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街で集めた噂によれば、ディアヌハーデ公爵ゲラーシムは暫定の王として即位後、しばらくは自身の屋敷にて政務をしていたらしい。エレアザル王の死を悼むという名目で。
約一月そうして屋敷の整理をした後、王城の一角に移り住んだという。公爵時代のゲラーシムの屋敷ももちろん残してはあるが、今は普段から王城に詰めている。
ダーフィトが父であるゲラーシムに会いに出て行ってから、随分と時間が経った。
彼が向かったのはゲラーシムの屋敷の方で、そこから王城に使いをやったのだろう。ダーフィトにとってゲラーシムは王ではなく、あくまでもディアヌハーデ公爵なのだ。
その間、リューシャたちは辰砂の館でじりじりしながら暮れかける陽を眺めていた。
――だが。
「兵士が来ますね」
ウルリークが何気なく窓の外を覗いた時だった。人間の何倍もの視力を持つという淫魔は、夕闇の陰に紛れて行進する兵士の一隊を発見した。
「追手か」
ゲラーシムとダーフィトの会話がどういう運びになったのかわからないが、少なくともダーフィトの帰還を知ればナージュ辺りが兵を動かすことは考えられる。リューシャからダーフィトが離れた今が好機と言うのだろう。
「んじゃまぁ、逃げますか」
言う間にもウルリークもセルマもさっさと身支度を整えている。リューシャに至っては最初から支度がない。
「またどこかに転移するか?」
「いや……」
辰砂の魅力的な提案を、リューシャは渋い顔でお断りした。
「ここはアレスヴァルドだ。魔術師を排斥する国だ。――万が一にでもお前が魔術を使う場面を見られたら、どんな理由があろうと申し開きはできない」
「……僕、ほんとこの国嫌い……」
「我が生まれ育った国だ」
魔術師を目の仇にし、魔術師から目の仇にされているアレスヴァルド。世界最古の宗教国家と呼ばれるだけに、その姿勢は決して異端たる魔術師を認めようとはしない。
けれどそれこそが、リューシャ=アレスヴァルドの生きてきた世界だった。この国の王子として決着をつけに来たのだから、この国の慣習を蔑ろにするわけには行かない。
「ま、いいか。そろそろ応援部隊が正統な手続きで入国した頃だろうし」
「応援……?」
先程までげんなりとしていた魔術師の中の魔術師は、懐中時計を覗きながら考え込んだ。
「んー、じゃ、僕らはここでいったん帰るわ。とりあえず三人だけで逃げてもらって、あとは他の奴らに任せる」
「他の奴ら?」
前に顔を合わせた白蝋や銀月のことだろうか。否、彼らも高位の魔術師であり辰砂と同じくこの国で大々的に魔術を使うわけにはいかないのだが――。
「兵が近づいてきました」
セルマの報告に、リューシャは疑問を封じ込んで口を閉じた。辰砂が屋敷の奥を指差す。
「今なら勝手口から外に出れば、少なくともあの部隊には見つからなさそうだね」
◆◆◆◆◆
そして、追いかけっこが始まる。
ダーフィトがゲラーシムを言いくるめて神剣をなんとか表舞台に出すまでは、何としても捕まるわけには行かない。
兵を差し向けたのは予想通りナージュらしく、リューシャたちを追い回すのはアレスヴァルド国軍の兵士ではなく、ディアヌハーデ公爵の私兵だった。見慣れた制服に反射的な嫌悪が募る。国を出る前にも散々追い回されたのだ。
「いたぞ!」
「ちっ!」
見つかってはまき、追いつかれては引き離し、その繰り返しだ。
人気のない裏道を探して探して探しまくる。好都合なのは、ここがアレスヴァルドの王都だということ。これまで渡り歩いてきた諸外国とは違い、ここで生まれお忍びで王都の隅々まで探索していたリューシャに地の利がある。
不都合なのは、追ってくる兵士たちの方もそうであるということ。身軽さや発想の点で一時引き離しても、すぐに別の方向から見つかり追いつかれてしまうのだ。
通気口の中を通るというまるで盗人のような道を選んで埃まみれになりながら、三人はひた走る。
セルマとウルリークはまだいい。だがリューシャの体力はすぐに尽きる。走り続けるよりも姿を隠したり通気口のような変則的な通路を通ったりを選ぶが、それでも疲労は溜まっていく。
