Fastnacht 13

052

 ラウズフィールと共にいたはずの辰砂は、シェイとリューシャが警備隊に見咎められた時も近くで様子を見ていた。
 これはまずいと姿を現そうとしたのだが、リューシャと顔を合わせるとまたややこしいことになる。それにラウズフィールとシェイの二人は、僅かでもまともに向き合って気持ちを伝え合う時間は必要だろう。
 だから少年二人が取り囲まれた時、まずはラウズフィールが先行した。元々創造の魔術師としての姿を人目にそうそう晒したくはない。警備隊を倒して話が一段落してから全員を転移術で回収しようと。
「げ」
 しかしそれが、当初の予想よりも遥かに素早いラウルフィカの到着により叶わなくなってしまった。
 スヴァルから抜け道のことを聞きだしたラウルフィカは、そこから二人の逃走経路を絞って追跡したらしい。元々帝都内の警備に通達を出していたのだから、方向がある程度絞れればこの街に不慣れな目立つ少年二人を追うことなど難しくはない。
 しかもなかなか行動力のあるこの王様は、真っ先に御自分の手でリューシャをがっちり抱えて確保するという的確さだ。
 この状態では、迂闊な魔術を使えない。できないとは言わないが辰砂でさえ難しい程に難易度が上がる。いくらリューシャを救うためと理由をつけても、ベラルーダ王に怪我の一つもさせれば大問題だ。
 ただでさえザッハール回収事件でベラルーダと軽く因縁のある辰砂は少しでも余計な波紋を広げるような騒ぎは起こしたくない。いっそザッハールと役割を交代してあいつも「死んだはずの宮廷魔術師長が陛下の前に現れた?!」と怪談の一つにしてやろうかなどと考えながら後手に回っていたところで、その女が現れた。
「とりあえず、あの二人に関しては私に任せて」
「あ、ちょっと! セーファ様?!」
 いつから事態を見守っていたのか、月の女神はシェイとラウズフィールを衆目の前で助け出す。

 ◆◆◆◆◆

 シェイとラウズフィールの二人は月女神セーファの手によって助け出され、辰砂を伴い四人で砂漠へと移動した。
 この大陸には二種類の砂漠があり、それぞれ“銀砂漠”と“金砂漠”と呼ばれている。大陸の南に行くほど砂の色が黄金に近くなるという。
 真に黄金の砂の海が広がる南の果ては過酷な環境で住まう民族も少ない。だから大抵の人間が砂漠と言えば、それは銀砂漠の方を指す。事実、砂漠の国と呼ばれるベラルーダもかの国を含めて砂漠地域を治めると言われるシャルカントも、そこで言う砂漠が意味するのは銀砂漠のことだ。
 さらさらと乾いた砂がまさしく海のように広がる銀の砂漠。白い月がかかる夜の青さを反射して一層銀が輝いているように見える。
 訳も分からぬまま連れてこられたシェイとラウズフィールは思わず顔を見合わせた。
「あの……」
 知らない顔なのにどこか自分に似た印象を持つ女神を前に、シェイが恐る恐る話しかけてきた。
「あなたは……」
「君の信仰対象。月の女神セーファ。この地方ではイシャルーとも呼ばれていたっけ?」
 つまらない顔で砂の上に座り込んだ白銀髪の少年の姿に、シェイは目を瞠る。以前、人身売買組織の馬車にウルリークと呼ばれていた少年と共にやってきたアスティと名乗る少年だが、容姿が違った。
 以前見た時は紫だったはずの瞳が、紅と青の色違いの双眸となっている。
「し、しん……創造の魔術師?!」
「僕よりも女神さまの登場に驚くべきだと思うけど?」
「あ、そうそう……って女神さまぁ――?! ええ?! 一体何がどうなって……」
「ラウズフィールー、君の恋人騒がしいんだけど」
「私もシェイ君程ではなくとも動揺はしているんですよ……」
 彼は彼で辰砂はまだしも女神の登場に呆気にとられているようだった。ひとまず三人が溜息をついたところで、またシェイが叫びを上げる。
