Fastnacht 09

034

 抗う隙もなく兵に身を囲まれ、リューシャとシェイは緋色の大陸を出発して黄の大陸に向かう船へと乗せられた。
 ラウルフィカがベラルーダから率いてきた軍艦の一隻だ。国王の乗る船だけあって、波の揺れも少なく内装も小さな国の宮殿並に凝っている。
 リューシャなどは歴史ある大国アレスヴァルドの王太子なのでそのぐらいの豪奢さでは眉一つ動かさないが、シェイに関しては触れるのも怖いと言った様子で恐る恐る周囲を見回していた。船の中だというのに高そうな調度品ばかりで、うっかり壊したら目も当てられない。
 その様子にリューシャも少しだけ安堵する。馬車で港まで来る間はずっと暗い顔で俯いていたシェイがようやく立ち直ったように見えるからだ。
「ごめんね」
 リューシャの内心を読んだかのようにシェイが話しかけてきた。
「取り乱したりして。リューシャだって不安だったろうに」
「……取り乱すという程ではなかっただろう。あの状況なら誰だって動揺して当然だ」
「うん。でも……僕よりリューシャの方が辛いんじゃない? 指名手配って……」
「お前こそいいのか? 我は本国で大罪を犯してここまでやってきた逃亡者かもしれないのに」
 実際、指名手配とはそういうことだ。ゲラーシムはリューシャにエレアザル王殺害の罪を着せているのだから、先王を弑逆した罪でリューシャを各大陸に手配したのだろう。
 半ば冗談交じりに、半ば本気での問いにシェイはあっさりと、けれど十分な思慮の上で出された答を口にした。
「僕は人伝に聞いた話よりも、自分の眼で見たリューシャを信じる。だから大丈夫」
 ――ああ。
 リューシャは吐息を噛み殺す。
 ――なんて眩しいのだろう。
 出会った時から彼はそうだった。誰もが不安で俯いてしまうような絶望的な状況でも諦めず、自分を見失わず、誰かを思い遣ることができる。全てを救おうなどという傲慢さではなく、自分の手の届く範囲に必ず手を差し伸べる。そんな人物。
 銀の太陽。月の民と名乗る少年には不似合いかもしれないが、リューシャはシェイを見ているとそのような言葉が思い浮かぶ。彼の光は明るすぎず、ただ、眩しい。
 太陽の光を返さねば輝けぬ月ではなく、この世界が光であっても闇であっても自ら光を放つ、小さな太陽。
 この少年を守らなければ。無理にとは言わない。自分にそんな実力がないことも理解している。けれど自分なりに精一杯の力で彼を守らなければ――そうでなければ、自分のちっぽけな矜持からも、うまく形にできない何かが失われてしまうとリューシャは思った。
 それはリューシャ=アレスヴァルドという人間の、人間としての最後の意地なのかもしれない。
「まぁ、どうせウルリークたちならあの手この手の手段を使って黄の大陸まで追いかけてくることは確実だからな。我らは今はただ待っていればいい。せっかくこれだけ豪華な船に乗れたんだ。しばらくは船旅を楽しむとするか」
「相変わらず豪胆だねー」
 シェイがようやく笑った。リューシャが当然のように長椅子に腰かけて寛ぎはじめると、その隣におずおずと腰を下ろした。
「しっかし、うちの国こんなにお金あったのかなぁ……?」
 ふかふかのクッションを手で叩きながら首を傾げている。
「ベラルーダはそんなに金がないのか?」
 リューシャも黄の大陸の経済には詳しくないのだが、確か砂漠地帯が多い大陸のため全土に渡って肥沃な大地を持つ他大陸より収穫が少なくどこもそれほど裕福な国ではなかった気がする。
 農作物の収穫が全てではないが、国内の食料の自給率が大陸全体でどこも低いのであながち間違いではない。ただここ最近中央大陸を介した交易でようやく他大陸との商取引が活性化するのではないかという推測もされていたはずだ。
「いや、どうだろう。国民に隠しているだけで実はあるのかもしれないけれど。月の民はベラルーダ属とは言ってもちょっと微妙な扱いで僕も自国のことなのにそんな詳しくないしな。ただ、飛び領土で港と船を手に入れたのがそもそも結構最近のことだよ。ここ三年くらいの。それは――」
