Fastnacht 10

038

 翌日、揺れない地面で一晩休んだリューシャたちは大分顔色が良くなっていた。
 昨日は帰還直後だからと早めに休んだはずのラウルフィカは、一応客人扱いのリューシャたちとは違って朝早くから起き出して活動を行っていた。白い肌は黄の大陸の焼け付くような太陽の下で一層青白い。だが彼の不調はきっとその気候や疲労のせいばかりではないのだろうとリューシャは思う。
 賓客というには複雑な身の上、かといって放っておくわけにもいかない人間という微妙な立場のリューシャとシェイは、その日は皇帝スワドの相手をさせられていた。
「せっかくだ。アレスヴァルドのことについて教えてくれ。代わりにこの南東帝国傘下の国々についてはなんでも聞いてくれていい」
「それよりも、我はいつここを出られるか知りたいのだが」
 にこにこと表面上は友好的な様子を崩さず話しかけてきたスワドに、リューシャはまず自分の要望を切り出した。
「おや、我が国のもてなしが気に入らないか?」
「そうではない。連絡が行ってないのかもしれないが、我には連れがいる。人身売買組織に捕まった際に離れ離れとなったが、できれば奴と連絡をとりたい」
 応接用の部屋の一種なのだろう。アレスヴァルドとは大陸の気候の違いから随分様式が変わるが、豪奢な室内は形だけは賓客をもてなすのにふさわしい空間だ。ふんだんな浮彫が涼やかな印象を与える長椅子にゆったりと腰かけ、スワドとリューシャは睨み合う。
 スワドは笑顔で、リューシャはいつもの仏頂面で。
 シェイはリューシャの隣で大人しくしながら、はらはらとそのやりとりを見守っている。今日はラウルフィカは戻って来たばかりでやらなければいけないことが山積しているらしく、この場に同席はできないとあらかじめ告げられていた。
 この宮殿に足を踏み入れてから、ラウルフィカは二人に言い聞かせていた。皇帝の気分を害するようなことはするな、と。どこか憐れむような眼差しで。
 貴人とのやりとりがわからないシェイは皇帝との話をほとんどリューシャに任せてしまっている。喋り口調は気さくとはいえ、いかにも皇帝然とした雰囲気のあるスワドにもリューシャはラウルフィカや他の人間と話す時と態度を変えない。
 二人の話は進んでいく。
「連れ? そのような報告は受けていないが?」
「ああ。緋色の大陸ではひとまずスヴァルをこの国に帰すのが先決だと慌てていたようだからな」
 そちらの事情に付き合わされたのだから今度はこちらの都合を聞いてもらう番だ、とリューシャは要求を突き付ける。
「その連れとやらの名は? 人数は? 男か女か」
「名はウルリーク。限りなく女っぽいが一応男だ。我と似たような年頃だ」
「同じ年頃の少年二人で旅をしていたと? 他に連れはいないのか?」
「魔道具によってアレスヴァルドからここまで飛ばされた際、最初に会ったのがそいつだったんだ。アレスヴァルドでは他に我の護衛騎士と再従兄弟がいたが、東に来てからは姿を見つけられなかった」
「別々の場所に飛ばされた、ということか」
 スワドの頷きに、さりげなく嘘をついたリューシャは確認を入れる。
「貴公が知りたいのは、我が再従兄弟……ダーフィト=ディアヌハーデのことではないのか?」
 直截な質問にスワドはにやりと笑う。
「青の大陸アレスヴァルド王国からの指名手配には追記があってな。王殺しの下手人たるリューシャ王子とその護衛騎士セルマは生死問わず、なお連れ攫われたディアヌハーデ公爵子息に関しては丁重に保護することとなっている」
 息子を溺愛するゲラーシムは、やはりダーフィトだけ扱いを分けていた。リューシャはそれを確認して溜息をつく。
「ゲラーシムのやりそうなことだ。いくらセルマがついていたとして、我の腕でダーフィトが拉致できるわけないだろう」
「その辺り複雑なようだな。そもそもアレスヴァルドからのこの指名手配も面白い。十六で王殺しなんぞというから件の王子はどれだけ風貌魁偉な美丈夫かと思えば、こんなに華奢な少年だとは」