「リューシャは?! あいつは一体――」
 頭の隅、先程の場所から帝都警備隊を叩き起こして宮殿に戻る人々の動きを感じながら辰砂が答える。
「そっちまで回収しきれなかった」
「じゃあリューシャはまだラウルフィカ様のところに――」
 逆上したベラルーダ王が最後に見せた敵意が気にかかる。自分たちがこうして逃げたことで残された彼がどういう扱いを受けるのかわからないと、シェイは青褪める。
「た、助けに戻――」
「それはやめた方がいいでしょう」
 鈴を星屑のように降らしたかのような声が言った。先程は動揺するばかりでろくに言葉の内容も頭に入らなかった女神の言葉に、シェイは改めて彼女の方へ向き直る。
「女神さま……本当に、イーシャ様、なんですね」
「そうですよ、シェイ。少なくとも今は私が、この世界で月女神と呼ばれている存在」
 セーファの不思議な言い回しに、シェイは一瞬きょとんとする。だが常々信仰の対象としていた女神や伝説の魔術師の存在よりも、今はリューシャの安否が気にかかる。
「イーシャ様。リューシャを助けに行くなとは、どういう意味ですか?」
 冤罪をかけられ指名手配されたアレスヴァルドの王子。けれどシェイは、リューシャがその偉そうな口振り程には傲慢ではないことも知っている。彼のそういった態度はそれによって事態を上手く運ぶための演出であり、リューシャ自身は本当は情の深い性格だ。そうでなければあの場面でシェイを逃がそうとするものか。
「彼はあなたとは違うのですよ、シェイ」
「え……」
 確かにリューシャはアレスヴァルドの王子であって、平民のシェイとは違う。だが……。
「身分や環境のことではありません。彼があなたと違うのは、あの子が持つ運命そのもののこと」
「運命……」
「そうですよ。彼にとってそれは、生まれる前から定められていた道筋。あの子自身が選んだ未来」
 セーファの言い方に不吉なものを感じ、シェイは思わず自らの身を庇うように抱きしめる。ラウズフィールがその身を更に包むように肩に手を置いた。
「月女神様。その運命とは、何なのですか?」
「私の口からは言えません。今は」
「今は? ではいつかわかるということですか」
「ええ。近いうちに。けれどそのために、この大陸であの子の身に降る経験が必要なのです」
 銀の女神は瞳を閉じる。けぶる睫毛が淡い月光を跳ね返し、その姿はまさに最高神の妻。
「セーファ」
 その沈黙だけで微かな威圧さえ漂うような神々しい姿に何も言えなくなったシェイとラウズフィールとは違い、辰砂は女神を呼び捨てながら尋ねた。
「やはりあれが、“総てを滅ぼす者”なのか?」
「あなたにはもうわかっているのでしょう? 辰砂。それが答です」
 セーファはにっこりと笑い、辰砂は忌々しげに舌打ちする。
「辰砂様……」
「あー、今は何も言うな。この女神さまがそう言うってんなら、今僕らがリューシャ王子に手を出せばややこしくなるのは確実だ」
 ラウズフィールの訝りの眼差しに対し、眉間に皺を寄せて辰砂は続ける。
「神様っつっても僕の例がある通り、無敵でもなければ人間にさえ殺せる存在だ。性格も変に人間臭くて面倒なのが結構いるけど、月女神は比較的公平な方」
「信用してくれてありがとう」
 比較対象がどの辺りなのか余計に知りたくなるような台詞に、セーファがくすくすと楽しげに笑う。かつて神々に反逆したと言われる創造の魔術師がその神の一人と意外に親しげにしている光景に、シェイもラウズフィールも首を傾げた。
「別に神ってもこれだけ数がいれば良い奴も悪い奴もいるよ。邪神とされてれば悪だとも言い切れないし。人間だって同じだろう。神様もそうだから人類を滅ぼしたりしないで個人の宿命を見守っているんだよ」
