Fastnacht 31

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 何かに呼ばれた気がしてリューシャは振り返った。
「大分勘が鋭くなったじゃないか」
「辰砂!」
 ふわりと、止まり木に降り立つ鳥のように軽やかに、辰砂がどこからか舞い降りてきて地に足をつける。
 人通りのない裏路地だ。とはいえ、現在の国内情勢が安定しているため治安は良い。これもまたゲラーシムの手腕ということだろう。
 人気がないとはいえ罪人として手配されている王子と魔術師に淫魔、誰に見られても困る面子が揃い踏みと言うわけで、辰砂はすぐにリューシャとウルリークの二人を異空間に引っ張り込む。
 ついでに少し待てと言い置くと、闇の中からまたどこか別の空間に道を繋いでセルマとダーフィトを拾い上げた。
 そして次に彼が空間を切り裂いた時、そこはどこか使われていない貴族の屋敷らしき場所だった。
「お帰りなさい、辰砂。そしていらっしゃい、皆さん」
「紅焔」
 瞬く間に変わる景色にどこか馬車酔いじみた気分の悪さを覚えた一行は、紅焔に勧められた薬草茶を口にしてようやく気分を落ち着ける。
「色々と話を聞きたいが、まず……ここは?」
「世界のあちこちで情報収集するために一国に一つは用意している別荘のアレスヴァルド版。最近は紅焔がずっと使ってたから手入れもばっちり」
 無限の時を生きる魔術師は、その手の工作もばっちりらしい。
「使ってない時も多いからたまに近所の子がお化け屋敷として肝試しに来るんですよね」
 自国にそんな不審な物件がある噂など全く知らなかったリューシャとダーフィトは顔を見合わせる。
「興味は尽きませんけど、時間もないようですしそろそろ本題に入りません?」
 ウルリークの提案で話が進む。その前に一つだけセルマからウルリークへと質問が入った。
「時間がないと言うのは?」
「やだなぁ。セルマさんたち、正確にはダーフィトさんの方ですか。規律神にまたちょっかいを出されたんでしょう。だとしたら奴伝てでディアヌハーデ公爵に情報が行くじゃないですか」
 そう言えばウルリークや魔術師たちは神の気配を感じ取れるのだったか。辰砂と紅焔の二人も頷いている。
「焦る程じゃないけど急いだ方がいいことは確かだよね。と言うわけで単刀直入に本題に入るんだけど」
 辰砂の眼差しがすっとリューシャの方へ向いた。
「神剣を奪取して来い」
「神剣?」
「……って、神殿に安置されてる? 神託伺いや即位式典で使うあれか?」
 リューシャとダーフィトは神剣と聞いてなんとなくその存在を思い浮かべたものの、理由がわからず腑に落ちない顔をした。
 二人にとっては生まれた時から存在を知っている物ではあるが、あれがただの剣だという以上の認識はない。
「あれに何か重要性があるのか?」
「大有り。なんであれが宝剣でも王剣でもなくあえて“神剣”と呼ばれていると思っているんだよ」
「まさか……」
 辰砂の呆れ顔に、リューシャはハッと目を瞠った。アレスヴァルドから逃亡し、こうしてまた帰ってくるまでにまるで意味の違ってしまった「神」と言う言葉。
「あの剣は、破壊神の力の一部だ。お前がお前になるためには、あの剣を取り戻さなきゃならない」
 最強の魔術師は断言する。
「……一応アレスヴァルドにとって、神剣は神殿にあってこの国の信仰を支え――」
「諦めろ」
 いくら普段は存在を気にかけずにいようとも国宝なのだというダーフィトの訴えは、辰砂に一言で切って捨てられた。
「それに、どうせこの国が終わるならもう神剣なんていらないだろ?」
 アレスヴァルド国民としては何があっても避けたいようなことを、辰砂は平然と口にした。
「ちょっと待て。結局それは確定なのか?」
「少なくとも伝えられた血がこうして結集したのが破壊神である以上、こいつが国を離れたら『神聖アレスヴァルド王国』ではなくなるんじゃないか?」
 エレアザル王が死に、リューシャがいなくなったアレスヴァルドはもはや「神の血を伝える国」ではなくなる。それはこれまでのアレスヴァルドとはまったく別物だというのが辰砂の考えらしい。
「――王族の血統も変わるだろうしな」
 辰砂はちらりと意味深にダーフィトを見遣る。
 国土も国民も変わらないまま、時間の経過によってそれ以外の要素だけが変化した二つの国を同じものと見なすかそうではないか。その辺りは言葉の問題ともとれるし個人の考えで変わるとも言える。
 アレスヴァルドはこれから先、少なくとも王の交代劇がある。それに関連してこの国の何かが滅び、もう二度と復活しないということはあるのだと。
