Fastnacht 10

039

 創造の魔術師“辰砂”について、意外なところから情報を得られる可能性が出てきた。スワドの助言通り、リューシャはラウルフィカの姿を探す。
 適当な侍女を捕まえて聞いてみると、居場所がわかった。とはいえ目的の部屋に辿り着いた時には本人はたまたま席を外していて、執務を補佐する政務官の一人だけが残っていた。
「すぐに戻られると思いますので、どうぞこちらでお寛ぎください」
「そうさせてもらおう」
 待つことしばらく、暑さを凌ぎ風通しを良くするためか、アレスヴァルド人のリューシャが不安になるほど薄い壁の向こうに人の気配がした。
「陛下、お客様ですよ」
「おや、リューシャ、シェイ。どうかしたか?」
「少し聞きたいことがあってな。……スヴァルも一緒だったのか」
 金髪に緑の瞳の子どもは、リューシャとシェイを見上げる。
「話とは何だ?」
「船の中での話の続き……と、言おうか。できれば二人きりで話したいのだが」
「船の中?」
 主に恋話しかした覚えがないと言いたげなラウルフィカが、それでも執務室の隣の私的な一室を指し示す。
「二人きりとは言うが、シェイはどうする?」
「そういえば、僕別にいりませんよね。なんでついてきたんだろう……?」
 一人で宮殿内に置いておくのが不安だったリューシャが一応声をかけたからなのだが、そんな裏の目的には気づかないシェイが自分でも首を傾げている。
「シェイお兄ちゃん。時間があるなら、私が城内を案内する」
 さてどうするかと三人が考え込む前に、スヴァルが救いの手を差し伸べた。ラウルフィカから離れてシェイの手を握り、出口へと引っ張って行く。
「それがいい。スヴァル殿下と一緒にいればおかしな輩に目をつけられることもないだろうし、もともと二人の世話をできる人間も限られているからな。この機会に楽しんでくれ」
「じゃあ、行ってくるねリューシャ」
 そうしてシェイのことはスヴァルが上手く室内から連れ出した。リューシャが何を説明したわけでもないのに、あの聡い子どもにはシェイに聞かせられない話があるのだと理解したらしい。
 隣室に入り扉を閉めたラウルフィカが改めて尋ねてくる。
「それで、何の話だ?」
「創造の魔術師について聞きたい」
 リューシャは端的に用件を切り出すが、返ってきたのは更に怪訝な反応だった。何故それを自分に聞くのかわからない、というような。
「……三年前に、ベラルーダで何か事件があったのだろう。その時行方不明になった魔術師が辰砂に魅入られたのだという話を皇帝から教えてもらった」
 そこまで聞いて初めてラウルフィカが苦い顔をした。
「それか。確かに事件後、深手を負って瀕死の男の死体が上がらなかったので優秀な魔術師だから『辰砂にかどわかされたのだろう』と無理矢理結論づけたが……はっきり言って、緋色の大陸の『神隠し』発言と同じくらい意味のない結論だぞ。推測と言えるほど確かですらない、調べたけど何もわかりませんでした、という無意味な話だ」
 深いため息が室内に落ちる。長椅子に腰かけたラウルフィカが気だるい表情となる。
あからさまに話したくないという様子にリューシャも少し考える。どうやら皇帝が考えていた程にはラウルフィカは辰砂に関する情報を持ってはいない。
だが、少しでも可能性があるのなら。
「……船の中で、我は夢の中に出てくる少年の話をしたな」
「ああ。そんなことを言っていたな。シェイが運命みたいだと興奮していた。それが?」
 今日の話運びは随分飛んでばかりいるなと自分でも思いながら、リューシャは続けた。
「その少年だが、“辰砂”なのではないかと考えられる」
「……何故?」
「我の旅の連れ、ウルリークが言っていた。海辺の夢と白銀の髪を持つ少年に、流星海岸で生まれたという創造の魔術師が該当すると。辰砂は紅と青の色違いの瞳を持つそうだな。我の夢に出てくる少年もそうだ」
 この他にもウルリーク自身が辰砂らしき少年の出てくる夢を見ていて流星海岸に一時期住んでいただとか、その推測を補足するのに彼自身が調べた情報だとか色々な細かい根拠があるのだが、リューシャはそれらに関しては省いた。自分で調べた事ではないので上手く説明できないという理由もある。
