Fastnacht 13

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 夕陽が落ち、宵闇が訪れる。シャルカントの街は夜でも明るい。宮殿の存在する街の中心地と歓楽街の明かりが一晩中絶えないからだ。
 今ぐらいの時間であれば、健全な店は営業を終わりにして人々は自宅に帰り家族と夕食をとる。誰もが浮足立ち、街の空気もふわふわとしている頃合いである。自然の明かりが絶えた分最も人工的な明かりが多い時間帯とも言えるだろう。
 窓から宮殿の正面が見える宿の一室で、ダーフィトとラウズフィールは宮殿への侵入機会を窺っていた。
「セルマとウルリークはうまくいったかな」
 独り言に近いダーフィトの疑問に、隣に座っていたラウズフィールが答える。
「ちょっと待ってくれ。宮殿内の気配を探る。……うん。広間の方に人が集中してて、警備もまちまちだ。隙は多いと思う」
 魔術でそんなこともわかるのかと驚くダーフィトに向けて口を開こうとしたラウズフィールが、急に何かに気づいたように動きを止めた。
「え……?」
「どうした?」
「明らかに入口じゃないところから宮殿を飛び出してきた人の気配があるんだけど。これって……」
「リューシャたちか!」
 ダーフィトが瞳を輝かせる。今宮殿内が隙だらけだというならば、リューシャたちが自力で出てきても……いや、リューシャに関してはおかしいが……シェイという少年がついているならばおかしくない。
「ま、待ってくれ! 私の能力じゃ相手が誰かまではわからないよ! 二人だったら良いけど、もしも違ったら……」
 ラウズフィールの魔術師としての力はそれほど強くない。困惑して動けなくなる彼と違い、ダーフィトは瞬時に判断を下して行動した。
「――二手に分かれよう。宮殿は俺、外に出たっていうその二人はラウズフィールが追ってくれ」
 シェイとリューシャが一緒に行動しているとも限らない。そして万が一宮殿内にリューシャが残っていた場合、ラウズフィール一人を行かせてもあの疑り深い再従兄弟は簡単に信用しない可能性が高い。
 いくら盛大な宴の空気に油断しているとはいえ、宮殿の警備は普段から厳しいはず。押し問答が長くなればリューシャを助け出せないどころか救出に行く方も危ない。ならば自分が行くとダーフィトは言った。
「ど……」
 リューシャという少年が本当にそこまで疑心暗鬼な性格なのか? それを知っていてもダーフィトは何の衒いもなく助けに行くのか? ラウズフィールにもいろいろ言いたいことはあるのだろうが、話している時間が惜しい。
「リューシャは俺の再従兄弟。うちの父親に自分の父親を殺されて、それでも俺を必要としてくれた相手だ。だから俺が助けに行く。それだけだよ。あんたはあんたの大事な奴を助けに行け」
 ラウズフィールがシェイに向ける気持ちとダーフィトがリューシャに向ける気持ちはまるきり別物だ。だがそれが命を懸けるに値するものだということは変わらない。
 二人は覚悟を決めて宿から飛び出した。
「私は脱走者らしき二人を追う」
「俺はまぁ適当に忍び込むわ」
 そうしてラウズフィールと別れたダーフィトが城の裏手に回ろうとした時、背後から声をかけられた。
「待った待ったお兄さん。そう無茶しなさんなって。いくら凄腕の剣士でも何の対策もなしに宮殿に侵入なんて無茶だよ」
「ザッハール! 来てくれたのか!」
 数日前、何に気づいたのか態度を豹変させ彼らの前から姿を消した辰砂と共に行ったはずの界律師がそこにいた。
「俺の力なら忍び込むくらいならできる。俺はリューシャ王子とやらもシェイ君とやらも直接は知らないから魔術で探すことは難しいんだけど、とりあえず警備兵に捕まる心配だけはしなくていいよ」
「助かる! ……けど、辰砂はリューシャに対して含むところがある様子だった。俺はお前たちを今でも信用していいのか?」
 やはり態度を変えて挙句リューシャのことを「敵」とまで言い放った辰砂のことが気にかかる。眉根を寄せて剣の柄に手をかけ問いかけたダーフィトに、銀月は苦い笑いを浮かべた。
「そっちの警戒ももっともだけど、とりあえずお師様は今は手出しする気ないみたいよ。あの人あれで義理堅いから、約束は必ず守る。宮殿から出るまで手伝ってやるってのは信じていいと思うよ」
 言い切る割には、銀月の表情にはどこか影がある。ダーフィトは不思議に思うものの、深く突っ込んで聞く時間はなかった。
「なら……力を貸してほしい」
「ああ」
 快く頷き、銀月は転移のためにダーフィトの手を取る。
「……俺としても、あの人に罪を重ねさせないためには早くあの子に離れてもらいたいしね」
 憂いを帯びてひっそりと囁いた一言は、これからの潜入作業に集中するダーフィトの耳には届かなかった。

