Fastnacht 31

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 タルティアンから乗合馬車でアレスヴァルド国内へと入る。
 国境を越えた辺りで、はっきりと空気が変わったのがわかった。
「あ……」
「んふ。さすが」
「気色の悪い声を出すな」
 元々アレスヴァルド人であるリューシャやダーフィトだけではなくウルリークまでもが反応したのは、この国に他にない力が満ちている証明だろう。リューシャも今は目覚め始めた神の力のおかげで、その違いがわかった。
 先程までは大地の神シャニディオールが守護するタルティアンの国土だった。だがここからは――。
「神の血を伝える王国、ね」
 ウルリークがうっそりと笑う。
 今国内に張り巡らされている警戒網は、緻密にして繊細な規律神のものだ。
 そしてアレスヴァルドの地全体に行きわたる、どの神のものでもない清浄な力。
「さて、それじゃ」
 リューシャたち四人は、乗合馬車を王都の一つ手前で降りた。
「しますか、変装」
 やけに楽しそうなウルリークのせいでいまいち深刻になれないながらも、四人はようやくアレスヴァルド王都へと足を踏み入れる。

 ◆◆◆◆◆

 ……深刻になれない。
「平和だな」
「平和ですね」
「平和だぁ……」
「疑いようもなく」
 一階が定食屋兼夜は酒場になっている宿をとり、四人はそこで昼食を済ませた。
 定食屋の人の入れ替わりは激しいらしく、食事を終えた客が帰るとまたすぐ次の客が入ってくる。店の中は明るく適度にざわついていて、雑談をするには最適だ。
 暖かい汁物を啜りながら四人は溜息をつく。
 アレスヴァルドは、平和だった。
 リューシャが父王殺しの罪を着せられ、魔道具の転移によって国を抜け出して約半年。
 エレアザル王の従兄弟であり残された唯一の王族であるゲラーシムが王位を継ぎ、国王を名乗っている。
 暗殺と言った凶事を機に王が変わった国とは思えぬ程に、現在のアレスヴァルド王国は平和であった。
 今日は快晴。曇りがちな彼らの心にも関わらず目に見える景色は平和そのものだ。
 通りを歩く人々の顔は幸福そうで、街中は活気に満ちている。
「だから言ったじゃないですか」
 ウルリークが笑い、リューシャへと告げる。
「この国にあなたを待っている人なんて誰もいないって」
 言葉の意味を考えなければそこに悪意があることをうっかり見逃してしまいそうな程に穏やかな笑みだ。
「呪われた神託の王子様。そんなあなたよりも、実力十分の簒奪公爵様の方がこの国の民はお好みでしょうよ」
「ウルリーク」
 ダーフィトが眉間に皺を寄せて口を挟む。
「ふん。そんなことは今更貴様に言われんでも知っている」
 リューシャは鼻を鳴らした。
 はじめからわかっていたのだ。リューシャがアレスヴァルドに帰る旅路は、その労苦に見合う結果をもたらすことにはならないと。
アレスヴァルドにおいてリューシャは国を滅ぼすと予言された不吉な王子であり、今はゲラーシムの手により父王殺しの罪をも着せられた罪人でしかない。
 彼が帰ってくることを望む人間などこの国にはいない。不吉な神託を受けてリューシャは罪人の烙印を押されるそれ以前から疎ましがられていたのだ。民はリューシャよりもゲラーシムに、そしてダーフィトにこの国を継いでもらいたいと思っていた。
「ま、いいんじゃないですか。皆自分の目でしか物事を見ずに好き勝手なことをやる。だからあなたもあなたの目から見える真実を選んで好きにすればいい」
 ウルリークの口にする「真実」は酷く皮肉気な響きを帯びている。
 神の生まれ変わり。このアレスヴァルドに血を伝えた破壊神の器と魂を持つ者。それがリューシャの真実。
 その一方で、神の生まれ変わりとしてもリューシャが疎まれているのもまた事実なのだ。
 破壊神が目覚める時、世界が滅ぶ。
 不吉な預言を回避する術は辰砂たちが調べてくれるというが、まだ明らかにはなっていない。
 この国のみならずこの世の総てをも滅ぼせる破壊者。
 リューシャという個人の性格は何一つ変わっていないというのに、神託は今もまだ彼に付きまとう。何人も宿命から逃れることは敵わないと告げるように。
「我は、運命から逃げるわけには行かない」

