Fastnacht 08

031

「ウルリーク!」
「あ、リューシャさんいます? 今開けますからねー」
 馬車の外から聞こえてきた声は、やはりウルリークのものだった。気楽な返事に安堵して、リューシャは馬車の奥から後部の入口へと向かう。
 外で何をしたのかはわからないが、明らかに正当な手段で鍵を外したのではないような音がして、扉が開いた。
「やっほー。リューシャさん。お待たせしました」
「遅い!」
「あー、はいはい。セルマさんたちの予測した通りの第一声ですね。これあらかじめ聞いてなかったら、いくら温厚な俺でも助けに来てやったのに何その態度! ってキレてましたよ……」
 馬車の台にひょっこりと身を乗り上げたウルリークの姿にシェイとスヴァルが警戒をする。シェイに至っては当面の武器とした金属板を手に持ったままだ。
「あと念のためお尋ねしますけど、こちらに月の民のシェイさんって方いらっしゃいます? いらっしゃったらお返事を」
「へ?」
 この異変に眠り込んでいた少年たちは次々と目覚めるが、状況がわからずただ困惑している。それらの中から銀髪の少年に視線を向けて探す様子のウルリークに、最初から武器を構えて立ち上がっていたシェイが自ら名乗り出る。
「シェイなら僕だ。月の民のシェイ=ラブラ。でもどうして……」
 そこでシェイはハッと目を瞠った。
「ラウズフィール?! もしかしてあなたはラウズフィールの知り合い?!」
 シェイは黄の大陸からやってきた人間だ。当然この大陸に知り合いなどいない。いるとしたら、彼が追ってきたその相手、前世の恋人だという男ぐらいだろう。
 掴みかからんばかりのシェイの勢いに、ウルリークがしまったと舌を出す。
「あ、やべ。早々にバレちゃった。せっかくラウズフィールさんの名前出さないようにって言われてたのに。ねぇどうします? アスティさん」
「アスティ?」
 ウルリーク一人ではなく、すぐ傍に誰かがいるようだ。そう言えば先程彼以外の少年らしき声も聞こえたような。
 ウルリークに無理矢理腕を掴まれた状態で、その「もう一人」がリューシャたちの前に顔を出す。
 その人物を見た瞬間、リューシャはいつかのように再び言葉を失った。
 限りなく白に近い銀の髪、紫の瞳。
 華奢な立ち姿に不思議な威圧感。神秘的かつ退廃的。
 自然の美と人工物の美が混然一体となった無限の白を纏う少年。
 リマーニの広場で神話を歌っていたあの少年がそこにいた。
 リューシャは思わずシェイを押しのけて前に出る。
「……僕に何の用?」
 あまりにもリューシャがじっと彼を凝視するので、少年の方から尋ね返してきた。
 少年の紫の双眸と、リューシャの空色の瞳が視線を交わし合う。
 あの時、あの広場で追いかけてついに追いつくことのできなかったその姿が今ここにある。
「あ……」
「僕は、君を知らない。そのはずなんだけど……」
 知らないとは言いつつも、彼は彼で訝しげな顔をしている。
 知らない?
 本当に?
 何かが彼の記憶を刺激する。自分の事情とはまた違う理由で、彼もリューシャを見てどこからか浮かび上がってくる想いがある。
 波音。竪琴。歌。笑い声。笑顔の人々。
 遠い日に手を引いてくれたその人。
 リューシャが何度も夢の中に見た少年は、現実の世界で自分を「知らない」という。
 当然だ。だって彼は今も昔もただの人間なのだから。
 だけど自分は――。
「リューシャさん」
 ウルリークが話しかけてきて、一瞬思考が途切れた。今まで考えていたことを忘れ、リューシャはウルリークへと視線を戻す。
「お話したいのはわかりますけど、ずっとここにいるわけにも行かないでしょう。とりあえずこの連中とその被害者たちをなんとかしなければ」
「あ、ああ。……そうだな。そう言えばそもそもセルマたちはどうした」
 馬車の荷台の上から周囲を見回しても、姿が見えるのはウルリークとアスティの二人だけだった。セルマとダーフィトの姿はない。
 そもそも、リューシャがリマーニの街で追いつけなかったこのアスティという少年がどうしてここにいるのか?
