Fastnacht 12

048*

 レネシャはベラルーダの商人だ。ベラルーダ一の商会、ヴェティエル商会の当主である。
今は南東地域一となったヴェティエル商会だが、三年前まではあくまでもベラルーダ一の商人でしかなかった。そしてその座はレネシャではなく、彼の父パルシャのものだった。
 このパルシャこそが、宰相ゾルタと共謀してラウルフィカを貶めた五人のうちの一人だった。ゾルタは経済関係部署の役人たちよりも、国一番の商人を己が野望に抱きこんだのである。
 ラウルフィカがレネシャの存在――パルシャに息子がいることを知ったのは三年前。何とかパルシャの弱味を握れないかと調べている最中、たまたま城にやってきたレネシャを見初めたのだ。愛らしい息子を溺愛しているパルシャには、その息子を奪うことが何よりの復讐だと考えて、レネシャを誑かし自分の手駒とした。
 しかしそれこそが、三年前のラウルフィカの敗因だと言ってもいい。外見だけ見れば花のように愛らしい少年は、十三歳当時からラウルフィカの予想よりもずっと狡猾で強かな「男」だった。
 結果的にラウルフィカがレネシャを見初めたというよりも、レネシャがラウルフィカを取り込んだということになる。一商人の息子の身分でありながらベラルーダ訪問中の皇帝スワド、ラウルフィカ王の護衛騎士カシムと共謀し、レネシャはラウルフィカの復讐にまつわる弱味を握ってその力関係を逆転させた。
 以来、ラウルフィカは他でもないこの少年の奴隷のようなものである。傍目には皇帝スワドの愛人のように見えているだろうが、その実自分の存在を一商人として影に隠したまま暗躍するレネシャの方が恐ろしい。
 ラウルフィカが五人の男に裏切られ権力を奪われたのは十三歳の時。だがレネシャはそのラウルフィカと同じ年齢の頃に、すでに自国の王を脅迫するだけの手腕を発揮していた。格の違う真の才能とはこういうものかと、ラウルフィカはただ絶望するのみだった。
 あの頃も可憐な少年であったレネシャは、今でもまるで少女のような容姿だ。商売のために顔を出すあちこちで人気を博している。
 抱き上げた身体を寝台に下ろし、ラウルフィカは服を脱ぐのももどかしく少年を押し倒した。さらさらとした淡い金の髪を散らすようにひっくり返ったレネシャが目を丸くして見上げてくる。
「陛下?」
 声変わりで昔より少しだけ低くなった声が子どものように問いかける。何故今日はこんなにもレネシャの今と昔について考えているのだろうなと、ラウルフィカは自問自答した。
 それは彼が、ラウルフィカが今最も気にかけている相手と同じ年頃だからだ。
 リューシャは今年十六歳になったと言っていた。同い年の少年二人だが、性格は全然違う。
「あ、の……痛い、です。放して……」
 握りしめた腕に力を入れ過ぎていたらしく、組み敷かれたレネシャが弱々しく懇願してきた。滅多にない怯えて眉根を寄せる表情が、素直に可愛らしいなと思えた。
「私やスワド帝を手玉に取るお前でも、純粋な力では私に負けるのだな」
 レネシャの喉がひくりと震えた。それは怒りか、怯えか。
「そんなの……当たり前じゃないですか。昔からわかりきっていたことですよ。僕の方が五歳も年下なんですから。……どうしたんです? 今日は本当に、おかし――ひぁ!」
 うるさい上の口を塞ぐ代わりに、服の裾を割って下の口に指を差し込んで黙らせる。指を動かすと体温で溶けた香油が一気に香り立った。
「あ、あんっ……陛下ぁ……」
 グチュグチュと粘性の液体が混ざる音に追い詰められるように、レネシャが腕を伸ばしてラウルフィカの背に爪を立てる。まだ上着を脱ぎ落していないので、その爪は高価な生地に突き立てられた。
 リューシャとはまた別の意味で使い込んだ直腸を優しく撫で上げてやれば簡単に喘ぎ、昇り詰める。
「お前は私になんでもしてくれるな? レネシャ。私が何をしても受け入れるだろう?」
「ん……僕が楽しめる範囲でって、注釈はつきますけどね。はぁ……」
「私のことが好きか?」
「ええ。好きですよ」
 躊躇いもせずに答える声音は軽い。なのに、彼から向けられる執着は同じ沼の中に沈み込んでしまいそうな程に暗く、深い。
 ラウルフィカはたまにふと我に帰り、この関係性は何なのだろうなと考えることがある。
 自分の眼から見た構図はわかる。だが、レネシャの思惑がわからない。スワドもカシムもこの点に置いては欲望をあっさりと口にしたのでわかりやすい。レネシャだけが今も昔も変わらずに不可解だ。
 ゾルタたち五人のことがある。男が自分を抱きたがる感情は否が応にも理解せざるを得ない。けれど男らしい男という像とはかけ離れた自分に抱かれたがるレネシャの気持ちは理解できなかった。
「今更……なんです? 僕は最初から好きだって言ってるのに」
 初めて出会った時、レネシャは若き国王に憧れるただの少年としてラウルフィカに接した。その顔にすっかり騙されたラウルフィカは苦い表情になる。
「まだ、僕の言ったこと……嘘だと思ってるんですか? 僕はいつだって、本気――あっ! やん、だめぇ……そこぉ……」
 結局脱がさなかった下衣に先走りの染みをつけたものを取り出す。滅多に使われることのないそちらは色も鮮やかで顔に見合って可愛らしい。
「あ、あ、陛下……!」
