Fastnacht 24

096

「で、お師様。どうだったんです? 破壊神様とのデート☆」
「あー、うるさいうるさい。何も言うな」
 白蝋と紅焔から「辰砂の恋を応援しよう!」という一方的な企画の概要を聞かされていた銀月は、怪しい笑顔で師を出迎えた。
 辰砂は眉間にしわを寄せて気難しげな顔を作りさっさと歩き去って行こうとするが、彼の背後にいた白蝋が突き出した二本指と紅焔の笑顔を見れば結果は明らかだ。
 天界は本日も麗らかな春の陽気である。いつも、何も変わらない。
「ああ、そうそう。一つご報告しておきます」
 辰砂が自分の住処としている小屋に入る寸前、銀月は言った。
「俺、セーファ様の眷属としての契約を結びました。これで完全な不老不死です」
 戸に手をかけようとしていた辰砂が、弾かれたように振り返る。
 常と変らぬ表情で佇む銀月を、まじまじと凝視した。
「本気……なのか?」
「はい」
 辰砂はラウルフィカと何度か話している。彼が不老不死の神の眷属となることを選ばないことは、すでに予想がついていた。
 ラウルフィカを愛する銀月も、それに合わせて地上に降りるだろうと考えていたのだ。だからこそ、体を完全に治せというつもりで静養を命じていたのに。
「あ、ちなみにセーファ様は俺が辰砂の弟子と女神の眷属という二足の草鞋を履くことを気前よく許してくれましたので。俺はまだ当分、眷属であっても“辰砂の弟子”です。適度に使ってやってください」
 唖然とする辰砂に銀月はあっけらかんと言った。白蝋と紅焔も少なからず驚いている。彼らですらまだそこまで意志を固めていなかったのだ。
「二足の草鞋? 三足の間違いだろ」
 さくさくと下生えを踏む気配がして、一人の青年が彼らに近づいてきた。
「ラウルフィカ」
「ああ、そうでした陛下! 俺、“辰砂の弟子”兼、“月神セーファの眷属”兼、“ラウルフィカ様の下僕”でした!」
「銀月、お前の人生本当にそれでいいのか」
 今日も今日とて麗しき元国王陛下が登場した途端顔を輝かせた銀月に、師と同輩三人の呆れた眼差しが向けられる。
「で、何の用、ラウルフィカ」
「お前とリューシャのことを聞きたいと、セーファ様が」
 伝言役を請け負ったらしい。月神宮には普段銀月の方が訪れているが、なんだかんだでラウルフィカも彼の顔が見たいのだろう。
 表向き面倒そうな顔をして冷淡な態度を装っている。
「ラウルフィカもついにセーファ神の眷属として仕事をするようになったんだ?」
「いや。私は月女神の眷属ではない。……その話は断った」
「え?!」
 辰砂は驚きの声を上げる。白蝋も紅焔も意外な顔をして、いつも通りの表情の銀月を注視する。
 皆、てっきりラウルフィカの答次第で銀月も身の振り方を決めると思っていたのだ。彼がラウルフィカを見捨てることはないと。
 二人とも地上では死んだことにされている身となった今、ようやく想いを通わせることができるというのに。
「どうして」
 思わず零した疑問の声を拾い、ラウルフィカが何故か辰砂に対し苛立ちの眼差しを向けてきた。
「お前自身の胸に聞いてみればいい。創造の魔術師」
「は?」
 ラウルフィカからこのような眼差しを向けられる覚えのない辰砂は、思いがけず混乱し動揺する。
 悪戯好きとされる創造の魔術師も、本来起伏がないはずの日常に立て続けに劇的な出来事が起これば混乱の一つもしようというもの。ラウルフィカから睨まれると言えば銀月絡みしか思い浮かばないが、何かあったのだろうか。
「まぁまぁ。その辺のことはおいおい考えるとして。お師様、セーファ様に呼ばれてるならそろそろ行った方がいいんじゃありません?」
「そうだね」
 辰砂は弟子たちと別れ、ラウルフィカがやってきた方へと向かう。辰砂と入れ替わりにその場に残ったラウルフィカの方は、三人の魔術師と何事か話しているようだ。
 まったく最近は思いがけない出来事が目まぐるしく続く。退屈しなくて結構なことだが、精神的な老体はたまには平穏が恋しくなる。
 いまいち不完全燃焼なものを感じながら、辰砂はとりあえず破壊神と和解したことを報告するために、セーファの宮へ足を向けた。

