042*
「ベラルーダ王、皇帝陛下がお呼びです」
呼び方で相手はベラルーダの侍従ではなく帝国の城仕えの人間だとわかった。文官の格好をした男が扉の外に控えている。
その日の執務も終え、そろそろ体を休められるかと思った頃合いだった。夜も更け、回廊を歩くにも手燭が必要だ。文官の顔が小さな炎の明かりにゆらめいている。
正直今夜は気乗りがしなかった。昼間のリューシャとの話が原因だ。腹芸をほとんどせず言葉を飾らないリューシャとのやりとりは好ましくはあるのだが、内容が内容だった。
三年前のことは、今もまだラウルフィカの胸に鮮やかに残る傷だ。癒すこともせず放置しているのは自身の責任だが、だからこそ他人に迂闊に触れてほしくはない。
それでもリューシャのもたらした情報は、ラウルフィカにも興味深いものだった。もし彼が出会った相手が本当に創造の魔術師だとしたら、消えたはずのあの男への手がかりが得られるかもしれない。
だが、それらのことを考える前に、まずは皇帝のお召しに参上せねば。
「……準備は?」
「特に不要、とのことです。あの方はあなたがすでに湯浴みを済ませたことまでご存知です」
「……そうか」
素っ気ない文官の言葉に頷いて、ラウルフィカは席を立つ。
この宮殿の中では、他国の王であるラウルフィカに私的な時間や自由はないも同然だった。ベラルーダは南東帝国の傘下。他の属国のように不利な扱いを受けるか否かは、ラウルフィカがどれだけ皇帝の機嫌をとれるかにかかっている。
三年前の事件で、ラウルフィカはスワドに借りを作った。その時は皇帝と王の関係はまだ対等に近かったが、後の油断により足元を掬われる。スワドはヴェティエル商会のレネシャやラウルフィカの護衛騎士と共謀して完全に彼の弱味を握り、その体をいいように弄んできた。
幸か不幸か、ラウルフィカはその容姿故にスワドに気に入られている。皇帝の無体はほとんど彼一人の身に降りかかるもので、それさえ受け入れれば今のところベラルーダという国そのものへの手出しは少ない。
今回皇太子の監督不行き届きがここ最大の駆け引きだったに違いない。無事にスヴァルを取り戻したことにより、首の皮一枚繋がった。
だがそれも、いつまでもつのかわからない。
「スワド陛下」
「来たか」
水煙管を楽しんでいたスワドに呼ばれ、ラウルフィカは寝台に上がった。体を傾けるようにして腰かけると、煙管の香りの口付けが降ってくる。
本来ベラルーダの玉座に坐す王であるはずのラウルフィカがこの帝国に呼ばれるというのは、すなわちスワドの寝台に侍るということだった。皇太子の教育係と言う名目も様々な理由付けも、全てはこのため。
「どうした。始まる前から憔悴した顔をして」
「……なんでもありません」
「ふふ。ならばいいがな。ここしばらく、お前がいなくて寂しかったぞ」
王が自国どころか大陸を離れて行動することなど滅多にない。そもそも行けと命じたのもスワドだ。白々しい台詞に抗議をする気も起きずラウルフィカはスワドにされるがままとなる。
襟首から覗く鎖骨に吸い付きながらスワドは器用にラウルフィカの服を脱がしていく。ラウルフィカもスワドの衣装に手をかけるが、綺麗に脱がし終わる前に次の行為に移ってしまい息が上がる。
「は……ん……」
晒された白い胸の上でぷっくりと存在を主張する突起を口に含まれ、ラウルフィカは堪えきれぬ吐息を零した。
「相変わらず感じやすい身体だ。伊達に五年間も五人の男に調教されていないな」
まだ前戯を始めたばかりだというのに、スワドの指で、舌で、身体中をまさぐられ嬲られるラウルフィカの頬は紅潮し、抗えない熱を伝えてくる。
「五年? 八年で、八人でしょう?」
「おやおや。レネシャではあるまいし、私はお前を調教しようなどとは思っていないぞ」
八年前、十三の時から五年間、宰相を始めとする五人の男たちに逆らわぬよう脅され弄ばれてきた。
そしてこの三年間、スワドとレネシャを含む三人の男たちに支配され服従させられてきた。
スワドもレネシャも、目立って酷いことをするわけではない。ラウルフィカに傷をつけたり苦痛を与えるようなことはしない。
もう一人の男、カシムに至ってはラウルフィカをどこまでも神聖視し、好意が度を過ぎたあまりの行為であるため、寝台の上でもそれ以外でも基本的にどこまでも紳士的にラウルフィカに接している。