 足首を掴んで思い切り開かせた場所に顔を埋めてそれを口に含む。レネシャが甲高い嬌声を上げた。
 それを聞きながら、ラウルフィカは耳に届く現実の声よりも、先日のリューシャの苦痛を堪える呻きを思い出していた。
「――誰のことを考えているんです?」
 空恐ろしい程に鋭いレネシャはすぐに気づき問い質してくる。
「……アレスヴァルドからの客人だ」
「皇帝陛下の仰っていた呪われた王子ですか」
「知っているのか?」
「顔だけは確認しましたけどね。陛下の好みはもう一人の銀髪さんかと思ってました」
 誰も彼もがラウルフィカはまだザッハールのことに拘っていると考えている。拘っているが……拘っているからこそ、ただ銀髪と言うだけで興味を持ったりはしない。
 そしてリューシャはザッハールとも誰とも似てはいない。
 不器用な生き方に、脅迫者たちに抗おうとしていた頃の自分の境遇を重ねているのかと考えたこともあるがリューシャとラウルフィカでは意志も決意も違いすぎて上手く重ねられなかった。要素の一部が同じでも、人と人の人生はそう簡単には重ならないものだ。別々の人間なのだから。
 快楽の頂点に達したレネシャの薄い精を飲み下しながら思う。
 お返しにと、今度はレネシャがラウルフィカの股間に舌を伸ばして這いつくばる。
 淡い色の金髪を撫ぜながら、心は肉体の快楽に集中しきれなかった。それでも男の性は与えられる刺激に反応して欲望をぶちまける。
「ふ……」
 直前で引き抜こうとしたラウルフィカの動きを拒んで、レネシャがしっかりと飲み干す。口の端から零れ落ちた白い滴を舌で舐めとる仕草がたまらなくいやらしい。
 一度で止めたラウルフィカとは違い、レネシャは放たれた精を飲みこんでも飽きずに再び奉仕を始めた。
「レネシャ……」
「ん、だって……早く欲しい……」
 舌を動かす合間に上目づかいでラウルフィカの顔を覗き込んで懇願する。娼婦顔負けの手管で、すでに満足したはずのものをもう一度そそり立たせる。
 ラウルフィカはそんなレネシャの耳元で囁き問いかける。
「どうやって抱かれたい。上で? 下で? それとも後ろから、獣のように犯されたい?」
 頬を桃色に染めたレネシャが、いつものように哀願する。
「正面から、ちゃんと抱いてください……お願い……」
 そして望むのだ。身体を繋いでいる間、恋人のように口付けを。
「ん……んんっ!」
 望みに応え、ラウルフィカはレネシャの腰を高く上げさせて熱い楔を打ち込んだ。歓喜の声を上げる唇に噛みつくように吸い付いて腰を動かす。
 抽挿の度に潤滑剤の香油が淫猥な香りで鼻腔をくすぐる。奥を抉るように多少乱暴に突き上げても、レネシャは悦んで嬌声を上げた。
 始まりからして歪んだ関係の中、どんなに取り繕ってもごっこ遊びにしかならない恋人の仕草を求められる度に、それと正反対の乱暴を働けば案外呆気なくこの少年も堕ちるのではないかという自棄な気持ちが涌きあがる。
 細い腕を縄できつく縛り上げ、目隠しと猿轡で反論さえ許さず、非常識な大きさの張型で休む暇も与えず責め苛んでやれば容易くその無様な泣き顔を見ることができるのではないかと。
 夢想だ。それこそ無謀だ。実際にそんな真似をすればすぐにレネシャの護衛が武器を引っ提げて乗り込んでくるだろう。
 レネシャが従順なのはあくまでも見せかけ。閨で恋人の振りを強請るのは遊びに過ぎない。
 そのことを誰よりよくわかっている本人自身が、そのことに倦んでいるのだとしても。
「陛下ぁ……」
 二人して達してもしばらくは抱き合ったまま呼吸を整えることに専念する。レネシャが鼻にかかった甘い声で続きを求めるのを、ラウルフィカはやんわりと拒絶した。
「むぅ」
 裸の胸を押し付けるようにしてレネシャが抱きついてくる。女性ではないのであてられて楽しい膨らみなどないが、一人になりたくない時はのしかかる重みと体温が心地よい。
「スワド帝ばかりずるいです。たまには僕のことも相手してくれなきゃ」
「だから今しているだろう?」
「それから、たまには呼んであげないとカシムさんが拗ねますよ」
「……あれは焦らすだけ焦らせば勝手に爆発するからいいんだ」
 背中に汗ばんだ肌を感じながら、ラウルフィカは息を吐く。
 どうして私は――まだ生きているのだろう。
 背後に心地良い負荷をかける重みを伝えてくる相手はこの帝国の皇帝よりも恐ろしく、この身を調教し、見えない首輪で繋いだ支配者だ。護衛の騎士を始め、身近な人間は誰一人として信用できない。
 もうどれ程の夜を迎えても銀の月は昇らない。行先も見えない闇の中で永遠に独りなのに。
 ――どうしてまだ生きているのだろう?
 ごく自然にそう考えて不思議に思う。
「ラウルフィカ様……好きですよ……」
「ああ……」
 うっとりと呟くレネシャの頬が肩口に押し付けられる。腹に回された腕をそっと手で包みながら心あらずに頷いた。
「大丈夫。空しいのは今だけですから。いつかきっと慣れます。そうしてあなたも、僕と同じものになる」
 見透かしたようなレネシャの言葉に、理由もわからず胸がざわめいた。――ああ、それが望みなのか。
 それは多分、あの浴室でラウルフィカがリューシャに覚えたのものとよく似た感情。
「そうだな」
 ラウルフィカは頷いて目を閉じる。
 もう、何も考えたくない。溺れる魚のように、水の流れに逆らわずこのまま流されてしまいたかった。