 ◆◆◆◆◆

 四人で固まっていると余計目立つということで、二手に分かれることにした。
 セルマは護衛としてリューシャに付きたがったが、女騎士を連れているとなるとさすがに正体に気づかれる確率が上がる。彼女を説得してなんとか諦めさせ、いつかのように騎士組、少年組で組むことにする。
「なんなら俺が女装しますか? タルティアンの時のラーラさんみたいに」
「やめろ鬱陶しい」
 ウルリークが実は女性体にもなれるという事情を知らないリューシャは、その提案をばっさりと切り捨てる。知っていても切り捨てただろうが。
「それにしてもダーフィト、お前は良かったのか?」
「ん。ああ、別に。そう拘ってたわけでもないし」
 変装をする上で何が一番目立つかと言えば、ダーフィトの長い真紅の髪だ。
 タルティアンでは埋没したこの色彩も、アレスヴァルドにおいてはまったく違った意味を持ってくる。赤毛に青い瞳の組み合わせは王家の色なのだ。
 そもそもダーフィトの顔は知れ渡っているので、わかりやすい特徴を残しておくのは危険だとウルリークは忠告した。その忠告を受けて昨日ダーフィトがとった行動は、長い髪を首元からばっさり切ってしまうことだった。
「お似合いでしたのに残念ですねぇ。そこまでまた伸ばすの、大変じゃありませんか?」
 意見として口に出したもののまさかダーフィトがあっさり髪を切るとは思っていなかったらしく、ウルリークもその行動に驚いていた。髪の色自体も染粉で変えているので、それだけで済むと思っていたらしい。
「構わないよ。元々それ程大した目的があって伸ばしていたわけではないしな」
 自らも髪の長いウルリークが、毛先を綺麗に切りそろえながら言うのにもダーフィトは笑って返す。
 アレスヴァルドでは必ずというわけでもないが、青い目と言えば銀髪や黒髪の人間が多い。タルティアンでは二人とも茶髪だったが、今回ダーフィトは銀髪に、リューシャは黒髪に染めて印象を変える。
「リューシャさんはタルティアンでも市井の少年に変装していたんですよね。もうそれでいいですか。……と言うかこの場合、むしろリューシャさんが女装するべきでしたかね。似合うでしょうし」
「……何か言ったかウルリーク」
 事が全て終わるまでの協力は約束したものの、他三人に比べていまいち緊張感も緊迫感もないウルリークをリューシャがじろりと睨む。
 衣装を着替え、中身だけ移し、簡単な設定だけ打ち合わせて四人は日も暮れかかる頃に宿を出発した。
 今回は変装こそしっかりしているものの、武器などの装備は基本的に変えていなかった。タルティアンにいた時はまだしもここは彼らが追手をかけられているアレスヴァルド国内。不測の事態に備えて自衛の手段はいくらでもあった方がいい。
 ウルリークもいつもより男っぽい恰好をすることで、リューシャと少年の二人連れのように装う。
 王都には入ったものの、もちろんお尋ね者が王城を訪ねるわけにはいかない。街の中心部にある城を避けて情報収集に努めることにする。
 それにしたってウルリークが前に立ち、リューシャの顔は極力人に見せない方向で行く。タルティアンではリューシャがラーラを庇ったが今度は逆だった。先程の冗談ではないが女の子扱いをされているようでリューシャにしても複雑だ。
「しかし意外とばれないもんですね」
「……元々我の顔は民のほとんどに知られていないからな」
 不自然でない程度に深く帽子を被り顔を隠したリューシャは言う。
「王になるかどうかもわからない、むしろ玉座につけたいとも思わない王子の顔を晒す意味も覚える意味もなかった。式典関係である程度の貴族ならば知っているだろうが、庶民がわざわざ見に来たりはしない」
 その生誕も生存も、リューシャは祝われることなくこの十六年間生きてきた。
「それはまた厄介な人生で」
「だがいい。他の人間にとって我の存在に意味がなくとも、我自身はそれを見つけたのだから」
 夢の中で繰り返し焦がれた辰砂とようやく出会った。今なら何も怖くないし、悲しくもない。
「だから我は、決着をつける。誰が望んだわけではなくとも、我はこの国の王子なのだから」