Fastnacht 20

078

 整然と並べられた建物の合間に花を植えられた中庭が見えている。奥の方に在る時計台は見事な建築だが、高さを考えると昇りたくはない。
 街の図書館で鍵を渡された翌日、リューシャたちはジグラード学院へとやってきた。
 重厚な石造りの城にも似た伝統ある学院ジグラード。中央大陸の更に中央にあってこの世の果てと呼ばれる、総ての叡智が集う場所。
 生徒が老若男女問わずであれば教師もまた老若男女問わずである。制服のようなものを着ている一部の学生はわかりやすいが、それ以外は何の集団だかわからない。けれどそれら大勢の人々が次々に、まずは正面の校舎に吸い込まれるように足を踏み入れる。
「あちらが受付のようですね。外部の人間や一日だけ受講する人もいるからの措置でしょう。不審者が入りこまないよう、名札を借りるらしいです」
「制服を着ている生徒らしき集団は?」
「この学院には学生寮がありますからね。そちらに通っている生徒は登校手続が簡略化される代わりに制服着用らしいですよ」
「いろいろな決まりがあるのだな」
「学校なんて規則の塊ですよ。でもここはそうした識別問題以外は随分緩いみたいですよ」
「ところで、ここまで来たのはいいけどまずどうするんだ? 先に授業を受けるのか、調べ物をするのか」
 ダーフィトが問いかける。周囲を見渡せば彼のような戦士風の装束を身につけた青年や壮年の男性も多くいて、剣を佩いたダーフィトやセルマもそれほど浮かずにいられた。
「先に調べ物でしょうね。昨日も一応街の図書館に行きましたけど、収穫はいまいちでしたし。東の人間ならまだしも西生まれの皆さんが魔術師関係の約束事に慣れるには時間がかかるでしょう」
 ウルリークのその意見により、四人はまず図書館を使用したい旨を受付で伝えた。
「あの鍵はどうする?」
「別にまだ困ったと言う程ではありませんし、仕舞っておいていいんじゃないですか?」
 バベルの司書を呼べと言ったゲルサの言葉を思い出し、リューシャは懐の内側に隠した鍵に触れる。だがウルリークの言葉に、今はそれを受付で見せるのはやめておいた。
「皆様、当学院は初めてですね? それでは最初に少しだけご案内させていただきます」
 受付の女性が奥に呼びかけると、学院の職員制服らしき格好の少年が一人やってきた。若者の多いリューシャたちに親しげに笑いかけると、広い構内を案内し始める。
「皆さんのご利用は図書館ですか? うちの図書館はいいですよ。本当になんでもありますから! どうしても探せない本がある時は司書に頼めばどこからか持ってきてくれますよ」
「どこからか?」
 普通に棚や閉架区画からではないのかと問いかけると、少年は悪戯っぽく笑って告げる。
「どこからか、なんですよ。何年も通ってある程度図書館に慣れたはずの学生がどうしても見つけられない一冊を、司書さんに頼むとどこからともなく持ってきてくれるんです。あの図書館は異次元にでも繋がっているんじゃないかと専らの評判です」
「評判……」
 リューシャが胡乱な表情になる。
「君もここの職員なの? 随分若く見えるけど」
「僕はいわゆる学生バイトです。この学院って孤児でも家出人でも誰でも入れるってご存知ですか? それは嘘じゃないんですけど、やはり授業を行うのもタダじゃありませんからね。授業料や生活費も払うことのできない貧乏人はこうしてある程度成長すると学院の中や外の仕事に駆り出されるんです」
 ダーフィトの質問にも、少年は明るく答えた。もちろん普通に稼ぎたい学生もいるという。
「へぇ、いいシステムだな」
「でもそれはこの都市と学院の特殊な歴史と伝統あってのことですから。普通の国にこれだけ大きな学校を作るのは難しいですよね」
 あちらは食堂です、こちらが座学用の校舎です、と少年は学院施設のあちらこちらを指差しては簡単に説明する。
「授業を受ける時はまた正面受付に戻って申し込んでくださいね。慣れた人なら図書館利用も受講申し込みも一気に済ませられるんですけど、初めての方はまず教室に辿り着くまでに迷いますので」
「この広さですものね」
 セルマがきょろきょろとあたりを見回しながら言った。彼女やダーフィトがアレスヴァルドで通った軍学校とは比べ物にならない規模だ。
「特定の分野の受講は時間割で確認できますよ。これは自分で書類を見て選ぶことも職員に希望を伝えて良さそうな授業を選んでもらうこともできます」
 そしてようやく広い敷地内の中央にある時計台の足下に辿り着いた。ここがジグラード学院図書館だ。
「中には司書がいますから、初めてでしたらぜひお声かけください。館内の案内でも蔵書の検索でも相談に乗ってくれますから。ただ、うちの学院の図書館はその性質上貸出手続きは複雑になっていますのでご注意ください」
「複雑?」
「貴重な本が多いですからね。中央大陸で溢れていても西側に持ち込めない本とかもありますし。外部の人が借りるには登録手続きと担保となる金銭が必要な上に、そういう本が盗まれないようにありったけの魔術をかけるんです。迂闊に街の外に持ち出すと本が自動的に図書館に戻るような術とかもかけられているそうですよ」
「それは凄まじいな」
「でもそう言えば昨日も街の図書館で盗難騒ぎがありましたし、貴重書の扱いってそういうものなのかもしれませんね」
 案内役の少年に礼を言って別れ、リューシャたちはついに世界最大の図書館へと足を踏み入れた。