 ◆◆◆◆◆

 それは夜更け、というには少し早い時間。人々がそろそろ眠る準備のために慌ただしく支度を始める、あるいは終える頃だ。
 丁度ラウルフィカが身支度を整え終わった時だった。扉の外から切羽詰まった響きの声がかかる。
「陛下!」
「どうした、こんな時間に」
「あの二人の少年がいません!」
 不満げな顔のレネシャを置いて部屋を出る。報告の兵士に詳細を説明させた。
 それによると、定時の見回りに訪れた者が、あてがった部屋からリューシャとシェイの姿が消えているのに気づいたと。
「……逃げたのか」
 部屋につけていた見張りが倒されていたという。その際、剣を奪われたらしい。
 失敗した。リューシャが「あえて無能に育てられた王子」であることばかりに目が行き、一人旅をしていたはずのシェイが剣を使えるという可能性が頭から抜け落ちていた。
 あの二人はこちらの大陸に連れてきた際も冷静過ぎるくらい抵抗をしなかったのだ。それも今この時のための計算の内だったのだろう。
「すでに捜索させていますが」
「捕まえろ。シャルカント側からいくら人手を借りても構わん。私は皇帝陛下に――いや、スヴァル殿下に話をしに行く」
 リューシャやシェイが誰にも見つからず宮殿を抜け出せたとなると、手引きをした者がいる可能性が高い。そしてラウルフィカの知る限り、彼らに自分以外で一番近しい存在は皇太子なのだ。
「あの二人を何としてでも捕らえろ!」
 できなければ首を刎ねるとでも言いだしそうな形相で、ラウルフィカは部下たちにきつく命じた。

 第2章 了.