Fastnacht 19

076

 リューシャはぽかんと口を開けた。
「これはさすがに凄いな」
 ダーフィトもセルマもだ。彼らにしてもこれほど大きな街を見るのは初めてだった。おのぼりさんよろしく驚きを露わにする。
 全体的に渋い色合いながら、色とりどりの建物が立ち並んでいた。中でも街の中央部に立つ高い高い時計塔が見事で、その時計塔を取り囲む学院は城のように見える。
 街の建築物はどれも個性的で雑多だ。あまりにも法則性のないその光景が逆に不思議な調和をなしている。道行く人々の人種や服装も様々で、一般人と傭兵と魔術師が平然と露店をひやかしていたりする。
 大通りに面した店や民家の窓からは花が溢れ、文字の読めない者にもわかりやすい大きな看板があちこちに掲げられていた。
 見たことのない形をした馬車のような乗り物、魔物にしか見えない番犬、杖で空を飛ぶ魔術師の姿まである。
「はいはい皆さん、通行の邪魔ですよ。端に寄る寄る」
 ウルリークにぐいぐいと背を押され、街の名を彫り込まれた看板の前に立たされる。
「ようこそ、中央大陸最大の都市、オリゾンダスへ。と言っても俺もこの国は久しぶりなんですが」
 オリゾンダスは自治都市だ。アレスヴァルドのように国家が各領地を管理するのではなく、この街全体が一つの国のようなものである。一応名目上の領主はいるらしいのだが、都市の運営にはほとんど口を出さないらしい。
 中央大陸の更に中央部にありながら、その名を『オリゾンダス』――「地平線」と言う。
 それはここで見つからないものは世界中どこを探しても見つからない、まさしく「この世の果て」であるという意味からだった。特に知識面においては他の追随を許さず、世界最大のジグラード学院図書館には世界中で発行された全ての書物が収められているらしい。
 それが誇張か真実か? 確かめられる人間はいない。
 にも関わらず、あの学院にはこの世の知識の全てが眠っているという噂がまことしやかに囁かれている。創造の魔術師のお伽噺に近いくらい伝説的な存在だ。
 辰砂と違うのは、実在が定かではない創造の魔術師とは違い、ジグラード学院は訪れる者全てに門戸を開いているということ。
 この街において学院の機能は二つある。一つは長期的に学問を修める生徒たちの養成機関。もう一つは、外部の人間への情報提供場所だ。
 つまり、ジグラード学院の莫大な蔵書を、外部の人間も申請さえすれば自由に読むことができるという。それだけでなく、希望者は学院の授業を期間限定で受講することも可能だ。
 ジグラードの時間割は一時間ごとの授業内容によって作られている。授業内容はほとんど毎回変わり、生徒たちはそれを取捨選択して自分だけの時間割を作り上げるらしい。示し合わせでもしなければ同じ時間割の人間はいない。
 授業の性質はその学問の性質に左右される。一度の説明で終了する貴重な授業もあれば、何度も実践を繰り返し生徒が技巧を身につけた時が終了というものもある。
 ジグラード学院の機構は複雑怪奇だ。ここではその気になりさえすれば、誰でも何だって学ぶことができる。人種も年齢も性別も思想も学院は何も差別しない。しかしその授業を受けて何を修めるかは、受講生本人の意志と努力にかかってくるのだ。
 どんな貧しい者にも門戸を開き学問をさせる代わりに、その奨学金を返させる方法も容赦ない。強制的に魔物退治の知識と技を伝授され依頼をこなして来いと放り出されることもあるらしい。そのため別名を冒険者養成機関とも呼ぶ。
 学校と言うだけならば、ほとんどが私塾ではあるが世界各地にそれこそ無数にある。だが、その中でも『魔術』や『剣術』などの専門知識をどれも雑多に学べる機関は限られている。
 特に魔術はその性質上学べる場所が限られている。高名な魔術師の下に弟子入りするというやり方もあるにはあるが、師である魔術師が弟子をいいように利用したり、弟子入りを望むという詐欺を働く者がいたり、師と弟子の適性が合わなかったりと問題も多い。
 魔術師の学校と言えば、まずここジグラード学院。そして東のエトラ学院と、西の魔女協会が存在する。
