060*
「皇帝陛下……」
「どうしたラウルフィカ? 暴行された後の生娘のような顔をして」
座り込むラウルフィカに性質の悪い冗談を飛ばし、皇帝スワドは扉を閉めて部屋の中に入ってくる。この部屋は再び出口のない牢獄となった。
「リューシャ王子、いい格好だな」
「それほどでも。皇帝」
潰れかけた喉と掠れた声で返すリューシャに、皇帝はくつくつと愉快そうに笑った。スワドの顔を見るのも何日ぶりだろう。リューシャには時間感覚がすでになかった。
スワドが歩み寄ったのはリューシャではなくラウルフィカの傍らだ。脱力したラウルフィカの肩を無理矢理抱く。
「こんな楽しい遊びなら、私もぜひ混ぜてくれ」
「断る。遊びはもうおしまいだ」
間髪入れず放たれたリューシャの言葉を無視し、スワドはなおもラウルフィカへと話しかける。
「なぁ、ラウルフィカ。お前はどうしたい?」
肩を抱いた腕が滑り、ラウルフィカの頬を撫でる。ようやくラウルフィカが反応を返すようになった。
「スワド陛下……」
「リューシャのことだ。少しおいたがすぎるんじゃないか? やはりここは一つお仕置きが必要だろう」
「!」
言われたラウルフィカも聞いていたリューシャも二人ともが動揺する。今のやりとりですでにここ数日のリューシャとラウルフィカの歪んだ関係は壊れた。そしてまたこれから新しく再構成されるべき関係に、スワドが横槍を入れる。
「私の可愛いラウルフィカ。皇帝である私のものであるお前。そのお前が得体の知れない子どもに屈服したなどと言われては困る」
「な……誰が得体の知れない子どもだ!」
確かに証明する手段はないが、リューシャは正当なアレスヴァルドの王子。例え現在国から指名手配されているとしても、それは変わらない。彼の血筋は絶対だ。
「ラウルフィカ。リューシャ王子を犯し、壊せ。お前は拷問が下手だなぁ。まだまだ手ぬるいぞ。命さえあれば手足の一本や二本斬りとっても構わん」
「そ……」
ラウルフィカが一音口にしたきり絶句する。スワドはそんなラウルフィカを、ますます強く両腕の中に抱きしめた。
「できるだろう? ラウルフィカ。人がどう調教されればどう堕ちていくのか、お前にはわかるだろう? それとももう忘れてしまったか? ならば私とレネシャがお前にもう一度思い出させてやろうか?」
「や、やめ……!」
スワドがラウルフィカの耳朶を噛む。服の内側に潜り込んだ指が、胸飾りを執拗に弄るのが着衣の上からでも見て取れる。
その手は胸だけではなく、下の方にも伸びた。前か後ろかわからないか、垂れ下がった布地の中でラウルフィカの敏感なところを嬲り、弄び、喘がせる。
容赦のない手つきに感じながらラウルフィカが啜り泣いた。
スワドは指使いこそ緩めないものの、常より敏感で自制も出来ない様子のラウルフィカに眉根を寄せた。
「あっ、ああ、あ……」
「ふうん。少しは楽しんだようだな。そう言えばリューシャの尻穴からもどろどろと白い物が垂れているようだしな」
ラウルフィカへの愛撫を続けながら何気なく放たれたからかいの言葉にリューシャはばっと頬を赤く染める。反射的に手で局部を隠そうとしたせいで、腕につけられた鎖がしゃらしゃらと煩い音を立てた。
「あ、くぅ……!」
改めて意識してしまえば媚薬のせいで常より敏感な中を先程出された精がどろりと伝い落ちて行くのがわかる。その感触のおぞましさにリューシャが唇を噛みしめ喘ぎを堪える。
「ふふふ。二人とも色っぽいぞ」
「へ、いか……おやめ、ください……」
「そう言うな。私も遊びたい気分なんだ」
スワドの巧みな愛撫は着実にラウルフィカを追い詰めていく。そうしながらも彼の視線は時折ちらちらとリューシャの方を向いた。
「なぁ、ラウルフィカ。次はぜひリューシャ王子の身体をもっと可愛くしてあげるといい。あの白い肌には刺青も焼印も良く似合うだろうよ。ああ、小さな木の実のような胸飾りにピアスを開けてもいい。瞳と同じ青い宝石などが似合うだろうな」
リューシャがぎょっとする。さすがにいくらなんでも、刺青を刻まれたりピアスをつけられるのは嫌だ。もちろん手足を斬り落とされるのも御免である。
喘いでいたラウルフィカも、このまま流されるわけには行かないと腕に力を込める。なんとかスワドの拘束じみた抱擁と悪戯な指から抜け出した。
「だからそんな顔をするなと言うに」
「どんな……顔だというのですか」
上がった息を整えながら、ラウルフィカがなんとか心を落ち着ける。
「皇帝陛下」
砂漠の命であるオアシスのようと讃えられる瞳が、青い静けさを伴って告げた。
「私には、無理です」
「……」
「私では、リューシャの意志を変えることはできませんでした。きっとこれほどどれだけ苦しめたところで、自らの肉体に与えられた苦痛程度ではリューシャは潰れない。――私とは違って」
自分と同じように苦しみ、同じものになればいいと思った相手。
だがやはり、違うのだ。ラウルフィカとリューシャの道はその魂が選ぶ道の違い故に決して重ならない。
「何を気弱なことを」
「いいえ。ただの事実です。この一週間、あらゆる手で苦痛を与え、快楽で誘惑し、堕落させ壊してしまおうと目論みました。それでも私にはリューシャを壊すことはできなかった」
「ラウルフィカ」
