Fastnacht 07

028

 リューシャたちは小屋から引き出され、粗末な馬車に乗せられた。
 様々な証拠の残る港町から離れ、人身売買組織は「商品」である少年たちを内陸の国々に売るつもりなのだ。
 リューシャもシェイやスヴァルと共に、一台の馬車へと荷物のように詰め込まれた。手枷を嵌められたまま、出来ることと言えばこちらに無関心な監視の目を盗んでのお喋りぐらいしかない。
 人買いに攫われて無気力になっている他の少年たちとは違い、リューシャとシェイだけが脱出の希望を諦めていなかった。
 しかし、今のところ画期的な打開策が見つからず行動に移せない。動きを制限する手枷と馬車の扉につけられた頑丈な鍵。窓から彼らを見張る監視の目をどうにかしなければならない。
 そして仮にそれらを何とかできたとしても、馬車を使わねば街に辿り着けないような道の途中で放り出されても困る。勝負はきっと、この馬車が止まってからだろう。
 とりあえず今は大人しくしているべきだろうと、リューシャはシェイとスヴァルと並んで壁にもたれるようにして座っていた。
 この馬車に乗せられている少年たちは、自分も含めて皆綺麗だ。少女じみた優しげな面差しから少年らしいきつめの眼差しをした子どもまで、多種多様な趣ある美しさを持つ少年たちが集められている。
 今はそれらのどの顔も、先の知れない不安と憐れな己の身の上を嘆く絶望に染め上げられている。
 リューシャは自分の隣に座るシェイを眺めた。彼だけがリューシャと同じように、このような状況でも比較的落ち着いて平然としている。高貴な身分で何か複雑な事情があるらしいスヴァルの不安や他の少年たちの明日をも知れぬ我が身に対する不安はわかるのだが、シェイの不自然な落ち着きが気になった。
「シェイは大丈夫なのか? 他の者たちと違って、お前だけは最初から大分落ち着いていたが」
「僕? 僕はまぁそりゃ……うーん。不安がないとは言わないけれど、まぁなんとかなるって思ってるし、なんとかするよ」
「顔に似合わず豪胆だな」
「リューシャには負けるよ。それにね、僕は平和な場所からいきなり攫われてきた子たちとはちょっと事情が違うから。一人旅の危険なんて知っていたのに、それでも船に乗ったんだ。故郷に戻れない事情もあるし、待っている人もいない。帰ることを考えずに脱出だけすればいいから気楽なんだよ」
 意味深な言葉に、リューシャは眉を潜める。故郷に戻れないと言いながらも、シェイの顔に悲壮感らしきものは見受けられない。
「……シェイは何故この大陸に来たんだ? お前は黄の大陸の人間なんだろう?」
「うん。その辺りの事情が色々僕の素性とここにいる理由に関係してくるんだけどね……ねぇ、リューシャ」
 そこで一度彼は言葉を切り、リューシャの目を真っ直ぐに見返して尋ねた。
「“運命”って、信じる?」
「運命……?」
「そう、人が生まれる前から定められていた縁のこと」
 シェイの言葉に、リューシャはアレスヴァルドの神託を思い出した。生まれる前から定められていた人生の道筋。初めから決まっていた、回避不可の結末。
「信じるかどうかと言われれば難しいが、信じている」
 信じたくはない。だが、信じている。それは今更、当たり前すぎて疑うことすら難しいものだ。
どんなにその託宣が忌まわしい結果であろうと、アレスヴァルドの民は己に与えられた神託を裏切れない。
「……難しい答だね」
「アレスヴァルドには、神託という伝統がある。生まれる子どもの人生について神に伺いを立てるのだ。国民全員がこの神託を受けて、自分がどのような宿命を与えられているのかを知る」
「そう……。そう言えば、青の大陸は西側で最も神様の力が強い地域なんだっけ。だからかな。東側では珍しい考えだと思うよ」
 アレスヴァルドの民であるリューシャは根本的な考え方すら東の民とは違うと思い直したのか、シェイは丁寧にその事情を説明した。
「東側ではね、運命なんてただの迷信、妄想だってのが一般的な考え。変えられない未来なんてないってことだね。ただ、うちの村……月の民の集落には、占い師の婆様が済んでいたんだ。月の民は黄の大陸南部の銀砂漠に住まう半遊牧民で、月の女神イーシャ・ルーを信仰している一族」
「イーシャ・ルー? 月女神の名はセーファではないのか?」
「うん。イーシャはセーファの別名だって。砂漠の国々はだいたいこの女神さまを信仰しているよ。それでまぁ、月の民は東の民には珍しく特定の神を深く信仰してるからか、西の民の性質にも少し近いのかもしれないね。占い師の婆様は時々運命って言葉を使ってた」
 シェイは視線をリューシャから離し、どこか遠くへと向けた。ここにはない過去。彼自身の記憶を覗き込むように。