 スワドの手がすっとリューシャのおとがいに伸びる。初めて出会った時にラウルフィカがそうしたように、すいと指先で持ち上げて顔立ちをまじまじと観察した。
 ただし本当に顔立ちを確認しただけのラウルフィカとは違い、スワドの手つきにはどこか艶めいた色が乗り、その瞳には爛々と野心の光が灯る。
 シェイがそれを見てとり慌てだした。ガタリと音を立てて長椅子を立つのをリューシャは片手を伸ばして制する。
 リューシャは自らの顔を覗き込むスワドと睨み合った。
「そなたはまことに美しい。この細腕で平均的な体格の成人男性を殺せるとは思えぬが、一体どうしてそんなことになった?」
 理由を教えろ、それ次第では便宜を図ってやるぞ、とスワドが囁く。
「我が国の習慣に端を発する。離せ。長い話になる」
 おとがいに添えられた手をリューシャが除けると、スワドは大人しく引き下がり腰を落ち着けた。
「では話してもらおうか。貴殿がここにいるお国の事情というものをな」
 リューシャは一つ溜息をついたのち、彼が生まれ、不吉なる託宣を受けてからの長い長い話を始めた。

 ◆◆◆◆◆

「ふむ。面白いな」
「面白いか? こんな話が」
「渦中にいるそなたにはたまったものではないだろうが、神託と言う習慣のないこの地域の人間からしてみれば興味深いの一言に尽きる。東側は辰砂及び魔術師の勢力地だ。神の威光に左右される人生が想像つかない」
 経緯を全て聞き終わり、スワドはあながち嘘でもない様子でリューシャの話に感心してみせた。生まれながらに不吉な託宣を受けたリューシャの半生に関しては、その生き方も周囲の扱い方も同じ支配者階級として意見があるらしい。
「そこまで厄介者扱いされながら、逆に言えばその歳まで無事に生き延びたことが信じられないな。これが東側の地域なら、不吉? よし来た殺そう! で生後一時間で存在をなかったことにされているだろう」
「貴公の話を聞いているとだろうよなと納得せざるをえないな」
 第三者的にしても冷たすぎる意見に、リューシャは傷つく素振りも見せずに間髪入れず同意した。スワドの性格から歯に衣着せずそのようなことを言うだろうと予測できていたし、何より彼の考えはこの十六年で自分自身が何度も考え続けてきたことだった。
「だが幸か不幸か、我にはその託宣以外の不安材料がないのも事実だ。あからさまに不吉で国の滅亡を示唆すると言うならともかく、破壊者となるとの託宣だけでは全てを判断することはできない」
「そうか? 破壊に良い意味があるとも思えないが」
「まぁな。だが我には他の王族たちと同じように神の加護がある。呪われているわけでもなければ、存在自体が不幸の予兆というわけでもないらしい」
「それはまた難しいな。それで冤罪か。例え貴殿に国王殺しができるとは思っていなくても、国民は貴殿に国に帰ってきてほしくないわけだな」
「そうだ」
 あまりにも正直すぎて言葉を飾らないやりとりは、聞いている方がいたたまれなくなるようだ。一応お茶を用意されたものの、シェイはすっかり手をつける気を失くしていた。
「――で、貴殿自身はどうしたいのだ」
「国に帰る」
「帰りたい、ではなく、帰る、か」
「ああ。例え誰が認めておらずとも、我はアレスヴァルドの王族だ。自分一人生き延びるためにその立場を捨てることは我自身が許さない」
「お堅いことだ」
 にやりと唇を歪めるスワドに、リューシャは鼻を鳴らす。皇帝としての資質に恵まれ過ぎたスワドと王族としての最低限の勉強もさせてもらえなかったリューシャでは比べ物にならない。けれど気迫だけは何としても負けるものかと、リューシャは意地を張り続ける。
「だから我は何としてでもアレスヴァルドに戻る。そのためにはあのウルリークの力が必要だ。奴から我を引き離した責任の半分はそちらにもある。捜索を手伝ってもらおう」
