Fastnacht 28

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「そうか、ティーグの奴が……」
 パウルを始め、ティーグの同僚だった騎士たちは貴族も平民もなく彼の死を悼んだ。
 ティーグについては、ルゥを守って死んだとだけ伝えた。彼がどのような存在として変化するのか、そこにティーグという自我が残るのかはまだわからないからだ。
 どちらにせよ、人間としてのティーグはすでに死んでしまった。それはずっと彼の体を担いで命の消えていく様を感じていたラーラが誰よりよく知っていることだ。
 パウルの家に集まっていたシャニィディル派の人々は皆、沈痛な面持ちで過去と未来に思いを馳せる。
 そこにいたのは騎士だけではなく、王宮や神殿で働いていた使用人たちもだ。皆、この状況に対する戸惑いを隠せない。
 狭い家に十人を超える人間を座らせるための椅子などあるはずもなく、皆敷物を敷いた床に車座になって額を突き合わせていた。
「私たちはこれからどうなるの……?」
 王宮仕えの女がぽつりと零す。
「どうにもならんさ。クラカディル王子は強引だが悪いお人じゃない」
 陰鬱な声音で男の一人が返す。また、誰かが叫ぶ。声量を落とせと慌てて諌める声もあがる。
「でも、シャニィディル様が殺されてしまうかもしれないんだよ!」
「殿下はお可哀想だが、聖色を持たない王子が即位するのに不安があるのも事実だ」
「私たち王宮仕えの使用人はどうなるのかしら。通いの私たちはともかく、住み込みの皆は今王城に閉じ込められているみたいなの」
「いつになったらこの状況が変わるんだろう」
 リューシャとラーラは、神殿前で聞いた言葉を思い出す。
「神殿を占拠している兵士が告知していた。今日の夜七つの鐘が鳴る頃、重大な発表があるって。その時に神殿に集まれって」
「なんだって?!」
 非番で通いのため神殿に入ることもできなかったパウルたち神殿騎士がどよめく。
「神殿に何かあったのか?」
「大勢の兵士に占拠されていたが、我らが見てきた時には争乱の気配はなかった」
「ラーラ、ルゥ様は……」
「クラカディル派の兵士に連れて行かれた。今どこにいるのかは……すまない」
 ラーラは唇を噛む。彼女は、誰よりも優先すべき主を守れなかった。責められて当然の結末だ。
「お前のせいじゃない。その状況なら、神子様はきっと誰と一緒だってそうするだろう」
 神殿騎士たちは己の不甲斐なさに俯く。
「今は落ち込んでいても仕方ないだろう。反省は後回しだ。そんな暇があるならさっさとルゥ殿を助けに向かうべきだ」
「あ、ああ」
 リューシャの言葉に騎士たちが頷く。と、同時にこの少年は一体誰だという不審の眼差しも投げかける。
 エリヤという偽名以外、リューシャは彼らに何も告げない。今はその方がいい。
 ラーラは仲間の騎士たちに告げた。
「私はルゥの騎士だ。だから事態がどうなろうと、ルゥを助けに行く」
「俺だって神殿騎士だ。王様より王子様より、豊穣の巫覡の命に従うぜ」
 神殿騎士たちは大体がラーラとパウルと同意見のようだ。彼らは主君の命を何よりも優先する。
 だが、他の人々は未だ憂いを帯びたまま迷いを口にする。
「……このまま本当にシャニィディル殿下に従っていていいのかしら」
「おい、お前」
「だって、殿下が聖色を持たないのは事実でしょう?」
「民としては、ちゃんと大地神の加護を持つ方に王位について欲しい」
「みんな……!」
 一人が不安を零せば、たちまち伝播する。
「不穏な噂を聞いたことがある。西の方で、今年の収穫量が落ちているという」
「ええ?! 知らないわよそんな話!」
「まだ公式に発表はされていないようだ。だが北西の方の小麦を扱う商人たちが愚痴っていたよ。今年は不作だと」
「北西と言えば、アレスヴァルドの方だな」
 リューシャがぴくりと反応する。動揺するラーラの前で、しかし表向きには無表情を貫いた。
「隣国の呪われた王子様か。やはり王族には、神の加護がある方がいい」
「そうだな。アレスヴァルドみたいなことが起きちゃたまらないよ……」
「アレスヴァルドで何かあったのか? 半年前の事件の他に」
 何気ない素振りで、リューシャは男の一人に祖国の近況を尋ねた。
「ああ。土地が痩せて作物がとれなくなり、食料を失った野生生物が大量に人里に降りてきているらしい。ゲラーシム王が討伐隊を組んでやっとのことで対処してるってよ」
「そんなことがあったのか」
「ああ。うちも不作が飢饉の前触れだとも限らない。ディオー様に祈りを捧げにゃあ……」
「神子様、今頃どこにいらっしゃるのかしら……」
 ラーラが心配したようなことが起きる前に、話題はルゥのことへと流れて行った。ラーラは皆に尋ねる。
「クラカディル王子が巫覡を連れて行きそうなところに心当たりはないか? 追手の兵士たちはわざわざ私らにトドメを刺さずにルゥを生かして連れて行ったんだ」
「一番可能性が高いのは神殿じゃないか? ルゥ様を懐柔するにしても代替わりを強要するにしても、次の神子に引き継ぎをしなけりゃならん」
「でも神殿は兵士たちに占拠されたままで入れなかった。ずっとあの様子だと言うから封鎖されたまま、人の出入りはないんじゃないか?」
 ルゥを神殿に引き戻したり、新しい神子候補を連れて行ったりすれば近隣で見守っていた住民たちの誰かが目撃しているはずだ。リューシャとラーラは近くを尋ねて回ったが、そういった目撃談はなかった。
「逆に、人気のない場所なんじゃないか? クラカディル王子としては次に大々的な発表をするまでは、ルゥ様にしろ次代にしろ豊穣の巫覡を人目に晒したくはないだろう。だったら、人気のない場所とかに監禁されているんじゃないだろうか」
「監禁……」
 物騒な単語にラーラが顔を曇らせる。
「一理あるな。豊穣の巫覡をそう簡単に殺すとは思えないが、かといって人前に出すとも思えない。だが……具体的にそれはどこだ?」
「それがわかったらこんなところで辛気臭い顔つき合わせてないっすよ」
「そうだな……」
 ラーラが常に敬語で接するリューシャに関しては、皆なんとなく身分のある人間なのだろうと理解している。
「クラカディルについて詳しい人間はいないのか? どこで過ごし、何を好み、何を厭うのか。奴の生活から少しでも思い入れを判断できる要素は?」
 リューシャが尋ねるが、皆ちらちらと視線を彷徨わせてから首を振った。
「無理もねぇよ。ここにいるのはみんなシャニィディル王子派だからよ」
「いや……それだけじゃない。例えクラカディル王子の傍仕えがいたとしても、たぶん……」
「何故?」
 リューシャの空色の眼差しにたじろぎながらも、男は答えた。
「クラカディル王子は無趣味と言うか……ほとんど子どもらしい遊びをしているところを見た事ある奴がいないんだよ。よく大人たちと国政に関する議論は交わしていたけどな」
「仕事が趣味ってやつだろ」
「取り巻きになりたがる奴は大勢いたけど、学友とか友人とかはいないよな」
「なんか孤高って雰囲気でさ。人懐こいシャニィディル様とは大違いだよ」
「だから、彼の私生活を知る人間もいないというわけか」
「そうそう」
 リューシャはそれを聞いて考え込む。
「……どうかしましたか?」
「いや、うちとは随分違うなと思って」
 彼の様子の変化に気づいたラーラが問いかけると、そんな答が返ってきた。
「ダーフィト様ですか?」
「ああ。あれは能天気を絵に描いたような性格だろう」
「そ……あの、確かに親しみやすい方だとは思います」
 思わず頷きかけるが寸でのところで回避し、ラーラはそういう表現に留める。
 謀反を起こしたクラカディル。罪人としてこの一年幽閉されていたはずの第二王子。彼の存在が今この国を大きく動かしているというのに、肝心の彼の内心を知る者は誰もいない。
「おい、そろそろ時間だぞ」
 六つと半の鐘が鳴った。神殿での重大発表があるまであと少し。
「聞きに行こう。クラカディルの出方を知る必要がある」
 リューシャとラーラは発表を聞いたら再びパウルの家に戻ることを約束して、神殿へと向かった。

