Fastnacht 33

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 待ち望んだ連絡は翌朝すぐに来た。
「ダーフィトの鳥だ」
 見慣れた伝書鳩の足に括りつけられていた手紙を読み、リューシャは報告する。
「……戴冠式を行うそうだ」
「どうせ、ディアヌハーデ公爵に強行されたんでしょう」
「だろうな」
 セルマとリューシャが溜息をつく。二人はもともとダーフィトにそう簡単にゲラーシムが説得できるとは思っていなかった。むしろこの機にさっさと息子を即位させようと目論むゲラーシムに押し切られる可能性の方が高いと。
「……」
 一方ウルリークや辰砂は、戴冠式という言葉に眉根を寄せる。何事もなければリューシャに王殺害の罪を着せたまま、ダーフィトが国王として即位する――その、絶好の機会。
「しかしそれならば、例の神剣とやらは目につくところに持ちだされるのだろう」
「僕たちは何をすればいいんですか?」
 辰砂の連れ、天界からの助っ人としてやってきたラウルフィカたちが問いかける。リューシャが旅の途中で出会った彼らは、破壊神とアレスヴァルドの複雑な事情を知り、事態を穏便に収めるためにやってきた。
「とりあえず破壊神は戴冠式に乗り込まないと始まらないな」
 辰砂はいくつかの考えを巡らせながら、各人の動き方を大雑把に指示していく。
「セルマは当然その護衛。ウルリークの存在は最初から一緒だと面倒だから、とりあえず僕たちと来てもらおうか」
「えー。ここに来て裏方ですか」
「仕方がないだろう。お前は魔族なんだから」
「種族差別はんたーい」
「文句ならこの国で生まれ育った王子様に言え」
 この国で彼らがやらねばならないことは主に三つ。
 一つは、ゲラーシムの罪を暴きその野望を打ち砕くこと。アレスヴァルドに正しい体制を取り戻す。
 もう一つは、この国に干渉している規律神ナージュストの目論見を暴き、それが地上に仇なすようならば止めること。
 そして最後の一つは、リューシャが総てを滅ぼすという神託の通り、破壊神の力の暴走を止める。世界の均衡を保つこと。
「いくつか不安要素があるんだよな」
「前に言っていた、規律神の動向か」
「ああ。お前を完全に神として覚醒させるとなると色々と整えなければならない条件があるんだが、それに乗じてあのヤローが何を仕出かすかがいまいちわからん」
 辰砂が口元に指を当てて考え込む体勢になる。
「えーと……よくわかりませんけれど、規律神様が悪いことをするって決まってるんですか? リューシャが破壊神様だから目の仇にするってことは、規律神様の方ではなんとかこの世界を救いたいってことなのでは?」
「だといいんだけどね……」
 善意の塊のようなシェイの意見に、辰砂は重苦しい溜息で返した。そこに、これまでこんな場面では傍観に徹していた意外な人物が口を挟む。
「それは考えにくいと思う」
「セルマ?」
 規律神の動向に関して辰砂でさえ確証を持てないと言っていた。しかしセルマは言葉こそ断定的ではないが、そのことを確信している態度で告げた。
「何度か対峙した経験から言って、あのナージュが“人間のために”動くとは考えられない。奴は人間を憎んでいます」
 リューシャのみならず、辰砂を除く全員が目を瞠った。人間が神を憎むのではなく、神が人間を憎む。それは日々を敬虔に生きている者ほど受け入れがたい内容だ。
「ど、どうして」
「オリゾンダスで奴から直接聞いている」
「……」
 自らが大地神の巫覡であるルゥはいたく衝撃を受けたようだった。涙目になって俯いてしまう。
「……理由は違うが、我も同感だ。ナージュをあまり信用しない方がいいだろう」
「リューシャはどうしてそう思うんだ?」
「知っての通り、我が破壊神としての記憶を取り戻したのはつい最近、故国へ戻る旅に出てからだ。ナージュは我がアレスヴァルドを出国する半年以上前からわざわざゲラーシムに取り入っていたのだ。何の意図もなくそんなことをするはずがない」
「規律神様が引き起こした出来事の数々は、リューシャ様を破壊神として覚醒させたかったから。そういうことですね」
 リューシャの説明の後を、ラウズフィールの推測が引き継いだ。
「殺す機会も手段もいくらでもあるうちは手を出さず、罪人となって国を離れてもほとんど手出ししなかったからな。神には距離など関係ないだろうに」
「ただ問題は……規律神が破壊神を覚醒させたかったとして、その理由がわからないってところだよ」
 辰砂がまとめる。問題が再び戻ってきた。
 規律神ナージュが破壊神の復活に合わせわざわざアレスヴァルドに降りてきた。その理由がわからない。
 リューシャは溜息をついた。
「まったく……そもそもなんでそんなことを気にしなければならないのだ。我が」
「って、オイ」
 いきなりの暴言と言えば暴言に、シェイが律儀にツッコミを入れる。
