Fastnacht 27

第5章 祈りの行方

27.一滴の慈悲

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 リューシャたち一行はラーラを連れて、とにかく街中に宿をとった。
 ラーラもこの国ではそこそこ顔の知れた人物だが、例によってダーフィトが前に立ち堂々と宿泊申し込みをすれば、店主は圧倒されて部屋の鍵を差し出す。もとはリューシャが被っていたフードで顔を隠したラーラのことなど気にも留めない。
 追手の心配のない場所で血の付いた服を着替え、軽食を腹に入れて、彼女はようやく人心地ついたようだった。
 この国の事情を、彼女の目で見てきたものから語りはじめる。
「私は神殿騎士のラーラ、豊穣の巫覡ルゥ様付きの騎士です」
「ほうじょうのふげき?」
 ウルリークが目を瞬かせる。彼は誰に聞くでもなく、すぐさま自分の知識の中から、タルティアンと豊穣の巫覡の伝統について引っ張りだしてくる。
「確か、神聖タルティアン王国の祭祀を司る最高位の聖職者でしたよね」
「ああ、そうだ。大地神ディオーの声を聞く神子として、民衆の信仰を一身に集める」
 ラーラはウルリーク以外の三人とは面識がある。唯一初対面の相手がウルリークなのだが、彼の性格が性格だけにすぐに慣れた。
「――タルティアン王国。それは豊穣と繁栄の王国。国民は皆大地神ディオーに帰依する宗教国家。特定の神を信仰する宗教国家としては、世界最大の規模に属する……」
 ウルリークが朗々と、何かの本から引用したらしきタルティアンについての基礎知識を謳いあげる。彼は最近の青の大陸の情勢については疎いが、大陸の歴史に関する知識は誰よりも多い。
 隣国であるアレスヴァルドは、単一の神ではなく全ての神々を崇めるという姿勢をとっている。祭祀を行う際は代表して現在の主神太陽神フィドランの名を用いるが、それ以外の、邪神と呼ばれる神を除くあらゆる神が信仰の対象だ。
 一方タルティアンは、他の神々にも敬意を払うが信仰の対象はあくまで大地神ディオーただ一柱という国家である。
 広い国土は肥沃であり、大地神の加護のおかげで大陸第一の食料自給率を誇る。常に安定した国力を持ち、青の大陸一平穏な国とも目されている。
 それも、ここ十数年以前の話だ。
「我が国に不穏の陰が落ち始めたのは、第一王子シャニィディル殿下の誕生からです。タルティアン王族はほぼ皆が大地の聖色と呼ばれる色を身に宿して生まれますが、シャニィ殿下はその例に当てはまりませんでした」
 大地の聖色とは、金、黄、緑、茶など大地と大地神を連想させる色彩である。青の大陸の人種としては、金や茶の髪に茶や緑の瞳となるのが一般的だ。
「ラーラさんもその聖色持ちなんですね」
「ああ。私の場合はこの金の目と褐色の肌になる。肌が褐色の者は“大地の子”と呼ばれ、高い身体能力を持って生まれることが多い」
 ラーラは神殿に捨てられていた孤児だ。彼女の褐色の肌を見て取った神官たちは喜んで彼女を未来の神殿騎士となるように育てた。
 その期待通りラーラは騎士として高い才能を発揮し、不断の努力の甲斐もあって豊穣の巫覡の騎士という名誉ある地位についたのだ。
「でも金髪や茶髪なんて世界中で最もありふれた色彩じゃありませんか? 特に大地神と無関係な人間でも金髪はいますし、この地域としてはその辺はどうなんです?」
 ウルリークが素朴な疑問を発すると、その肩をリューシャがつんつんと突いた。ウルリークが彼の方に視線を向けると、自分の顔を示して見せる。
 リューシャは淡紅の髪に空色の瞳。
「俺も」
「私も」
「いや、セルマさんはそもそもこの大陸の人じゃないでしょ! でもま……よくわかりましたよ」
