Fastnacht 27

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 宿の一室で円卓を囲み、五人は額を突き合わせる。
 リューシャたちはラーラの頼みに手を貸す。その代わりにラーラは、リューシャたちのことを黙っている。それが彼らの取り決めとなった。
 ゲルサとの会話はラーラにとって意味不明なものでしかないだろう。しかし彼女はそれらリューシャたちの事情について、詮索するようなことはなかった。
「殿下については、タルティアンにも色々と不穏な噂が流れてきております」
「……冤罪だ。遅くとも数か月以内には、なんとかする」
 ラーラはそれを聞いてにこりと微笑む。
「信じています。今までもずっと、信じておりました」
「――ありがとう」
 彼女の向けてくる純粋な信頼は、受け取るリューシャの方を戸惑わせるくらいだった。今まで蔑まれ嘲笑われ見下されることに慣れ過ぎたリューシャにとって、その好意はあまりにも眩しい。
 アレスヴァルドのことは、近いうちに決着をつけるとリューシャは約束した。神託の真の意味を理解した今なら大丈夫だと。
 その前に今は、タルティアンのことだ。とは言っても指名手配中とはいえ他国の王族貴族身分のリューシャたちが表だって手を貸すわけには行かず、助力の内容はあくまでもルゥの救出に絞られる。
「というかそのクラちゃん王子は、どうしてルゥさんとやらを手に入れたがるんです? 彼の立場的にはとっとと殺して自分の陣営から次の巫覡をその座に添えた方が良さそうなものですけど」
 リューシャたちも気になったことだ。簒奪を行うクラカディル派にとって、それが神の意志だと認めさせる宗教的権威“豊穣の巫覡”は何よりも重要だが、逆に言えばその座に相応しいだけの力があるなら、巫覡はルゥであることに拘る必要はない。
 ルゥの性格から考えると、いくら脅されようともシャニィディルを裏切りクラカディルに寝返るとは考えにくい。そのくらいならばルゥに何らかの罪を着せてシャニィディルと一緒に始末してしまうのが、いっそ確実な政権奪取の手段のような気もするが。
 それに対するラーラの答は、衝撃的なものだった。
「クラカディル殿下は……おそらく、ルゥのことを愛しています」
「は?」
「え?」
 リューシャとダーフィトが続けて口をぽかんと開けた。何か今思いがけない単語が続いた気がする。
「あの王子様、権力以外興味ないって感じだったんだけど」
「――というか、ルゥ殿は男だろう。いいのか?」
「え? 巫覡殿は可愛い女の子じゃなかったか?」
 ダーフィトがきょとんとして思わずリューシャへ視線を送る。リューシャは重々しく断言した。
「男だ。女顔の男との縁には一家言ある我が言うのだから間違いない」
「リューシャさんが言うと物凄い説得力ですね。で、本当はどっちなんです?」
「……男です。巫覡の性別は特に公表しないので、皆顔だけ見て女の子だと思ってましたけど。一年前の事件で公式に男だと知られることになりました」
「事件?」
 ラーラの何気ない説明から、またしても気になる単語が飛び出してきた。
「そういえばちょうど一年くらい前だったな。クラカディル王子が何かやらかして幽閉されたっていうのは」
「ああ。我が国にも事後の処遇だけが流れてきたな。シャニィが聖色持ちではないからだろうが、幽閉であって廃嫡ではないのかという話題になっていた」
 リューシャとダーフィトは再び顔を見合わせる。
 一年前からその事件の影響が引き続いているのなら、クラカディルの簒奪は突発的でも衝動的でもない。時間をかけてあらゆる準備をした上での、隙のない計画なのだと。
「はい……その事件は、クラカディル派によるルゥの拉致です。警備の責任をシャニィ様にとらせて、継承権の放棄を迫ったのです。クラカディル王子はその時に、ルゥを妃に迎えるつもりだったそうです」
「だから、男……」
「その時までは女だと思われていたからだろ? そして巫覡殿が自らは男だと明かしたことによって、クラカディル王子の計画が台無しになったと」
「どう考えても情報収拾不足だろうが」
「まぁまぁリューシャさん。それはそうですけど、それを言ったらおしまいですって」
 確かにルゥは黙ってにこにこして立っていれば女に見えるとリューシャも思う。巫覡としての振る舞いは中性的な形式らしいが、歴代の巫覡に女性が多いので女性的に見えるのも仕方ない。
 だがリューシャは二年前の聖地祭で数日間行動を共にした際、ルゥの少年らしい粗雑さを何度も目撃している。あれを見てよく女と間違えられるなといっそ感心する。
 ついでに言えば、彼は人によく言われる程女顔ではない。子どもっぽさの残る少年的な顔立ちであり、容姿自体はウルリークやリューシャ自身の方が余程女顔である。ただ、巫覡としての神秘的な雰囲気と衣装や舞台の効果、やわらかな雰囲気が相まって少女的に見えるだけである。
 逆に言えばクラカディルとルゥの付き合いは、他国人であるリューシャが数日間で得たものよりずっと浅いものだったのかも知れないが。
 それならどうしてクラカディルはルゥを……?
