Fastnacht 06

022

 しばらくは何事もなく距離を稼ぐことができた。リューシャたちは流星海岸から緋色の大陸をほぼ横断し、港町リマーニへと向かう。
 趣味でどこにでも行くというウルリークの道案内は的確で、箱入りのリューシャを連れているにも関わらずそれまでの旅路は思いがけず順調だった。人懐こく世渡り上手なウルリークは揉め事や危険を避けたり対処するのも上手く、いかにも絡まれそうな厄介な人物ばかりを連れているとは思えない手腕を見せる。
 その分事あるごとにリューシャに「対価」を求めることもあったが、リューシャとしてはその程度で済むのならば安いものだと思えた。ダーフィトやセルマは非常に何か言いたげだが、表だって反論はしない。自分たちに説得されるようなリューシャではないことを、長い付き合いで把握しているからだろう。
 今のところそう資金に困ってはいないので乗合馬車を主に乗り継いでここまでやってきた。しかしこの先中央大陸に渡ることになれば、いずれ路銀が底をつくこともあろう。そうしたら一時的に金を稼ぐこともあるかもしれない。
 とはいえ追手がかかっている身では、何より足跡を辿られないよう早く移動することが肝心だった。海岸でウルリークが魔族の男を返り討ちにして以来ナージュの配下が姿を見せることはないが、いつ何があるともわからない。
 リューシャたちの危惧とは裏腹に、順調すぎるくらい順調な道のりで一行は緋色の大陸の最西端、大陸の玄関口とも呼ばれる港町へと到着する。

 ◆◆◆◆◆

「さて。ようやくここまで来ましたね」
 ウルリークが街の入り口に立っていた看板を示す。世界中の文字は共通言語であるため、港町リマーニと書かれたその文字はリューシャたちにもはっきりと読めた。
「緋の大陸では主にこの港から中央大陸と黄金の大陸に向かう客船が出ています。穏便に大陸を渡るにはそれを使うのが一番です」
 緋色の大陸は紅の大陸ほどではないが比較的争いの多い大陸だ。中央部のセレジェイル辺りはまだ情勢が安定しているが、東部の小国群は常に何かしら揉めているという印象がある。
「じゃ、ここで一度装備を整えるか。船に乗るってことは長旅になるだろう?」
「そうですね。隣の黄の大陸までならそうでもありませんが、中央大陸までは少しかかるようです。向こうにも当然港町が発展しているでしょうけど、中央大陸の方が物価が高いでしょうから入用なものはこちらで揃えておくといいですよ。値段より質に拘るなら向こうに着いてからの方がいいですけど」
「そんな質を重視して買うようなものはないし、こっちである程度揃えよう」
 そんなことを相談しながら、一行は何気なく街中央の広場まで足を進めた。旅支度に関しては主にセルマとウルリークの間で相談される。ダーフィトは軍を動かすための準備はわかるが、個人での長旅には疎い。リューシャにいたっては言わずもがなだ。
「ではこんなものですかね」
 買い足さねばならない食料や生活必需品とその分担を決めて、ウルリークが話を進める。
「正午には鐘が鳴るそうですから、またこの広場に集合しましょう。午後は船を見に行って、以後の予定はその船に合わせましょう」
「待て、リーク。我はどうすればいいのだ?」
 買い出しの分担はセルマ、ダーフィト、ウルリークのもののみで、リューシャに関しては何も説明されない。
「リューシャは」
「殿下は」
「ここで留守番です」
「……」
 三人が見事に意見を揃え、リューシャは黙り込んだ。
「量的に手分けして買い出ししなきゃいけないんですよ。でも俺たちが目を離すとリューシャさんすぐに変態に絡まれるでしょう」
「か、絡まれたりなど」
「してましたよね? 今まで散々。普通に歩いているだけで路地裏に引きずり込まれそうになったりするし」
「買い出しだと俺たちも手が塞がるからな。お前のことまで気にかけてやれないんだ」
 にやにやしているウルリークと、嫌味ではなく本当に心配そうな顔のダーフィト。そしてトドメに心底申し訳なさそうなセルマがこう告げた。
「ですから、殿……リューシャ様はこの広場でお待ちください。ここなら人目もありますし、大きな揉め事が起きても情報が伝わりやすいですから」
 親の手が空かない子どもたちが昼間から遊んでいるような広場である。危険なことなどあるはずもない。それは確かだ。確かなのだが。
「じゃ、行ってきます。いい子にしてるんですよ」
 ひらひらと手を振って歩き出すウルリークの背に、どうしても釈然としないものを覚えるリューシャであった。

