Fastnacht 14

056

 見事皇帝スワドの心を掴んだセルマとウルリークの二人は、しばらくの間客人として宮殿内に留め置かれることとなった。
 意外と言えば意外、当然と言えば当然の話だが、皇帝がより気に入ったのはウルリークではなくセルマの方らしい。なんでも踊りは一人で舞うだけでは物足りないが、伴奏のついた歌はそれだけで満足できるからだと。
 ただし皇帝の審美眼は相当なもので、自身の容姿を始めとして美しいものは見慣れている。セルマは顔立ち自体は非常に平凡で地味、良く言っても普通、悪く言えばどんなに派手な格好をしても影が薄いと言われる類であるので、性的な意味での食指はまったく伸びなかった。お互いにとって幸運なことだが。
 そう言った意味で気に入られたのはウルリークだが、せいぜい舞を休む間宴席で酌を求められるぐらいの接触だ。今は美しい客人に事欠いていないので、わざわざ美女を選ばなくてもいいらしい。
「まぁ、皇帝陛下。わたくしもこれで容姿には自信がありますのよ。そのわたくしより美しいなんて、その客とは一体どこの御令嬢ですの?」
「私もお前に聞きたいことがある」
 宴のその夜、露出の激しい衣装でしなだれかかるウルリークを相手に、スワドが尋ねる。
「今私が宮殿に招いている客人の一人に、“ウルリーク”と言う名の少年を探すよう頼まれていてな。なんでも年の頃十四、五で淡い紫の髪と深紅の瞳を持つ美しい少年だそうだ。心当たりはないか?」
 まさか目の前の“女”がその本人だと気づいているわけではないようだが、容姿と名前の相似は気になるのだろう。笑う口元と冷たい眼差しが不均衡な皇帝は、ウルリークの剥き出しの肩を抱きながら正面切って問いかけてきた。
「ウルリークねぇ……知っておりますわ」
「ほう。それはお前の弟か何かか。どこにいる?」
「そこまでは知りませんわ。別に弟でもなんでもありませんし。ただ、わたくしと同じ色の髪と瞳で名を“ウルリーク”というならば、それはかつて“傾国”と呼ばれた大淫魔のことですわ」
「淫魔?」
「ええ」
「聞いたことがあるような気がするな。複数の大陸で権力者を籠絡して何か国も滅ぼしたという……だがそれは、何百年も前の話ではなかったか?」
「淫魔の寿命はそのくらいあります。魔族は総じて千年以上の寿命を持つ種族が多いので」
「お前も淫魔なのか?」
「ええ。この髪と瞳の色は“傾国”にあやかるという意味で人気ですの」
 ころころと楽しそうに笑うウルリークを勧められた酒の杯を飲みながら見守るセルマは「またそんな嘘をついて……」とウルリークに対して呆れていた。
 彼女はウルリークとの付き合いは短いしそもそもこの淫魔の少年がセルマたちに全てを語っていたとは思わない。だが何となく、ウルリークのつく嘘や冗談がわかる。
「ほう。では私のことも誑かし、籠絡する気かな?」
「もちろんですわ。それが淫魔の本懐ですもの。でもね、皇帝陛下のような良質な物件は滅多にありませんの。わたくしたちだって人間界の単純な権力図だけでなく、相手の容姿や才能にも拘りたいですもの。元々愚鈍な王を誑かすより、有能な皇帝を堕落させてこその淫魔ですわ」
「褒められたようだが、その手には乗らないぞ。真正面から自分は魔族だとネタ晴らしするのはお前独自の美学か」
「ええ、もちろん」
 ウルリーク……今はウルリーカと名乗っている“女”を膝に乗せた皇帝に、宴に臨席する貴族たちから羨ましそうな視線が送られている。
 一方のセルマは演奏中以外は完全に放置状態だ。先程の演奏に純粋に感銘を受けた幾人かの貴族に取り囲まれて料理を堪能している最中である。
 このまま次の演奏までは放置されているのかと黄の大陸の高級名物料理に舌鼓を打っていると、皇帝から声がかかった。