「ナージュの思惑など知るものか。やられた分はきっちりやり返す。最初はそう思っていたのだ。……まさか自分が神の生まれ変わりなどとは我も予想はできなかったからな」
「そりゃそうだろうけどさ」
 やることは変わらないのに面倒が増えたように感じるのは、リューシャ自身が変化したからだ。
 きっと最初から最後まで、全ての鍵を握るのは“破壊神”というその存在だ。
「……今までの話を総合すると、規律神の思惑を推測するにも、前提にまずリューシャの存在があるのは確実ではないか?」
 神や信仰には詳しくはない。宗教色の薄い東側の人間であるラウルフィカが言った。
「リューシャがいることで、あるいはいなくなることで何が変わる? 誰に、どこに、どんな影響を及ぼす? それは誰にとってどんな利益、あるいは不利益となる?」
 ラウルフィカがリューシャと、その隣に座る辰砂へ視線を向けた。
 まずは本人が不機嫌そうに口を開く。
「アレスヴァルドとしては、我はただの不吉な神託を受けた王子だ。どんな凶兆をもたらすともわからぬし、早く排除したいと思っているだろう」
 そしてアレスヴァルド国民のほぼ全てが、リューシャではなくダーフィトが王位につくことを望んでいる。
「ナージュストがディアヌハーデ公爵ゲラーシムに協力している以上、そういった地上の人間の思惑に奴の考えも一致する部分はあるんだろう」
「つまりやっぱり……リューシャを邪魔に思っている?」
「だろうな」
 悲しみよりも怒りが強い表情でリューシャが頷く。そういった話はなれたものだ。
「人間としてのリューシャへの評価や存在価値はまぁそういったものなわけだな。それで、リューシャではなく“破壊神”という存在に関しては?」
 皆の視線はなんとなく辰砂に集まるが、その前にひとまず自分たちでも考えてみるかと各自頭を悩ませる。
「ダーフィトと何度か会話している場面を見ると、破壊神が世界を滅ぼすのを阻止したい、と表向きは告げていました」
「リューシャの排除は、そういう意味では世界のため?」
「だが、実際に、もし規律神がリューシャを抹殺できたとしたらどうなるんだ?」
 ラウルフィカの疑問に、ぴたりと場が静まった。
 視線の半分はリューシャに、残り半分が辰砂に集まる。
「規律神の力じゃ破壊神を殺せないよ」
「それはわかっている。だが、実際に規律神がちょっかいをかけてきたのは事実だ。規律神の手出しによって破壊神の力はどうなると考えられる?」
「……端的に言えば、消滅か暴走の危険があるね。破壊神が覚醒する前なら前者、覚醒後なら後者の可能性が大きい。もっとも、今のリューシャが破壊神として覚醒せずとも、また何代か後にその魂を持つ者は生まれるだろうけれど。今なら後者」
 リューシャがもしも神として目覚めることなく一生を終えていたら、破壊神の記憶はまた何千年も復活の機会が巡ってくるまでアレスヴァルド王家の血に眠っていただろう。
「条件的にはそもそも前者は設定されていないと思う」
「条件って?」
「運命」
「リューシャは何がどうあっても破壊神として覚醒するはずだったということか」
「そういうこと」
「って、待ってくださいよ。じゃあそもそも破壊神を人間へ転生させた神々は、こうなることをわかってたってことですか?」
 ラウズフィールの驚きには、さしもの辰砂も微妙な表情になった。
「どうだろうね……。規律神の奴が関わってくることを月神が予測していたか、神が神の運命に介入することは可能か……」
「でもお師様。やけにあっさり俺たちを送り出したセーファ様の態度から察するに、破壊神様の力の暴走に関しては当てがありそうな感じでしたよね」
「当てがあるというよりも、むしろ辰砂様の力を当てにしているように感じました」
 再び全員の視線が辰砂に集中する。
「……そもそもこの世界は今、どういう形で均衡をとっていると思う?」
 破壊神にまつわる神話。
 かの神が目覚める時、世界が滅びる。
 それは大きすぎる力が世を満たすことによって、世界が均衡を崩すからだと言われている。
「えっと、お師様が創造の女神の名を奪い、創造の女神が封印されている間は破壊神も眠っていて……あれ?」
 流石に界律師だけあっていち早く気づいた辰砂の弟子たちが顔を見合わせる。
「辰砂は女神の名を奪った……創造の力を今手にしているということですよね。もしも創造と破壊の力の均衡によって世界の平穏が保たれるのだとしたら、お師様がいる限り破壊神様も……あれ?」
 これまでほとんど疑うこともなく信じてきた神話の大筋に、ここにいる者たちは今初めて疑問を持った。
 破壊神は神々の末子。では彼が生まれるまで世界はどのように均衡を保っていたというのだろう。
「待て、何と何が繋がっているんだ。わからなくなってきたぞ」
 話が本格的に混乱する前にと、ラウルフィカが待ったをかける。
「辰砂。余計な問いを挟むな。一から全て説明しろ」
 都合の良い偽りに彩られた、この世界の真実を。