Fastnacht 26

102*

 目を開けた時、頬を零れる冷たい感触にルゥは自分が泣いていることに気づいた。
「あ……」
「気が付きましたか?」
 暖かな指先が目元を拭う。寝台の傍ら、クラカディルがルゥの濡れた顔を覗き込んでいた。
「一時、気を失っていたのですよ」
「――! ティーグ様……ッ!!」
 その言葉に何があったのかを思い出し、ルゥは跳ね起きた。しかし思いがけない力に引っ張られて、すぐに再び寝台の上へと倒れ込む。
 じゃらりと重たげな金属の擦れ合う音が冷たく響いた。
「え……?」
 自らの左腕と寝台を繋ぐ頑丈そうな鎖を見て、ルゥは目を見開く。服も着替えさせられているし、いつの間にこんなことに?
 引きつった声をあげるルゥの耳に、クラカディルの無機質な台詞が届いた。
「その様子ですと、ハルディードと付き合っているという噂は本当だったのですか」
 氷のような眼差しに、ルゥは一瞬息を止める。しかしすぐに身体中に怒りを燃えたぎらせて、挑むかのように強く頷いた。
「――ええ」
 褐色の髪と緑の瞳。大きな大人の男の手のひら。低く深い声。そして優しい眼差し。
 ティーグはルゥより十二歳年上の恋人。ルゥが巫覡としてまだ未熟だった頃から見守っていてくれた、最愛の人だ。
「俺は誰よりも、あの人を愛しています」
 彼が死んだなんて、まだ信じられない。血濡れた姿の残像が脳裏を過ぎる今も。
「あの人だけを……!」
 愛している。
「……」
 ティーグもはじめはルゥのことを少女だと勘違いしていた。少年だと気づいてからも、それならば尚更気持ちを伝えていいものかと迷っていた。
 誤解させたりすれ違ったり、嘘をついたり嫉妬したり、この一年、ルゥとティーグはそれでも様々な時を共有してきた。よりにもよって豊穣の巫覡とそれを守る聖騎士の同性同士の恋愛が歓迎されるはずもないと知ってなお、離れることはできなかった。
 そのティーグが死んだ。ルゥを守って。
 突っ伏して涙を堪えるルゥの傍らで、空気が動いた。クラカディルが腕を伸ばしてルゥを抱きしめる。
 はっと気づいて顔をあげようとするものの、力尽くで抑え込まれてしまう。
 じゃらり、とまた音を立てた鎖の存在を思い出し、ルゥは震え声で問いかけた。
「この、鎖は……? クラカディル王子、あなたは一体、俺をどう――」
 言葉が途切れる。
 その震える吐息ごと、クラカディルがルゥの唇を奪ったのだ。
 思考停止に見舞われたルゥは、息苦しさにようやく現状を理解した。慌ててクラカディルの胸を渾身の力で突き飛ばす。
 腕の鎖がじゃらじゃらと耳障りな音を立てた。まるでこれから起こることへの警鐘のように。
「何をするんです!」
 唇に血の味を感じた。歯がぶつかった箇所が切れたらしい。
 不気味な沈黙を保ったままクラカディルもまた、唇の血を拭う。
「ハルディードがいなくなり、シャニィディルも消える。これであなたは、もう私のものだ」
「なに、を」
 淡々とした声に、その音は聞こえていても、何を言っているのかがわからなかった。
 呆然とするルゥを、クラカディルの腕が再び寝台に押し倒す。
「わからないのですか? 本当に?」
「く、クラカディル殿下」
「あなたは私の花嫁になるのですよ。ルゥ様。誰にも邪魔はさせない。私はあなたさえ手に入ればそれでいい」
「殿下!」
 混乱が収まるはずもない頭でルゥは必死にクラカディルの腕を振りほどこうともがく。しかしただでさえ腕力が違うのだ。力の入りにくい体勢にされて敵うはずもない。
「さぁ、愛を交わしましょう」