「演奏者。お前は」
「なんでしょう?」
「お前も魔族か?」
「いえ、違います。私は人間です」
「見たところこの辺りの者ではなさそうだが、どこから来た? ――アレスヴァルドか?」
 青の大陸の古王国アレスヴァルド。さすがにこの宴に呼ばれる階級の人間であれば、何人かは即座にその名が思いつく。ただ、王子の指名手配まで知っている人間は少ない。周囲が怪訝な顔をした。
 これはウルリークに対するものに引き続いたスワドの鎌かけだ。リューシャ王子には幾人か連れがいるはずだとアレスヴァルド側からは伝えられている。むしろウルリークは西側に来てから出会ったという相手で情報がない。
 この竪琴を持った演奏者がアレスヴァルド人であれば、ウルリーカと名乗った女もリューシャの言っていた“ウルリーク”である可能性が高い。スワドはそう考えた。
「いえ、私は紫の大陸のエヴェルシア人です」
「紫の大陸?」
「はい。旅の途中で中央大陸や青の大陸に渡ったこともありますけれど。あ、でもさっきの歌のうち一つ目のものはアレスヴァルドの祭りで歌われるものですよ」
 セルマは元々アレスヴァルドの人間ではない。彼女はリューシャを殺すために高名な暗殺組織から差し向けられた暗殺者である。出身自体も青の大陸ではない。
 彼女自身は皇帝の追及を躱そうという意識は全くなかったのだが、天然で真実をさらりと答えたら意図せずそうなってしまった。アレスヴァルドで過ごした時間はそこそこ長いのだがセルマはそこにリューシャがいるからいただけであり、自分がアレスヴァルドに帰属するという意識はまったくない。
(セルマさんて時々天然ですよねぇ……)
 自分の嘘八百に張る程の鮮やかにするっと皇帝の追及を躱したセルマの無意識をウルリークが内心でまったりと称賛する。
「さすが陛下、青の大陸の楽曲にまで造詣が深いとは」
「ああ、まぁな」
 皇帝に追従する貴族の一言で、その場の話題はさらりと流された。確かにセルマの容姿は赤毛が多いというアレスヴァルド人の特徴に合致しない。スワドは疑いを捨てることはなかったが、確証もまた持てはしなかった。
 その耳元に部下が囁きかける。
「――そうか」
 ベラルーダ王が戻った。その報告が何を意味するか分かる者は広間にはいなかった。潜められた報告自体聞こえない距離の者もいれば、聞いてもわからない者も多い。
「そろそろちょうどいい頃合いだろう。この舞姫と歌姫たちに、最後に一曲演ってもらいお開きにしようか」
「それではせっかくですから、先程とはまた違うこの地方の伝承歌を躍らせていただきますわ」
 結局お互いがお互いを疑りつつも決定的なものを得られないまま、その日の宴は無事に終わった。
 それから四日後の現在。
「おかしいですねぇ……」
「こんなに探しても見つからないなんて……」
 セルマとウルリークは与えられた客室で首を捻る。
 皇帝は彼女たちにかなりの権限を与えてくれたのでほとんどの場所を自由に行き来することができた。兵士たちの慰労という名目で練兵場で踊りを披露したりもしたので、それこそ兵舎にまで足を踏み入れることができたくらいだ。
 更にウルリークが宮殿中の男と言う男を片っ端からたらしこんで様々な情報を聞き出した。後のことを全く考えていないからではあるが、凄腕の間諜でさえここまで短時間で情報を集めることはできないだろうという量だ。
 それによると、やはりこの宮殿内にリューシャらしき人物がいるのは確かなようだ。否、らしきではなく、リューシャ本人と断定しても差し支えないだろう。皇帝本人がそう匂わせたのだから。
 なんでもセルマたちが来る数日前までは淡い紅色の髪の少年と銀髪の少年が皇帝の皇帝の執務室を訪れたり図書室に出入りしたりしていたらしい。