「はじめに人身売買組織に攫われたことは……と、言いたいところだがその辺りの責任を追及するとうちの息子も同じだしな」
「そもそもあの組織を放置していたのはこの国と緋色の大陸だろうが。どっちにしろ我のせいではないわ」
「そうだな。仕方がない。そういう事情なら協力しよう――だが」
 頼みに頷いたものの快く引き受けてくれるとはいかず、皇帝は意味深な目を『アレスヴァルドの王子』に向けてきた。
 こういう眼差しは知っている。いつだって何度だって見てきたものだ。
 不吉な神託を受けた、国内でも蔑ろにされてきた王子。だから少し脅せば言いくるめられると誰もが思っているのだ。他に特に優れたところがないと言われるリューシャのこれだけは人並み以上の容姿も関係している。
 スワド帝は男色家だ。真性ではなく複数の子どもがいることから両刀と言う方が正しいのだが、それでも美しい少年を愛でることを好むのには変わりない。
「わかった。近々見返りについては考えよう」
 ここであからさまに誘いを引き受ければシェイに気づかれる。僅かに隣を意識する仕草と共に返答すればスワドも意図を汲みとったらしく、それでいいと頷いた。
「見返りって……リューシャ、大丈夫なの? あまりお金とかないんじゃない?」
 案の定先の台詞を別の意味で受け取ったらしく、心配して的外れなことを尋ねてきたシェイにリューシャはそつなく返す。
「そんなことは言った覚えないぞ。いつこのような事態になってもいいよう普段から金目のものは持ち歩いている。もっとも、この帝国の支配者にそのようなはした金が必要とは思えんがな。幸いにも我はゲラーシムの悪口ならよく知っている」
「これはこれは。また随分と面白い話が聞けそうじゃないか。だが今日は貴殿にばかり話させてしまったからな。次は私の番といこうか。何か知りたいことはあるか?」
 一方的に尋ねるばかりでは尋問のような様相を呈してくる。それを避けるためにスワドはわざと質問を募った。とはいえ、シェイには特に聞きたいようなことはない。
「そうだな……」
 少しばかり考えた末に、結局リューシャはこう切り出した。
「創造の魔術師、辰砂について知りたい」
「……ほう」
 スワドが「意外だ」という顔をした。
「西の人間は、創造の魔術師を嫌っているものだと思っていたがな」
「その認識自体は間違いない。我も最近まで興味はなかった。だが緋色の大陸に飛ばされて出会ったウルリークが言った。アレスヴァルドは神の血を伝える国、ならば我に下された託宣の意味を紐解くのにも、神々の対極に存在する魔術師の伝承が鍵になるのではないかと」
「ふむ……それはまた……興味深い」
「スワド帝は辰砂に興味があるのか?」
「もちろんだ。こう言ってはなんだが、私は現在の自分に何の不満もない。人としての望みは何でも叶えられる状態だ。ならば次は神の領域に手を出してみるかと思ってな」
「さらりととんでもないことを言うな。西で口にしたら不心得者として即座に投獄ものだ」
「ここは東側なのだから構いはしないだろう。単に事実だ。だが……そうか、辰砂についてか……」
「何か知っているのか?」
 リューシャは期待したが、スワド帝の返答は微妙なものだった。
「いや、逆だ。むしろ私が知りたいくらいだな。先程話したように、東側では西とは逆に魔術師の勢力が強く神々の名などほとんど聞かない。帝国の威光が届く範囲でも信仰と言えばせいぜい砂漠の民の一部がイシャルー……月女神セーファを信仰しているくらいだな」
「そう言えば前にそんな話を聞いたな」
 これまで聞き役に徹していたシェイの方を向く。
「うちの一族は、そのまま“月の民”だからね。イシャルー、イーシャ・ルーとも呼ばれる月神様を信仰しているよ。村に占い師の婆様がいたり、そういう意味では西側に近いような風習もあるかも」
「ベラルーダでは全員に神託伺いを立てることこそないが、望めば神殿に出向いて神の託宣を受けることも可能だというからな」