 ダーフィトはマホガニーのような深紅の髪に水色の瞳、別大陸人なのでほとんど関係はないがセルマは濃紫の髪に橙の瞳だ。薄紫の髪に真紅の瞳のウルリーク自身を含め、一行は四人とも大地の聖色とは無縁の容姿だ。
「確かに金髪人口は世界でも三本の指に入る程多いがな。この地域にとってはそうでもないんだ」
 リューシャとダーフィトの容姿は、アレスヴァルド王家特有のものだ。かの王家は赤毛に薄青の瞳を持つ者が多い。伝統的な色彩に近いのはダーフィトの方で、リューシャの桜や桃の花色の髪は珍しい。しかし二人とも、物凄く広義に解釈すれば「赤髪青瞳」の括りには入るだろう。
「アレスヴァルド人は銀髪碧眼が多いのだ。金や茶の髪も赤毛もそれなりにいるがな」
「シャニィディル殿下は銀髪碧眼。俺たちアレスヴァルド人と同じ地域の人種としての特徴が強く出たんだろうな」
 王家の特徴とは言うものの、タルティアンでは大地神の加護を全く持たない者の方が珍しい。庶民や孤児ですらラーラのように大地の聖色を持っている。しかしシャニィディルはそうではない。
「それによって、民のシャニィディル殿下に対する不安が芽生えたんです。次の年に生まれた第二王子クラカディル殿下は、金の髪に緑の瞳という伝統的な聖色を備えた王子でした」
「じゃあ第二王子が国を継げばいいじゃん、って?」
「平たく言えばその通りだ」
 リューシャとダーフィトが顔を見合わせる。
「その辺りの事情は、我らもアレスヴァルドで気にしていた。まぁ……シャニィは我のように不吉な存在として扱われていたわけではないから、それほど心配はしていなかったのだが」
 二年前、リューシャとダーフィト、リューシャの護衛でセルマも、聖地祭という祭典に呼ばれてこの国を訪れたことがある。
 その際にタルティアン側でもアレスヴァルド側でも問題ある王子を表向き蔑ろにする訳には行かず、両国の王族の対面には骨を折ったらしい。
 アレスヴァルドの唯一の王子は呪われた神託の持ち主、リューシャ。だが、親族という扱いでダーフィトも呼ばれていた。
 タルティアンの第一王子は聖色を持たぬ王子、シャニィディル。しかしすぐ下に有能でタルティアン王に相応しい第二王子クラカディルがいる。
 そこでタルティアン側は賓客であるアレスヴァルド王族のうち、リューシャにシャニィディルを、ダーフィトにクラカディルをそれぞれ歓待役としてつけた。
 形式的にはリューシャとシャニィディルの対面の方が格が高いが、次に国を継ぐ可能性が高いのはダーフィトとクラカディルの方だ。特にアレスヴァルドの王位継承問題に関しては他国にも知れ渡っていたため、タルティアン側としてはリューシャよりもダーフィトに繋ぎをつけたかったのだ。
 しかしアレスヴァルドにおいて世継ぎの王子であるリューシャを蔑ろにしてただの一貴族でしかないダーフィトをもてなすわけには行かず、苦肉の策として彼らは豊穣の巫覡をリューシャの歓待役にあてるという荒業に出た。
 本来巫覡はそのような政治的な活動には関わらないのだが、場合が場合だ。アレスヴァルド自体も古王国と呼ばれる程の伝統を持つ宗教国家であることも手伝って、両王子にはタルティアン最高位の聖職者のもとで実務的な政治の話よりも権威として象徴的な話をしてもらうという形になった。
 リューシャがラーラを覚えていたのもそのためである。リューシャがセルマを常に伴うように、豊穣の巫覡ルゥの傍には騎士のラーラがいた。
 一方そのような事情なので、ダーフィトは豊穣の巫覡に関する記憶は薄く、第二王子クラカディルに関する記憶が深い。
「ラーラ殿。巫覡殿は今……」
 リューシャはついにその話を切り出した。
