Fastnacht 09

035

 生まれながらに不吉な神託を受け、他人に疎まれ憎まれ生きてきた。神託の弊害を恐れるあまりに教育の内容まで王族とは思えない程偏り、自分にはできないことが数多くあるのだと自分自身が誰よりよく知っている。
 だが、リューシャ=アレスヴァルド。その十六年の人生の中で、かつてこれほどまでの難題を突き付けられたことがあっただろうか。
 お前の恋話を語れ。
 リューシャは今そう迫られている。
 迫る相手は主にシェイとラウルフィカ。スヴァルはやはり何を考えているのかわからない。
「ない」
「ない?」
 端的も端的に切って捨てると、シェイの怪訝な眼差しが返る。
「ないってどういうことさ? 好きな人がいたことないの? まったく? 恋人は?」
「だからないと言うに」
「えー、そんなことないでしょ。王子様なんて民衆からきゃーきゃー言われるでしょ?」
「お前は我を王族だと思っているのかいないのかどっちだ」
 気安いのか王族に対して偏見があるのかどうかわからないシェイの発言にようやくリューシャは突っ込んだ。
「だってうちの一族あんまり王様とか関係ないんだもん。うちの国の王様の前で言うのもなんだけど」
「まったくだ」
 正直な感想にラウルフィカが苦笑を浮かべる。
「まぁ……王族は国の顔として注目を集め好感をもたれる存在たることを義務として負うと言うのには同意するが……そういうのは、我が国では再従兄弟の役目だ」
 リューシャはダーフィトのことを思い出す。王子であった自分より、その父親であった国王よりも、人気があったのはダーフィトだ。顔の良さだけでも女性に好かれていたが、その人当たりの良い性格で老若男女に愛される貴公子だった。
 ――自分とはまったく違う、真に王族らしい魅力的な男。
「リューシャ王子……?」
 気がつかないうちに沈んだ表情をしていたらしく、ラウルフィカが案じるように声をかけてきた。
「リューシャでいい、ラウルフィカ王。とにかく、そういった人気は我にはない」
 しかしシェイは食い下がる。
「ええ? そうかなぁ。だってリューシャ可愛いのに。人気ないとは思えないんだけど」
「お前は我を褒めているのか貶しているのかどっちだ」
 事情を知らないというのは恐ろしい。アレスヴァルドでは改めてリューシャに聞く者もいない根本的なその問題を、いっそここでぶちまけるべきかとリューシャはしばし悩む。
 けれどシェイの邪気のない顔を見ていると、この笑顔を曇らせることはできないと考えてしまう。仕方なくありふれた他の理由でお茶を濁すことにした。
「いらないだろう。恋愛感情なんて。そもそも貴族王族に政略結婚は付き物なんだ。特に男は自分の利益のために妻を選んだりするのに、その妻を放って好きな相手がどうのと言っていたら無用の騒動を招くだろうが」
「なんて真面目な」
 同じ王族という立場であるラウルフィカが渋い顔で呻く。
「ちなみにラウルフィカ陛下のご意見は?」
「火遊びは男だけではなく女もするだろう。政略に利益を求めるのも然り。結婚は形だけのものとお互いに割り切る方が楽な場合もある。――まぁ、私には無縁の問題だったがな」
「王妃様はとても評判の良い方でしたね」
 シェイが先程聞かされたばかりの亡くなった王妃を思い出ししみじみと言う。
「ああ。我が妃より素晴らしい女性はいない」
 ラウルフィカもなんら照れることなく肯定した。その迷いない姿勢には羨望を覚えるが、リューシャには無理だ。
「でもさリューシャ――例えリューシャが自分は恋をしてはいけないと考えていても、本当に誰かを好きになったら気持ちを押さえられないってことはあるよきっと」
「経験談か? シェイ」
「茶化さないの。――君にどんな理由があったとしても、なかったとしても。例えば君が王族でなかったとしても」
 周囲が半ば軽い気持ちで話を聞いているのはわかっているだろうが、それでもシェイは真摯な表情で言葉を重ねる。
「自分が何者であるかではなく、ただその人がその人だから好きになる。――そういう感情まで封じられるものじゃない。恋はするというよりも、落ちるものなんだ」
「経験談だ」
「経験談だな」
「だから茶化さないでくださいって」
 絶妙に話の腰を折る合いの手を入れたスヴァルとラウルフィカに軽く抗議しながらも、シェイは告げる。
「恋人になりたいとか肌を重ねたいとかじゃない。ただ、惹かれた。傍にいたい。そんな人はリューシャにはいないの?」
 ただの恋話と言うには真剣すぎるシェイの質問に、リューシャはふいにアスティと名乗ったあの少年のことを思い浮かべた。
 白銀の髪。色違いの、あるいは紫の瞳。
 何度も何度も夢に見た。子どもの頃からずっと会いたかった、その人。
 意識すると思わずカッと顔が赤らんだ。あからさま過ぎる反応に、シェイもラウルフィカもスヴァルもこれはと目を瞠る。
「いるの?!」
「いるんだな?!」
「ま、ちがっ、違う!」
「その真っ赤な顔で違うと言われても説得力がないよ!」
 予想外の食いつきにリューシャは怯えた。シェイもラウルフィカもどうして目が輝いているのだ。正直怖い。
「そうか。リューシャもちゃんと好きな人がいるんだね。良かった。で、どんな人?」
「だから違うと言っているだろうが!」
 誰も聞く耳持ちやしない。
「ただ、いつも夢に見るから気になっているだけだ」
「毎日夢に! ものすごく気になっているんだね!」
「会ったことのない相手だぞ」
「へ?」