 肝心なのはこの結論と、これからの動きだ。
「ずっと夢で見るだけだったその少年と同じ顔の人物を、我はリマーニの街で見かけた。生憎追いつくことはできなかったが、もしもあれが辰砂だとしたら――」
 その時、ラウルフィカが顔色を変えてリューシャの腕を掴んだ。
「あ……! す、すまない」
 思わず手が伸びてしまっただけらしい。驚くリューシャの腕をすぐに離し、ラウルフィカは話の続きを促す。
「それで――その少年の手がかりは?」
「……よく、わからない。彼を追いかけている最中に我はリマーニで人身売買組織に捕まった」
「そうか……そういう事情があったのか」
 ラウルフィカが指を顎に当て深く考え込む様子になる。
 リューシャはラウルフィカに全てを伝えてはいない。そんなことをすれば、ここから脱出する手段もなくなるからだ。
 だが馬車で運ばれていたリューシャとシェイを助けに来たのは、ウルリークと問題の少年だった。
 あの少年は何者なのか。本当に創造の魔術師なのか。
わからない。そしてわかっても謎は残る。彼が辰砂だとして、どうしてその創造の魔術師が昔からリューシャの夢に出てくるのかがわからない。
 だがその理由を知るためにも、まずは辰砂に近づくことこそが重要だ。
「我は……辰砂に会いたい。正確には、我が夢の中の少年に会いたい。それが辰砂であろうと、魔族や神々であろうと、生きてこの時代にいるのならば必ず会いに行く」
 生まれてこなければ良かったとさえ囁かれる日々。自分自身何故こうして生きているのだろうかわからなくなる慣れきった諦観の中で、あの夢だけがリューシャの支えだった。
「リューシャは、本当にその人が好きなんだな」
「――ああ」
 頷く。もう誤魔化しても仕方がない。正気ではないと笑われたって構うものか。
 だがラウルフィカの反応は現実に存在するのかしないのか、同じ顔の人間がいるのか違うのかも定かではない相手を好きだというリューシャを嘲笑うようなものではなかった。彼は何故か――ただ、ひたすら悲しそうだった。
 ラウルフィカはそっと腕を伸ばしてやわらかなリューシャの髪を撫でた。一瞬だけ頬に触れてすぐに離れていく。
「私もできるなら、そういうふうに相手を好きになりたかった」
 オアシスを思わせる青い瞳がますます悲哀に満ちる。
「でも――駄目なんだ。私はあの男を仮初でも愛する私自身を赦せない。だから罠に嵌めて、ありったけの汚名を着せて殺そうと思ったのに」
 手の届かない場所で輝く銀の月を地に引きずり下ろしたかった。
 懺悔の意味するところを探したリューシャは、今の台詞と先程の会話を繋げてハッとする。
「やはり……三年前の事件で消えた魔術師とやら、それがお前の」
「シェイと同じような見事な銀髪に、青い瞳の美しい男だったよ。私より八つほど年上だから、生きていれば三十近くになるかな」
 ラウルフィカは今二十一。“銀の月”は生きていれば二十九か。彼が消えたのが三年前――二十六。
 ラウルフィカの記憶の中で、男はあの日のまま若く美しいままだ。子どもの頃から知っている相手だが、彼が永遠の青年という時間を抜けきる前にラウルフィカは子どもから少年に、少年から青年になった。
 付き合いは僅か五年程だった。彼がいなくなってもう三年になる。
「ああ、そうか……今の私は、初めて会った時のあいつと同じ歳なのか」
 長椅子から立ち上がり、ラウルフィカは窓辺に立つ。リューシャは掛けたままその背を見つめて彼の語る過去を聞く。
「初めて出会ったのは、あれが宮廷魔術師長に就任してその挨拶に来た時。その時はまだ私の父上が国王であった。奴は姓を持たぬ孤児で、宰相一家の後見を受けて国外の魔術師学院で学んでいたという。私が知るのは、あれが国に戻り、無事に魔術師として段階を積み国内の魔術師としては最高位である宮廷魔術師長になった時からだ。だが、その時は正直どうでも良かった」
「どうでもですか」