 二年前は常にルゥの傍にいた彼女がこうして巫覡と別行動をとっている。それは尋常な事態ではないのだと、部外者のリューシャにすらわかる。
「ルゥは……傷を負ったティーグ殿と私を逃がすために、自ら第二王子派の兵士たちに投降しました」
 やはりそうか、と。彼らとそれなりの付き合いがあったリューシャとセルマは納得した。
「豊穣の巫覡はこの国最高の宗教的権威。手に入れた者は、一歩玉座に近づくというところでしょうか」
 リューシャたちよりも更に部外者ならではの無関心さで、ウルリークが容赦なく告げる。
「玉座に近づくというよりも、それしか方法はないというべきだ。クラカディル王子が単に玉座を欲しても、豊穣の巫覡を頂点とする神殿勢力が認めねば、民は決して納得しない」
 豊穣の巫覡は、この国にとってそれだけ大きな存在なのだ。
 タルティアンは戦争や内乱が少なく平穏な国家ではあるが、それでも農作物の出来不出来によって自分たちの生活が左右されることを知っている。人々は善良で信仰深く、大地神の加護を何より強く祈っている。
 裏を返せば人々のそんな想いこそが、聖色を持たぬ王子シャニィディルへの不安へと繋がったわけでもあるのだが……。
「ラーラ殿、無神経な問いかもしれないが、どうか教えて欲しい。クラカディル殿下は豊穣の巫覡をどうするつもりだ? 次の巫覡候補が見つかれば、殺してしまうようなことがあると思うか?」
「……それを聞いて、どうするのですか。リューシャ殿下、皆さんも、それを聞いてしまっては、もうこの国の事情から逃れられませんよ?」
 少女の金の眼差しと、少年の青い眼差しが交錯する。
「もとよりこんなところで手を引く気はない。隣国の情勢はアレスヴァルドにとっても無関係ではないしな。それに」
 リューシャはちらりと視線を背後へと移した。
 寝台の枕元のチェストの上に、淡い光の珠が乗っている。
 あれはリューシャの力によって変質し、変革する前のティーグの魂だ。
「我は我で、自分の行動の結果を見届けなければならぬ」
 ティーグという人間を生き返らせることはリューシャにはできない。
 だが流転を司る破壊神としての力で、その魂が次なる運命に飛び立つための変化を促すことはできる。
 やれるだけのことはやったが、あとはティーグ次第だとゲルサは言っていた。誰も魂の本質にない存在にはなれない。人として生きられなくなった青年は、その魂の性質を映した新しい“何か”になるしかない。
 彼の魂が邪悪であれば、その性質を映した醜悪な怪物に。善良であれば、それを反映した生物に。
 タルティアンは未だ動乱の中にある。
「……お願いです」
 ラーラが震える声で言った。
「ルゥを助けて」
 これまで堪えに堪えていた涙が次から次へと流れ出す。
 リューシャたちは他国の人間だ。それも、現在隣国アレスヴァルドで指名手配されている、冤罪を着せられた犯罪者。
 リューシャが実の父である国王を殺害したなどという話をラーラは信じていなかったが、それとこれとは別だ。自国で指名手配されている人間が、他国の騒動に簡単に手を貸してくれるなどと、普通は思わない。
 だがラーラは、彼女自身の経験と実感から信じているのだ。
 リューシャであれば、目の前にどんな困難があっても諦めず必ず道を切り開いてくれると。
 タルティアンの人間は、タルティアン人だからこそ頼れない。彼女はルゥという個人と豊穣の巫覡の存在価値ならば前者を優先するが、他の人間はそうではない。
 巫覡と言う役目以前にルゥの身を心配する同志であるティーグがいない以上、彼女だけは、何としてもルゥを助け出さなければ。
 泣いている少女の膝の上の手にリューシャは自らの手を重ねる。
「わかった」
 そして何よりも簡単で難しい一言を迷いなく口にしたのだった。