Fastnacht 06

024

 どう考えても好意的な登場とは言えない男たちの態度に、リューシャは反射的に幼い少年を背後に庇った。
 悲しいことに、似たような状況はアレスヴァルドでも何度か経験したことがある。そのたびにセルマに助け出されては「殿下はお一人で裏路地に入らないでください。絶対ですよ!」と再三念押しされたことをも思い出し、溜息をつきたくなる。
 やってしまった。すでに先の見えた展開にリューシャは少しでも抵抗の意を示すべく男たちを睨み付ける。
「なんだこいつ」
「貴様らは何者だ」
 お互いに同じ問いを違う口振りで重ねる。鼻白んだ男たちがまじまじとリューシャの全身を眺めまわした。
 そのじっとりとした視線に慣れた不快感を覚える。常に偉そうで不機嫌で威圧的なリューシャの態度に圧されるのは、少なくとも後ろに手が回ることがない程度に善良に生きてきた者だけである。ならず者たちに効きはしない。
「へぇ……上玉じゃねぇか」
 男たちの眼に爛々とした不埒な光が宿る。
 こちらが男であることは服装でわかるだろう。だが真の美の前では性別など些細な問題だ。そしてそこまで芸術性を追求せずとも、単純に美しい男を愛玩する輩はどこの国にも一定層いるもの。
 相手はならず者と言っても、この様子からすると可愛い少年をただ路地裏に引きずり込んで無体を働く程度の輩ではない。恐らく組織的に動く人買いだ。
 セルマやダーフィトたちが案じていた最悪の事態にまんまとはまってしまった。一体どうしてこうなった。
 吟遊詩人もどきの銀髪の少年は余程この街に慣れてでもいたのか。迷いなくこの道を選んでいた。助けを呼ぼうにもこの裏通りには人気がなく、駆けこめそうな商店もない。一たび悪い輩に絡まれれば逃げられなさそうな場所に、一体何の用があったのか。
 せっかくの機会だったのに、もう彼に追いつくことも不可能だ。
 考えている余裕はない。当然、目の前の男たちにリューシャが敵うはずがない。
 背後に庇った幼い少年は縋るようにリューシャに身を寄せて震えている。
「綺麗な坊や。後ろの子どもを返してくれるか。その子は俺たちの身内でね」
「とてもそうは見えないな。三回ぐらい死んでせめて人並の顔に生まれ変わってから出直して来い」
「なんだと?!」
 挑発は危険な賭けで、しかも失敗したようだ。少しでも隙を作れれば脱出の突破口が開けるかと思ったが、真正面の男が一人勢い込んだ程度で、他の者たちはまったく動じる様子がない。
 じりじりと壁際に追い詰められる。左右に開けた道も、リューシャの身体能力で男たちに捕まらずに逃げるのは無理だ。少年だけを逃がすというのも難しい。
 通りがかる人影はなく、例え誰か通りかかったとしても相手は複数人だ。助けは望めない。
「そう怖い顔しなさんな。せっかくの美人が台無しだよ」
 横から別の男が顔を出して、リューシャを腕の中に閉じ込めるようにしながらだんだん身動き一つとれないよう包囲を狭めていく。抵抗は無駄だとわかっていたが、そもそもその抵抗すら試みることができないよう的確に押さえつけられる。
一人の男がリューシャをそうして拘束すると、更に別の男が懐から瓶と手巾を取り出した。薬を染み込ませたその手巾をリューシャの口元に押し付ける。
「んぐっ――」
「大人しくしろよ。無駄に暴れないで身を任せちまった方が痛い思いをしなくて済む」
 男の言葉を全て聞き終わるかも定かでない内に、リューシャの意識が暗闇に落ちる。
「お兄ちゃん!」
 同じように男たちに捕まった少年の悲痛な呼び声は、リューシャの夢の中にまでは届かなかった。