だが時に趣味の悪い遊びや暴力的な行為を含んだそれ以前の五年間よりも、今の方がラウルフィカにとっては息苦しく恐ろしい。
首輪をつけない調教こそが本物の調教だと微笑んだレネシャのやり口は見事の一言だ。この三年間はまさしく筆舌に尽くしがたい。
日常は平和そのものであり、複数の相手と関係を持っていることそれ自体を除けば行為も平穏そのもの。
けれどレネシャは、スワドは、知らぬ間にラウルフィカの行動を監視し、その行き先を決定し、気づけば彼の全てを支配している。先程呼びに来た文官が、スワドはラウルフィカの湯浴みの時間まで知り尽くしていると言った通り。
逆らえない。逃げられない。それを望むことすらできない。
「ああっ……!」
胸元へ与えられた一際強い刺激に、ラウルフィカは高い嬌声を上げる。慌てて噛み殺そうとするもすでに遅く、スワドの口元には笑みが刻まれる。
「いい声だ。さぁ、もっと鳴いてくれ」
生皮を剥がされるように、真綿で首を絞めるように、ゆっくりと全て奪われ、逃げ道が塞がれていく。首輪もないのに飼い殺しになる。
寝台にゆったりと寝そべるスワドの体に乗り上げるようにラウルフィカはその上にまたがった。余計な体重をかけないよう膝立ちになっているため、すらりと伸びた太腿から腰、胸へと上がっていく滑らかな体つきの輪郭が寝室の薄明かりに浮き彫りになる。
スワドが感嘆の息を吐く。
「美しいな」
びくり、と怯えるようにラウルフィカの体が僅かに揺れた。
「初めて出会った時も美しいと思った。あの頃でさえ誰も敵う者のない至上の美の体現だと。だが違った。今のお前はあの頃より更に美しい」
一つ季節を越し、一つ年を過ぎるごとにラウルフィカは美しくなっていく。その美に際限はないのかと驚く程に。
「そんな、こと……。陛下の方が、余程、男として理想的な美貌を兼ね備えているでしょうに」
スワドも美しい男だ。中性的で青年特有の色香を持つラウルフィカとは系統が違う、優美でありながら男性的な力強さを感じる容姿。
「私の人間臭い容姿とお前の容姿では質が違う。こうして血肉を備えた器を持つことが信じられぬ美貌というのはあるのだな」
「は、くっ……!」
言ったスワドが香油を絡めた悪戯な指を伸ばし、ラウルフィカの最も秘められた場所へと押し込む。穢れなど無縁のような顔をした彼も人間なのだと証明する、肉の欲望を満たす場所へ。
「あ、ああ……!」
長い指に中を丹念にかき混ぜられ、膝立ちのラウルフィカはがくがくと腰を揺らした。触れられることのない彼自身がとろとろと先走りの涙を零す様を、スワドは真正面からじっくりと眺める。
「そろそろいいか」
狭い穴の中、肉襞の一つ一つさえ愛撫するかのような時間が終わり、ラウルフィカはようやく深く息をする。もちろんこれで終わりではない。
「さぁ、ラウルフィカ」
促されて、ラウルフィカは自らの尻に手をかけて双丘を割るような仕草を見せる。皇帝は動くことなく、ラウルフィカ自身が腰を落とすのを待った。
スワドの手によって解された場所は、硬く滾った肉槍を自ら呑みこんでいく。自分で動きながら串刺しにされる受刑者のように悲痛な顔をしているラウルフィカの表情がまた官能的で、スワドは残酷なその処刑をじっくりと見守った。
「は……」
「いちいち唇を噛むな。血が滲むぞ」
肉体の快楽も精神の苦痛も堪えるための些細な仕草さえ、そうして見咎められる。
「……申し訳ありません」
「別に声を上げても構わないというのに。嬌声を堪える表情もそそるが、一度くらいお前が我を忘れて恍惚と喘ぐ様を見てみたいものだ」
「その、ような、無様は……」
「さすがに矜持が許さないか? いいさ。それならこちらの方で、お前が我を忘れるようあれこれ考えるとしよう」
愉しそうなスワドの声にラウルフィカはまた返答を間違えたことを知った。今度からはこれを理由にスワドの行為が更に強烈で執拗なものになるに違いない。
スワドといいレネシャといい、こうしてラウルフィカの些細な言葉尻さえ捉えて弄ぶのだ。
そうしてラウルフィカの一瞬の虚を衝き、スワドは体勢を変えないまま主導権を自分に戻した。細い腰を逃げられないよう掴んで容赦なく突き上げる。
「っ……あっ……!」