 砂漠地域の国々は長く別たれて暮らしていた部族の集まりが一つの大きな国家になったという事情があり、個々の一族の習慣や信仰が今も重視されているという。シャルカント帝国がここまで拡大したのも最近のことであり、それまで南東地域はまさに小国がひしめく時代だったとか。
「神々への信仰心が薄い分、東側の国々は魔術が発展すると言われている。だが一口に東と言っても闘争と戦乱の紅大陸、竜牙列島はじめとした独自文化が色濃く残る緋色の大陸、砂漠と海の我らが黄大陸と様々だ。創造の魔術師に関しての情報には差がある」
「……と、いうことは」
「残念ながら黄の大陸には辰砂に関する伝承は少ない」
 リューシャは我知らず溜息をついていた。ここでもそうか。簡単に知ることはできなかったかと。
「ただし、まったく手がかりがないわけではない。――まぁ、それを持っているのは私ではないがな」
「どういうことだ?」
 思わせぶりなスワドの言葉に、リューシャは目の前の卓の上に身を乗り出した。
「辰砂は気に入った人間の前にしか現れないという伝承は知っているか? 気まぐれな妖精や魔物の伝説のように、人間をからかうために地上に現れることがあるという。あとは、魔術の素養に優れた者に界律師の力を与えるために姿を現すとも伝えられているな」
 スワドの口ぶりを聞いていると、まるで辰砂のことを人間だとは思っていないようである。
「三年程前の話だ。とある国で宮廷魔術師が国王に危害を加えて返り討ちにあい、そのまま行方不明になるという事件があった。国では随分その魔術師を探したが結局見つからず、残されたその魔術師の部下たちは辰砂の関与を示唆したそうだ」
「辰砂の……関与?」
「と、言えば一応の格好はついたようだが、要するに『悪い妖精が常闇の国に連れて行ってしまったんだよ』というような根拠のない憶測だ。東側では人為的な仕業とは思えない怪現象が発生した際、場を治めるためにとにかく辰砂の名前を出す。人間にできないことができるなんて、神か悪魔か辰砂ぐらいしかいないからな」
「あの、それって……」
 またもや沈黙を破ってシェイが口を挟んできた。彼がこのように言いだすのは、彼自身が知っている、関わりがある国の名を出す時だけだ。
 シェイのその反応から、リューシャは次の質問の答を、聞く前からすでに知っているような気がした。
「――その国の名は?」
「ベラルーダ」
 スワドは笑う。とてもとても愉しそうに。
 対照的にリューシャは眉根を寄せる。
 先程スワドがあえて伏せた名がそれだということは、危害を加えられた王と言うのはラウルフィカのことではないか。まだ若い王なので即位前ということも考えられるが、確かスワドとラウルフィカが君主同士として親交を持ったのが三年前だと聞かされたような気がする。
 ふいに、船の中で見たラウルフィカの切ない表情が脳裏を過ぎる。
 ――憎んでいたし、憎まなければと考えていた。
 ――だが私は――その月が欲しかった。銀の月が欲しかったんだ。
 好きなのに憎まなければいけない相手。欲しくて手に入らなかった“銀の月”。
 ラウルフィカが揉めた魔術師がその男とは限らないが、何故かリューシャはその言葉を思い出していた。
「……ラウルフィカ王に話を聞いてみたいところだな」
「やはりそう思うか。私も常々そう思っているのだが照れてしまって中々教えてもらえないのだ。何かわかったらぜひこちらにも教えてくれ」
「なら、いっそウルリークを探すのをその条件とする」
「わかった。手配をしておこう」
 正直、意外なところから意外な情報が降ってきたという感じだ。元より怪しいところのあったウルリークとは違い、ラウルフィカは魔術に関わるようなことがあるとすら思えなかった。けれど彼の知る魔術師という存在を通してリューシャの望む情報に繋いでいけるかもしれない。
 スワドに上手く使われているような気もしないでもないが、辰砂について知りたいリューシャはその思惑に乗ることにした。