「それは、我が国が海軍戦力を手に入れた背景が、シャルカント帝国の思惑によるからだ」
 硝子の鈴を鳴らすような声と共に、ラウルフィカが室内に入ってきた。その腰の辺りにはスヴァルの姿もある。
 ラウルフィカは背後に引き連れた護衛たちを理由をつけて部屋の外に追い出すと、テーブルを挟んでリューシャたちの対面の長椅子に腰かけた。スヴァルも大人しくその隣に座る。
「寛いでいるか? 二人とも」
「おかげさまでな。ルームサービスはまだか?」
「食事の支度はすでにしている。もうしばらく待ってくれ。大事な客人よ」
 シェイがはらはらと見守る中、リューシャとラウルフィカはさっそく皮肉の飛ばし合いをする。
「……なんて、な。ここには他の人間の眼はない。そう言われても難しいかもしれないが、夜までは本当に寛いでくれ」
 ラウルフィカがふと表情を和らげ、国王としての顔ではなく素の青年の顔で言った。リューシャは訝しげに眉を上げる。
「夜まで、とはどういうことだ? 何かあるのか?」
「別に何も。単にここが私の部屋で、他にお迎えする場所がないのでスヴァル殿下もこちらで過ごしていただくからだ」
「え、ここ国王様の部屋なんですか?!」
 思わず叫んだシェイがはっと一瞬後に我に帰る。これまで貴族や王族との付き合いなどあるはずもなかったシェイにすれば、知らないうちに無礼な態度をとってしまうだけで汗が止まらない。一応ラウズフィールは貴族でリューシャは王族だが、彼らに関しては出会いが出会いだ。
「も、申し訳――」
「いや、帝国に着くまではともかく、私相手には普通に話してくれて構わない。スヴァル殿下も気にしないと仰っている」
 ラウルフィカの言葉に、シェイは少しだけ緊張を緩めた。しかしリューシャの方は険を含む表情を崩さない。
「貴様は我らをどうする気だ」
「その判断をするのは皇帝陛下だ。ただ……大人しくしていてくれれば、命を奪うようなことにはならない」
 シェイはその言葉に安堵したようだが、リューシャは逆に不穏なものを感じた。
 命を奪わないということは、それ以外の何をされるかわかったものではない。ラウルフィカの憂いを含んだ表情からもそれは明らかだ。
 だがその辺りの詳しいことはシェイのいる今は聞けない。
 扉が叩かれ、ラウルフィカが入室の許可を出すと従者らしき男が四人分の茶の支度を運んできた。さすがに海上なので侍女――女性はいないらしい。
 茉莉花の香りがするお茶を嗜み、量は僅かだが日持ちのする菓子を口に入れる。
 毒殺を警戒するわけでもないが手をつけづらかった二人より先に、スヴァルが菓子に手をつけて見せた。シェイなどは素直に子どもらしい行動と受けとっていそうだが、リューシャには何の感慨も浮かんでいない翡翠の瞳が、ただ二人にこれは安全な食べ物だと示すためだけに手を伸ばしたことを伝えていた。
 思うところは色々あるが、それでもこれまで人身売買組織に荒っぽい扱いを受け、満足のいく食事が摂れなかった二人は腹に何か入れることによって、少しだけ気分が落ち着いた。
「それで」
 リューシャとシェイが寛ぎはじめたところでラウルフィカが改めて声をかける。
「結局二人とも、どうして緋色の大陸にいたんだ」
「「……」」
 どこまで何を話したものかと、リューシャたちは思わず無言になる。
「我は知っての通りアレスヴァルドで冤罪を着せられ処刑されるところを逃亡した。が、魔道具の事故で緋色の大陸まで飛ばされた」
「……それは随分とまた、災難だったな」
 追われている国から離れても、それで別の厄介な皇帝に目をつけられるのではたまらない。同情するよ、と白々しいことを言って終わらせたラウルフィカは、次にシェイへと目を向けた。
「シェイは?」
「え、いやあの、その」
 言えないというよりは単に恥ずかしいからだろう、シェイは顔を赤くしてしどろもどろに口ごもる。