「いくら偉かろうと、王子であった私から見れば城で働く人間の一人でしかないからな。他の警戒すべき派閥の人間のように野心があるわけでもなかったし……いや、ないと思っていたんだ。だが奴は政治的な野心とは別の感情を裡に秘めていた」
「別の感情……?」
 いちいち鸚鵡返しに合いの手を挟む自分を間抜けだと感じながらも、リューシャはラウルフィカの過去語りに興味をそそられる。
「ああ。奴の後見が宰相一家だと言ったな。ベラルーダは国王一人につき一代の宰相が慣習となっている。宰相家は世襲制で、父が亡くなって私が王についたら宰相の息子が次の宰相となる。私につけられるその宰相はゾルタと言ってな、今三十八になる」
「……大分年上だな」
 思わず計算してリューシャは顔を顰める。
 十七歳上か。ラウルフィカは今でさえ若い。アレスヴァルドで言えば国王として最有力と言われるダーフィトでさえ、二十歳やそこらでもまだ少年らしさを残していたような気がする。ラウルフィカは最低でも三年前にはすでに王だったわけだから――。
「私が即位したのは十三の時だ」
 十八より前、とリューシャが答を出すより早くラウルフィカ本人が正確な数字を告げた。
「今のお前より若い。ほんの子どもだろう? 父が急逝して急遽玉座に着く必要ができてな。私も周囲も混乱したよ。だが一番耐えられなかったのはゾルタだったんだろうな。当時三十の男がほんの十三歳の子どもの部下となるわけだから」
 ラウルフィカの瞳は過去を語るというよりも、もはや段々と当時の情景を覗き込むようになる。
「ある日私の前に五人の男が現れて、私の持つ権利を譲り渡してもらうと言った。要は脅迫だ。摂政となったゾルタを中心にそれぞれ国の要職を担う男たちは、私を傀儡に仕立て上げて自らが権力を握りたがった」
 王子ではあるが政治に詳しくないと明言しているリューシャのために、ラウルフィカはあえて平易な言葉を選んで子どもでもわかるように説明する。あるいはまだ子どもであったという当時の彼がそのように状況を理解したということなのかもしれない。
「脅迫と言うが、何を理由に? 臣下が国に仕えるのはあたりまえだろう」
 リューシャが言うと、ラウルフィカが苦笑する。気勢を削がれて現実に心が戻ってきたようで、長椅子に方に戻ってくるとそれこそ子どもにするようにリューシャの頭を撫でる。
「……組織はまず人がいなければ立ち行かない。臣下だって人間だ。こちらが仕えるに値する人間でなければ主を選ぶ権利ぐらいある。だが、ただでさえ父王が急逝した際の混乱期だ。彼らの支え失くしては私は国を守ることはできなかった。そして玉座を譲る適当な相手もいない私に王を辞めるという選択肢はない」
 宰相他五人の男たちに城仕えを辞められて困るのはむしろ当時のラウルフィカの方だった。国の舵取りなど容易いと豪語できるだけの男たちだ。裏切る必要すらなく領地に籠るだけで屋台骨を失ったベラルーダ宮廷は大打撃を受ける。
「あの男は、その五人の中の一人だった。ゾルタたちと手を組んで私のもとにやってきた。ベラルーダは魔術師の保護を始めたばかりで、優れた魔術師の数は少ない」
「……先程、銀の月に野心はあるともないとも言っていたな。政治的な野心はない。ならばその男が要求したものはなんだ?」
 ラウルフィカが皮肉気に唇を歪める。
「私だ」
「――」
 リューシャは言葉を失う。
 宮廷魔術師長にいきなり辞められては代わりの人間を探すこともできない。その当時、男は自身の力と引き換えにラウルフィカそのものを要求した。
「だから……『愛する私自身を赦せない』か?」
 先程のラウルフィカの台詞を繰り返す。リューシャは妙に納得がいく自分を感じていた。
 男がどんな感情を抱いていたのか、ラウルフィカの説明だけではわからない。ラウルフィカの容姿や肉体だけが目当てだったのか、真摯に愛していたのか。だがどちらにしろ、その卑怯なやり口はラウルフィカには赦せないことだった。
 珊瑚色の唇を静かに引き結び吊り上げてラウルフィカは悲しげに微笑む。
