Fastnacht 23

092

「ところで、どうして一緒にいるんだ?」
 リューシャたちは白蝋に会いにジグラード学院へ行ったはずだ。一瞬で世界中どこにでも行けるとはいえ、普段はオリゾンダスにいないはずの辰砂までが何故ここにいるのか。
「祭り見物に付き合わされたんだよ。白蝋を迎えに行って鉢合わせ」
「その白蝋は?」
「紅焔に怒られてる」
「今度は何やらかしたんだあいつ……」
 白蝋と紅焔という男同士の恋人たちにはいつも騒動が尽きない。九割方白蝋が悪い事態なので、もう周囲も放っているが。
「祭り見物って?」
 気になったのか、セルマが辰砂に聞き返す。この街の空気はいつも浮かれているようなものだと思っていたのだが、どうやらちゃんとした理由があったらしい。
「各国のような大祭とは違うけどね。月に一度、夜店を出すんだよ。旅行者の多いオリゾンダスならではだね」
 規模の大きい祭りは年に何度も行えるものではないが、夜だけ露店を出すくらいなら多くの店が協力できる。そうした小さな行事でもこの街は外貨を稼いでいるらしい。
「せっかくだから見に行きましょう! どうせ出発は明日ですし」
 ウルリークが早速提案した。祭りの話を聞いてから問答無用でリューシャに参加を言い渡したとも言う。
 情報が上手く手に入っても入らなくても、明日にはこの都市を出て、北西の街道を行くことに決めていた。青の大陸へ渡る港へ向かうための道である。
 この世界で最も神々のことに詳しい辰砂とその弟子がいるのに、他の人間から期待以上の情報を得られることはないだろう。彼らからうまく聞き出せればいいが、辰砂がリューシャたちに協力してくれるのかはよくわからなかった。
 そして例え何があったとしても、リューシャはアレスヴァルドへ帰る。
 オリゾンダスでの情報収集もまったくの無収穫というわけではなく、基礎知識は学院で受けた講義のおかげで十分なものになった。
 今後どうなるかはまだわからない。破壊神の覚醒に関してはどれだけ書物を探っても前例のない話だ。結局、最後のところではリューシャの思い通りにするしかない部分もあるのだろう。
 今はただ、人間のリューシャとしてやるべきことをやる。そのためにはまず、アレスヴァルドへ向かわねばならない。
 心残りは、白蝋の仲裁によって停戦を申し渡されても相変わらず埋まらない辰砂との距離くらいのものだが……。
「辰砂さんたちも行くんでしょ? じゃ、みんなで一緒に行きませんか?」
「は? いや、なんでよ。僕らは僕らで勝手に行くってば」
 神ではなく神を殺した魔術師をも恐れぬウルリークの提案に、辰砂が呆れながら拒否を返す。
「人目のあるところでは素直になれない紅焔さんが通りがかる女の人に声をかけられては愛想よく応える白蝋さんを見て不機嫌になるぎすぎすした夜店回りを断行したいのであればどうぞ」
「ぜひ僕らと一緒に祭り見物に行ってください」
 続いて恋人関係の弟子たちの今夜の空気を的確に指摘した発言に、辰砂は前言をあっさりと翻した。
「決まりですね。じゃあ七の鐘が鳴る頃に中央広場に集合しましょう」
 他の者たちに否やを言わせる暇もなくさくさくとウルリークが話をまとめる。
「楽しみですねぇ」
 その笑顔がいつもより若干邪悪な――彼が悪巧みをしている時特有の笑いだと気づける者は、生憎とこの場にはいなかった。