 ウルリークが簡単に説明する。
「何、いろいろあってあなた方を助け出すために手を組んだだけのこと。アスティさんだけでなく他にも何人か協力者がいます」
「そうなのか?」
「人身売買組織の拠点が複数個所に別れていたので手分けして探してたんですよ」
 ウルリークはこれまでのやりとりに置き去りにされていたシェイに告げる。
「そもそも最初に攫われた人を取り戻したいと口にしたのは、あなたの恋人ですよ。シェイさん」
「恋人って……」
「ラウズフィールさんです」
 リューシャたちは知らぬことだが、ラウズフィールはシェイ救出の際に自分の名を出さず、できれば関わっていることも知られないようにしてくれと各人に頼み込んでいる。
 もちろん悪戯好きのウルリークがそんな約束を守るはずなく、シェイの方でラウズフィールの名前を先に口に出したこともあって、容赦なく救出作戦の背景にある事情をバラした。
「というわけで俺たちと一緒に行きましょう。このままついて来ればラウズフィールさんに会えますよ」
「……そのわざとらしい言い方だと、逆に怪しいことを企んでいるようにも聞こえるぞ」
「あら? そうですか?」
 アスティの冷静な突っ込みにウルリークはやはりわざとらしい微笑で応じ、シェイに手を伸ばす。
「あの」
 シェイの方でも意を決して彼らについて行こうと決めたようだが、一つだけ問題があった。
「ラウズフィールに会わせてもらえるのは嬉しいんですけど、他の攫われた子たちや、この組織をどうするおつもりですか?」
 見た目シェイより年下に見える二人に思わず丁寧な言い方をしてしまったのは、アスティとウルリークのいかにも怪しい気配故だ。この美しい少年たちはどちらも如何にも一筋縄ではいかない雰囲気を持っている。
 ウルリークもアスティも見た目は十四、五歳なのだが、それよりも長く生きている者独特の気配を放っていた。本能的にどこか恐ろしく感じる。
 けれどどんなに恐ろしい相手でも、例えこの場にいるのが彼ら二人ではなかったとしても、シェイには他の少年たちを見捨てるという選択肢はなかった。特に今も彼の腰の辺りにしがみついている少年スヴァルは――彼だけは何としてでも黄の大陸に帰さねばならない。
「その子たちも一応助ける。でもそれより君たちのことが先だ」
 アスティがシェイとリューシャに手を差し出す。だが二人は咄嗟にスヴァルのことを見つめた。
「スヴァル、お前はどうする?」
「殿下、帰らなければいけないんですよね?」
「スヴァル?」
 その名を聞いたアスティが顔色を変える。
「待てよ、その名はシャルカント帝国の――」
 シェイの影で半分身を隠すようにしていた少年の名を聞き、アスティが顔色を変えた。
 馬車の荷台に身を乗り出してスヴァルを引きずり出そうとしたところで、全員の耳に地を轟かす馬蹄の音が届いた。
「なんだ?」
「あれ……軍隊じゃないですか?」
「軍だと?! 一体どこの?!」
 ウルリークには緊張感の欠片もないが、アスティは先程より更に顔つきを険しくした。リューシャたち三人と周囲の状況を見回したところで忌々しげに舌打ちする。
「軍に見つかるのはまずい」
「それに軍人がこの馬車を見つけてくれるなら、リューシャさんたち以外の少年の行く末に気を配る必要もありませんしね」
 救出に来たはずの少年二人は一瞬で意思の疎通を図ると、それぞれ目の前の相手に手を伸ばした。ウルリークはシェイに、アスティはリューシャに。
「奴らが来るまでにさっさとずらかろう! 行くぞ!」
 リューシャは思わず状況も忘れてアスティの白い手を掴もうとした。けれどその隣で、シェイがウルリークの手を振り払う。
「待って! 僕は行けない! スヴァル殿下のことだけは、せめて最後まで見届けないと――」
「ええ?! 駄目ですよそんなの!」
「――時間切れだ」
 金髪の子どもを抱いてかぶりを振ったシェイに、アスティが冷然と宣告した。
「僕たちは一旦退く。奴らにはうまくごまかしておいてくれ」
「あ、待っ――」
 どれだけ軍から身を隠す理由があるというのか、アスティはウルリークの肩を抱いてさっさと転移の術を発動する。
 差し伸べられるはずだった手はリューシャが掴む前に引っ込められ、追いかけようにもすでに二人の姿はなく伸ばした手は空を切る。
「シェイ……!」
「でもこの方を残してはいけないよ!」
「この方って……」
 リューシャはスヴァルを静かに見つめる。スヴァルは何故か、どこか悲しげな翡翠の瞳でリューシャを見返した。
 身分の高そうな子ども。スヴァルと同じ大陸出身のシェイ。二人が知るベラルーダ王の名前。そして先程アスティはシャルカント帝国という名を口にしていた。
「スヴァル……お前は」
「殿下!」
 馬の嘶きと共に、誰かを呼ぶ声が蒼天に響いた。
 殿下という耳慣れたその敬称が自分に対するものではないことくらい、もうリューシャにもわかっている。
「そうだよ。お兄ちゃん」
 明るい色彩を持つ容姿に陰りを加える程に暗い表情でスヴァルは言った。
「私は……シャルカント帝国第一皇子スヴァル」