅に出るとは信じられないのだが」
 リューシャは美しい。だがリューシャほどでなくても、美しい男などこの世にはそれなりにいる。今日顔を合わせたばかりのウルリークがあえてリューシャに拘る理由はない。
 自身が美形であれば周囲を完全にたらしこめると自惚れるほど、リューシャは幸せな頭はしていない。彼は美しさを持っているが、言ってしまえばただそれだけだ。他人をいい気にさせて自分の虜にするような話術も計算高さも、何も持ってはいない。
 ウルリークが自分たちに興味を持っているからと言って、即座に彼を味方に引き込めると思うほどリューシャは単純でも純粋でもなかった。散々弄ぶだけ弄んで捨てることも容易いだろう。ナージュとは仲が悪いようだが、だからといって必ず敵対するわけでもない。
「ああ、それですか。ふうん。つまりこの条件で納得できるだけの俺の方の手の内を明かせ、と。……まぁ、言ってしまえば単純なことなんですけど」
 うーん、とウルリークは頭をかく。特に出し惜しみする意味はないが説明するのも面倒という様子だ。
「先に味わってもらった方が早いんですけどね」
「何……を……」
 ふいに辺りに漂った香りに、リューシャは一瞬、頭がくらりとするのを感じた。更に――すぐ傍にいるウルリークの肌に、むしょうに触れたくてたまらなくなる。
 寝台に乗り上げたウルリークの身体を抱き寄せると、何も考えられずにその唇を夢中で貪った。歯列を割り、舌を絡ませ、お互いの唾液が相手の喉に流れ込むような、情熱的な口付けを何度も交わす。
 もっと、もっと深く。触れたい。触れて、触れられて、刻み込んで――。
 しばらくして漂っていた香りが消えると、急に気分がすっきりし始めた。そのついでに自分の状況に気づき、瞬時に青ざめる。
「わ……我は一体何を……」
「これが俺の力、俺の存在そのもの。――淫魔なんですよ、俺」
 慌てて身体を離したリューシャを見つめてあっさりと言い、ウルリークは濡れた唇をちろりと舐めて笑う。僅かに覗いた赤い舌先がこの上なく淫靡だ。
 なるほど、だから“傾国”かとリューシャは納得した。人を誘い、惑わせ、堕落させる。ウルリークにとって、それは趣味以上に彼の本性なのだ。
「淫魔は人間を弄んで淫らなことをするのが楽しくて楽しくて楽しくて仕方がない種族なんです。だから、俺はあなた程の美少年にあれこれいやらしいことをするためなら――世界を敵に回してもかまわない」
 旅の合間はつけろとは言いませんが、今から似合いの首輪を選んでおきますね。とウルリークはほくほく顔である。わなわなと身体を震わせながら、リューシャはついに叫んだ。
「貴様は本物の変態だ!」
「褒め言葉です」
 あまりにも堂々とした宣言に、頭を抱える。手駒を増やそうと焦り過ぎたか、人選ならぬ魔族選を激しく間違えた気がする。
「お前みたいな魔族がなんでこのような辺境に住んでいるんだ……」
「俺みたいな魔族だから辺境に住んでるんですよ。……で、どうします? それでも俺の協力を欲しますか? リューシャ王子」
「……お前は?」
「わりと乗り気ですよ? これまで吸いつくしてきた男たちの中でもあなたは別格です。俺は男も女も拘りませんけど、少女じみた少年は大好物ですよ。抱いても抱かれても他人に犯させてもいい。――美しいものほど、残酷に甚振りがいがある」
 にやりと笑うウルリークの笑みに寒気を感じながらも、リューシャの選択肢は限られていた。ウルリークはその力の強さといい神を敵に回す性格といい偏執的な魔術の知識といい、稀有な人材だ。事情も知られたことだし、彼を味方に引き込めるのは確かに心強い。
 淫魔だというなら上等。なまじ下手に無茶な要求をする悪魔より、余程扱いやすい。
「……いいだろう。我が身を好きなだけ犯すがいい。その代わりに我らが無事にアレスヴァルドの地を踏めるよう、お前の全力で協力しろ」
 王位を取り戻せるようにとまでは言わなかった。国を滅ぼすという神託が本当ならば、下手なことは言わない方がいい。とにかくアレスヴァルドへ辿り着くことが最優先だ。
「わかりました。ウルリーク=ノアはリューシャ=アレスヴァルドの肉体と引き換えに、その目的を達成させるために尽力いたしましょう。――契約、成立ですね」
 ウルリークが紅い唇を歪めて笑う。それは正しく悪魔の笑みだった。