 ◆◆◆◆◆

「いつの間にこんな大所帯になったんだ?」
「お嫌ですか?」
 ウルリークが紅焔の腕に自らの腕を絡めながら問いかける。
「え、あ、う……いや、別に」
 普段周りにはいない類の反応に、紅焔は戸惑いながらウルリークの腕を外す。ウルリークはウルリークでからかい甲斐のありそうな紅焔をにやにやと見つめているが、ここで余計なことをすれば今度は白蝋がうるさそうなのでその辺りにしておいた。
 オリゾンダスに祭りの夜が訪れる。
 家々の窓辺に飾られた花がふんわりと色とりどりの光を放っていた。熱のない優しい色合いは、魔術の明かりだ。
 この世界最大の学術都市には魔術師が多い。祭りの委員が一つ一つ灯したのかもしれないし、各家庭の魔術師が夜になって魔法をかけたのかもしれない。
 大通りには昼間とはまた違った顔の露店が並んでいた。その場で料理を作っているものもあれば、焼き菓子を並べている店もある。
 人込みの顔触れは意外と大人が多い。旅行者のための祭りであり、この都市に来る旅行者はほとんどがそれなりの年頃だ。月一で開かれるというし、地元の子どもは滅多に参加しないのかもしれない。
「リューシャ」
「リューシャさん」
「殿下」
「「「はぐれないように」」」
「うるさい! わかっている!」
 お決まりのやりとりをこなすと、魔術師組から呆れた視線が返る。白蝋が宥めるが、セルマやダーフィトの心配は消えない。
「まーまー、今回は魔術師がこれだけいるんですからはぐれてもすぐに合流できますって。好きに見て回ってもいいですよ」
「それはさすがに駄目です。最低でも誰か一人とは一緒にいてくださらないと」
「リューシャに財布預けるのもちょっとな」
 街中で一人になり人身売買組織に攫われた前科があるとなかなか信用してもらえない。
「もういいから行こうぜ。はぐれても見つけられるってことは実地で証明してやるよ」
 紅焔が先に立って歩いていく、白蝋がすぐにその隣に並んだ。
「じゃ、俺たちも行きますか」
 ウルリークがリューシャの手を引き、あと三人も並んで大通りの人波に乗りはじめた。
 宵明かりの幻想的な街並みを歩いていく。
 賑やかさを伝えてくる人々の体温。あちこちから漂ってくる美味しそうな匂い。
 リューシャはもの珍しさに負けて、辺りを見回しながらゆっくりと歩いた。セルマの服の裾でも掴むべきかと思ったが、ウルリークと手を繋いでいるので十分だろう。
 と、思ったら早速辰砂に怒られた。
「きょろきょろすんな」
「すまな……うわっ!」
「だから言ったのに」
 段差につまずき転びかけたリューシャを、辰砂が手を出すより早く魔術で支える。
 リューシャが礼を言う前に辰砂は彼らを追い越してさっさと歩きだしてしまう。口に出しかけた言葉を呑みこんで、その背をリューシャは寂しく眺めた。
 穏やかな季節が良いせいか、人出が多かった。常に旅行者が絶えないオリゾンダスとはいえ、これだけ人が多いのはこの時期だけだと白蝋が言う。
「夕食が決まってないなら僕のお勧めでいいですか? いつも世話になっている店があるんですよ」
 この街は彼の地元だ。講師業の合間にちょこちょこ街で遊んでいるらしく、白蝋は街の事情に詳しい。
 彼の言葉に賛成して、皆で屋台へと向かった。
「この街はいろいろな地方の料理が食べられることで有名ですけどね、中央大陸中央都市発祥の民族料理は意外と知られていないんですよ」
 白蝋が勧めたのは、オリゾンダス伝統料理らしい。手で食べやすいよう紙に包まれたサンドのようなものだ。
「学問の街ですからね。根を詰める学者や研究者が食べやすいようにって工夫されているんです。だから屋台向きなんですよ」
 パンに薄切りにした肉と野菜を挟んだだけ。それが何よりもおいしい。ソースに秘密があるらしく、食べても食べても飽きの来ない味だ。
 この都市に来た時と同じように、広場の階段に腰かけて食べる。あの時と違うのは、辰砂たち三人の存在と、彼ら以外にも屋台の品を食す場所を求めてやってきた人々でぎゅうぎゅうだということだ。
「さてと、腹ごしらえもしましたし、今度は遊戯系を見て回りますか。お貴族様や王子様なんて、そういう経験もないだろ?」
「白蝋、あんたも確か元貴族だったと聞いたような気がするんだが……」
「不肖の家出息子の話はいいの! さぁ、行きますよ!」
 白蝋が自然と紅焔の手を引く。半ば引っ張られるような形の紅焔が、仕方がないなとついていく。けれどその顔はどことなく嬉しそうだ。
 早足で歩くと、通りの両側に出店している色とりどりの露店が目まぐるしく過ぎていく。リューシャは少し駆け足気味で、運動神経が良過ぎて気の利かない連中の後を追いかけた。
 すっと、繋いでいる手が離れた。
「……リーク?」
 人込みが目の前を過った。どうやらこの道は別の道と合流しているため、人波が途切れて別の流れに乗るらしい。
 遠くから名を呼ばれる。
「あ、ごめんなさーい、リューシャさーん」
 通りの向こうの道からウルリークが声を張り上げている。背の高いダーフィトや白蝋、セルマの心配顔も人込みの向こうに見えた。
 ウルリークは謝る割には口調がわざとらしいと言うか、何故清々しいまでに笑顔なのだ。
「仕方ないんで先行きますね! 辰砂さん、あとよろしくー!」
 え、と思うと同時に、背後から手が滑り込んだ。
 ついていくのに必死であまり並びを考えていなかったが、リューシャの更に後ろ、最後尾に辰砂がいたのだ。
「まったく」
「え、あの」
「他の奴らはみんな前」
 はしゃぐ子どもたちを見守る保護者よろしく、辰砂は一番後ろで皆の様子を見ていたらしい。人込みの中では見えなかったが、紅焔もあちらにいたのだろう。
「こっち」
 ぐい、と手を引かれる。リューシャは何も考えず、ただその手の温かさだけを感じながら辰砂について歩きはじめた。