 緋色の大陸に存在するエトラ学院は男子校だ。元々貴族の子弟のための学校であったため、貴重な魔術師養成機関ではあるが通える者は極少数に限られている。
 西の魔女協会はそもそも存在するとは言われているが、『どこにあるのか?』が世間一般には伝わっていない。
 以前にもウルリークがリューシャたちに説明したように、世界の東側と西側で魔術師に対する認識は大きく異なる。西側では迫害されることの多い魔術師はまず自分たちの存在を明るみには出さない。
 魔女協会はその場所に辿り着けた者にしか詳細を知ることができない、謎めいた伝説の組織だ。それが学問所なのか、宗教団体なのか、互助組合なのか、魔女と言う名の通り女性しかいないのか、男も含まれるのか……諸々全てが秘められている。
 それら土地柄環境に左右されるような思想の問題も、とりあえずこのオリゾンダスでは関係ない。
 この街では全てが許される。その代わりに、自分の命や身の安全は自分で守るのが鉄則だ。
 殺人や強盗はもちろん犯罪だが、ジグラード学院の生徒の魔法が暴発して事故死しても誰も保障してくれない。それさえ除けばこの街は楽園だと誰もが口を揃える。
 その条件で納得できる時点で、その『誰も』は要するにこの街に学問をしに来る猛者ばかりというわけなのだが。
「でも治安はいいんですよ? 要するにこの街はあらゆる分野の専門家揃いですから、迂闊に難癖つけようとした相手が熟練剣士だったり、界律師だったり、あるいは留学中のどこかの王子だったりします。しかも戦士系はともかく魔術師の実力は見た目で量れませんから、喧嘩を売る相手を間違えると大惨事になります」
「お前のようにか?」
「そうですね。俺もこの街がまだここまで発展する以前にやってきては何人も返り討ちにしましたねぇ。ここ最近は学院の教室が何度も爆発する以外は平和なようですが」
 見た目がか弱い少女であっても、実は百年を生きる界律師であった。それが普通にありえるのがこの街だ。無法都市もここまで無法が過ぎると一周して平和になるらしい。
「俺たちはまず図書館で一通りの知識を確認してから、一時間ごとの授業を受講しましょう。『創造の魔術師、その華麗なる遍歴』とか『世界各地の辰砂伝』とか『辰砂――偉大なる反逆史――』とかあるといいですね」
「あるのか? そんな授業……」
 セルマとダーフィトが顔を見合わせる。二人はアレスヴァルドで騎士になるため軍学校を卒業したのだが、どうもその時の「学校」における知識はこの都市では役に立たないらしい。
「面白そうだな」
 一方、常と同じ無表情ながら興味を抑えきれない様子でいるのはリューシャだ。故郷では最高の身分でありながらそれに即した学問をさせてもらえなかったリューシャは、初めて「授業」というものに参加することを楽しみにしている。何せ図書館通いですら認められなかったのだ。何もかも楽しくて仕方がない。
「そうですね。でも学院の図書館は危険も大きいですから、まずは外部の図書館から回りますよ? 余程専門的な知識でない限りはそれで十分ですし」
「危険?」
 なかなか図書館と危険という言葉は結びつくことが少ないような気がするが、ウルリークは平然とのたもうた。
「はい、危険です。学生同士が突発的な魔術合戦を始めるかもしれませんし」
「それは確かに危険だな……」
 スカートでありながら箒にまたがる魔女の姿を遠く見つめながら、リューシャは力なく頷いた。

 ◆◆◆◆◆

 調べ物の前に腹ごしらえをすることとなった。この後眠くなりそうだが仕方がない。
 昼食は屋台で買ったものを広場で食す。もちもちとしたパンに焼いた肉とチーズ、薄い葉物が挟まれた軽食だ。ピリリと辛い香辛料が効いていて美味い。
 中央大陸は世界各地の文化が集うので、珍しい料理がこうして普通に食べられる。ウルリークのお勧めは大概失敗がないので人数の半分が箱入りのリューシャたちも長い旅の間に食事の面で不満を覚えたことはなかった。
「あっちの屋台もおいしそうですねぇ」
 戦士であるセルマとダーフィトの二人は別々の味ごと二種類を買っていた。リューシャに自分の分を一口味見させていたセルマが、遠くで店を広げている別の屋台を見ながら言う。