皇帝はまるで駄々っ子を見るような表情でラウルフィカを見つめる。だがラウルフィカも譲らない。
「不可能です。きっと彼はいつだって変わらない。例えあなたの言うように刺青と焼印を刻み、身体中に穴を空け手足を斬りおとし嬲り殺したとしても。――それでも永遠に、魂は穢れない」
ラウルフィカは控えめながらも明確に皇帝の命を拒絶した。
そして彼は――彼自身をも否定する。
「あなたがどれほど望んでも――私のように、あなたのものには、ならない」
白い面に透明な涙を浮かべ、清涼な水辺の可憐な花のように微笑む。ラウルフィカはただただ美しかった。いつも、誰よりも、悲しい程に美しい。
――散るのを待つ花が、盛大に咲き誇るように。
「……そうか。お前がそう言うのであれば仕方がない」
ラウルフィカがほっとした次の瞬間。
「ッ!!」
「何をなさいます!?」
スワドが勢いよくリューシャの頬を張り飛ばした。華奢な身体は軽く吹き飛び、寝台からずれ落ちるのを鎖と手枷によって阻まれる。金属の擦れ合う音がじゃらじゃらと響いた。
リューシャの頬はすぐに熱を持ち腫れあがった。口の中が切れて血の味が広がる。
決定的な暴力に、リューシャもラウルフィカも呆然とした。
スワドは寝台に駆け寄ろうとしたラウルフィカの腕をもとりその体を再び抱きしめる。今度は淫靡な拘束ではなく、しっかりと身動きできないように関節を固定した。
「あっ!」
「できない、という申告は聞いてやろう。人間には向き不向きがあるからな。だがラウルフィカ、知っているだろう? 私は逆らう者は決して許さない」
抱きすくめられて動けないラウルフィカを、リューシャはぐらぐらと揺れる視界で見ていた。媚薬の効果はまだ残っているはずなのに普通に頬が痛い。薬が切れた時のことはできれば考えたくない痛みだ。
「私に逆らう者はいらない。私に従わない者はいらない」
歌うように口ずさむ皇帝の言葉を聞いた時、リューシャの中でそれは形になった。口の中に溜まった血と唾を吐きだして宣言する。
「皇帝スワド。我は――お前には従わない」
「ほう。ラウルフィカにだけではなく、私にも逆らうか」
「我が下風に立つのは我が認めた相手のみよ! 貴様などには、決して従わぬ!」
“驕り高ぶれ傲慢なる存在よ。汝は見下し嘲る者。総てを滅ぼす破壊者よ”
リューシャの脳裏にセーファの声が響く。その意味もまだわからないままにリューシャは叫んだ。
「神を気取り悦に浸る者よ! 貴様にその資格はない!」
スワドの笑顔という仮面に亀裂が走る。
南東帝国の皇帝からしてみれば、今目の前にいる少年は何よりも弱い存在だ。頼りない体つきと年下の少女にも負けそうな膂力。知識もなければ財力もなく、もちろん生活力もない。見た目だけが取柄で厄介事を引き起こす上に、罪人として手配までされている。
なのに何故だ。リューシャというこの少年は、まるで最初から彼を対等とみなしているかのようだった。それが愚かたれ無能たれと育てられた世間知らずの王子の戯言であればこそ笑って受け流せた。しかしこれは……。
リューシャは自分がスワドに何一つ敵わないことを理解した上で、それでも決して屈しない。
ラウルフィカが調教の匙を投げたのもわかる。これを躾けるのは骨が折れるだろう。
「ふむ。おかしいな。玩具に自我などいらぬと言うのに、一体誰がお前にそんなものを与えたのか」
リューシャは王の器ではない。それは才能と言う点からすれば文句のつけようもない皇帝であるスワドにはわかる。
だが、だとしたら、この少年は一体何なのか。
どんなに虐げようと決して折れぬ矜持。不屈の翼を持つ、まるで人間ではないような生き物。これは何――?
「お前は人形だよ、リューシャ。私が気に入らねばすぐに捨てることができる」
「我は貴様のものではない。我の命を貴様ごときがどうこうできると思うな」
「随分と強気に出たな。ここでお前の首を刎ねることなど容易いのだぞ」
「やれるものならやってみればいい」
どんな脅しをかけてもリューシャは一向に怯えもしない。
スワドは溜息をついた。彼はようやく理解した。
この者は危険だ。
「やれやれ仕方がないな。ラウルフィカの言うとおり、お前を調教するのは無理そうだ」
腕の中の身体から力が抜ける。ラウルフィカが露骨に安堵した。しかしその安堵を裏切るようにスワドは続ける。
「だが私はお前を殺すことならできる。従わないと言うのなら、殺すまでだ」
「皇帝陛下!」
ラウルフィカにはスワドが本気だということがわかった。彼はラウルフィカと違い、ただの脅しでそう告げるだけではない。
「お前は黙っていろ、ラウルフィカ。――さて、意見を変える気はないか? リューシャ。今すぐ跪いて私の足に口付けするのであれば、赦してやらんこともないぞ」
最後の機会だと。無言の圧力をかける翡翠の眼差しに、腫れて痛む頬の筋肉を無理矢理動かしてリューシャは笑った。
「断る」
赦しは乞わない。その資格はない。
永遠に罪深き断罪者として憎まれて生きる。
「そうか。ならば仕方ないな。残念だがここでお別れだ」
大仰に肩を竦めて頷くと、スワドはリューシャから視線を外して、ラウルフィカへと言いつけた。
「レネシャを呼べ。この美しい姿をいつまでもそのまま留めるよう、人間の剥製を手掛ける職人と材料を集めさせろ」