「正確にはつい最近それらしき人物を見かけたが、それまで一度も現実で顔を合わせたことはなかった。いつも夢の中に出てくるだけで名前すら知らぬ」
 それは長年、実在するかどうかも怪しい相手だったのだ。
「あるいはシェイの言う前世の記憶のようにそれは我の体験し得ない過ぎ去った過去の中の人間で、永久に会えることはないのかと思っていた」
 しかし、彼は――少なくともそれらしき少年は、現実に存在していた。
 リューシャがアレスヴァルドを追われて、魔道具の事故で緋色の大陸に辿り着かなければ出会うことのなかった人物だ。その出会いを歓べばいいのか、嘆くべきなのかももう、わからない。
「だから……恋とかそんなものではない。相手も男だし」
 ただ、夢で見ただけの相手だ。普通に出会っていたらきっとこんなにも気に留めはしなかったに違いない。
 と、堂々言いきったつもりが月の民の少年はわざとらしくにっこりと笑う。
「僕の相手も男ですが何か?」
 そうだった。
「でもそうかぁ……なんだか不思議だね。それこそまるで運命みたいだ」
「運命だと……?」
 今まで自分が見続ける海の夢についてそのような印象を持っていなかったリューシャは、思いがけない言葉に眉間に皺を寄せた。
 シェイが愛する男を運命の相手だと言うのは納得できるのだ。だが自分とあの少年の間にその言葉を使われるのにはなんとなく、本当になんとなく納得がいかない。気分が悪い。
(ちがう。あれはそうではない。もっと)
 ――始まるよ。君の運命が。
 それは、もっとおぞましいものだ。
 気分が悪い。
「リューシャ? どうかしたの?」
「いや……なんでもない」
 寄せては返す波のように、明確な形にならない不安がふとした瞬間沸きあがっては消えていく。尻尾を掴む前に逃げられてしまう。
 自分とあの少年の間にあるものは、運命などという綺麗な言葉で言い表せるようなものではないと、リューシャは思う。
 ……ウルリークと一緒にいた、「アスティ」と呼ばれていた少年。彼は本当に自分の夢の中の相手なのだろうか。
 だとしたら――自分は彼に対してどうするべきなのだろう?
 胸の奥に巣食いわだかまる、この気持ちを何と呼ぶのかがどうしてもわからない。
 ただ、あの海の夢を見て幸福を感じれば感じる程、目覚めは虚しく胸が軋むのは確かだ。
 気が付けばつらつらと埒の明かない考えに陥りそうな思考を、どうにも真面目になりきれないこの場の空気が掬い上げる。
「……まぁ、感情に性別は関係ないからな」
「しみじみと言うな、ラウルフィカ。だいたい貴様はついさっき妻に関して盛大に惚気ていただろうが」
 ラウルフィカの本気がどうかわからぬ台詞にリューシャは反射的に突っ込む。
「それはそうなんだが」
 意味ありげに言葉を切り、ラウルフィカはここではないどこかを覗きこむような瞳で囁いた。半ば独りごちるかのように。
「私にも、かつてどうしても手に入れたくて、結局手に入れられなかった奴がいる」
 遠い微笑み。
 過ぎ去った時の中に存在する姿を追い求める者特有の儚い表情を浮かべ、美しき王は瞳を伏せる。
「その人のこと、好きだったんですか?」
「どうだろうな。憎んでいたし、憎まなければと考えていた。だが――」
 それだけではなかった。
 告げる囁きはすでに吐息に近い。
「どんな人だったんですか? いえ、別に名前を知りたいとか具体的に言えとかそういうことではなくて」
 質問を重ねるシェイの方にラウルフィカの視線が向く。
「なんです? まさか僕に似ているとかじゃないですよね?」
「いや、まったく似ていない。あれは不真面目の権化だ」
 かつて好きだったはずの相手と言うにはあっさり容赦なくそう断じた。
「だが私は――その月が欲しかった。銀の月が欲しかったんだ」
「銀の、月……?」
 リューシャとシェイは顔を見合わせた。
 シェイは月の民で銀髪だ。だがラウルフィカの想う相手の男が月の民だというわけではないだろう。
 リューシャはシェイを見て“銀の太陽”だと感じた。ラウルフィカの欲しい男は――“銀の月”。
「ま、ことほど左様に感情とはままならぬものだ。欲しいものを欲しいと言うのが許されるのは若いうちだけなのだから、素直に口に出さないと本当に大切なものを取りこぼすぞ」
「若いも何も大して変わらないだろう?」
 またしても突っ込み待ちとしか思えぬ台詞に、リューシャは即座に斬り込んだ。
「そうか? 私は今年二十一だぞ。既婚で娘が一人いるが」
「僕は十七歳です」
「十六になった」
「スヴァル君は?」
「七歳」
 今まで押し黙っていたスヴァルがふいにそっとラウルフィカの衣装の裾を掴んだ。振り返った彼の顔を見上げながら告げる。
「私は、ラウルフィカのことが好きだよ」
 一瞬きょとんと無防備な顔を見せたラウルフィカは、すぐに穏やかな笑顔を作る。
「私も、スヴァル様のことが好きですよ」
 子どもらしい物言いにラウルフィカもシェイも微笑ましいと言わんばかりに頭を撫でる。ラウルフィカとスヴァルはまったく似ていないが、仲の良さそうなその様子は兄弟にも見えた。
 扉の外で人の行き交う気配が次第に増え、ラウルフィカの下にも食事ができたという報せが届いた。
「さて、おしゃべりはここまでだ」
 恋話も四方山話も打ち切り、多忙なはずの国王はようやく活動を再開する。
「……本気なのにな」
 けれどスヴァルの小さな呟きは、やけに切なげな響きを伴ってリューシャの胸に残ったのだった。