「殿下の神託で言われていた滅びは結局そういうことなのですか? 破壊神であるということと、それによってこの国の定義が変わるという、解釈の問題で?」
 セルマが軽く首を傾げる。彼女でなくともこれは気になるところだ。
 総てを滅ぼす、そしてこの国を滅ぼすと予言されたリューシャの神託の意味が本当にそれだけなのかと。
「……さぁね。僕は神託を出してた月女神でもないし、生憎と使いこなせる能力の範囲内に予知能力なんて気の利いたものもないからな」
「でもお師様、ある程度当たりをつけたから皆さんに会いに来たのではなかったですか?」
 やはり弟子だからというわけか、リューシャたちがここでされた説明よりは詳しい話を聞いているらしき紅焔がおずおずと口を挟む。
「当たりはつけたけど本当に当たりというか、根拠のない憶測なんだよね。奴ならこういうことをやらかしそうだなぁ。それやられるとちょっと世界的に困るなぁって」
「奴とは誰だ」
「規律神ナージュスト」
「……」
 ダーフィトとセルマが顔を見合わせる。
 先刻も顔を合わせたばかりの規律神の目的はそうだ。いまいち読めるようで読めない。
 この世界のためだということ、そしてリューシャや辰砂、更には世界中の人間を憎んでいることはわかったが、その上で彼は何をやろうとしているのか。
「……考えたんだが、規律神がリューシャに何かするってことはないのか」
「何かするって幅広い言い方の中でなら監禁投獄とかはまぁ確かにありえるけれど、殺されるかと言えば、それはない。あるいはあっても大丈夫。どうせ人間としての器が壊れても今の破壊神なら神格そのものは確保できるから」
 後半がちっとも大丈夫には聞こえないが、辰砂がそう言うからにはここにいる“リューシャ”という存在がナージュの手によって消えてしまうということはないのだろう。
「破壊神は天界最強の闘神だ。もとより規律神じゃ勝てないよ。記憶を取り戻した今なら尚更」
「なら何故ナージュは……あいつ、一体何をする気なんだ?」
 リューシャやウルリークたちに比べると、ダーフィトはナージュの目的が気になるようだ。彼の行動は今後のアレスヴァルドの行く末に深く関わる。
「どっちにしろ、奴を止めたいなら結局神剣が必要になるんだよ。今の破壊神じゃ規律神ごとに殺されないとは言っても、完勝できるだけの力があるわけでもないからな。神剣を手に入れ、完全体に近づく必要がある」
「完全体……」
「リューシャさんてなんか変形合体する玩具のような扱いですねー」
「茶化すな、リーク」
 ナージュの目的は何かなど、それはここでいくら考えていても答の出ないことだ。
 それは本人にしかわからないし、彼はその時が来るまで決して口にすることはないだろう。
「僕としてはこの世の総てを恨んでいると言っても過言ではない規律神がろくなことを企んでいるとは思えないね」
 世界の滅びに関わる破壊の神。リューシャ自身にその意志がなくとも、規律神を始めとする他者の意志で強大な力を利用される恐れはある。
「今のところ破壊神に拮抗する力を持っている存在は僕だけだ。天秤の上で破壊の向こう側にある創造の女神の力を」
 ただ単純な力比べならリューシャたちに分がある。それ故に規律神がそんなことを考えるとは思えない。
「なぁ……今更こんなことを言うのは難だけど、もしも父上が簒奪を起こさず、リューシャが破壊神として覚醒するような契機が何もなかったら、その時この世界はどうなっていたんだ?」
 リューシャが“総てを滅ぼす者”だという神託を受けた由縁が「その前世が破壊神である」ということだけならば、リューシャ自身が何もせずとも、何もされずとも、この世に生まれ落ちたその時点で神託の意味は満たしている。
「それは僕より本人に聞いてみたら」
 話題を振られた辰砂は軽く首を横に振り、リューシャへと目を向けた。他の面々も注目する。
「正直なことを言えば……例えこういう事態になったとしてもならなかったとしても、我はいずれ神であった前世を取り戻したと考える」
「何故」
「……辰砂に会いたかったから――痛っ」
 机の下でガンッと音がした。人目のあるところでの正直過ぎる告白に辰砂がリューシャの足を蹴ったらしい。
 その様子を目を丸くして見ていたダーフィトがふいに相好を崩す。
「そうか……なら、父上がどういう行動に出ようと、結局は関係なかった……って思ってもいいのかな」
「――ああ、そうだ」
 僅かな間を持ち、それでもしっかりとリューシャは頷いた。
 例え自分が国を、世界を滅ぼすことがあるとしてもそれは自分の意志であり運命、決してゲラーシムが引き金を引いたわけではないと。
「なら、俺は――」
 リューシャの返答を聞いたダーフィトは、ある決意を口にした。