 ◆◆◆◆◆

 中央広場は擂り鉢状の階段で周りを囲まれていた。遊ぶ子どもたちだけでなく仕事合間の休憩をとる人々の姿も見られ、大分賑わっている。
 石段の一つに腰かけて、リューシャは一人息を吐いた。
 この年になって買い物もできないと思われている……。いや、買い物自体はできるのだ。それは皆知っている。だが、リューシャは道を歩いているだけで柄の良くない連中にもそうでない人間にも絡まれる率が人一倍高い。三人はそれを心配して「お留守番役」を言い渡したのだ。
 アレスヴァルドでは世継ぎの王子にも関わらず王宮に出入りする者以外に顔が知られていなかった。王都の治安も良いし、リューシャが一人で出歩いても正体さえ知られなければなんとかなる。
 ここは違う。リマーニは港町だけあって様々な人種や職業の人間が行き来し、治安も悪ければ争い事も多い。ただでさえ海の男たちは荒くれ者が多く女日照りで、海上では厳しい規則に縛られている分陸に上がった途端無法状態になることもあるという。
 これまでも優れているのは容姿だけ、それも男らしさとは無縁のまるで稚児よ陰間よと嘲笑われていた。祖国にいた頃は嘲りで済んだそれもここでは笑いごとではなく、本当に攫われて売られてもおかしくないという。
 女だが凄腕の元暗殺者であるセルマ、リューシャの血縁だけあって女顔の優男だが体格に恵まれた分一目で高貴な騎士とわかる物腰のダーフィト。淫魔でありその手の揉め事に慣れていてあらゆる手段で相手を操るウルリーク。彼らに比べてリューシャはそのような目に遭っても、自分で自分の身を守ることができない。
 今更ながら、自分の無力さが嫌になる。祖国にいた頃はそれでも最低限の衣食住が確保されていた。国を出た瞬間、リューシャはこんなにも無力だ。
 一人で手持無沙汰に待っていると、だんだんと思考が袋小路に辿り着く。
 ――そもそも、一体何故こんなことになったのか。
 人は自分以外の何者にもなれない。わかっているが、少しでも歯車の違った世界のことを考えずにはいられない。
 リューシャがこの顔であの神託を持って生まれたのでなければ、今とはまるで違った人生が待っていたはずだ。ダーフィトのように幼い頃から剣を扱う訓練をしていたら、少なくとも今のようなことにはなっていないだろう。
 こうなったら雰囲気は大分違うが同じように細身で華奢な美少年であるウルリークの生き様を参考にするべきだろうか。彼は長い髪のせいか、リューシャより更に女顔という稀有な人物である。揉め事に巻き込まれても彼のような対応をとれば……無理か。うん、無理だな。
 柄の悪い男たちに絡まれても酔った親父に絡まれてもさらりと「私、あっちのお店で働いてるからぜひまた夜に来てね☆」などと軽く躱して頬に口付ける程の余裕はリューシャにはない。リューシャ以外にもないだろうが。
 ――わかっている。本当に問題なのは容姿ではない。
 国中から忌避された神託。
『この者はいずれ、総てを滅ぼす破壊者となる』
 その正確な意味は今もまだ解明されていない。
 破壊者とはどういう意味か。何を壊すのか。どうやって壊すのか。総てとはどこまでを指すのか。
 そのような人物に王位を継ぐ資格があるのか。そもそも――自分が生きていることに、問題はないのか。
 今までなんだかんだでこの問題に関する答を引き延ばしてきた。だが、もう、それも限界だ。決断の時は迫っている。
 いくら呪われた神託を受けた子どもとはいえ、自分は王子だ。アレスヴァルドの王族だ。生きるも死ぬも国のためでなければならない。
 いざとなった時生にしがみつくことは許されないが、勝手に死ぬことも許されていない。
 そしていくらこの状況がリューシャを排斥したい一派にとって都合が良かろうと、リューシャはただで引いてやる気はない。不吉な神託を受けた神の啓示だという理由付けで自分にとって不都合な相手を葬り去ることを合理化してしまえば、国はいつか立ち行かなくなる。
 アレスヴァルドの、次の王。父王の次は、例えそれが一瞬だとしても、一度は自分が玉座につくのだとリューシャは思っていた。
 継続的に玉座に座るつもりはない。破壊の神託による被害を極限に抑えるため無能として育てられたリューシャでは王の職務は務まらない。そんなことは昔からわかっていたことだ。元よりこんな不吉な神託を与えられた王が頂点に立つことは、例えそれがどれほど有能な人間だったとして民の気が休まらないだろう。
 次の王は。
(ダーフィト。我はお前を必ず玉座につける)