「なら夜はあそこにしましょっか。せっかくですから色々な味を試したいですしね」
 ウルリークの言葉に全員で頷き、それはともかくようやく図書館へ向かって歩き出す。
 学院の蔵書には及ばぬものの、それ以外では都市一番という普通の図書館にまず寄ってみた。
「凄い本の数だな」
「そりゃそうですよ。だから図書館って言うんです」
「我とてそれぐらい知っている。だが、アレスヴァルドの王城でもこんなに蔵書はないぞ」
 辺り一面本、本、本の壁。並ぶ棚の全てが本。テーブルについた人々が広げているのも本の山。
「待って待って! こんだけ広い図書館ですよ? 無鉄砲に歩き回っても目的のものは見つけられませんって。初心者はまず司書さんにお願いするんですよ」
 ウルリークの案内で、四人はカウンターに向かった。
「すみませーん。世界の神話や、辰砂研究について書いてある本ってどこですか?」
「少々お待ちください。今ご案内いたします」
 眼鏡をかけた地味な容姿の女性の案内で、一行は人気のない区画へと向かう。
「ここです。最近の研究はこちらから、古いものがこの棚までです。あとは創造の魔術師に関するお伽噺などの類ですが、具体的な書名を頂ければお持ちしますよ」
「じゃあまず研究書を読んでから註に書いてある参考資料に手をつけようかな。また後でお願いしますね」
 司書に礼を言って、四人は本棚に向き合う。
「と言っても、正直どこから手をつければいいものか……」
 ダーフィトとセルマが難しい顔をした。二人はそもそも辰砂や神話や魔術師に関してさしたる興味があるわけではない。かといっていきなり神託に関してなど探して有益な情報が見つかるとも思えない。あったらそんなものはアレスヴァルドにいたこれまでの人生でとっくに見つけられているはずだ。
「これとこれ、それからこれは読んだことがある」
 並ぶ研究書のうち何冊かの題名に覚えがあり、リューシャはそっと背表紙に触れてみた。
「リューシャ様? どこでそんなものお読みになったのです?」
「シャルカントだ。ベラルーダ王に借りた」
「はい? 帝国で、ベラルーダの王様に?」
 ラウルフィカが銀月の縁で辰砂に興味を持っているという事情を知らないセルマたちは不思議そうな顔をする。
「だが……おかしいな。最新の研究書だとラウルフィカが言っていた、一番信憑性の高い二冊がない」
 棚に並ぶ背表紙の隅々まで目を滑らせるリューシャに、ウルリークが言った。
「もしかしてその辺りは、ジグラードの方にあるのかもしれませんよ? 一国の王様が取り寄せる程貴重な最新の研究書ですと、まだ一介の図書館に出回っていない可能性があります」
「そうか」
「でもそうするとリューシャさんは基礎的な知識はすでにあるってことですよね。じゃあ高度な専門書は俺たちで読破するとして、セルマさんとダーフィトさんは子供向けの神話絵本でも読んでてください」
「「……はーい」」
 役に立たない大人たちである。
 とにもかくにも四人は席につき、しばらく無言でひたすら頁をめくり記述に目を落とす作業に没頭した。
「うーん。どれも面白いっちゃ面白いですけど、いまいち『それっぽい噂』の域を出ませんね」
「辰砂だからな。当然だろう」
 歴史の裏側にまったく隠れてしまうことはない。だがその存在を断定できる程に姿を見せることはない。それが辰砂だ。
 気づくとほとんど収穫が得られないまま時間だけが過ぎ去っていた。あっという間に日が暮れて、高い位置で本に直射しない場所にある窓から覗く空が茜色に染まる。
「うう、今日食べたパンのソース色……」
 セルマにとっては食べ物にしか見えないようだ。
「これといって役立つ情報は残念ながら見つけられませんでしたね。やっぱりジグラードに行くしかありませんか」
 ウルリークとリューシャは溜息をつきながら首や腕を回す。慣れない作業に肩が凝った。
「そろそろ晩飯にしないか。本読んでただけなのに腹減ってきた」
「そうだな……」
 ダーフィトの提案に頷いて本を書架に戻そうとした時だ。
「きゃー! 泥棒!」
 静穏を旨とするはずの図書館に、女の悲鳴が響き渡った。