「ある日僕は神殿へのお使いを族長に命じられた。月の民には独特の慣習がいくつかあって、そのお使いが僕に命じられたのは慣習に沿わない珍しいことだった。僕は神殿に奉納物を納める役目を果たした後は、村に帰って来なくていいと言われたんだ」
「……どうしてだ?」
「占い師の婆様のお告げだよ。何故なら、その旅で僕が“運命に出会う”からだって」
 リューシャはぽかんと口を開けた。何が何だかよくわからない。神託に人生を左右されるアレスヴァルドの事情もなかなかだが、シェイの半生も実に劇的だ。
「そして僕は――運命に出会ったんだ」
「どういう意味だ?」
「生まれ変わりって、信じる?」
 こちらの質問に答えないまま問いを重ねる。だがどうやらからかって言っているわけでもないらしく、リューシャは素直に答えた。
「わからない。転生と言う言葉自体は聞くが……」
 生まれ変わりだとか前世の記憶だとか、そう言った言葉自体は物語でよく聞く。だがそれを信じているかどうかと聞かれるとわからない。神を信じる信じないよりも突拍子もない質問に思えた。
 ふと、何度も繰り返し見る海の夢の情景が脳裏を過ぎる。もしかして、あれは――。
「僕がその旅で出会ったのはね、前世の恋人だった人」
 シェイの言葉に思考を中断され、リューシャは俯く彼の横顔に視線を戻した。
「前世の……?」
「うん。僕はなんと、昔のお姫様の生まれ変わりらしいよ」
「……ちょっと待て。お前が姫だということは、相手は」
「男。前世も今生も男。笑っちゃうよね。運命の相手が同性って。しかも結構バカ。出会いがお伽噺的な意味とは別の意味で結構衝撃的で、ずっとこいつ本当は何考えてんだろうって疑わしい目で見てたんだけど」
 馬鹿な男だと口ではこき下ろしながら、前世の恋人の生まれ変わりについて語るシェイの眼は穏やかで優しい。
「前世では恋人同士。なら、今はどうなのだ? 友人なのか?」
「うーん。それが今ちょっと微妙でね……」
 回りくどい言い回しに焦れて問いかけると、何故か溜息を返された。
「向こうは前世も今生もちょっと問題を抱えてる人物でね。だから無事今生で再会できたはいいものの、今度は自分の運命に僕を巻き込むわけには行かないからって、逃げちゃったんだよね」
「は?」
「逃げられたの。勝手な奴だよ。最初は自分の方が僕の旅に無理矢理ついてきたんだよ? それなのに僕がいざこいつと一緒にいてもいいかなって思った途端に逃亡だよ? 酷くない?」
「……えーと」
 何とも相槌を打ちがたく、リューシャは適当な言葉でお茶を濁した。これならばまだ先程の運命だの前世だの生まれ変わりだのといった話を聞いていた方がマシだ。
 そう言えば、リューシャはこうして自分と同世代の人間と、何の下心も駆け引きもなく普通に話をするのは初めてなのだ。
 王族に付き物の学友でさえリューシャには与えられなかった。お忍びで街に出ても、一言二言のやりとりならともかく必要もない話を長々とするような性格ではない。
 この大陸に来てからウルリークと出会ったが……彼は彼で、違うのだ。見た目は同世代の少年でも、その中身はやはり長きを生きる魔族としか言いようがない。
「……シェイ自身は、結局その相手のことをどう思っているんだ?」
 追いかけるのは恋か、それともただの友愛か。
 運命の相手。
 けれど二人の間にある運命とは、一体どのようなものか。
 前世で男女の関係にあったからと言って、男同士で生まれた今生でまで律儀にそれをなぞる必要もないだろう。
「僕は――」
 シェイが一度口を噤む。その涼やかな美貌に、一瞬酷く狂おしい熱情を覗かせて囁いた。
「僕は、“運命”を捕まえに来たんだ」
 何故この大陸に来たのかとリューシャは最初に聞いた。これが、その答。
「だからまぁ、あいつに無事再会するっていう目的はあるけどどこかに帰らなきゃいけないとか、そういう気持ちはないんだ」
 シェイの眼差しは、諦観とは無縁の力強い意志を放っている。故郷に帰るつもりがないということはつまり、それだけ全力でもって運命の相手を追いかけているということ。
「逃げられそうな機会があったら協力しよう。でもお互い、最優先は自分のことだよ。いいね?」
「ああ」
 リューシャは頷いた。
 それだけ真摯に追いかける、追いかけたいと思える相手がいるシェイのことを、酷く羨ましく感じながら。

 ◆◆◆◆◆

 人身売買組織に攫われた仲間を取り戻すため、セルマたちアレスヴァルド一行と辰砂一行は一時的に手を組む。
 辰砂は念のため紅焔と白蝋には姿を隠して裏方に回るように告げ、とりあえずは今ここにいる六人でできることをこなすことにした。
「人身売買組織に関して、黄の大陸で大々的な動きがあったらしい」
「黄の大陸?」
「ああ。あの組織は緋色の大陸だけでなくお隣の黄の大陸も狩場にしてたんだよ。こっちの大陸の人間を向こうに、向こうの大陸の人間をこちらで売りさばく。そうすれば追手もつきにくいし利益も上がるってね」
