Fastnacht 35

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 規律神と破壊神は、決闘の場をこの世ではない空間に定めて飛んで行った。
「さて、僕たちも始めようか」
 辰砂の言葉を合図として、その弟子たちと神の眷属たちは動き出す。
 破壊神であるリューシャのとる行動、そして規律神であるナージュストがとる行動がどういったものであろうと、彼らはそれによって発生した不均衡を正すためにこの場に現れた。
 アレスヴァルドの民は先程のセルマの歌声で皆眠りについている。最後まで粘ったゲラーシム・ダーフィト親子もついに地に伏した。
 ここから先は人の領域ではない。
 これまでもリューシャの力の覚醒にこの国の大地が影響を受けないよういたるところで均衡をとる作業に精を出していた彼らだが、それらはあくまでも下準備のようなもの。
 ついに本番がやってきた。
「ここには大地神の眷属と、天空を司る月神の眷属がいる。――僕たちは天と地に楔を打ち結界を作る」
 元豊穣の巫覡であるルゥは、もともとそのための神子だった。タルティアンでの出来事絡みで多少順番は前後したが、大地神が備えていた来るべき戦いを補助する役目を持っていることに変わりない。
「天地の要……三界に楔を打ち込むのであれば、海は誰が担当するんです?」
「僕だ」
 魔術師としての能力なら辰砂の弟子たちが上だが、祭祀としての能力はルゥが勝る。的を射た問いに、辰砂は一言で返した。
「僕たちの仕事は結界によって、破壊神と規律神の戦闘の余波を逃がすこと。余裕があればついでに弱った大地に力を流し込みたいところだけど」
「そこまでしなくても大丈夫だろうと大地神様は仰っています」
 大地神シャニディオールの意志は、その場にいなくてもルゥを通して伝えられる。彼の神獣であるティーグだけは、機動力のためにルゥに貸し出されていた。
 まぁティーグの場合は自分で頼み込んでルゥに着いてきたのだが。
「そうか。まぁ、余裕があったらってことで」
「はい」
「大地はルゥ、天はラウルフィカとシェイとラウズフィール、銀月もそっちに。白蝋は僕と海に来い。紅焔はいざという時のために手を空けておいて、力の調整をする一番重要な役を」
「――はい」
 ルゥと変わらない年頃の少年の姿をした紅焔だが、辰砂の三人の弟子の中では一番能力が高い。それを知っている辰砂は最も難しい役目も彼に言いつける。
「ところで」
 打ち合わせに一段落ついたところで、シェイが恐る恐ると言った様子ながらラウルフィカに尋ねた。
「ラウルフィカ様は、一体いつ眷属になられたんですか?」
 月女神セーファから打診を受けた時、ラウルフィカは一度その話を断ったはずだ。
 なのに先程規律神に対して名乗りを上げた時彼は「月神の眷属」と明言していた。一体何時の間に契約を交わしたのだろう。
 代表して尋ねたのはシェイだが気になっていたのは他の者たちも同じだ。何せ彼らの大半が、ラウルフィカがセーファに直接その申し出を断ったところを見ているのだ。
 心変わりの原因はなんとなく……否、確実に予測がつくが、それをいつ行ったのかというのは誰も知らなかった。
 そして返ってきたのはまた大胆な答だ。
「ついさっきだ」
「ええ?!」
「なんだ? 何か文句でもあるのか?」
「い、いえ。ありません!」
 堂々と名乗っていた割に、ラウルフィカがその資格を得たのは「ついさっき」。そう言えば先程セーファがやってきてラウルフィカと何か話をしていたような気もするが……。その大胆さに彼らは度肝を抜かれる。
「さっきねぇ……それじゃラウルフィカ、力の使い方の方は?」
「そちらは問題ない。一通りの手解きは月神から受けている」
「……そう」
 あくまで表向きの説明しかする気がなさそうなラウルフィカの態度に、さすがの辰砂もこれ以上の突っ込みを躊躇われた。どうして眷属としての心得や神力の使い方の手解きと実際の契約が逆転しているのかなど、疑問は積み重なるばかりだが聞くに聞けない。
 冷たい青い瞳で睨まれる。なんだか最近のラウルフィカは辰砂に対し酷く冷たい。天界に来た当初は一緒の寝台に潜り込んで昼寝しても何も言わないような仲だったというのに。