揺さぶられて強制的な絶頂を味わいながら、ラウルフィカは何とか気を逸らす方法を考えようとするが上手く行かない。
それからも何度もスワドの言うがまま相手をして、ようやく解放される頃にはラウルフィカはくたくただった。
スワドの胸にもたれるように倒れ込んで湿った黒髪を梳かれながら睦言にもならない言葉を聞くともなしに聞く。
肌を重ねたばかりだと言うのに、皇帝の興味はもう別の相手へと向かっていた。
「美しいと言えば、あのリューシャ王子も相当美しいな。まだ若いだけあってお前より強情が利かなそうだろう。さて、泣き叫ぶか、顔を真っ赤にして睨み付けてくるか、その強気はいつまで保つか、それとも案外あっさりと快楽に堕ちるか……」
リューシャの名に、ラウルフィカは閉じかけた瞳を開いた。
「あの子まで……伽をさせる気ですか」
「応じればな。私はどちらでもいいのだ。あの妖精じみた王子でも、銀髪の美しい月の民の少年でも」
スワドはリューシャだけでなくシェイにまで同じように興味を見せる。その翡翠の瞳がラウルフィカへと向けられた。
「銀髪と言えば、あの男を思い出すな。お前の大事な魔術師を」
確かベラルーダの元宮廷魔術師長は王に不敬を働いた揚句に行方不明だったか。皇帝は隣に座るラウルフィカの顔を見ながら薄く笑う。
「もし奴が本当に“創造の魔術師”、辰砂に拾われたと言うなら、もう一度会ってみたいものだが」
「私は会いたくなどありません」
間髪入れずにラウルフィカは言い放った。
「私は……ザッハールに会いたくなどありません」
帝国の支配域を広げ南東地域を完全に傘下に収めたスワドは、近頃はもはや人間界の領土争いよりも、神々や創造の魔術師のような神話的存在への興味を見せている。
各国から学者や魔術師を招き調べさせていることはラウルフィカも知っていた。もしも辰砂がかけられた努力に応えるような性質であればスワドもそろそろ彼に会える頃だろう。
だが、創造の魔術師とはそう言った存在ではない。
三年前に行方を眩ませた“銀の月”。あの男がいなくなってから、ラウルフィカはそれを「辰砂の仕業」と口にした魔術師を問い詰めた。
だがその根拠は魔術師的勘としか言えないもので、わかりやすく理屈だった言葉では説明できないとのことだった。魔術師たちには五感の他に第六感と呼ばれる感覚があり、それによって常人には把握できない感覚を捉えることがあるのだと。
そんな理不尽なことがあるかと罵れば、それで書類が通るように宮廷魔術師の仕組みを調整したのがそもそもあの男自身だと言うのだから泣けてきた。
だが、そうして魔術師たちの意見を聞くうちに、ラウルフィカ自身も段々とその答に納得できるようになっていった。
創造の魔術師は邪神の民。望んで求める者には決して応えない捻くれ者。
あの男が今ここにいる現実的かつ野心家のスワドのように、創造の魔術師を求めるなどとはラウルフィカには思えなかった。そうは思えないからこそ、逆にその存在の目に留まったのではないかという理由にならない理由も、なんだか受け入れられるような気がしてきたのだ。
けれど、忘れられずとも忘れようとしていたはずの名が、今更思わぬところから飛び出してきた。
――我は……辰砂に会いたい。正確には、我が夢の中の少年に会いたい。それが辰砂であろうと、魔族や神々であろうと、生きてこの時代にいるのならば必ず会いに行く。
そう言っていたリューシャは恐らく、きっといつか彼の望み通りに辰砂に会うだろう。
何故だろう。先の結論とは矛盾するのに、これもまたザッハールが辰砂に見出されたのではないかという推測と同じくらい納得してしまう。
だがラウルフィカはザッハールには会いたくない。探すけれど、心の底から求めるけれど――会いたくはない。
会えば再び殺さねばならないから。だから……会いたいけれど会いたくないのだ。
「そう言うな。同じ復讐対象でもあの男はお前に好意的だっただろう」
スワドの指摘はこれに関しては的外れだ。彼が自分を愛していたからこそラウルフィカはあの男が憎いのに。
「呪われた王子に月の民、創造の魔術師に消えた魔術師。さて、次は何が出るかな」
この先の運命などわからない。だが鬼が出ようと蛇が出ようと楽しめることには変わりないと言った風情で、大陸の最大地域を支配する皇帝は泰然と笑ったのだった。