 ◆◆◆◆◆

「いやあ!」
 もがくルゥの上にクラカディルがのしかかる。膝を割るように絡む足に、生理的な嫌悪が滲んだ。
「や……ふざけんな!」
 ティーグと付き合うようになってからより自重するようになった乱暴な言葉遣いが復活する。
「何が花嫁だ! 俺は男だ! あんただって、もうわかってんだろ! 今すぐこんなことはやめろ!」
 何とか自由になった右腕を振り抜く。乾いた音を打ち鳴らしたクラカディルの頬がすぐに赤く腫れてきた。
 それでも彼の、異様な熱を帯びた瞳の昏さは変わらない。
「あなたが男だから? だからなんだと言うのです? ハルディードと付き合っていたくせに」
「そ、れは」
 痛いところを衝かれて、ルゥが言葉に詰まる。すでにティーグと言う前例がある以上、性別の壁をルゥがさして気にしていないことは明白だ。
 だがそれは、あくまでも相手がティーグだったからの話。
「俺はあんたと妙な関係になる気はない!」
 精一杯の威勢をかき集めて言うが、クラカディルは鼻で笑う。
「あなたの意志などもはや関係ない」
「な……っ!」
 あまりにも身勝手な台詞にルゥが目を白黒させる。その隙にクラカディルの手がルゥの服を破く。
「んっ……!」
 露わになった首筋にクラカディルが吸いつく。背筋にぞくぞくと走る怖気にルゥは必死でクラカディルの肩を押し返そうとするが、それ以上の力で抑え込まれてしまう。
 白い肌に真っ赤な花を散らして顔を上げたクラカディルが、苦い笑みを浮かべた。
「あなたが私を愛することはない。そんなこと、とっくにわかっている」
 見上げた先、ティーグと同じ大地の聖色でありながらまったく違う印象を与える緑の瞳にルゥは一時、動きを止める。
「ならばせめて、それ以外の全てを私のものにするのみ」
「……いやだ!」
 指が服の中に潜りこんで直接肌を撫でていく。
 クラカディルはルゥの右腕もどこからか取り出した手錠で拘束すると、鎖に繋がれた左腕とまとめて寝台の頭側に固定してしまう。
 ルゥは抵抗することもできずに、クラカディルの手であちこちを凌辱される。ねっとりした視線が露わにされた局部に集中し、頬に羞恥の血が上る。
「本当に美しい人だ……こんなところまで」
 クラカディルは指先で、ルゥの玩具のように柔らかい性器を突く。
 きゅっと抓まれた乳首も、茱萸の実のように膨らんで立ち上がる。
 その全てがルゥにとって、死んでしまいたい程に恥ずかしい。
「ほら……私のももうこんなになっている。よく見て。今からこれがあなたの中に入るのですから……」
「ひっ」
 クラカディルに顎を掴まれ、強制的に顔の向きを変えられる。そそり立った欲望を見せつけられて、ルゥは改めてこの状況に恐怖した。
「お、俺を穢したら、豊穣の巫覡としての力が」
 神子は穢れを遠ざけ、聖性を保つ必要がある。純潔を失うと同時に、神通力も失われることが大半だ。
「問題はありません。次の候補は見つけてあります」
「だったらどうして最初から俺を殺さなかったんだ……!」
 半ば涙目の問いかけに、クラカディルは静かに答えた。
「当たり前でしょう。――私が欲しいのは、あなたなのですから」
「うあ……!!」
 香油を塗った指がルゥの中に入り込む。潤滑剤の力を借りながらも、その質量は容赦なく中を抉った。
「い、た……痛い、よ……やめて……!」
「ほら、ルゥ様……力を抜いて。息を吐いて」
「あ、ああッ、アッ」
 本来排泄にしか使われぬはずの場所を、他人の指が蹂躙している。そのおぞましさに、ルゥは吐き気さえ覚えた。
 ぐちゅぐちゅと音を立て、直腸をクラカディルの指がかき回す。
「や……いやぁ……」
 生温い体温が、内壁を擦る指が、全てが気持ち悪い。
「ああっ……!」
 しかしルゥの気持ちとは裏腹に、身体は勝手に僅かな快感をかき集めようとする。
「いや? もうこんなに、私の指を自分から締め付けているのに?」
「いや……うそ、嘘だ……!」
「嘘じゃありませんよ。ほら」
「あっ――!!」
 白い喉をのけ反らせ、ルゥが喘ぐ。クラカディルはその痴態を、余すことなく見つめ続けた。
「愛していますよ、ルゥ様」
 指が引き抜かれ、クラカディルがすっと体勢を変える。切れ切れの息を吐いていたルゥが、ハッとして顔を強張らせた。
「いや……いや……いやあ!!」
 榛の瞳に涙が盛り上がり絶叫する。
「ティーグ様ぁ!!」
「あの男は来ない。ティーグ=ハルディードは死んだ」
 冷たく吐き捨てたクラカディルが、次の瞬間、うっそりと残酷な笑みを浮かべてルゥの中に自身を埋め込む。
「ッ――!!」
 心と身体、二重の衝撃に声を失うルゥの耳元で、彼は幸せそうに囁いた。
「これであなたは、私のものだ」