 ◆◆◆◆◆

 スヴァルの教えてくれた迷路庭園の抜け道を使い、リューシャとシェイは宮殿の外に出た。
 広間で行われているという宴は余程盛況なのか、拍子抜けするくらい宮殿の警備体制が常よりあっさりしていたのだ。散歩と称して出て行こうとしたのを渋った部屋の見張りさえ倒してしまえば、後は数人の使用人の目をかいくぐるだけ脱出することができた。
 シェイもリューシャも縛られているわけでもなければ、待遇は客人という扱いだった。その上細身の少年とはいえ二人で力を合わせれば、一人が兵士の隙をついてもう一人が背後から殴り倒すくらいのことはできる。
 予想外と言えば迷路庭園の入り口の門に鍵がかかっていたことぐらいだが、それは壊れていたのか単に閉め忘れか、リューシャが触れた途端南京錠が地に落ちてあっさりと開くことができた。
 そうしてうまく宮殿を脱出したところまでは良かったのだが、困ったのはそれからだ。
「え、ええと。どっちに行けばいい?!」
 二人とも帝都には詳しくない。シェイは黄大陸人なのでリューシャよりこの地方に詳しいとはいえ、彼の故国はあくまでもベラルーダであってシャルカントではない。帝都に来たことはないのだ。
「人目から隠れすぎるのも、目立ちすぎるのも問題だな」
 見回りが来れば見張りを殴り倒して逃げ出したことがバレてしまう。そのため早く姿を隠さなければならないのだが、なかなかいい方法が見つからなかった。
 大通りに出てしまうと、人の数が多すぎる。こんな目立つ場所で目立つ二人が誰かに声をかけてもすぐに見つかってしまう。もう少し人気のない道でたまたま通りがかった人間を一人脅せばなんとかなるという考えは甘かった。
「とりあえずこっちに!」
 下手に目撃者を作るよりもマシだろうと、比較的人気のない道を選ぶ。シェイはまだしもリューシャはアレスヴァルドからの指名手配がかかっている。逃げ切れず捕まった場合捕り物の事実が明らかになれば今度はシャルカントでも指名手配かもしれない。
 なまじ顔立ちが目立つ分、一度覚えられてしまったら二度目が危ない。
 幸いこの時間ならまだ街の明かりは多い。多いからこそ人出もあって難儀しているともいえるが。
 とにかく少しでも宮殿から距離を稼ごうと、二人は走り続けた。顔を隠して通り過ぎた大通りの横道から路地裏へ入り込む。
 その足が、ふいに止まった。
 道の向こうからやってきた二人組の男たちは、胸当てをつけたシャルカント兵の格好をしていた。二人の見たことのない制服だが、街の警備隊だろうと推測できる。
 男の一人が、足を止めた二人に何気なく視線をやって眉根を寄せた。
「君たち。ちょっと話を聞きたいんだが」
 ラウルフィカは国から魔術師を連れてきている。すでに連絡が行ってしまったのだろう。男は明らかに二人を疑っている様子だった。
「リューシャ……」
「――シェイ、我が話をする。その隙に」
「駄目だよ! そんなの!」
「何の話をしているんだね?」
 どちらか一人だけでも逃げられないかという相談を見咎めて、男の顔つきはますます厳しくなった。相方も退路を断つように背後を固めていて、逃げるなら引き返すしかない。だがそんな行動をとればますます怪しまれて応援を呼ばれるだけだろう。
 シェイがそっと剣の柄に手をかける。だがその行動は、警備隊の警戒をますます強くした。
「その剣はどうした。街中の抜刀は禁じられている。君たちは……」
 シェイがリューシャの腕をひったくるようにして走り出した! 警備隊に背を向けてとにかく距離をとろうと足を動かす。
「どこかに隠れて! 僕は後から行く!」
「シェイ!」
 そんなこと言っても、二対一だ。シェイは一応剣が使えるとはいえ、それほど得意ではないという。目の前の警備隊がもし腕に覚えのある、正規の訓練を受けた兵士だとしたら多勢に無勢では敵わない。
 要は自分が囮になってリューシャに逃げろと言うのだ。リューシャは逡巡するが、今はここにいる方が邪魔だと足を動かす。
 懐の魔道具を探っていくつかを取り出す。仕掛ける場所さえ見つかれば援護くらいはできるはずだ。
 しかしリューシャがそうした位置を見つけるよりも早く、元来た道の向こう側からまたしても制服姿の男たちが現れた。
「くっ……!」
 完全に退路を塞がれる。これでは例えシェイが二人の警備兵に勝てたとしても、逃げることは難しい。
 シェイもそれに気づき、剣を降ろそうとした。逃げ切れるかどうかわからない場面なら賭けに出ても良かったが、これではあまりに劣勢だ。
「――宮殿からの手配にあった、少年二人だな」
 警備隊の中で確認をとる声がする。普通ここは抵抗を止めた本人に名を確かめるのが筋だと思うのだが、リューシャのことがあるので元々末端には知らされていない可能性が高い。警備隊がなかなか武器を取り出そうとしない様子からもそれは窺えた。
「淡い紅色の髪に青い瞳の少年と、銀髪に銀の瞳の少年二人組。……どうやら間違いはなさそうだな」
 観念するしかない。二人が逃走を諦めたその時だった。
「ごめんな。あんたらに恨みはないんだけど」
 男の声と共に、二人の警備隊員がどさりと地に倒れ込んだ。
 昇りはじめた月を背に路地裏の暗がりに一人の青年が剣を持って立っている。誰もが意表を衝かれた。
 シェイが大きく瞳を見開いて顔を上げる。
「ラ――」
「なんだ貴様は!!」
 残る二人の警備隊員も警棒を手にラウズフィールへと飛び掛かる。だがそれも彼は剣の峰を使い、怪我をさせないまま簡単に捌いた。
 実力を比べることすら馬鹿らしいような、圧倒的な程の腕だ。
 それも当然、彼はかつて――血砂の覇王とまで呼ばれた、「魔王」の生まれ変わりなのだから。
「ラウズフィール!」
 シェイが歓喜を叫ぶ。