099
「どういうつもりだ」
「今更聞くまでもないだろう」
本来そこにいるはずではない人物の兵士を引き連れての登場に、シャニィディルは険しい顔をした。
タルティアン王城は、突如として占拠された。首謀者と目されるのは、今シャニィディルの目の前にいる少年。
「あなたには分不相応なその玉座を頂きに上がりました。兄上」
「クラカディル……!」
クラカディル=フューナス=タルティアンはシャニィディルの実の弟、この国の第二王子だ。
今年十五歳になったシャニィディルと、年子のクラカディル。二親同じ兄弟ではあるが、生まれた時からいずれ争うことを決定づけられていた間柄とも言える。
「分不相応とは、私が聖色を持たぬということか」
「当然でしょう。大地神の加護無き者に、この国の王たる資格もありません」
銀髪碧眼のシャニィディルは、自分とよく似た顔立ちの、金髪緑眼の弟を見つめる。
大地神ディオーを崇めるタルティアン王国では、大地の聖色と呼ばれる金や緑、褐色などの色彩を身に宿して生まれる者が多い。
第二王子クラカディルの容姿は、この前提においてまさしく理想的と呼ばれる配色だ。金の髪に緑の瞳は、いかにもタルティアン王族らしい。
対して、シャニィディル第一王子は大地の聖色を持たない。これはタルティアンにおいては、ディオー神の加護がないことを意味する。
正式な第一王位継承者は国王の正妃の長子であるシャニィディルだが、聖色を持たぬ王子を玉座に着けて良いものかと、周囲は不安を抱えていた。それならば次男ではあるが、タルティアン王族に相応しい聖色を持つ第二王子クラカディルを次の国王にするべきではないかと。
タルティアンでは、彼らが生まれたその時よりずっと、シャニィディル派とクラカディル派が次の王位を巡る権力争いを続けていたのだ。
すでに国政の手伝いをしているとはいえ、まだ未熟な十代半ばの王子たち。実際には彼らの後見者が王子の名を掲げて衝突していたにすぎない。
しかし当の王子たちも、この相手にだけは負けるわけにはいかないと、兄とも弟とも思わずお互いを敵視していた。
特にクラカディルは、兄シャニィディルを二重の意味で疎み、恨んでいる。
「今度こそあなたの持っているもの全て、私が頂く!」
一年前の聖地祭。
クラカディルは兄の持つ王位継承権を奪うための罠を仕掛けた。豊穣の巫覡を拉致し、警備責任者だった兄にその責任をとらせようとしたのだ。
しかし聖騎士と神殿騎士が協力して巫覡を助け出し、当の巫覡の口からクラカディルの企みが暴かれ、彼は権力争いに敗れた。
兄を疎み豊穣の巫覡を拉致して王位を奪わんとしたクラカディルは塔の中で幽閉されることになった。
そのクラカディルがここにいるということは、協力者が彼を塔の中から連れ出したということだ。
聖色を持たぬ王子シャニィディルを排し、第二王子のクラカディルを次の王にしたいと思っている一派が。
クラカディルは表向きの後見者だけではなく、表には出ず影から自分に協力している者たちを上手く使い、国王や第一王子に気取られずにこの謀反の計画を立て直したのだ。
一年前のように失敗はしない。今度こそ完全にシャニィディルを排し、クラカディルが次の王位に着くために。
そして彼が望む全てを手に入れるために。
「そう、邪魔なあなたさえいなくなれば、あの人を手に入れられる。今度こそ――」
「クラカディル、まさかお前」
「そろそろ神殿も私たちの兵によって制圧された頃でしょうね」
「まさかルゥにまで手出しを……!」
これまで聖色を持たぬ王子シャニィディルを支えてきたのは、この国最高位の聖職者、民の信仰の要である豊穣の巫覡ルゥの存在だ。
クラカディル一派にとっては、シャニィディルの立場を支える宗教的な基盤の一つである豊穣の巫覡の存在は邪魔にしかならない。
そもそも昨年の聖地祭での彼らの計画が失敗したこともその辺りの事情が関係ある。彼らは豊穣の巫覡の力と彼に対する民の信頼を甘く見ていた。その杜撰さが隙となり、クラカディルたちは自滅へと追い込まれたのだ。
王位を狙っていることが明らかにされたクラカディルのことを、シャニィディル派の権力者たちは警戒していた。そしてすでに昨年失敗をしているクラカディル派にとっては、もう一度行動を起こせばもう後がない。
「父上はどうした」