 だがセルマたちが来た日の三日程前からぱったりと目撃が途絶えている。とはいっても情報を総合すると、リューシャらしき淡紅髪の少年がいないだけで、シェイらしき銀髪の少年の姿は目撃されていた。通りがかる使用人たちに積極的に話しかけていたらしい。
 部屋の外から扉を叩く音がして、ウルリークが開けに行く。
「何が見つからないって?」
 開口一番そう問いかけたスワドに、ウルリークは動揺の一つも見せずあらかじめ用意していた答を告げる。
「わたくしが耳飾りを片方落としてしまったんです。気に入っていたものなのでできれば見つけたいのですわ」
「なるほど。ではやはりこれはお前のものか」
「あら」
 スワドが開いた手の上にあったのは、間違いなくウルリークが先日中庭の見つかりにくい場所に仕掛けたものだった。そうしておけば宮殿内をうろつき回る理由ができるからだ。
「皇帝陛下ともあろう方が、わざわざ届けに来てくださったのですか?」
 早速腕をとってしなだれかかりながら長椅子に腰かけるウルリークに、スワドは表向きは満更でもなさそうな顔で言う。
「庭師が見つけたらしいぞ。これほど高価な宝石を身につける女は限られているのに誰も心当たりがないというので困り果てて私のところに持ってきた」
「まぁ。その庭師の方にはぜひお礼をしなければ。よろしければその方のお名前を教えていただけます?」
「そう言って、今度は庭師まで誑かす気か? 魔性の女ウルリーカ。今では宮殿中の男たちがお前の虜ではないか」
「そんなことありませんよ。まだ兵士と侍従と料理人と文官と貴族数名だけで。庭師は味見できていませんもの」
 ぺろりと蠱惑的に自らの唇を舐め上げるウルリークの様子に、スワドがからからと笑い声を上げる。
「私の部下と使用人を全て横取りする気か?」
「まぁ。そんなつもりはさすがにありませんわ。こんな大きなお城の全ての男を手玉に取るのは骨が折れますもの。もっとも、この宮殿の支配者を誑かしてしまえば同じことかもしれませんけど」
 わかりやすい媚態に腹黒い笑みを浮かべたスワドが応じる。押し付けられた胸の感触を楽しみながらそれ以上に駆け引きを楽しむ。スワドは根っから好奇心で動く男だ。銀月の読みは当たっている。
「あ、あのー」
 そんな室内の様子に心から「居心地悪いです」という思いを顔に書いて、セルマが話しかけた。
「えーと、私、少し出かけて来てもいいでしょうか」
 これ以上この空気の中にいるのもなんですし、と付け加えるセルマにスワドが尋ねる。
「良いが、どこへだ」
「どこへでもいいです。ちょっと抜けてきます。宿に残した荷物でも取りに行きたいので、外出の許可を頂けるとありがたいのですが」
「いくらその宿が近くても、今から通達を出すとなると戻るのが遅くなるだろう。簡易手形を用意しておくから明日にしろ。帰るだけならともかく再び城に入るのは面倒だぞ」
「はぁ。では、一、二時間外をふらふらしてきます」
 帝都の宿で待っているはずのダーフィトたちと連絡をとりたいのだが、今日中には無理なようだ。
 セルマはあれ以上室内の淫靡な雰囲気に当てられないよう、這う這うの体で部屋を出た。

 ◆◆◆◆◆

 中庭を軽く散策する。シャルカント宮殿の庭園は大陸中の樹木や花々が集められていて四季関係なく常に目を楽しませるような作りになっている。広さもそれなりにあるので、ゆっくりと三周もすれば時間も潰れるだろうとセルマは考えた。
 ふいに、シャルカントに来てからは見るのも珍しい緑の塊が目に入った。そういえば迷路庭園があるのだ。迷子になったら洒落にならないからと今まで入ることはなかったが、この機に探索してみるのもいいだろう。