◆◆◆◆◆

「……来ねぇ」
「来ないな」
 辰砂は銀月と顔を見合わせる。
「これは失敗ってことですかね」
 長い杖の先端を肩に乗せて立っていた銀月は、何の反応もない裏通りで溜息をついた。
「えー! ちょっとどういうことだよ。せっかくこの僕が慣れない竪琴まで扱ってあれだけ派手に演出してみせたのにさぁ」
 人身売買組織の中に潜り込む囮となるため、つい先程まで港町リマーニの中央広場で竪琴を奏でていた辰砂が不満気な顔をする。
 兼ねてより緋と黄、二つの大陸にまたがって人身売買を続けていた組織の最近の獲物は、見目麗しい少年たちだった。
 男色は何処の国でも褒められたものではないが、だからこそ密かに耽溺する者が現れると言った始末で、上流階級では半ば公然の趣味として黙認されている。そしてそう言った階級の多くが求めるのは、少女よりも美しい少年だ。
 美しい少女は勿論高値で売れる。男も女も国を傾ける程真に美しい者が稀なのは同じだが、美しい少年はある意味美しい少女よりも貴重な存在だ。少年愛を好む方も、限りなく女に近い方がいいだの、紛れもない少年らしさを主張する方がいいだの、いちいち注文がうるさい。だからやり方を工夫すれば、少女よりも少年の方が高値で売れることがある。
 二つの大陸にまたがる組織は、異大陸で仕入れた美少年たちを遠い異国の上流階級に奴隷として売りつけていた。
 彼ら創造の魔術師御一行様が人身売買組織に関わったのも、ひとえに彼らの獲物が「見目麗しい少年」だったからだ。たまたまその時緋色の大陸にいた三人の弟子の一人紅焔が、人買いに目をつけられて攫われそうになったのである。
 そこで紅焔の恋人であり同じく辰砂の弟子である白蝋が激怒した。紅焔自身相当な実力者で実質被害はなかったようなものだが、このまま白蝋を怒らせておいたら文字通り人身売買組織の全てを燃やしかねないということで、銀月と辰砂がまぁまぁと暴走を宥めたのだ。
 更にその後地道に組織を潰すべく証拠固めをしていた辰砂たちは、つい先日とある魔王から救援要請を受けた。
 魔王と言っても現在進行形で人類を蹂躙中の魔王ではなく、かつて魔王と呼ばれた男の生まれ変わりという程度の存在である。
 名はラウズフィール。
 黄の大陸に存在する砂漠の国ベラルーダ。銀月の祖国でもあるその国でかつて“血砂の覇王”と呼ばれた魔王の生まれ変わり。
 今生ではただの人間として生きていくつもりだった彼がよりによって神をも殺す伝説級の存在である魔術師辰砂に連絡を取ったのは、彼の恋人が攫われたからだという。
 この話の流れですでにお察しの通り、ラウズフィールの恋人は男だ。正確には前世の恋人で今生では顔を合わせはしたものの云々と本人が長々言い訳していたが、話を聞いていた銀月たちとしてはそれはもう恋人でいいだろうとひとくくりにしている。
 人身売買組織が血眼になって集めている、見目麗しい少年。
 取り乱したラウズフィールは恋人を取り戻すために辰砂の縁者を召喚し、協力を取り付けた。
 組織を潰すだけでなくラウズフィールの恋人を取り戻すという目的が加わった以上、もたもたしてはいられない。辰砂たちは手早く組織を一網打尽にし無事に少年を取り戻すため、わざと奴らの懐に潜り込むことにした。
 とは言っても紅焔はすでに面が割れているので使えない。そもそも白蝋が許さない。
 ラウズフィールも銀月も相当に美しい男だが――男なのだ。つまり、「少年」ではない。
 人身売買組織はかなり獲物を絞って選別しているらしく、いくら美しくても成人男性はお呼びではないらしい。銀月の造作は申し分ないだろうが、彼は体格の良い砂漠の人間らしく上背があるので、抵抗された時のことを考えると扱いづらいのだろう。
 となると――条件に合うのはもう一人しか残されていない。
 創造の魔術師こと辰砂は自ら一肌脱いで、囮として人身売買組織に捕まることにした。
 ……のだが。
「くっ! あいつら見る目ないんじゃないの! こんな可愛い僕があれだけわかりやすい行動をとってやったっていうのに!」
 特徴的な色違いの瞳をいつものように魔術で紫に変え、わざわざ攫われやすいように一人で人気のない路地裏を歩いてやったのだ。絶好の機会だというのに、何故攫いに来ない?! と辰砂は憤慨する。
「いやお師様、そのお年で自分で自分のこと可愛いっていうのはどうかと……」
 銀月が呆れているのか宥めているのか煽っているのかわからない口調で言う。十代半ばの少年姿をしている辰砂は確かに愛らしいのだが、正直な話、銀月は他にもっと美しい人を知っているのでそう言った意味での食指は動かない。
「やっぱり変化で適当な美少年に化けておくべきでしたかね」
「そうするといざという時に実力を発揮できないって拒否したのはお前だろ? まぁ、どうせ僕が潜入役なら関係ないってのは確かだけど、でもムカつくな」
 余程自分が美少年だと思われなかったことが腹立つらしく、辰砂は頬を栗鼠のように膨らませてぷりぷりと怒っている。
「――ま、冗談はこのくらいにして」
「冗談だったんですか? てっきり本気かと」
「うるさいよ銀月。しかし、厄介だな。そろそろ奴らが動く時期だろう。早く魔王の恋人を取り戻さないと面倒なことになるよ。各国に売られた後で救出するのは面倒だ」
「そうですね。もう潜入とか手間なこと考えずに直接乗り込みますか。……あ」
 銀月は耳飾りから流れてきた声に耳を澄ませる。しばらく話を聞いて、辰砂に内容を伝えた。
「今ラウズフィールから連絡が来ました。どうやら向こうさんの方で不手際があったそうですよ。捕まえていた子どもが一人脱走したとかで、それを捕まえていて他に手が回らなかったようです」
「そっか。それで新しい獲物に手を出すのを控えたってわけか。……ならそろそろ動き出しそうだな」
 これまで辰砂たちが人身売買組織を追い詰めることができなかったのは、彼らが攫ってきた少年たちをいくつかの集団にわけてそれぞれ別々の道で運んでいたからだ。組織を潰すつもりならばその全てを叩かなければならない。
 これまでの調査でもはやアジトも構成員も調べ上げた。今なら奴らを潰せる。
「さて、行くか」
 ただの人間に負けることなどない伝説級の魔術師は、軽く弟子を促した。
 彼自身の待ち続けた宿命の出会いが、この先に待っていることも知らず。

 第1章 了.