槍を構えた兵士に命を握られながら、シャニィディルは意を決して問うた。自分によく似た弟の冷たい顔つきを見つめながら。
「国王陛下ならば、先に常闇の国に向かわれました」
「殺したのか! お前の父親だぞ!」
「そしてあなたの、ね」
彼ら二人の父である国王は、内心がどうであれ表向きは順当に第一王子であるシャニィディルにこの国を継がせる意向を崩さなかった。
だから殺したというのだ。彼とシャニィディルが生きている限り、クラカディルがこの国を継ぐことはできないからだ。
「クラカディル」
「何も聞くつもりはありませんよ、兄上。あなたに惑わされるのはもうこりごりだ。――おい、連れて行け」
王宮を占拠した兵士たちが進み出て、シャニィディルの両脇を掴んで拘束する。
第一王子はまるで罪人のように城の奥――牢獄へと連行されていった。
◆◆◆◆◆
「国王陛下が殺害された?!」
神殿内が騒然となった。駆け込んできたティーグたち聖騎士の情報により、ルゥたちは王城で謀反が起きたことを知る。
「はい。城を占拠したクラカディル王子派の兵士の数は尋常ではなく、また城内にいて彼らの侵入を手引きした裏切り者も多く……」
ティーグらが駆け付けた時には、すでに国王は命を奪われた後だったという。ティーグたちは敵と一戦交え、何とかこの神殿までやってきた。
勿論逃げ込むためではない。この事態を神殿に伝えるためだ。
「王城が占拠されたなら、次は」
「はい、敵は神殿を狙うと――」
「神子様!」
様子見に出たはずの神殿騎士たちが飛び込んでくる。それと同時に、外の騒がしさも伝わってきた。
「お逃げ下さい! 兵士の集団がこちらに向かっています」
窓から身を乗り出して覗くと、遠目にその集団が見えた。武器を持った男たちが、大挙して神殿へと押し寄せる。
見慣れた鎧。同じ国に住む仲間であるはずの彼らが、国を割る闘いに身を投じる。
ここは国で最高位の神殿だ。僅かな神殿騎士を除けば、勤めているのは敬虔なディオー信者と神官ばかり。兵士たちも余程でなければ彼らに手出しをしないと信じたいが……。
彼らの目的は明白だ。
「ルゥ様、お逃げください」
神官たちの視線がルゥへと注ぐ。代表してこの神殿の一切を取り仕切る神殿長が言った。
「神殿長」
「彼らの狙いは貴方様です。タルティアンの王たるもの、大地の神の加護を受け、豊穣の巫覡の祝福を受けねばならない。貴方を懐柔するにせよ新しい巫覡を立てるにせよ、どちらにせよクラカディル殿下は当代豊穣の巫覡を確保せねばなりません」
いくら簒奪を目論んだ王族でも、神殿の権威を丸ごと無視することは考えられない。クラカディル派は必ず、豊穣の巫覡という存在を必要とする。
「私がここにいれば、皆さんに危害を加えられる恐れがあるのですね?」
「恐れながら」
豊穣の巫覡ルゥがそこにいる限り、神殿騎士や神官、この神殿に勤める全ての者たちがルゥを守らねばならない。また、ルゥの方でも彼らを人質に取られてはクラカディルの要求に従うしかなくなってしまう。
ならば彼らに見つかる前に、ルゥが逃げてしまうのが得策だ。何の予告もなく兵士が現れたなら抵抗する暇はなかっただろうが、命からがら王城を抜け出してきてくれた聖騎士たちのおかげで、それだけの時間はある。
「いいえ。当然のことです。では私は薄情にもさっさと一人逃げ出したことにしてください。皆さんはどうか抵抗せず、そのまま降伏してください」
「神子様! そんな!」
「謀反を引き起こしたとはいえ彼らも同じディオーの信徒。信仰心が残っていれば神殿の僧侶たちに手荒な真似はしないはず」
「でも、それでは神子様お一人が」
「私なら大丈夫です。どうか皆さん、自分の身の安全と、ディオー神のことだけを考えて。同じ神を信ずる人々と争ってはなりません」
ルゥの言葉に、神殿の人々が手を祈りの形に組んで唇を噛みしめる。
「神子様のことは、我らがお守りいたします」
いつの間にか傍にいたティーグが、ルゥを見つめながら誓う。その隣では、ラーラも頷いた。
王城を抜け出して来た聖騎士の数もティーグを入れて僅か数名だ。ティーグ以外の騎士たちは神殿に残ってもらうことにした。
「時間がありません。すぐに出ましょう!」
荷物を用意する時間もない。クラカディルの手の者たちはすぐそこに迫っている。
「どうか皆無事で!」
僅か二人の騎士だけを護衛に、豊穣の巫覡は神殿から逃げ出した。