 迷路に入る前に、以前にリューシャから聞いた迷路脱出法を何とか思い出そうと頭を回転させる。だが、どっちの手を使うかを忘れてしまいどうしても思い出せず断念した。まぁ、間違っても遭難することはないだろう、と気楽に足を踏み入れる。
 ちなみにセルマが忘れた迷路脱出法とは所謂「左手の法則」というもので、迷路の壁に片手をつけたままずっと歩いて行けばいつかは脱出できるというもの。ちなみに右手でやっても同じだ。
 セルマもリューシャも利き手が右なので角灯や剣を持つため空けておいた方がいいだろうという考えからリューシャはあえて「左手法」を教えただけのこと。もちろん右手を使う場合は「右手の法則」「右手法」と言う。
 そして中にはこの方法を使えない迷路も存在するので注意が必要だ。上階や下階のある三次元的な迷宮や目的地が中央にあって入り口から続く壁がそこまで接していない場合である。しかしセルマにはその前段階の左手法の説明を教えるのに苦労した挙句「壁なんか全部斬ればいいんですよ!」と言われて別の意味で無駄だったが。
 それはともかくセルマは迷路庭園に入った。
 しばらく花々が咲き乱れる景色を楽しむでもなく普通に眺めながら歩いていくと、先客がいた。
「こんにちは」
「……お姉さん、誰」
「セルマです。旅の芸人です」
 小さな少年が壁の一方向を眺めながら静かに佇んでいた。あまりにも微動だにせずあらぬ方を見ているので、もう少し暗い時間だったら幽霊と間違えたことだろう。表情がなく声の抑揚もなんだか暗い。
「ああ。父上が呼んだ宴の……。私はスヴァルです」
「何をなさっていたんですか?」
「壁を眺めていたんです」
 スワドを父と呼んだので恐らく王子の一人なのではないかとさすがにセルマも気づいたのだが、彼女もリューシャに対してすら大体この調子だ。特に気にせず微妙にずれた話を始める。二人ともその前段階のやりとりをいくつかすっ飛ばしているのだが、それ故奇跡的に話が噛み合っていると言ってもいい。
 スヴァルが見つめる壁を小さな彼の頭上から眺め、セルマは気付いた。彼女は常人では気づかないことを見抜く目に長けている。
「この壁、普通に通り抜けられそうですね」
「はい。抜けられます。私も抜けましたし、お兄ちゃんたちもここから抜け出しました」
「お兄ちゃん?」
「リューシャお兄ちゃんと、シェイお兄ちゃんです」
 リューシャの名にセルマはハッとしてスヴァルに尋ねた。
「二人は今どこにいるんですか?」
「シェイお兄ちゃんは逃げたそうです。でもリューシャお兄ちゃんはわからない」
「わからないって……」
「ラウルフィカが連れて帰って来たはずなんです。でも誰も会わせてもらえません。父上はわかりませんが、少なくとも私はそうでした」
 それは、どこかに監禁されているということだろうか。シェイというのはラウズフィールが探していた少年の名前。彼がいなくなって警戒がきつくなった? ダーフィトたちの方はどうだったのだろう。
 ますます一度宮殿を出て話をした方がいいなとセルマは決意を固めた。
「教えてくれてありがとうございます」
「いいえ」
 少年が彼女から視線を外してなおも壁をじっと見続けるのでなんとなくセルマは尋ねた。
「あなたはこの壁から抜け出すことはしないのですか?」
「……一度、やってみました。でも私は、戻ってきてしまったのです」
「どうして?」
「私にもできることがあると思ったから」
「……そうですか。そのお気持ちが報われるといいですね」
 セルマの言葉にスヴァルは驚いたようだった。無感動だった翡翠の瞳が瞬く。
「あなたにも、御武運を」
「ありがとうございます」
 リューシャとは別な意味で不思議な皇子様だったなと感心しながら、セルマは迷路庭園を抜けた。