「……リューシャのことも? それが、必要だと言うのですか」
 必要な経験だと月女神は言った。ならばこれから先リューシャの身に起こる出来事は、決して楽なものではないのだろう。
「それでも僕は……彼に……できれば幸せになって欲しいと思っています」
「そうね」
 セーファがぽつりと囁いた。
「私も昔から……そう想っていたわ」
 月の光が降る。銀の砂が輝く。砂漠を静けさが包んだ。
 泣きそうな表情のシェイにセーファが告げる。
「大丈夫よ。あの子はかつて、それがどんな結果になろうとも受け入れ、乗り越えてゆくと誓った。――でも、さすがに今の状態で一人で総てを行うのは無理でしょうから、必要なら手助けをしてあげて」
 セーファの言い回しは、まるで昔からリューシャのことを知っているようであった。何の根拠もなく、落ち着いて考えれば考える程謎めいたその言葉を、けれどシェイは無条件に信じることができた。
「ねぇ? 辰砂」
「ふん」
 シェイたちに向けた言葉の終わりを辰砂に振り、月女神は弟を見るような目を向ける。不思議な話だが、彼らはとても仲が良く見える。
「それに、あの子には力があるから。シェイ、あなたはもうそれを知っているはずよ。だから心配いらないわ」
「え?」
 リューシャの力と聞いて、シェイは疑問符を頭の上に浮かべた。無能になるように育てられた王子として、リューシャはあれもこれもできないということばかり言っていた気がする。そんな彼の力とは?
「あなたたちとは長い付き合いになりそうね。また会いましょう」
 そして一同に軽く手を振って、セーファはその場から蜃気楼のように消え去った。天界と呼ばれる場所に帰ったのだという。
 呆気にとられるシェイとラウズフィールと、リューシャの面倒を頼まれて不機嫌そうな辰砂の三人だけが銀砂漠に残される。
「あーもう、あの馬鹿遅いし……」
 ダーフィトと共にシャルカント宮殿に乗り込んだ銀月からまだ連絡も来ない。そろそろラウルフィカたちが宮殿に戻って慌ただしくなる頃だろう。
「あの……創造の魔術師様?」
 女神と相対した時よりもどこか恐々と声をかけてくるシェイに、辰砂は投げ遣りに手を振った。今はセーファと同じく辰砂の口からも説明できるような段階ではない。
 せめて彼が、本当の力を取り戻すまでは――。
「後のことはまぁ後で考えるとして、君たち二人は今のうちに気持ちの整理をつけておけば? 久々に再会したわけだし」
 そう言われて今まで抱き合っていたラウズフィールとシェイははっと己の状況に気づいて赤くなった。思わずどちらからともなくぱっと離れる。
「あー、ちょっくら銀月たち拾って来るわ。あいつら回収したら改めて帝国に転移しなおすよ」
 それだけ告げて辰砂はさっさと姿を消す。言うまでもなく、二人きりにしてやろうという気遣いだ。ラウズフィールもシェイもそれがわかっているためますます緊張して赤くなる。
「え、えっと、その」
 動揺してしどろもどろになるシェイに対し、ラウズフィールは穏やかに微笑んで告げる。
「私は君が好きだ。この先何があっても、君と共に生きていきたい」
 シェイの手を両手で包む。まだ厄介事は残っているしこの先の人生も何があるかわからない。魔王の生まれ変わりであるラウズフィールはやはり周囲を傷つけ不幸を呼び込むのかもしれない。
 それでも共に生きていきたいと。
「僕だって同じだ。何があっても、お前と一緒にいる――愛している」
 万感の想いをようやく口にしたシェイの瞳から思わずぽろりと涙が零れ落ちる。ただその涙を零すシェイの表情は、これまでにラウズフィールが見たどんな顔よりも明るく嬉しそうな笑顔だ。
 二人はもう二度と離れないと誓うように、砂漠の月と星空の下で固く抱き合った。