 ◆◆◆◆◆

「……あれ?」
 満を持して踏み込んだ図書館の内部は、意外と普通だった。
「なんか、大きさとしては昨日の図書館と同じくらいだな」
「閲覧者に学生らしき若者の姿が多いですが……違いはそれくらいですね」
 ダーフィトやセルマも疑問を抱いたようで首を傾げる。ウルリークが腕を組みながら唸った。
「うーん。同じような大きさなのに蔵書数はこちらの方が上。それが誇張ではないのなら、やはり異次元にどこか本棚が仕込まれているのではないですか?」
「まさか」
 戯言をいつまでもだらだらと続けている場合ではない。昨日の図書館で受付をした要領で、先程の少年の言うとおり司書に頼み込む。
「創造の魔術師・辰砂に関してですか? こちらですね」
 一通り書架を案内された後、昨日は見なかった題名のものを何冊か取り出して閲覧席に移動する。リューシャが手に取った本を見て司書の青年が言った。
「フェルナー先生の御本に興味があるんですか? 先生でしたらこの学院に在籍していますよ」
「そう言えば昨日教えてもらいました。どうやったら会えます?」
「総ての講義が終わるのが午後六時くらいですから、その後に面会申込みをしてはいかがでしょうか? ちょうど今は学院内にいますし」
「いない時もあるんですか?」
「つい最近、なんでも用事ができたとかで何週間か出かけていたそうです。黄の大陸にまで行っていたとかで、あんなところに何しに行ったんだと生徒たちの噂になっているんですよ」
「黄の大陸……」
 代表して会話をしていたのはウルリークだが、他の三人も顔を見合わせた。黄の大陸と言えば、つい最近まで彼らが滞在していたのも黄の大陸だ。
 そして――辰砂も。
「その研究書をお探しということは辰砂研究の第一人者に用があるわけですよね? 受付で講義の時間割を確認できますよ」
「そうですね。できれば一度その授業ってのを受けてみたいし、ここの本を読み終わったらそうします」
 司書の青年が持ち場に戻るのを見送り、リューシャたちはとりあえず席に着いた。制服姿の学生たちに交じり、引き抜いてきた本の山に手を伸ばす。
 書架の本の多くは昨日の図書館でも見られたものだが、ちらほらと見慣れない題名が交じっていた。
「これは我も初めてだな」
「じゃあ俺はリューシャさんご推薦のフェルナー先生の本を今日は読ませてもらいましょうか」
「あのー、私たちは」
「子ども向け『よいこの世界神話集』でも読んでてください」
「「……はーい」」
 昨日と似たようなやりとりを交わし、それぞれ頁をめくりはじめる。
 時間はあっという間に過ぎて行った。
「――情報取集は、もうこのぐらいで良いだろう」
「そうですね。確かにこの二冊は参考になりましたよ。世界で辰砂神話がどう伝えられているのか、それは何故なのかが客観的にわかりやすくまとめられています」
 ウルリークが感心しながら本を棚に戻したところで、鐘が鳴った。
「昼時ですねぇ」
「となると、たぶんこの時間はしばらく昼休みじゃないか」
「私たちも受講の手続きをしてから食事をとりますか?」
「そうだな」
 リューシャが頷いた時だった。
「おい、全員退避しろ!」
「え? え?!」
「なんですかいきなり!」
 突然周囲の生徒たちから肩を押され、四人は無理矢理建物外に連れ出される。わけもわからず言うとおりにしてすぐ、図書館内部から場違いな爆発音が響き渡った!
「「「ええ?!」」」
「なんだこれは……」
 窓硝子が派手に吹き飛んだ窓からもくもくと黒い煙が漏れてくる。ウルリークが咄嗟に結界を張って凌いだが、そうでなければどれほどの被害を受けたものか。
 気づけば周囲の生徒たちもそれぞれ魔術の結界や大きな盾を構えて身を守っている。
「あーあ、またやったよ」
「だから図書館で爆発はよせって言ってるのになぁ」
 制服を着た生徒たちが日常茶飯事と言った顔で愚痴を零す。愚痴で済む事態なのか? これが?
「あ、すみません皆さーん。本日は一時図書館休業でーす」
 青年司書が閉業の札を掲げながら宣告すると、周囲から一斉に不満の叫びが上がった。しかし建物の中は黒い煙が充満していて、どうにも使えそうもない。
「仕方ねぇ。昼飯にすっか!」
 ぞろぞろと食堂に歩きはじめる生徒たちの人波に流されながら、リューシャは思わず呟いた。
「この学校……変だ」
 学校に行ったことのない人間にもよくわかる。