 ◆◆◆◆◆

 いまや古王国の王の屋敷となった場所に、その王妃が帰ってきた。
「ただいま帰りました、ゲラーシム」
「ナージュか。お帰り。どうだった? ダーフィトの方は……」
 アレスヴァルド国王、ゲラーシム=ディアヌハーデは妻を笑顔で出迎えた。
 魔術師嫌いの国と呼ばれるアレスヴァルドだが、ゲラーシムは柔軟な考えを持つ方だ。出先で見初めた美しい妻が高位の魔術師だと知っても愛情は変わらず、むしろ共犯者となってくれる彼女に感謝の念を抱いている。
 ナージュは夫の問いに困ったように笑う。彼女が一人で戻ってきたこととその様子から息子の返答を知り、ゲラーシムは肩を落とした。
「そうか……やはりか」
「ごめんなさい。ゲラーシム」
「いや、君が気にすることではない。あれの決断だ。御苦労だったね。今日は早く休みなさい」
 高潔で誠実だがその反面、一度立てた誓いに対して強情な愛息からの拒絶。
 息子に相談をせずナージュとほとんど二人のみで簒奪の計画を立てたので仕方ないのだが、やはり辛いものがある。ゲラーシムには、ダーフィトを切り捨てることは決してできない。
「彼らはもう随分とこの大陸に近づいて来ています。今頃は船に乗った頃でしょう」
 辰砂の名は出さず、ウルリークの存在も教えず、肝心なことは何一つ伝えないままナージュは表面上の報告を済ます。
 妻と言うよりも部下のように淡々と一礼して国王の書斎を後にした。
 誰もいなくなった部屋でゲラーシムは一人ごちる。
「やはり戻ってくるのか。リューシャ」
 ダーフィトのことは脇に追いやり、本来正当な王位継承者であった少年の姿を脳裏に描く。
 前国王の唯一の王子。本来の第一王位継承者。けれど呪われた神託により最も玉座から遠かった運命の子を。
 リューシャはあの神託がある以上、アレスヴァルドに戻っても旨味は何もない。万が一運良くゲラーシムを追い落とせたとしても、周囲の反感を買って暗殺されるのが関の山だ。
 リューシャという少年自身に、アレスヴァルドに戻りたい理由は何もない。だが、王子であるリューシャ=アレスヴァルドとしては、総てを放り出したまま自分だけ神託から離れたところでのうのうと生き続ける選択はできないのだろう。
 あれはそういう人間だ。身内であるゲラーシムが一番よく知っている。
 思考回路だけで言えば、誠実だが気が弱いとも言われていたエレアザルより、快活で裏表のないダーフィトより、リューシャは誰よりゲラーシム自身に近い。
 彼が己の運命から逃れるためだけに国を捨てることはないと、どこかでわかっていた。
 だがその一方で、神託からも王族の責務からも離れたどこか遠い地で静かに暮らすのであれば、最後の情けとして見逃してやろうとも考えていた。
 だが、彼は戻ってくる。そうなれば。
「手加減はできぬぞ。リューシャ=アレスヴァルド」
 眼光鋭き偽王は罪の冠を戴きながら、遠く中央大陸の方角へ視線を向ける。
 その視線の先にあるもの、総てをその眼差しで薙ぎ倒すかのように。