 ◆◆◆◆◆

 その頃、セルマとダーフィトの二人は王城前にいた。
「重大発表とはなんだろうな」
「さぁな。この状況だと俺たちにとっては何を発表されても悪いことにしかならない気がするんだが……」
 神殿と同時刻に、王城でも重大発表をするため城門前に集まるようにとの告知が出されていた。王都の中でも城周辺に住む民たちが不安な顔つきで続々とやってくる。
 本日、ダーフィトたちはまず王城へ向かった。そこで夜に重大発表をするからと追い返されている人々を見たのだ。兵士の数もさすがに多く、潜入は難しい。
 王城以外の場所、なおかつリューシャやラーラでは入手が難しい情報を手に入れるため、二人は酒場へと訪れた。
 街がこんな状況なので、常は夕刻からの営業の店も全て看板を立てている。彼らと同じく昨日から王都を出られない旅人たちと、元々の王都の住人があれこれ噂を交わし合う。
 二人の琴線に引っかかったのは、主にこの二点。
「――クラカディル殿下は、今の神子様を引きずりおろして新しい神子を立てるつもりらしい」
「昨年の事件の恨みか……いかにもやりそうだが、信憑性は?」
「クラカディル派の貴族が内密に神子の力の持ち主を探していたそうだ。使用人仲間から聞いたって奴が何人か出て来たぜ」
 クラカディルはルゥを排斥し新しい豊穣の巫覡を立てるつもりである。そして。
「今日の重大発表ってのはあれじゃないか? 北西の畑が枯れたっていう」
「なんだそれ」
「アルバの店に出入りの商人が言ってたんだ。今年はあの地方一帯が凶作だとよ」
「それで不吉だ大地神の怒りだと言ってんのかい」
「ああ。そうでもなきゃ、兄王子様はともかく、神子様まで神殿から追い出すことはできないだろうからよ」
 不作が広がっている。それはダーフィトたちも初耳だ。ラーラが何も言っていなかったことを考えると、彼女も知らなかったのではないか。
 シャニィディルはリューシャのように不吉だと言われる神託を受けたわけではない。聖色を持たないだけで、彼に神の加護がないかどうかはわからないのだ。
 しかし特に旱魃などの被害がなく急に畑が枯れたとなれば、それは大地神の怒りだと、信仰厚いこの国の民が騒ぎ出すのも無理はない。クラカディル派はそれを理由にシャニィディルを排斥するつもりなのか。
 王城で発表されたのも、まさしくそういう内容だった。
「この国から大地神の加護を遠ざけ、不幸をもたらす王子シャニィディルをもはや野放しにするわけにはいかない!」
 クラカディルが神妙な顔で姿を見せる横で、彼の後援者と名乗る貴族が唾を飛ばして叫ぶ。
「次の王には、クラカディル=フューナス=タルティアン殿下こそが相応しい!」