「さーて。んじゃ頑張って作業する皆さんを俺たちは応援でもしますかね。ねぇ、姉さん?」
「そうだな」
 実働隊の割り振りが決定したところで、この場にいるはいいものの手持無沙汰な様子の淫魔と女騎士が声を上げた。
「……姉さん?」
 ウルリークの台詞の中の奇妙な単語に辰砂は思わず彼らの方を振り向く。
 かつて傾国と呼ばれた淫魔は一瞬でその姿を変えると、どこかで見た覚えのあるような舞装束となった。
 セルマが腕に抱えた竪琴をゆっくりと奏でだす。
 魔力の込められた音は、聴き手の疲労を癒し、力を湧き上がらせる効果がある。
 その音に合わせて、ウルリークが地を蹴る。まずは体を温める目的でと、軽く手足を動かして舞う。
 その姿を見て、ようやく辰砂は気付いた。
「あっ、ああー!!」
 本日最大の驚きに、顎が外れんばかりの勢いで大声を上げた。動き出しかけていた人々がその声に驚いて足をもつれさせる。
「どうしたんですかお師様」
「ウルリークさんがどうかしたんですか?」
「どうもこうもないよ!」
 弟子たちを押しのけてウルリークの正面に立ち、辰砂は指を突きつける。
「“ディソス”?!」
「はぁい」
 辰砂の驚きに対し、あまりにも軽く踊りながらウルリークは応えた。
 このぐらいの舞は彼にとっては肩慣らしにもならない。
「気づくのが遅かったですね。辰砂。俺はあなたに会ってすぐに自分を思い出したのに」
「だ、ど、なんっ」
 すでに言葉にならない辰砂に対し、ウルリークは明るく笑う。
 その笑顔は普段彼が浮かべるようなどこか色気のあるものではなく、年相応の少年らしい爽やかさだ。
 ウルリークを知る者は彼がこんな笑みを浮かべることは意外としか思えない。だが辰砂にとっては、何よりも焦がれていた“ディソス”の笑顔だ。
「そ、んな……」
「……お師様?」
 がっくりと地面に膝をついて伏した辰砂の顔を、銀月が恐る恐る覗き込む。
「やばい。こんな放心状態のお師様初めて見た」
「え? どういうことなんです?」
 辰砂にとってディソスなる人物がどういった意味を持つのか知らない面々は、不思議そうに顔を見合わせた。
「まぁまぁ皆さん、細かいことは気にしないで」
「セルマさんは少し気にした方がいいと思いますが……」
 事情を知っているだけにうまく話題を流そうとするセルマだが、彼女自身の普段の言動が言動だけにいまいち効果は薄いようだ。
 しかしそうふざけてばかりもいられない。大地と大気の揺れを再び感じ、一同は顔色を変えた。
「そろそろ真面目にやった方がいいな」
 破壊神と規律神が激突し、戦闘を繰り広げている。地上ではなくともあれだけの熱量が衝突すればその余波は免れない。
「んじゃ、頑張って行ってきてください。俺たちは所詮、今の時代には裏方。最後まで裏方に徹しますから」
「……お前もそれでいいのか?」
 アディスであるセルマに問いかけた時のように、辰砂はディソス――ウルリークにも聞いた。
「ええ、もちろん」
 時は過ぎ去っていく。
 過去が、過去になっていく。
 過ぎ去ってしまった時間は、それに執着してしがみつく辰砂のような者がいなければ、ただの過去にしか過ぎないのだ。
「でももう、あなたも大丈夫でしょう。ここにいる人たちや今まであなたが出会ってきた色々な人や、そしてリューシャさんが“今”を肯定して、過去を過去にしてくれたでしょう」
 だからもう振り向かない。振り向く必要はない。
「わかった。頼む――ウルリーク」
 もうディソスはいない。いるのは、前世で彼として生きた記憶を持つ、傾国の淫魔ウルリーク。
 辰砂はようやく彼への恋を忘れることができる。そして今度こそ自分の傍にいると誓ったリューシャと共に生きていく。
「行ってらっしゃい」
 前世で双子の巫覡だった者たちも今は他人だ。だがリューシャという人物と出会ったことにより、その縁を今生でも引き寄せた。これから歩いていく道は違えるけれども、そのためにも今はせめてリューシャのためにほんの少しだけ力を貸してやる。
 これが自分たちにとっても最終決戦なのだ。
 見送る二人に手を振って、辰砂たちは各々の役目を果たすために空間を駆けだした。