「三年前、私は私を利用する五人の男たちに復讐した。そのうち宰相ゾルタはさすがに除くことはできなかったが、あとの四人のうち、三人はすでにこの世にはいない。そして最後の一人――あいつも私は殺すつもりだった」
 呼び出して脇腹を刃物で刺し、瀕死の状態で捨て置いた。後は自ら着衣を乱して暴行されたと訴え出れば、国王を疑う者はいない。
「卑怯には卑怯で返す。五年前にできなかった拒絶を、報復を、絶望を与えるつもりだった。だが――私が兵士を連れて戻った時、そこには人一人分の血溜まりがあるだけで、何もなかった」
 死体が消えたのか、生きていたので姿を消したのか。今でもはっきりしたことはわからないという。
「残された血の量を見れば生きているはずがないと誰もが考える。……かなり深く刺したからな。だが宮廷魔術師長――奴の次、今の宮廷魔術師長だな。彼が言った。あの男は優れた魔術師であったから辰砂に連れて行かれたのではないかと。神隠しと言うよりも納得できる言葉だった。辰砂は同類たる魔術師を憐れむというから」
 安堵か。それとも落胆か。ラウルフィカの表情は読めない。愛しているのに殺そうとして、それでも相手が死んだとはっきり断言できないというのはどんな気持ちなのだろう。
 考えた時、リューシャは酷い頭痛を感じた。
「痛っ……!」
 ――やはりそうか! お前も僕の敵に回るんだな!
 ――だから僕も殺すのか、“総てを滅ぼす破壊者”よ。
 ――会いに行ってやるさ、必ず。何度死んでも、何度生まれ変わっても。この憎しみと絶望を携えて――!!
「お、おい。大丈夫か?!」
 突然頭を押さえて苦しみだしたリューシャにラウルフィカが駆け寄る。人を呼ぼうとするのを腕を掴んで止めた。
「大丈夫だ。なんでもない」
「だが……」
「一瞬ズキッとしただけだ」
 頭痛の方は言葉通り大したことはない。ただ、リューシャはその一瞬脳裏に過ぎった映像にこそ動揺した。
 憎悪の表情を浮かべた、紅と青の色違いの眼差し。その唇が引き攣れるように動いて紡いだその言葉は。
「総てを、滅ぼす……」
「リューシャ?」
 夢の中の少年が何故リューシャに与えられた託宣を知っているのか。彼は神々と何か関係があるとでも言うのか。
 いや……それで当然なのだろう。あの少年が辰砂ならば、彼は神々に戦争を仕掛けた最強にして最凶の魔術師。
 わからないのは、その彼と自分との関係だ。
「すまない。なんでもない……。それより、つまりはラウルフィカも、創造の魔術師自身について詳しく知っているわけではないのだな?」
「ああ。例の事件の後可能な限りの調査はしたものの、お伽噺以上の話は得られなかった。ただ、確かに優秀な魔術師が行方を眩ますと“辰砂の仕業”とされることが多いと言われるのを知ったぐらいだな」
 リューシャの隣に掛けて体を支えながら、ラウルフィカはそう告げる。結局彼も確定的なことは何一つわからないのが現状だ。
「むしろ何か辰砂について調べる過程で新情報を発見したらこちらが教えてほしいくらいだ」
 スワドと似たようなことを言うが、そこに含まれる真剣さの性質はまるで違っている。
「もしも必要なら、辰砂に関する当時調べた資料を見せよう?」
「いいのか?」
「ああ。その代わり教えて欲しい。リューシャが出会ったという少年が本当に辰砂であるのならば、私にとってもその少年を探す意味ができた」
 とは言ってもリューシャ自身、アスティが本当に創造の魔術師なのか、辰砂が自分の夢の中に出てくる少年と同一人物なのか確証が得られていないのだ。
 そういった話も伝えるがラウルフィカは全て了承した上でこう言った。
「それでもだ。少しでも辰砂に、そして辰砂からあの男に繋がると言うのであれば、私は何としてでも探し出す」
「探し出してどうするんだ?」
 別に深い意味のある質問ではなかった。話の流れと単純な興味、すでに半分ほど事情を聞いてしまったからこその何の気のない促しだった。
 ラウルフィカは水辺の花のように笑う。
「探し出して――今度こそ、あの男を殺す」
 それは今までリューシャが見た中で、一番艶やかで美しい笑みだった。