 自分とは違い、常に穏やかな人格者である再従兄弟の顔を思い浮かべる。リューシャにとって本当の兄のように今までずっと接してきた血縁。
 元々そう目されて学んできたダーフィトには、すでに王としての責務を果たすに足る実力がある。彼自身、人に必要とされ人のために働くのを望む性格だ。
 残る問題はダーフィト本人にリューシャを押しのけてまで玉座に着く意志がまったくないことと、これ程までに王位に望まれる人物でありながら、肝心の彼自身は正式な王位継承権を持ってはいないことだ。
 ダーフィトの父であるディアヌハーデ公爵ゲラーシムまでは王位継承権を有する。だがその息子であるダーフィトには王位継承権は受け継がれない。
 ダーフィトがもう少しだけ王位に近い存在であれば話は早かったのだ。王太子の再従兄弟となると遠縁としてもぎりぎりの間柄である。アレスヴァルドは古来より王族の血統を保ってきた。傍系から王を出すことは好まれない。
 このままゲラーシムの謀反を見逃せば、現在玉座についているだろうゲラーシムの息子であるダーフィトにも継承権は発生する。息子を溺愛しているとまで言われるゲラーシムなら、リューシャを助けて父を裏切った息子でもダーフィトが望めば再び受け入れるだろう。
 しかし、それでは駄目だ。ダーフィトを王位につけるにしても、エレアザル王を弑したゲラーシムのやり方を認めるわけにはいかない。
 リューシャはアレスヴァルドに戻り、自らの冤罪を晴らしゲラーシムの弑逆の証拠を上げて、彼を正当な手段でもって裁く。そしてその上で、罪人の息子であることとは関係なく、ダーフィト=ディアヌハーデを王位につける。
 ダーフィトを唆すだけでは駄目だ。自分をあくまで公爵子息であって王族ではないと考えているダーフィトは、いくらリューシャが諭したところで正当な王子を排して自分が玉座に着くのを認めるような性格ではない。
 だからリューシャはまずゲラーシムに奪われた玉座を取戻し、一度自分が王位に着く。そして自分の後継者として、年上の再従兄弟であるダーフィトを指名してすぐに退位する。
 今考え得る限りでは、これが最も良い方法だ。
 呪われた神託を受けて生まれたからこそ、リューシャはあくまでも「王族として」「正当な」方法に拘る。自らの血を繋げずダーフィトに王冠を渡す選択には確かに神託が関わっているが、そうするのはあくまでも自分自身の意志でなければならない。
 どれほど不吉な神託を受けようと、そのために無能に育てられようと、自身がアレスヴァルド王族として生まれた以上、王族としての義務は果たす。それがリューシャ=アレスヴァルドの最初で最後の矜持だ。
 そのことにより王族の直系が絶え、アレスヴァルドがアレスヴァルドたる由縁を失うとしても、リューシャは自分が最も正しいと信じる道を選ぶ。
(あるいは、神託の真意はそれなのか? 我はダーフィトを王位につけるために今のアレスヴァルドの在り方を壊し、新体制を作る切欠となる。それで“破壊者”か?)
 いまだに答の出ない問いを胸の裡で繰り返す。
 神託の真意はまだわからない。リューシャは自分の現状、周囲の環境から、あの神託の解釈はそういう意味なのではないかと考えている。
 リューシャ自身に何かを物理的に破壊する力などなければ、リューシャの生死によって左右される問題も大きなものはそうないだろう。半ば妄想の域に達するような突拍子もない可能性を考えるよりも、自身の現在の立場と能力からありえそうなことが神託の表現に引っかかって来ないかを考える。
(だが、状況が変わった。この大陸には、世界の東側には、アレスヴァルドの常識とは異なった神話が伝わっている。神の血を伝える国にも伝わっていない真実が、旅の途中で発見できる可能性がある)
 ウルリークがアレスヴァルドのことを気にしていた。神託によって定めを知るという仕組み自体ではなく、その仕組みを持つ国の成り立ちを。神託は神の預言を人に伝える仕組み。その神意を知るのに、アレスヴァルドという国自体に関わる真実が役に立つ……?
 わからない。まだ決めつけるのは早い。
 言葉なんて人の解釈次第でいくらでも捻じ曲げられていくもの。それは神託においても例外ではない。いくら偉大な存在の言葉でも、いくら清廉な神子がそれを伝えようとも、その言葉を受け取るのが結局自分のような取るに足りない人間でしかないのだから――。
 その時、考え続けるリューシャの耳に、破壊、という単語が琴の音と共に飛び込んできた。