 人の心は難しい。
「豊穣の巫覡と王族の婚姻はないこともないと聞くが、傷物と噂を立てるような事件を起こしてまでそんなことをするものか……?」
 ラーラは微妙に言葉を濁したが、色々と世の中の汚い裏側を見てきているリューシャはその事件によってクラカディルがルゥをどう扱う気だったのかもなんとなくわかった。
 だから、豊穣の巫覡は男でなければならなかったのだ。か弱く襲撃者に怯え心を病むようなお姫様ではなく、拉致犯を逆にしばき倒しそうだと人々に思わせるような、強かな下町の小僧でなければならなかった。
 タルティアンの民が崇拝する“豊穣の巫覡”は、決して誰にも穢されぬ者であると信じさせた。
「まぁ人の感情をとやかく言ってもしょうがないでしょう。俺たちの目的はそのルゥさんの奪還なんですから、クラ王子がルゥさんに執着しているなら蹴散らすまでです。今度は助ける相手が一人だけですから楽勝でしょう!」
「今度は?」
 シャルカントでの出来事を知らないラーラは当然、ウルリークの言い回しに疑問符を浮かべる。
「なんでもない。それより救出と言っても、ルゥ殿が連れて行かれた場所に心当たりはあるのか?」
 ラーラが悲しげに首を横に振る。
「普段は王城住まいだったとはいえ、クラカディル王子が所有している屋敷はいくらでもあります。協力者の屋敷や別荘まで探すとなるとそれこそ星の数程」
「ではまずはそこからだな」
「なぁ、リューシャ。巫覡殿を助けるのはいいけど、助けた後はどうするんだ? まだアレスヴァルド国内ではないとはいえ、俺たちだって御尋ね者なんだぞ」
 これが自国にて地位が安定している時ならばいい。だが、今はリューシャたちも不安定な立場だ。ルゥをクラカディルの下から助け出すのは良いが、迂闊なことをすれば逆に危険に晒してしまうかもしれない。
「……いざとなれば、辰砂に預けてしまうのも一つの手だ。辰砂にしろその弟子にしろ、多方面に顔が利くだろう」
「……なるほどな。まぁお前たちが和解したんならそれもアリか」
 若干反則気味ではあるが、リューシャたちには世界最強の魔術師・辰砂という味方がいる。彼に頼めば少年一人を一時的に誰も害することのできない場所に避難させるぐらい容易いことだろう。
「でもそうしたら、シャニィディル王子はどうする? 放っておくのか?」
 ダーフィトが気がかりそうに、誰にともなく尋ねた。
「……それはタルティアンの問題だろう」
「豊穣の巫覡の事だって、タルティアンの問題だ。巫覡殿を連れて行くってことは、シャニィディル王子の後ろ盾を奪うことに繋がる」
「シャニィがまだ生きていればの話だがな」
「リューシャ!
 冷酷な仮定に、ダーフィトの鋭い声が飛ぶ。ここには彼らの知己であるラーラもいるのだ。
「いつまでも目を逸らしていても仕方ないだろう。巫覡のことはともかく、シャニィはこの国の王子だ。そこから逃れられはしない」
 そう、リューシャ=アレスヴァルドがいくら不吉な神託を受けようとも、アレスヴァルドの唯一の王子であるという立場から逃れることができなかったように。
 聖色を持たずとも、シャニィディル=タルティアンはこの国の王子。彼の国の問題は彼が決着をつけねばならない。
「それが彼の運命だ」
「運命……」
 ふと、ラーラが何かに気づいたように考え込む。
「そう言えば……ルゥはいつも言っていました。“自分には役目がある”それから“罪を重ねている”“運命の時が満ちるまで、俺は役目を果たさねばならない”」
「罪?」
「重ねるということは複数。一つは心当たりがあるんですが、それ以外は私も聞かせてもらっていません」
「巫覡殿が何か隠し事をしているってことか?」
 ダーフィトの問いにも、ラーラは曖昧な困惑の表情を浮かべる。
「隠し事なのか。あるいは」
「神の意志で今はまだ言えないとか」
「はい。そのような印象も受けました」
 ルゥは常人とは違う。言動こそ市井の少年らしくとも、彼は国一番の神子だ。人と違うものを見ている可能性は充分に存在する。
「すると……ルゥは何かを待っている?」
「じゃあ辰砂に頼んで天界に連れていってもらうわけには行かないんじゃないですか? いえ、俺はそのルゥさんにお会いしたことないんでその人の性格まではわかりませんけど……」
 リューシャたちも思わず沈黙した。ラーラはルゥをよく知っており、彼女程ではないがリューシャとセルマも面識がある。僅かに顔を合わせただけのダーフィトでさえ、あの巫覡が自らの身の安全のためだけに役目を放り出すような性格ではないと思えた。
「まぁどちらにしろ……ルゥ殿を助け出すのが先決だろう。その後のことは、その後考えるべきだ」
「結局それしかありませんよね」
 動乱のタルティアン。この国の農業は、大陸の食糧事情を左右すると言ってもいい。
 恵み溢れる豊かな国は、民の純粋な信仰と日々の努力、そして豊穣の巫覡の祈りによって支えられている。
「我らは所詮この国の人間ではない。この国の民にとって何が一番良いかなど、いくら考えてもわからないものだ」
 それでも、無実のシャニィディルやルゥを苦しませてまで聖色を持つことを理由にクラカディルの即位を押し進めることに賛成できないのは確実だ。
 同じような境遇のアレスヴァルドの人間であるからこそ見過ごせない。冤罪を着せられたリューシャであり、父のその行状を止めたいと思っているダーフィトだからこそ。
「我らにできることをやるぞ、まず……」