Fastnacht 22

088

「死にたい……」
「いや何があったんです?! ずっと宿にいたんですよね?!」
 帰って早々寝台の上で放心した様子のリューシャを見かけ、ウルリークは勢いよく突っ込んだ。
 外出した様子もなく、何かをしていた様子でもない。思いつめた様子でもないことがまだ救いかも知れないが――。
「で、殿下! お気を確かに!」
 セルマががくがくとリューシャの肩を掴んで揺さぶっている。
 隣の部屋には出がけと同じくダーフィトが寝ている気配があった。彼が呑気に眠っているのなら、少なくとも昨夜の「夜這い」騒動のような白蝋の襲撃があったわけではないだろう。
 全開に開け放たれた窓と、皺の一つもない新しい敷布。
 そう言えば何故こんな時間に敷布の交換を? 元から散らかしていたわけでもないが、やけに綺麗すぎる部屋の様子に違和感を覚える。
 これは……。
「あー、セルマさん?」
「なんだ、ウルリーク。今殿下が――」
「それに関しては俺がなんとかしますんで、ダーフィトさんの様子を見に行ってください。しばらく二人きりになりたいんで。というか、男同士の話をしたいんで」
「また男同士の話か……妙なことはするなよ」
 悪戯好きのウルリークに余計なことはするなと念を押して、セルマは彼の頼み通り隣室へと消える。ダーフィト分の装備の買い出しも届けなければいけないからちょうどいいだろう。
「で、リューシャさん」
 笑顔でセルマを見送り扉を閉じ、きっちりと鍵をかけたウルリークが寝台の上のリューシャを振り返る。
「……おかえりウルリーク」
「俺たちが出かけている間、お楽しみだったようですねぇ」
 リューシャの肩がこれ以上なくわかりやすく、ぎくぎくっと震えた。
「そんなに溜まってたんですか? 俺に言ってくだされば、一人遊びのお手伝いくらいはしましたのに。実際に手出すのは辰砂に殺されちゃうんでやりませんけど」
 ウルリークのその台詞に、リューシャが完全に凍りついた。
 あれ? とウルリークは首を傾げる。すでに一番の恥がばれたのに、今の台詞にそれほど動揺するような要素があっただろうか。
「もしかして……辰砂を想いながらやっちゃったとか?」
 否、違う。いや、行為自体は違わないだろうが、それを言い当てられたところでリューシャがここまで動揺する理由はない。ウルリークはリューシャの辰砂に対する気持ちを知っているし、淫魔である以上すぐにそちらに繋げて考えるということもリューシャなら予測できるはず……。
「他に何かあったんですか?」
「……れた」
 蚊の鳴くような、消え入りそうな声でリューシャが呟く。
「辰砂に見られた……」
「へ?」
 ウルリークが置物のように停止する。
 今聞いた言葉を頭の中で整理してみよう。おかしい。そんなに長い文章ではなかったはずなのに理解が追い付かない。
 そして無事に理解した瞬間――彼は爆笑した。
「は――はははははっ! あーっはっは!」
 一人で、辰砂を想いながら、しているところを、当の本人に、見られた?
「ちょ、お腹いたっ、も、もう笑わせないでくださいよ!」
「と言うか笑うな!」
 顔を真っ赤にした涙目のリューシャがしがみついてくる。
「ぷっ。み、見られ。よりによって本人に見られれれ」
「あー! うるさいうるさい! 突然部屋に入って来られたんだ! 不可抗力だ!」
 リューシャが握りこぶしでぽかぽかとウルリークを叩く。ただでさえ非力な上に羞恥で体に力が入っておらず、まったく痛くない。
 ひとしきり笑い転げた後、ウルリークはまだにやつきの収まらない顔で尋ねた。
「で、どうだったんです? 辰砂との甘い一時は」
「ど、どういう意味だ?」
「その状況であー、よし、見なかったことに! なんてなるわけないじゃないですか。からかわれたんですか、憐れまれたんですか、怒られたんですか? おかずが辰砂だってバレるまでにどういうやりとりがあったんです?」
「~~、ウルリーク!!」
 これ以上聞くなとリューシャが眉尻を吊り上げるも、もちろんウルリークはどこ吹く風だ。
「いいじゃないですか。気になるに決まってますよ、こんな面白い話」
「……変態と罵られた」
 再びウルリークが爆笑する。悪いことに彼は前世から二人と付き合いがあり、辰砂は前世で、リューシャは今生で性格を熟知しているためにその時の反応が手に取るように想像できてしまうのだ。
「も、もうダメ本当、ひー、お腹痛い!」
 傾国の淫魔として長い時を生きてあれやこれや刺激的な事件を求めてきたウルリークとしても、リューシャたち一行に関わってから連発する珍事には興味が尽きない。
「あー、笑った笑った。でもあれでしょ? 罵ってそのまま帰ったわけじゃなくその後色々してくれたんでしょ? まぁ辰砂だからそんなサービス精神旺盛でもないし、一発抜いてくれたぐらいかもしれませんけど」
「……お前はどうしてそんなに辰砂を理解しているのだ!」
 何故二人の間にあったことをさも見て来たかのように当てることができるのだ。ウルリークの推理力(?)にリューシャは恐怖を覚えた。
「伊達に流星海岸で辰砂を拾ってませんもん。一緒に生活していた時期があるからその辺の反応は全部手に取るようにわかりますよ。ま、あいつの趣味からするといくら自分に好意を寄せているからって、破壊神様に手を出すってのは意外でしたけど」
「辰砂の趣味?」
 食べ物だの好きな色だのの話をしているのではない。この会話の流れからすると、辰砂の好みの人間――それも同性に関する好みについて話しているような気がする。
「……辰砂が好きなのはお前だろう」
「正確には俺と言うより前世の人間、ディソスちゃんですけどね。ディソスに対する恩を抜きに考えると、辰砂の恋人のタイプから言って、あいつの好みはもっと男らしい人でしょ? 体格的には中肉中背、でも筋肉質で引き締まってて、切れ長の瞳をした落ち着いた男で――」
「ちょっと待て!? 辰砂に恋人がいるのか?!」
 それは前世でか今生の話か。かつてなのか今なのか。どちらにしろ破壊神ことリューシャはそんな話は知らない。
「前世ですよ。辰砂はあの人格を転生しても維持してますから、一番最初の辰砂と言った方が正しいでしょうが。破壊神であったあなたと仲良くしていたあの頃、恋人がいたんです。……知らなかったんですか?」
「し、知らない」
 リューシャは再び放心した。
 恋人? 辰砂に? しかもあの頃?
 知らなかった。気づかなかった。だってそんな素振り、全然……。
「辰砂に、恋人……こいびと……こい……」
「何壊れてるんですかリューシャさん。恋人っても、たまに寝たりする程度の仲ですよ」
「だがお前が恋人と明言するからには、少なくとも周囲は二人をそういう関係だと認識しているわけだろう?! それが村の総意として受け入れられ誰もが認めていたわけだろう?! 誰だ! 誰なんだ辰砂の恋人は?!」
「落ち着いてくださいよー。誰って言っても、名前言ってわかるんですかアナタ」
「……すまん。辰砂とお前とアディス以外の人間は正直個人名では覚えていない」
「だから言ってるのに。漁師の少年って言ってわかります? まぁ海辺なんで男の職業ほぼ漁師なんですけど、その中で一番若くて顔が良かった人」
「……あれか! あの褐色の肌の!」
 そう言えば何度か会ったことがある。漁で採れた魚や貝を届けに来ていた人物だ。あれはディソスの友人だからだと思っていたのだが、同じ家に住んでいる辰砂が目当てだったのか?
 日に焼けた健康的な肌。褐色の髪と瞳。あまり笑うことのない、けれどだからこそ、たまに見せる控えめな微笑みが優しい感じの……。
「まぁ、端的に言って貧弱もやしのあなたと正反対なタイプですよね。前世的には表情があまり変わらないところは同じですけど」
 ウルリークの言葉がぐっさりと胸に突き刺さる。
 確かにリューシャ及び前世の破壊神の見た目が貧弱であることは否定しようもない事実だ。以前ウルリークとも話した通り、川に突き落としてくれたディソスに復讐しようとして避けられ、反動で自分が足を滑らせてもう一度川に落ちるほど鈍臭いのもまた事実。
 そして漁師の彼は、体つきといい身のこなしといい、どこをとっても健康的で運動神経の良さそうな少年。隣を歩いている人間が転びそうになったらさっと手を出して支えそうな。
 しょっちゅうすっ転んではセルマに支えられている自分とは確かに正反対。
「う、ウルリーク。ちょっと体力作りに付き合え。我は今から全身に筋肉をつける!」
「何無茶言ってるんですか。あとあなたの場合何をやっても無駄です」
 容赦のないウルリークの一言にリューシャは塩を振られた青菜のように萎れる。
「恋人……辰砂の恋人……体力派……」
 再び膝を抱えて寝台の片隅で呆然と呟き続けるリューシャを生温く見つめ、ウルリークは処置なしと頷いた。
「もう放っておこう」