逃走経路を増やすごとに追っ手の方も手法を変えてくる。彼らは何人かに分かれ、何よりもリューシャたちの発見に主眼を置いているようだった。
「とりあえず向こうさんも俺たちを見つけてさえしまえば堂々と応援を呼べますからね」
魔族ならではの非常識な身体能力、爪先だけで建物の屋上から逆さまにぶら下がったウルリークが室内を覗き込みながら言った。
「ここも駄目です。人々がざわついてますし、何か通達が来たようです」
「参ったな……」
路地裏に隠れるのも限界で屋根の上に一時昇ったはいいが、無事に降りることができそうな場所は全て張り込まれてしまった。かといって別の場所を選べば市民から姿が見えるところまで出なければならない。それでは本末転倒だ。
「……多くても二、三人くらいですね」
付近の様子を観察していたウルリークから話を聞き、セルマが呟く。
「そのぐらいならば殴り倒しましょう。それで彼らが混乱したり一カ所に多人数がまとまればそれはそれで好都合です」
「ああ」
三階の屋根から軽々と飛び降りたセルマはその勢いのまま下に立っていた兵士を踏みつけにする。
「ぎゃあ!」
彼女がもう一人の足を払って転ばせる合間に、リューシャを抱えたウルリークもまた無慈悲に一人の兵士を着地の座布団代わりとした。
容赦なく戦闘不能にされた兵士たちの体が累々と積み重なる。
「……酷過ぎないか?」
「「いいんです」」
敵ながら憐れな兵士たちを放置し、三人は再び走り出した。
「でももう、これ以上隠れられそうなところは……」
「こっちです!」
路地裏で聞き覚えのある声が響いた。左右の分岐の双方から出てきた少年たちがそれぞれの手を引く。
「え?」
「お前たち……!」
二人ともアレスヴァルドの下町に似合う格好をしてはいるが、その風貌は異国人のもの。思いもしなかった再会に戸惑う一行の前で悪戯っぽく笑う。
「行くよ、リューシャ!」
リューシャの手を引いたシェイが左の道に駆け出せば、セルマとウルリークの手を取ったルゥが右の道へ引っ込む。
「どうしてここに……!」
「詳しいことは後! 今はとにかく逃げるのが先でしょ!」
リューシャの疑問には後で答えると、月の民の少年は今はひたすら足を進めることを優先した。
先程昏倒させた兵士たちが最後に呼んだ応援だろう。道のあちらこちらで明らかに武器を持った男たちの足音が聞こえてくる。
不思議な程に慣れた足取りで進むシェイと、それに引きずられてきたリューシャ。だが特徴的な建物の配置から現在地と進行方向がどんな地理になっているか思い出したリューシャは、自分の手を引くシェイを引き留めようとする。
「待て! この先は――」
「大丈夫! 絶対なんとかなるから! とにかく信じてついてきて!」
リューシャが危惧した通り、道の先は行き止まりだった。
予想外と言えば、その場所にこんな裏通りにやってくるのは不自然な程に高級な馬車が停まっていることだ。
「あれは――」
リューシャを見て軽く帽子を外して苦笑しながらお辞儀をしてみせた御者の顔は、これまた少しだけ見覚えのあるもの。シェイが一年をかけて追いかけ、先日めでたく心を通じ合わせたはずの恋人、ラウズフィールだ。
人の気配を感じた馬車の中の人物が自ら扉を開く。いかにも高貴な人物のお忍びを思わせる馬車の風体に対し、自ら扉を開く行動は似合わない。
――と、思った瞬間、その貴人は躊躇いもなく手を伸ばしリューシャを馬車内に引きずり込んだ。
「うわぁ!」
後を守るように乗り込んだシェイが後ろ手に扉を閉める。引きずり込まれて体勢を崩したリューシャはそのまま、張本人たる男の腕の中に抱き留められた。
「遅かったな」
物凄く聞き覚えのある声だ。あの焼け付くような日差しの帝国でシェイに負けず劣らず深く関わりを持った人物。弾かれるように顔を上げたリューシャの眼前で彼は皮肉気に笑う。
「ら、ラウルフィカ……?!」
驚愕に目を瞠るリューシャに、アレスヴァルド風でありながら一目で異国の貴族とわかるような格好をした、砂漠王国のかつての王は淡々と告げた。
「いいから、さっさと服を脱げ」