「シェイお兄ちゃんは、好きな人を追いかけて大陸を渡ったんだって」
「!?」
 人身売買組織に捕まっている間に話を聞いていたスヴァルがあっさりとバラす。
「ほう。それは興味深い。どんな人物だ」
「あ、わああうう」
「名前は確かラウズフィールって」
「スヴァル?! スヴァル君スヴァル様殿下もう勘弁してください!!」
 羞恥が極まったシェイはテーブルの上に顔を隠すように突っ伏した。
「ラウズフィール? ファルドゥート家に確かそんな名の男がいなかったか? というよりラウズフィールと言うくらいだから、男でいいのだよな」
 好きな人と言うからてっきり女性かと思えば男なのか、とラウルフィカが冷静な口調で言う。シェイはより一層いたたまれなくなったらしく、半ば耳を塞ぎながら悶え苦しんだ。
「そうか。本人かどうかは知らんが、少なくともフェルドゥート家のラウズフィールなら見た目はまぁ、美青年だな」
「美形なの?」
「美形なのか」
「う、うわぁああ」
 次々とかかる追い打ちに反撃の隙もない。
「もうこうなったら全部自分の口から話してしまった方が楽になれるぞ、シェイ」
「リューシャ……! 他人事だと思って」
 そこでシェイは何かを思いついたようだった。顔を上げてリューシャをじっくり眺めると、無駄に重々しい口調で言った。
「僕が自分のこの手の事情を暴露しなければいけないってことは、リューシャもそうだってことだよね。僕が話し終えたら次はリューシャのどきどき初恋話を披露する番だよ!」
「な! ちょっと待て! 我は関係ないだろう!」
 よもやの展開に今度はリューシャが慌てふためくが、シェイは聞く耳持たなかった。しかし話し始める前にふと一つ気になったらしく、ラウルフィカの方を向いて問いかける。
「あの……そう言えば陛下のお妃さまは……」
「そうか。逃げるラウズフィールとやらを追いかけていて、お前は知らなかったのだな」
 シェイの疑問に、ラウルフィカは微かに困ったように笑って告げた。
「我が王妃は昨年亡くなった。娘を生む際に体が耐えられなかったらしい」
「! す、すみません! 申し訳ございません!」
 知らぬこととはいえ若き王の新しい傷に触れてしまったシェイはそれこそ平謝りに謝った。ラウルフィカは鷹揚に許したが、こう付け加えるのも忘れない。
「まぁそれはそれとして、シェイの浪漫的恋話を聞こうではないか。異大陸まで追いかけるくらいなのだから、さぞや熱烈な話なのだろう」
「そそそ、そんな」
 またもや慌てかけるシェイの背をリューシャが軽く叩いて話を進めさせた。失言を後悔していることもあり、シェイはラウズフィールが「君こそ我が運命の恋人だ!」とトンチキな叫びを発し大仰な演技をしながら目の前に現れたことを順に、丁寧に語っていく。
 前世や生まれ変わりという概念は、ベラルーダのような砂漠地帯では薄いという。しかしラウルフィカはシェイの告白も笑うことなく、終始真剣に耳を傾けていた。
「なんだ。その状況で逃げるなんて甲斐性のない男だな」
「でしょう!」
 全てを聞き終えたラウルフィカの感想に、勢い込んで頷くシェイ。何故そんなに意気投合しているんだと横目に慄くリューシャと、恐ろしい程無反応のスヴァル。
「とにかくあいつを捕まえなければ話にならないんです。一発殴って、それから今度は僕の話を聞かせます」
「思考回路は乙女だが行動は男前だな」
 無責任に、ではがんばれと応援するラウルフィカ。しかし次第にその表情に、以前も見たような翳りが落ちる。
「……お前は真っ直ぐで眩しくて羨ましいな」
 リューシャがシェイに感じる光をラウルフィカもどうやら感じているらしい。見た目の印象なら清廉さを感じるラウルフィカはシェイと同系統なのだが、どうしても王族という立場の相似ゆえか、思考はリューシャに通じるところがある。
「さて、それでは次はリューシャ王子、君の番だ」
 にやりと笑って告げられた言葉に、リューシャはそう言えば他人のことを考えている場合ではないと思い返したのだった。