 ◆◆◆◆◆

 天界に戻ってきた辰砂は真っ直ぐに井戸を目指した。とにかく頭から水を被りたい。
「お帰りなさい、辰砂さん。……あれ? なんか顔赤くないですか?」
 幸か不幸かそこにいたのは、弟子たちの誰かではなく、水汲みの途中だったらしいシェイ少年だ。働き者のシェイはこの天界でも月女神からこまごまとした仕事を言いつけられるたびに積極的に活動している。
「なんでもない。……ちょっと死にたいだけだ」
「いきなりなんで?!」
 不老不死とも謳われる魔術師の衝撃的な弱音にシェイが目を丸くする。
 ばしゃばしゃと音を立てて頬をはたくようにして洗い、辰砂は先の発言を訂正した。
「間違えた」
 頬が熱い。脳裏を過ぎる面影を強いて消そうと意識を集中するが、うまくできない。
「ちょっと殺したいだけだ」
「いえそれもまずいですから!!」
 神をも殺せる創造の魔術師の発言としては物騒極まりない。
 シェイが差し出した布を受け取って、顔を拭う。
「やっぱり顔赤いですよ? 最近色々ありましたし、具合が悪いならゆっくり休んだ方が」
「あー、そうだね。そうさせてもらおうか」
 いかに創造の魔術師と言えど人間である。シェイのそんな気遣いに溢れた言葉が現状の斜め上を滑っていくのが胸を痛ませる。そんなまともな理由じゃなくてごめんなさい。
 セーファ神に呼ばれているからと先に水場を後にしたシェイの後ろ姿を見送って、辰砂は一人呟いた。脳裏に空色の瞳の少年の姿の神が過ぎる。
「……ばーか」
 ――好きなんだ。我は……お前が誰より好きなんだ。
「誰が、お前の気持ちになんか応えてやるもんか」