 以前に比べて行き来が増えたとはいえ、海上の治安は陸上に比べてまだまだ発展途上だ。大陸間の交流がそれほど活発でないこともあり、上手く「商品」を運べれば足のつかない商売だということか。
 美の尺度はそれぞれとは言え、遠国の珍しい特徴を備えた美しい奴隷はよく売れる。
「奴隷なんて……」
「ダーフィト。ここは抑えろ。今更そこを論議したところでリューシャ様を取り戻す役に立つ訳でもない」
 人買いの話を聞いて強い不快感を示したのは、ダーフィトと呼ばれる育ちの良さそうな貴公子だ。育ちが良ければ良い性格になるというわけではないが、少なくともダーフィトに関しては人の好さそうな顔立ちそのままだ。
 奪還計画に関して積極的に意見をやりとりするのは主にセルマだった。彼女は裏世界の話に非常に精通しているらしく、辰砂たちが読みきれない組織の思考についても納得の行く推測を展開した。
「とりあえずそういうことだから、黄の大陸の軍勢がついてややこしくなる前にさっさと二人の回収だけでも成功させよう」
 リマーニの宿の一室を借り、六人は頭を突き合わせながら地図を覗き込む。
「組織を潰すために抑えなければいけない拠点はここ」
 辰砂の指が、古ぼけて黄ばんだ地図を軽く叩く。
「奴らが攫った少年たちを閉じ込めているだろう場所が、ここ、ここ、それからここ」
 今現在自分たちがいるリマーニを中心として、周辺の村や町のいくつかを指差した。
「村そのものにはいないかもしれない。拠点は別で構成員が物資の買い出しに来ているだけかも。でも白……アリオスって仲間が調べた情報によると、少なくともこことここは確実だと」
 攫った少年たちを集めている場所が、複数個所存在する。攫われたばかりのリューシャはこの近辺にいるだろうが、シェイに関してはわからない。
 そのため一行は二人ずつ三組に分かれてそれぞれ襲撃をかけることにした。最悪、人質を取り返せば後はこの国の官憲に通報でもなんでもすればいい。
「あ、あのー……」
「どしたのラウズフィール」
「すいませんちょっとご相談がありまして」
「何さ」
「私はシェイを助けたいのですが、可能ならばできるだけ彼に会いたくはないんです」
 しーん、と部屋に理解不能の沈黙が降りた。
「どういうこと?」
 代表して辰砂が片眉を上げて問いかけると、ラウズフィールはいかにも渋々と言った体でその複雑な事情を語り出す。
 ラウズフィールとシェイは、もともと一緒に旅をしていたわけではないこと。
 ラウズフィールとしてはシェイを自分の運命に巻き込んでしまうのが嫌で、彼から逃げ続けていたということ。
 それでもシェイは明確な切欠がない限りラウズフィールを追い続けるであろうこと。
「ここで捕まったら今まで逃げ続けてきた意味がないと」
「……はい」
「……お前は阿呆か」
 今まで前提として考えていた「ラウズフィールとシェイは恋人なのか」問題がここに来て思った以上に厄介な話であることに、辰砂と銀月は溜息をついた。
 ラウズフィールの態度はあからさまにシェイへの想いを伝えていたが、彼はシェイを自分の恋人だとは言わなかった。
 照れているだけという問題ではなく、どうやら一朝一夕では語れない事情があるらしい。
「でもそれだと僕らがあからさまに不審なことになるよ。縁もゆかりもない人を人買い組織に突撃して助けるなんてただの変人だよ」
「でも辰……アスティさんたちはもともと人身売買組織を壊滅させるために動いていたんですよね? そちらを手伝いますから、できればシェイの前で、私の名を出さないでいただきたい」
 変わった依頼人の変わった要望に、辰砂と銀月は喉奥を唸らせる。
「うーん。ってことは、ラウズフィールは奪還班には参加しないってこと?」
「シェイと直接顔を合わせることがなければ構いません。ですから、奴らの活動時期的に考えてここならシェイがこの大陸に渡ってくる前に攫った少年たちを捕らえているところでしょうから、助けに行くことが可能です」
 人質を奪還せねばならない三か所の拠点のうち一つをラウズフィールは指差す。
「あんたらはどうする?」
 銀月がセルマたちの意見も聞こうと尋ねて来た。三人は目を見合わせる。
「私たちはリューシャ様を無事に取り戻すことができればなんでもいい。ウルリークとリューシャ様があなた方に聞きたいことがあるというし、この大陸に少し残ることも考える」
「あー、まぁ……その辺の問題は置いておくとして」
 いまだウルリークから向けられる心当たりのない興味を向けられている辰砂は、微妙な顔つきになる。
「じゃあラウズフィール以外の人間はこだわりもないことだし、とにかく奪還作戦を進めるために動いてもらおうよ」
 そうして彼らは誰と誰が組み、どのように動くかを大雑把に打ち合わせて早速出発した。